EP14 緊急任務、百鬼夜行

「さて、今日の訓練は……そうだな、時空属性についてもう少し叩き込むとするか」


 その日の訓練は、その一言から始まった。中型を伴う歪みの制圧、それが今日の目標であった。


「はいっ! よろしくお願いします!」


 溌剌と返事をするバレッタが握るのは、初日と見違える様な強靭さを持つ呪力の刃だ。彼女はルネからの助言を次々と吸収し、すっかり自分のものにしていた。


『あはは、頼もしいね、バレッタちゃん』


「えへへ、もっと褒めてくれても良いんですよ、アルフさんっ!」


 それに加え、アルフレットともすっかり打ち解けていた。最初こそという大層な有名人に辟易としていたのだが、彼が少し天然な人たらしだと判明すると、すぐに心を開いたのである。


 その日はいつも通り、なんて事ない訓練の日になるはずだった。いつも通りルネに戦闘のイロハを叩き込まれ、ヴィクトールに励まされ、アルフレットが笑う。

 今日も、そのはずだったのだ。


「っらぁっ! っと……アルフ、残りの歪みは?」


『後は……ッ!? ぁ、う……! これ、は……っ、ごめ――……』


 最初に異変が起きたのはアルフレットの様子だ。ヴィクトールの問いにいつもの調子で答えようとして、その言葉は急に途切れる。謝罪を残そうとする彼の声には、痛みを堪える様な色が滲んでいた。


「……アルフ? アルフ!? おい、大丈夫か!?」


 予想外の返答にヴィクトールは焦り、何度もアルフレットへ呼び掛けたが、彼からの応答は一切無かった。そのただならぬ様子を聞いていたルネは瞬時に察する。


「――! 預言者の能力か……!」


『――各位に伝達。先程、預言者が北部第六オアシス跡地付近に百鬼夜行の発生を予測しました。最前線の冥王率いる小隊は直ちに現行中の任務を破棄し、制圧に向かう事を提案します』


 ルネが呟くと同時に、アカツキの緊急伝令が三人の鼓膜を揺らす。

 どうやら、発生したのは百鬼夜行。発生地は、現在バレッタ達がいる場所からそう遠くない所だ。その為、であったはずのこの隊が指名された様だ。


「なるほど……了解。アカツキ、バレッタの扱いは?」


『マークミェール隊員に下されている処罰は、この制圧任務に限り無効とします。発生地の付近には北部第七オアシスもある為、事態は一刻を争います。直ちに制圧を』


 突如訪れた緊急事態。発生地である北部第六オアシス跡地のすぐ近くには、未だ人々が住んでいる北部第七オアシスがある。その命が脅かされている今、謹慎処分がどうと気にしている場合では無い。

 故に、一刻も早く制圧を、という判断が下されたのだ。


「分かった。二人とも行けるかい?」


 淡々としたアカツキの報告を受けたルネは、流し目で同行者二人を見やり、二人の意思を確認する。


「俺は平気だ」


「わ、私も大丈夫です!」


 既に準備も覚悟も出来ていたヴィクトールは真剣な顔で頷き、バレッタも上擦った声でそれに続く。彼女の面持ちには些か緊張が残っていた。


「分かった、なら行こう。……アカツキ、このままオペレーションを頼めるかい? 流石にボクだけでは、百鬼夜行から二人を生還させられるか分からないからね」


 そう言うなりルネの瞳が剣呑に細められる。その目が見ているのは現在か未来か、それは定かでは無いが、どちらにせよ厳しい戦いが待っているのは確実だ。


『提案を承諾。只今より、緊急オペレーションを開始します』


 バレッタがいる為か、珍しくオペレーションを要求したルネに、無線越しのアカツキは頷いた。何処か機械めいた態度の彼女だが、オペレーター室の室長というだけあり、その腕は確かである。


「助かるよ。じゃあ二人共、悪いけど……ここからは本当の緊急任務だ。気を引き締めおくれよ」


◈◈◈◈


 冷静なアカツキの指示に合わせて急げば、そこには文字通り地獄が広がっていた。

 普段より遥かに多い歪みの数、そこから現れる数多のオニ。大型こそ居ないものの、そこにはネームドの存在も何体か確認できた。


「……っ! こ、これが……百鬼夜行……!」


 初めて見る光景があまりにも衝撃的で、バレッタは無意識の内に後退る。これを今から三人で制圧する事になると考えると、足が竦んだ。


「あ? あぁそうか、お前前回は……」


 前回百鬼夜行が発生したのは、災禍の大狐――キュウビが西部第三オアシス跡地に現れた時。つまり、バレッタがシルヴィオを助ける為に大型討伐へ向かっていた時の話だ。それ故に、バレッタは百鬼夜行を経験していないのである。

 それに気が付いたヴィクトールは困った様に口を噤んだ。この大群を前に、いちいち説明している暇は無い。


「……バレッタ、アカツキの指示に従ってくれ。そうすれば大丈夫さ」


 緊張でその身を固くする妹分の肩に手を置いて、ルネは安心させる様に微笑む。百鬼夜行と言えど、大型さえ居なければ普段の制圧任務とやる事は大して変わらないのだ。


「わ、分かった……! ふぅ……よし、アカツキさん、お願いしますっ!」


 バレッタは一度深く深呼吸をすると、無線の向こう側のアカツキへと声を掛ける。彼女は短く返事をすると、まずは近くの歪みの制圧を、と指示を出した。


「分かりました! 行きますっ!」


 だから、いつもと同じ様に駆けて、小型を一気に結晶へと変える。その動きは、普段黎明隊として活動している時より洗練されており、訓練の成果が如実に出ていると言っても過言では無かった。


