第三幕 追憶の白騎士

EP01 特殊騎士部隊、騎士長

 ここは、オーミーン本部の最上階。コツコツと、軽い足音が響く。総帥の執務室へ続く、豪勢で長い廊下を歩いているのは、ほんの九つ程に見える幼子であった。


 幼子は身の丈に合わぬ大きなマントを少し引き摺りながら、迷い無く歩いていく。彼女が目指しているのは総帥執務室――では無く、その隣にある、。少女は目的の扉に辿り着くと、躊躇もノックも無くその扉を開け放つ。


「――お帰りなさいませ、主様。事前に仰せつかっていた通り、第三会議室に総帥直属部隊の面々をお呼び致しました。主様が御不在の間の出来事はアーカイブに纏めてあります。後程御確認下さい」


 すれば、先に部屋で待機していたアカツキが。少女の後ろには誰も居ない。つまり、彼女こそがこの部屋の主――総帥代理なのである。


「うむ、ただいま帰ったぞ、アカツキ。三ヶ月もの間留守にしてすまんかったの、ご苦労じゃった! ……それから、いつも儂を呼ぶ時はスズカと呼べと言っておるじゃろう」


 アカツキの出迎えに笑顔で答えると、幼き総帥代理――スズカは、すぐ様眉を潜めて、自身の呼び方に関して苦言を呈する。悲しそうな表情を作る彼女の右の額には、の様な角が生えていた。


「失礼致しました。訂正致します、スズカ様」


 その苦言を受けたアカツキは、即座に呼び方を修正する。だが、アカツキがそう言った後のスズカの顔は曇ったままであった。


「……まぁ、よい。して、今日は誰がちゃんと来ておる?」


 それの束の間。スズカはふるりと首を振ると、会議室に呼び付けた者のうち、しっかり出席している者について問うた。


「はい、本日はナイト所属、ロイス・ガラット隊長、マツバ・シャトール隊長、ミリア・アイスナー隊長、それからユリシス所属の――……」


「ゆりしす?」


 流れる様に出席者を答えていたアカツキであったが、その言葉は不意に聞き返したスズカによって遮られる。


「はい、この間認可されたばかりの、『冥王めいおう』を隊長とする隊です」


 スズカはこの三ヶ月間、エデンの外で調を一人で行っていた。故に、三ヶ月間に起こった出来事――つまり、キュウビ討伐やガシャドクロ討伐について何も知らないのである。


「あぁ! あの娘の! そう言えば何やらそんな話聞いた気もするの。ふむ、やはり歳を取るとダメじゃのう……どうも新しい事柄が覚えられぬ……。……と、遮ってすまなかったの。まぁ後はくらいじゃろうが……」


 否、彼女がエデンを留守にしている間も、アカツキはしっかりと報告を行っていた。つまり、スズカが報告された事柄をすっかり忘れ去ってしまっているのである。

 彼女は参った様に苦笑いを浮かべると、アカツキに続きを話す様に促した。だが、ここまで総帥直属部隊の隊長が挙がってしまえば、残る隊からの参加者は分かり切っている。


「はい、アコールからはでウィルフレッドが参加しています」


 残る隊――アコール隊の代表は、。それは、明らかなイレギュラー。だが、スズカはその事を把握していた。


「……そうか。やはり、


 目を伏せて、スズカはポツリと呟く。その黒真珠が如く瞳には、焦りと心配の色が濃く滲んでいた。


「はい。未だです」


 絶対的強者であり、人類の希望とも呼ばれるアコール隊のツートップが行方不明。それは、紛れも無い緊急事態。

 だが、フェルディナンドが行方不明である事は、限られた者しか知らされていない。そんな事が知れ渡ってしまえば、大混乱が発生する事か分かり切っているからだ。


「むぅ……やる事が沢山じゃの。果たしてばばの記憶力で覚えておけるかどうか……まぁ良い! 兎にも角にも、まずは会議じゃ! 行くぞアカツキ!」


「命令を承りました」


 それから、スズカはこうしてはおれぬと首を振るうと、大きなマントを翻して会議室へと勇敢に歩き出す。アカツキは頷く代わりに僅かに頭を下げると、スズカの後を静かに追うのであった。



「……にゃんか、すっごい新鮮な光景〜」


 重要軍事会議室。両手で頬杖をつきながら、ミリアは重たい空気を破る様に口を開いた。


「ははは、それはボクが遅刻せずに居るからかい?」


 その言葉に笑いながら応えたのはルネだ。現在は、なんとまだ会議が始まる前。遅刻常習犯、ひいては欠席常習犯でもあるルネがこの場にいる事自体珍しいのである。


「いやそれもそうにゃんだけど……まさか『夜鷹』さんが来るなんて思ってもみにゃかったしぃ?」


 だが、ミリアの視線が突き刺していたのは珍しく既に着席しているルネでは無かった。からかう様な笑みを浮かべるルネの向こう、居心地が悪そうに腕を組み、頻りに瞬きを繰り返しているウィルフレッド。

 彼こそが、ミリアの好奇の視線の対象であった。


「あぁ、それに関してはボクも同意だねぇ。君が来るだなんて珍しいじゃないか、弟クン。『皇帝』サマはどうしたんだい?」


 アコールの代表と言えば、無論『皇帝こうてい』フェルディナンドだ。確かに彼は普段から忙しい為、会議を欠席する事は珍しくない。だが、彼が忙しい時は総じてアコールの皆も同じく忙しい為、こうして代理を立てる事など今まで無かったのである。


