EP06 アヤメ・イン・ワンダーランド

「は……」


 ジェノの口から、思わず声が漏れる。空色の瞳は驚愕と困惑に染まっていた。


「なっ……」


 それは、相手も同じであった。薄紫色の瞳は、同じように驚愕と困惑に染まっている。


「アヤメさん!?」

「アヤメさん……?」

「アヤメさんっ!?」


 指し示す事も無く三人分の声が重なった。呼ばれた名前は一人の物。タブレットを片手に硬直している女性の物だ。


「え、は? な、何でや……何でアンタらがここに居るん!? どっ……どういう事やアリス隊長ぉ!?」


 名を呼ばれたアヤメは、手にしていたタブレットを取り落としそうになりながら、ゆるゆると指をさす。その視線は黎明隊とアリスの間を行き来していた。


「あらぁやだわぁ。私ってば、アヤメに黎明隊の事を伝えるのすっかり忘れてたわねぇ」


「たはは、アリスさんってばうっかりさんッスねぇ」


 すれば、アリスは頬に手を添え、きょとんとした顔で呟いた。相槌を打つドラセナの笑いは何処か乾いており、彼の目線は遠くに向かっている。


「……っあー、そういう奴な……。せやな、ルネはんなんかがこんな遠征任務来てもうたら、昏倒間違いなしや……。……わざとやな? アリス隊長……」


 確実に確信犯だ。アヤメは全てを一瞬で理解すると、やられたとでも言う様に天を仰ぐ。それから眉間を揉んで、一つずつ事実の確認。最終的にアリスへ向けられた視線は険しく、じとっとしたもの。


「だってアヤメってば、調査隊に戻って来てからずぅっと暗い顔なんですもの……! 私は少しでも喜んでくれたらぁって……!」


 観念したアリスは全てを白状した。目を潤ませて、胸の前で手を組んで、全てはアヤメの為なのだと口にする。


「うぐっ……アカン、そんな顔されたら怒れへん……!」


 美形のアリスにそんな顔をされ、そんな風に言われてしまっては叱るに叱れなくなってしまう。アヤメはタブレットを持っていない方の手をわなわなと震わせると、困った様に悲痛な声を上げた。


「ええっと……アヤメさん、その隊服は……」


 天を仰ぐアヤメへ、遠慮がちに声をかけたのはバレッタだ。彼女の瞳に映ったアヤメの姿は、いつもの見慣れたオペレーターの制服では無かったからである。


「ん? あぁ……これな。見ての通り、ワンダーランド調査隊の隊服やわ」


 それは、アリスのものと似通った隊服で。アヤメはその場で一回転すると、苦笑いのまま纏ったそれがワンダーランド調査隊の隊服である事を明かす。


「……どうやら、アヤメさんはオペレーターとしてこの場にいる訳では無さそうですね」


「ん、まぁそやな。今のウチはオペレーターとはちごて、ワンダーランド調査隊所属、『見鬼けんき』のアヤメ・シーシェドってとこやな」


 つまり言い換えれば、アヤメの所属もワンダーランド調査隊であるという事。アヤメはシルヴィオの言葉に頷いてみせると、ようやくいつもの様な笑みを見せた。


「えぇっ!? 二つ名って事は……アヤメさんも戦えるんですか!?」


 突如明かされた二つ名に、またもやバレッタは即座に反応する。まさか、アヤメにも戦闘能力が備わっているのだろうか。


「いや戦えへん戦えへん! あんなぁ、ウチ、オーミーンに……ってか、この調査隊に最初所属した時から結構扱いが特殊やってん。そもそも、調査隊に所属する人らが二つ名貰うんはよくある話やで?」


 だが、大袈裟なまでに仰け反ったバレッタの言葉を、アヤメは慌てて否定した。実は、調査隊という役職に就く者が形式的に二つ名を与えられるのはよくある話なのである。アヤメもその内の一人という訳だ。


「うふふ、その観察眼と知識を見込んで私がスカウトしたのよ〜」


「せやなぁ、あん時は……って、これアホみたいに長なるな……この辺はホンマおいおい話させてもらうわ」


 何やらアヤメにも特殊な事情がある様だったが、彼女がこの場でそれを語る事は無かった。どうやら、かなり込み入った事情なのだろう。


「……なぁ、アヤメ姉さんとお前らってなんか関係あったっけ?」


 不意に、ジェノの右肩に体重がかけられる。その正体はドラセナだ。反射的に置かれたドラセナの肘を叩いて退かそうとしたジェノであったが、同時に彼が口にした疑問の所為でそうもいかなくなる。


