【断章】『ユリシス』 永遠の愛
「只今より、勲章授与式を執り行います。名を呼ばれた者は前へ」
アカツキの淡々とした声が、厳かな雰囲気の漂う部屋に響いた。この場に集まるのは、まさにいつかの軍法会議の時と同じ、勲章を授かった者達だ。
「黎明隊隊長、『
「はっ」
まず呼ばれたのはシルヴィオだった。彼は低く心地の良い声で返事をすると、いつもの様に優雅な動作で前へ出た。勲章授与式は二度目。それに彼からすれば、礼儀正しく振る舞う事などきっと慣れた事であろう。
「同じく隊員、『
「っ、はい……!」
次に呼ばれたのはジェノ。やや緊張した面持ちで、ややもすれば裏返ってしまいそうな声を上げながら、まるで機械の様な動きで前へと出る。よく見れば、右手と右足が同時に出ていた。
後ろでその様子を見ていたルネは、思わず笑ってしまいそうになるのを堪えている。
「同じく隊員、『
「はっ……は、はい……」
その次はバレッタだ。彼女はこれまでの様に
バレッタは思い切り声を裏返して、顔を真っ赤にしながらジェノの隣へと駆け寄っていく。今度のルネは、微笑ましそうに口元を緩めていた。
「
そうして、次はルネの番。 呼ばれたのは、先日隊として認可されたばかりの小隊名。これまでいくつかの隊に属してきた彼女だったが、隊長となるのはこれが初めてであった。
それは、ルネ自身が
隊名となったユリシス――ユリシスの蝶は、幸せの証。ルネの家名であるラピスラズリと同じ意味合いを持っていた。
「……あぁ」
少しの間。そして、ルネはいつもの様に軽く返事をして、悠々と前に歩み寄る。そんな彼女を見ながら、ハルステンは何処か安堵した様に微笑んだ。
「同じく
「うっす!」
それから最後に呼ばれたのは、ルネの隊の唯一の隊員。隊長に続いて軽い返事をしたのはヴィクトールだ。彼こそ緊張するかと思いきや、いつも至る所でピアノを弾いている所為でそうでも無い様だった。
全員が揃った事を確認したハルステンが立ち上がり、柔和な笑みを浮かべたままに頷いた。皆はそれに合わせて恭しく膝を着く。学生二人の行動は少しだけ遅れていたが、ハルステンは更に笑みを深めるだけであった。
「――汝ら黎明隊、それからユリシス隊の功績を称え、ここに勲章を授ける」
それが纏う温度さえも感じてしまいそうな程美しい剣が、シルヴィオから順番に触れていく。一人一人、その功績を称えるように。無事戻って来た事を喜ぶ様に。
「――その覚悟に、幸多からん事を」
そして、ルネの前にハルステンが立った時。彼は、静かにそう付け加えた。
「――っ!」
ルネは思わず顔を上げそうになって、その衝動を押し留める。涙が零れそうになった。何かを口にしてしまえば、感情が決壊してしまいそうで。ようやく絞り出した礼の言葉は、小さく掠れていた。
◈◈◈◈
流れていく美しい旋律。そこには淀みも迷いも一切無い。奏者はその美しい世界に浸る様に目を閉じて、今では見る影もない平和な世界に想いを馳せる。
そんな優美な音粒の中に、一つだけ不協和音。扉が開く音だ。不協和音を鳴らして現れた人物は、奏者に声もかけず、その狭い椅子の隣に腰掛ける。
「……っだぁ、おい! この椅子
案の定、奏者――ヴィクトールは演奏する手を止めぬままに苦言を呈する。だが、決して体重を預けてくるルネをどかそうとはしない。それが酷く嬉しくて、ルネは口元を笑みに染めた。
「……バレッタは?」
何も言わないルネに対して、ヴィクトールはささやかな疑問をぶつける。あれから、功績を認められた黎明隊の謹慎も解けた。
故に答えは分かり切っていたが、それでも何となく黙ったままの時間が気恥ずかしくて、ヴィクトールは彼女の話を口にしたのである。