「……療養中だ。気にしないでくれ」


 二人分の好奇の視線にあてられたウィルフレッドは、困った様に目を逸らして、ただ静かにそう告げる。

 療養中、という言葉を聞いて、ルネとミリアだけではなく、黙って話を聞く事に徹していたロイスとマツバも目を見張った。


「へぇ……珍しい事があったもんだね」


 しんと落ちた静寂を真っ先に破ったのはルネだ。彼女はフェルディナンドと似た体質のヴィクトールとの付き合いが長い為、彼らが決して怪我をしない訳では無い事を重々理解している。


「……でも、ラヴィにゃんの事もあったし、仕方ないのかな……」


 瞳に映す感情を、好奇から哀惜へと塗り替えたミリアは、誰に向けるでも無くポツリとこぼした。


 彼女が口にしたそれは、アコールの副隊長であるラヴィーナ・ヘリオドールのあだ名だ。現在は高難易度任務のメンバーに選ばれ――消息を絶った。

 その知らせは総帥直属部隊の面々を驚かせ、また、同時に悲しませたものである。それに、ラヴィーナはフェルディナンドの婚約者だ。かの皇帝を襲った衝撃は、きっとこの場の者達では計り知れない程だろう。


「…………」


 途端に、落ちる静寂。目を伏せるミリアの服の袖を、隣に座っていたマツバが窘める様に引いた。

 確かにミリアはラヴィーナとも仲が良かったが、この場にはそれ以上の、家族同然の存在として育ってきてウィルフレッドがいる。


「あ……ごめん、無神経だったかも……」


「……いや、気にするな。……事実、だしな」


 それに気が付いて咄嗟に謝罪を口にしたが、ウィルフレッドは目を伏せて首を振るうばかり。だが、そんな彼の表情は痛切と哀惜に塗れていた。

 再び、落ちる静寂。今度は、誰もその静寂を食い破ろうとはしなかった。


「――皆の者、待たせたの!」


 それを、何の躊躇も無く破ったのは一人の幼子の声であった。


「――! あぁっ! おかえりなさいスズカ様ぁっ!」

「――! お帰りなさいませ、騎士長!」

「――! おぉ、久しぶりじゃなあ、騎士長!」


 されど、それはナイトの面々には聞き馴染みのある声で。三隊長は一斉に立ち上がると、口々に彼女の帰還を喜ぶ様にスズカを囲った。


「うむうむ、相変わらず元気がいいのぅ……。にしても遅くなってしもうてすまんの! 儂とした事が、一つ部屋を間違えてしまって……」


 ミリアよりも背の低いスズカは、すっかり三人の中に埋もれてしまったが、彼女は全く気にする事無く笑った。それから少し恥ずかしそうに己の失態を口にすると、遅れた事を謝罪した。


「やーん、スズカ様ってば可愛い〜っ!」


「御三方共、席に着いて下さい。直ぐに会議を開始致します。スズカ様の御前である事をお忘れなき様」


 照れるスズカにはしゃぐミリアだったが、淡々とアカツキに促され、三人は大人しく席に着く。如何に幼い姿をしているとは言え、スズカはナイト――つまり、特殊騎士部隊のトップなのだ。


「……して、騎士長。本日は一体どの様なご用件で?」


「うむ、実はお主らに頼みたい事があってな――……」


 ロイスの問いに、スズカは人好きのする笑みを浮かべた。会議は、ようやくその幕を開ける。

 彼女の頼み事が波乱を巻き起こす事は、この場の誰も知りうる事では無いのであった。


◈◈◈◈


「……アコールは、大丈夫なのかい」


 会議の終わり。既に散り散りに去っていったナイトの面々を他所に、ウィルフレッドに声を掛けたのはルネであった。

 ルネには、一つ聞きたい事があった。会議が始まる前、フェルディナンドが療養中と聞いてルネが驚いたのは、少しだけ他と理由が違っていたからだ。


「……皇帝サマが療養してるだなんて話、医療区画の何処に居ても聞こえてこない。……彼は、本当に療養中なのかい?」


 ルネは、医療区画の常連とも言える存在だ。彼女に言わせれば、ほとんど庭の様なものである。だが、そんな場所の何処に居ようとも、「『皇帝』フェルディナンドが療養している」という話は一度も聞いた事が無かった。


「それ、は……」


 突然の問いに、ウィルフレッドは言い淀む。それだけで、ルネは自身が知るべき事では無い事に首を突っ込んだ事を察した。


「……すまない、余計な心配だったかな」


 故に、僅かに肩を竦めて見せれば、申し訳なさそうなウィルフレッドの視線が注がれた。


「まぁ、彼が無事ならいいさ。アリスに頑張るよう言っといてくれよ……それじゃあ」


 遂に何も言えなくなってしまったウィルフレッドを追い抜いて、ルネは歩き去って行く。彼から返答が来る事はついぞ無かった。

 だから、ルネは先程までのやり取りを忘れる事にした。今はそれより、への言い訳を考える事に集中するべきなのだから。

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