『――バレッタ』


 不意に、そんなバレッタの鼓膜を一つの声が揺らす。しかし、それはルネやヴィクトール、アカツキの声ではなく、全く聞き馴染みの無い声だった。


「……っ!? だ、誰ですか!?」


 周りの小型を結晶へと変えながらその声に返答するが、相手と思しき声から返事は無い。近くに居るオニにも、相手を惑わす程の知能を持つものは居なかった。


『バレッタ』


 再び、声はバレッタの名を呼ぶ。それは聞き覚えの無い声のはずなのに、何処か懐かしく感じて、バレッタの中に確かな焦燥感を残した。


「――! もしかして、何処かに民間人が!?」


 例えそうだったとして、ここは跡地の付近。何故こんな場所に。どうして、自分の名を。

 自分の中に降って湧いた不可解な答えの真偽を確かめようと振り返った瞬間、バレッタの動きは止まる。


「っ!?」


 そこに居たのは、立っていたのは、バレッタにそっくりな女性。そう、それはまさに、母親と呼ぶに相応しくて。けれど、バレッタの中にはその記憶は無い。

 途端全ての音が無くなって、バレッタの視線はその人に集中する。動けなくなる。


『ねぇ、バレッタ』


 優しい声が、もう一度バレッタの名前を呼ぶ。その声は何よりも優しくて、懐かしくて、でも、そんな記憶は何処にも無くて。バレッタは、その人に釘付けになったまま、震える手を伸ばす。


『どうして――……』


「どう、して……?」


 もっと、もっと声が聞きたい、その姿をよく見たい。その人物が発した言葉を繰り返しながら、バレッタはふらふらと吸い込まれる様に歩み寄る。


『バレッタ……』


 冷たい手がバレッタの顔に触れた。そっと、触れたら壊れてしまいそうな物に触れる様に。バレッタの瞳が震える。思わず、その存在の名前を呼ぼうとして。


「お、おかあさ――……」


『どうして助けてくれなかったの』


 それを遮った言葉に、目の前が暗く染まった。



『――マークミェール隊員?』


 ルネの耳朶を、アカツキの小さな呼び掛けが叩いた。オニを結晶に変えながら、名が呼ばれたバレッタの方を見やるが、何処も彼処もオニが蠢いていてよく見えない。


「っ、バレッタ! 大丈夫か!?」


 必死で彼女が居たはずの場所へ駆ける。群がる小型を切り裂いて、道をひらく。だが、ようやく駆け付けた先で、その目に入ったのは妹分の姿ではなくて。


「……れてぃ、しあ?」


 それは、とうの昔に失ってしまった存在のはずで。真っ白で、騎士と呼ぶに相応しい姫騎士隊ディーヴァの隊服を纏った少女が、そこに立っていた。


『――ルネ』


 燃える様な赤毛の少女は、懐かしい声色でルネの名を呼ぶ。あの時と、同じ笑顔で。同じ様に、手を伸ばして。


「れ、てぃ……」


『どうして、わたくしを助けて下さらなかったの?』


 たった一言、絶望に突き落とした。



『……冥王、及びマークミェール隊員のバイタルに異変あり。両名共に応答有りません。トリプレット隊員、そちらはどうなってますか?』


「――ッ!? おい! ルネ、バレッタ!? どうしたんだ!?」


 ヴィクトールの耳朶じだを叩いたのは、いつもより少しだけ焦った様なアカツキの声。彼女が吐いた言葉の内容に、一体何事だと声を荒らげる。

 だが、アカツキの呼び掛けにもヴィクトールの呼び掛けにも、二人は答えなかった。纏わりつくオニを振り払って二人の様子を確認すれば、ルネもバレッタも何やらその場に立ち尽くしている様だった。


「――っ! おい、何やってんだよッ!」


 呆然とする二人の状況を確認したヴィクトールは、今にも襲われそうなバレッタの元へ駆けて、周りのオニを弾き飛ばす。

 ルネが立ち尽くしていたのは丁度オニから死角になる場所の様で、向こうは放っておいても些か構わない様だった。


『――!? これは……緊急事態です。大型の反応を感知。直ちに応戦する事を提案します。冥王、冥王! 冥王、ルネ・ラピスラズリ隊長、応答を!』


 事態は更に悪い方向へと転がっていく。先程よりも更に焦燥を纏ったアカツキの声が、無線の向こう側から聞こえてきた。依然としてルネからの応答は無い。


「っ、クソ! 一体どうなって――……」


 そう叫ぶヴィクトールの言葉は最後まで続かない。バレッタを庇うヴィクトールの元に大きな影が落ちた。


「な……」


 彼の言葉と視界を遮ったのは、この世のものとは思えない、それはそれは大きな髑髏。大骸骨は全身から軋んだ音を出して、大きな大きな咆哮を上げた。

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