「フラれちゃったよ。やっぱり、黎明隊が彼女の居場所なんだってさ」
「はは、そっか」
返ってきた答えは、やはり彼女は元の居場所の帰っていったというもの。
ヴィクトールは、黎明隊が応援に駆け付けた時の、バレッタのあの安堵した様な泣き笑いを見ていた。だから、ルネの答えも予想通り。寧ろ、彼女がちゃんと居場所へ戻った事に安心すら感じていた。
「……ねぇベクト、何か弾いてよ」
不意に、ルネが呟いた。それは、現在も尚美しい旋律が流れているのにも関わらず、更に何かを弾いてくれというリクエスト。
「今弾いてるだろ」
「別の曲がいい」
ヴィクトールは抗議したが、どうやら流れているショパンはお気に召さないらしい。ただ、彼女が求めている曲は、何となくだが分かっている。
「はぁあ? 仕方ねぇなぁ……」
だから彼が弾き出したのは、シシリエンヌ。儚くて、美しくて、優しい音色が、泣いてしまいそうな程に綺麗な旋律を彩る。
これはきっと、ヴィクトールがルネを想って弾いている曲。何度も何度も、ルネが扉越しに聞いていた曲だ。
「……これ、前も聞いたよ」
目を閉じて、静かに、音の世界に浸って、ルネは少しだけ震えた声で呟いた。暖かな音が、同じくらい暖かな気持ちとなって胸を満たしていく。
「別にいいだろ? これが一番好きなんだよ」
口調だけは文句ばったルネの言葉に、ヴィクトールはわざとらしく口を尖らせる。それは、聞きたいと明言しなかったルネに対する意趣返し。
「ふーん……何で?」
からかう様な声色。どうやらルネは慌てるヴィクトールが見たいらしい。それを察した彼は、思い通りになってやるものかと意固地になって、口を開く。
「柔らかくて優しい癖に、どっか危なっかしくて…………お前みたい、だから」
もたれているルネには、ヴィクトールの心臓の鼓動が聞こえていた。けれど、きっとそれは彼も同じ。ヴィクトールも、煩く跳ねるルネの心臓の鼓動を聞いている事だろう。
「…………そう。ボクも、好きだな。君のピアノも……君も」
ただただ、泣きそうなくらいに幸せで仕方が無くて。ルネは暖かな雫を零しながら、いつまでも不揃いな鼓動の連弾に耳を済ませていた。
◈◈◈◈
会議室に、二人きり。相手は、自身の上官で。
この上なく緊張した面持ちのアヤメは、その表情に苦々しいものを混ぜながら重い口を開く。
「……あのぉ、アカツキ室長……。これ、ほんまに行かなダメですか……?」
そっとアカツキに差し出したそれは、急遽下された命令。信じられなくて、何度も読み返して、遂には
「既に決まった事ですので。それに、そちらは総帥代理から直に下された命令です」
返答は淡々と。アカツキの言葉に揺らぎは無い。まるで、そう答えろとプログラムされたかの様に、一切の淀みなく答える。
「です、よね……」
取り付く島も無いと察したアヤメは、手元の命令へと視線を落とす。
『アヤメ・シーシェド殿。本日付けで
記憶の中の文字と一言一句変わらずそこにあるのは、転属を命ずる仰々しい命令書。転属せよと書かれていた隊は、アヤメが
『ねーやんなんかもう嫌いや! もう二度と――ミリの前に現れんといてッ!』
痛い記憶が、拒絶の記憶が、泣き叫ぶ
(ミリア……)
もう、戻る事は無いと思っていたのに。
(しばらく、黎明隊ともお別れやな)
新たな居場所に留まる事は許されない。
アヤメは、頭の中にふと浮かんだ暖かくて眩しい仲間達の事を思い浮かべて、口元にそっと寂しい笑みを浮かべた。
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