「えっ……と、アヤメさんは黎明隊のオペレーターっすけど……?」


「あ〜、それだ。……ん? てことは……お前、この遠征任務の間、知り合いばっかに囲まれるってこったな?」


 困惑し切ったジェノが戸惑うままに答えれば、ドラセナは思い出したと言わんばかりに指を鳴らす。それから会話の中である程度ジェノの交友関係を把握した彼は、任務の間知り合いばかりである事を指摘した。


「え……ほんとだ……」


 瞬間全くその通りである事を自覚し、ジェノは絶望した表情を浮かべる。普段から煽り煽られの関係であるカイルに加え、何故かやけにジェノに構い煽ってくるドラセナまでいるのだ。この先、不安しか残されていない。


「たはは、おもしれ〜」


 そんな絶望する自分をからかってくるドラセナの笑い方には、何処か既視感があった。うんざりしつつ助けを求める様に首を動かせば、バレッタと話すアヤメが同じ様な笑い方をしている事に気が付いた。


「……なんか、セナさんってちょっとアヤメさんに似てません? 笑い方とか……なんか、ノリとか」


「なはは、まぁせやろな。ウチとセナ、従姉弟やし」


 それから既視感の正体を確かめようとすれば、答え合わせをする間も無く答えの方から話しかけてくる。意識すればする程、アヤメとドラセナの笑い方は似通っていると分かる。


「っ、えぇっ!? そうなんですか!?」


 本日何度目か分からない、アヤメの隣にいたバレッタの驚愕。今日の黎明隊は皆驚いてばかりだ。何度素っ頓狂な声を上げたか分からない。


「ん〜? おうとも! アヤメ姉さんは……母上殿の妹さんの娘さんだったか? はは、ややこし〜。……ほら、並んだら顔もそっくりだろ?」


 ドラセナはジェノから離れると、今度はアヤメの隣に立ち、自分の姿を見せ付ける様に手を広げる。確かに、言われれば似ていないとも言いきれない。


「いや、言う程とちゃう? ……はぁ〜……」


 そんなドラセナの言葉にうっすらと笑うと、アヤメはどこか気が抜けたとでも言いたげにため息をつく。


「アヤメさん……?」


 アヤメがため息をつくなんて珍しい。故に、少し困惑したようにバレッタが名前を呼べば、彼女は苦笑いを浮かべて答えた。


「あー、すまんすまん。ウチ、しばらく黎明隊の皆とは会えへんな〜思てここまで来てん。それに色んな覚悟もしとったし……せやから、拍子抜けというか何と言うか……」


「はは、まぁ……アヤメ姉さんからすれば死地も同然だよな」


 どうやらドラセナはアヤメの事情を知っている様だ。その表情が暗く曇る理由も、詳しい事情も告げずに黎明隊の前から去った理由も。


「……? それってどういう――……」


「あのっ! 皆さ……きゃっ!?」


 それを問おうとしたジェノだったが、その言葉はか弱い悲鳴に遮られる。


「……ロズ?」


 同時に聞こえた、車輪に轢かれた小石が跳ねる音。ドラセナは瞬時に振り向くと、目に映った人物が予想通りである事を確かめた。

 同じくジェノが音のした方へ顔を向ければ、そこには車椅子に座った一人の女性がいた。彼女はびっくりした様な表情で、自身が座る車椅子の車輪を見つめている。

 生成色の髪を三つ編みで纏め、薔薇の付いたカチューシャをした女性の姿に見覚えは無い。恐らく、遊撃隊か調査隊のどちらかの所属だろう。


「ど〜したロザイア、大丈夫か?」


「あ……。ご、ごめんね、セナちゃん……石が車輪に……」


 慌てて駆け寄ったドラセナに、ロザイアと呼ばれた女性は目を伏せて答える。よく見れば、彼女の両足は機械――つまり、義足であるようにも見えた。


「気にすんな、これくらい何でもないっての。それで……どうしたんだ?」


 ドラセナはロザイアに目線の高さを合わせて優しく笑いかけると、何故彼女がこの場に来たのかを尋ねる。その視線に込められた感情の意味を、目敏いバレッタはいち早く感じ取った。


「あっ……えっとね、チェシャ博士が、そろそろ集まった方がいいって……。三隊長とスズカ様が、そろそろ到着するって言ってて……」


「おー、了解。ありがとな」


「ううん……私には、これくらいしか出来ないから……」


 笑い合う二人。だが、その間に流れる空気は何処かぎこちない。特に、ロザイアの顔に浮かぶ表情は何処か陰っていた。


「そんな事無いさ。ロズはいつも頑張ってるよ……。……よぅしお前らぁ、ちゃーんと聞いてたかぁ? 繰り返すぞ、そろそろ三隊長と騎士長殿のお出ましだぜ〜。少しでも遅れたら三隊長……特にロイスさんにどやされんぞ〜?」


 ドラセナは、そんなロザイアにまた笑いかけてから立ち上がる。それから彼女が告げた言葉を大きな声で繰り返し、その場の全員の注目を集めた。


「な、何ですって!? それは困ります! お先にジェノ君! 君は怒られといて下さい!」


 真っ先に反応したのはカイル。尊敬して止まない兄の名前を出されてしまえば、仕方無い事である。


「はぁ? 意味分かんないし……待てカイル!」


「ははは! 何だか一気に緊張感が抜けてしまったねぇ」


 何故か槍玉に挙げられたジェノが怒りつつもカイルの後を追い、またその後を笑いながらクラウディオが追う。


「ええっ!? ちょっ……先輩達!? ま、待って下さいよ〜っ!」


「お〜い走るなってお前ら〜、コケても知らね〜ぞ〜?」


 そんな三人に釣られ、思わずバレッタまでもが走り出して後を追う。最後にドラセナが「しょうがねぇな」と笑いながら、まるで保護者かの様な面をして既に小さくなり始めている背を追って歩いていった。


「ふふ……皆さん本当に元気ですね。それでは、私達も行きましょうか。……アヤメさん?」


 そんな若い衆を眺め、シルヴィオはクスクスと笑い声を上げる。そうして、自分達も向かおうかと残りの衆に声を掛けるが、どうにもアヤメ達が動く様子は無い。


「あー……すまん、ウチまだやらなアカン事があって……。な? アリス隊長」


 声を掛けられたアヤメは、何処か気まずそうに目を泳がせて、最終的には助けを求める様にアリスを縋り見た。


「――! そうねぇ、多分私だけじゃ手が回らないわねぇ。ロザイア、私とアヤメは後から向かうから、にそう伝えといて貰える?」


 水を向けられたアリスは、少しだけハッとした様な表情を見せると、またすぐにいつもの様な微笑を浮かべてロザイアへと頼み事をする。やはり、アヤメには何か込み入った事情がある様だ。


「あ……はい……! 分かりました……伝えておきます。それじゃあ……また、後で……」


「えぇ、よろしくね? 行くわよアヤメ」


 ロザイアが首を縦に振ったのを見届けると、アリスは浮かべた微笑みを深くする。それからアヤメの名を呼ぶと、踵を返して颯爽を歩き始めた。


「あーい。ほな、また後でな、ヴィオはん、ロザリー」


 名を呼ばれたアヤメも、シルヴィオとロザイアへ軽く手を振って、先に歩き始めたアリスの後を追う。その表情は、何故かほっとしている様にも見えた。


「えぇ、また。……ええと、それでは行きましょうか」


「あ……、は、はい……!」


 残されてしまったシルヴィオは、同じく残されてしまったロザイアへと微笑みかける。そうすれば、彼女は驚いた様に顔を上げて点頭した。


「……っ、きゃぁっ!?」


 だが、車椅子を動かし始めた彼女を阻むのは砂利道。ガタンと大きく車椅子が揺れ、ロザイアはまた小さく悲鳴を上げた。


「……あの、宜しければお手伝い致しましょうか?」


「あ……す、すいません……お願いします……」


 見兼ねたシルヴィオが腰を低くして尋ねれば、ロザイアは申し訳なさそうに縮こまりながら、今にも消えてしまいそうな声で頷くのであった。

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