EP12 王子と狙撃手

 翌朝起きた時、ルネの姿は既に無かった。バレッタが慌てて部屋を飛び出せば、そこにはちゃんとヴィクトールと言い争いをしているルネの姿もあり、バレッタは静かに肩を撫で下ろす。


「だからボクは豆が……ん? あぁ、おはようバレッタ。よく眠れたかい? 昨日も言ったけど、今日はエデンの外に訓練に行くよ」


「訓練って言いながら内容は明らかに任務だけどな……あっおい豆こっちに入れんなバカ!」


 二人は言い合いを続けながらバレッタに挨拶をする。そんな仲睦まじげな二人の様子を見て、バレッタの心は和むと同時に僅かに痛んだ。昨夜の、痛みを堪える様なルネの表情を忘れる事が出来ない。


「……バレッタ? 聞いてるかい?」


 挨拶も返さず、その場に立ち尽くしているバレッタを見て、ルネは少し心配そうに声をかける。ヴィクトールも同様だ。その隙にスープの豆を全て入れられた事に、彼は気が付いていなかった。


「……ぁ、ご、ごめんお姉ちゃん! な、何だか起きたばっかりでちょっとぼーっとしちゃって……! 任務だっけ? 大丈夫だよ!」


「はは、任務じゃなくて訓練だよ……ぅ、げほっ……」


 慌てて返事をすれば、ルネは納得した様に笑声を零す。笑うと同時に咳き込むのは、どうやら彼女の中では常識らしく、特に深く気にする様子も無いまま、微笑みながらやれやれとかぶりを振っていた。


「……さ、まずは朝ごはんだ。どれもこれもベクトのお手製だよ」


「お前の皿はその明らかに大盛りの奴な! おかわりも沢山あるし、好きなだけ食えよ!」


 ルネは指を鳴らした。彼女の言葉を引き継ぐ様にヴィクトールが破顔する。

 目の前のテーブルに置かれているのは、かぼちゃと豆のスープに、焼きたてのパン。それらの美味しそうな匂いを嗅いだ瞬間、バレッタの腹の虫は盛大な鳴き声を上げた。


「――っ! おかわり自由っ!? やった! いただきまーすっ!」


 目を輝かせたバレッタは慌てて席に着くと、行儀良く手を合わせてから至福の時間に身を投じるのであった。


◈◈◈◈


「お姉ちゃん、今日の訓練はどんな内容なの?」


 それから約一時間後、バレッタ達が向かっていたのはラウンジの任務カウンターであった。基本的に、任務の受理はそこで行われのである。


「ん? あぁ……、それは今から決めるよ。――おや? 君は……」


 一行がカウンターへと辿り着くと、そこには先客。長身の長髪、何処かで見た様な特徴の人物が振り返る。


「……ルネさんか」


「やぁ、弟クン。元気かい?」


 どうやら振り返った男性はルネの知り合いの様だ。疲れた様な表情のまま金の瞳を瞬かせる男性に向かって、ルネは親しげに声をかける。


「え、弟……!? お姉ちゃんって弟居たっけ!?」


 そんなルネが口にした単語を聞き取ったバレッタは心底驚いた。ルネは自分と同じ養護施設の出身のはずだが、そこでも弟が居たなどという話は聞いた事が無かったのだ。


「え? あぁ、ははは、彼はボクの弟では無いよ。彼は……ほら、昨日会っただろう? あのアリスの弟だ」


 思わずといった様子でバレッタの口を突いた疑問に、ルネはおかしそうに笑声を零した。彼はルネの弟ではなく、昨夜会ったアリスの弟であるらしい。


「あ! 言われてみれば確かにアリスさんにそっくり……!」


 確かに、その背の高さも長い茶髪も彼女そっくりだ。納得すると共にそう呟けば、不思議そうな顔をしたままだった男性も同じく合点がいった様な表情になる。


「あぁ、先にあいつに会ってたのか……俺はウィルフレッドだ。ウィルでいい」


 そうして男性――ウィルフレッドは僅かに微笑み、手を差し出してくる。バレッタも自身の名を告げながらその手を取り、握手を交わした。


「――ウィル、お待たせ〜……って、あれ? 珍しい、ルネさんだ……! どうしたんですか?」


 と、そこへ何やらファイルを手にした、柔和な声の青年がオペレーター室から出てくる。彼はどうやら今までウィルフレッドと話していたらしく、いつの間にか増えていた来客に目を丸くした。

 だが、それもすぐに優しげな微笑みに染まる。気の所為か、彼の周りに華やかな雰囲気が広がった様な気がした。


「えっ! あぁぁっ!? お、お、王子……っ!?」


 そんな華々しいオーラを纏う青年を見て、素っ頓狂な叫び声を上げたのはバレッタだ。その琥珀色の瞳は、まるで好物を目の前にした時と同じ様に煌めいている。


「は? 王子?」


「し、知らないんですかヴィクトールさん!? オペレーターの王子ことアルフレット様ですよ!? お兄さんである『皇帝』のフェルディナンド様と並んで、みんなの憧れの的じゃないですかぁっ!」


 怪訝そうな声で問い返したヴィクトールに対し、バレッタは食い気味に答える。

 何を隠そう彼はアルフレット・フェルナンデス。その家名の通り総帥の孫息子であり、またかの『皇帝』フェルディナンドの弟でもある青年だ。その優しげなルックスと安らぎを与える声から、アカデミーの中では『王子』と呼ばれているのである。


「お、おぉ、そうなのか……そのあだ名は知らねぇ……」


 アカデミーとは縁遠いヴィクトールはそんな事を知る由も無く、ただただ引き攣った笑みを見せるのみであった。一方それが聞きなれたあだ名であるらしいアルフレットは楽しそうな笑声を零す。


「あはは、出た、そのあだ名! ……あ、もしかして君、黎明隊のバレッタさん? 『早駆はやがけ』バレッタ・マークミェールさん。そう言えば、今はルネさんの隊に臨時所属してるんだっけ」


 そのまま彼は思い出した様にバレッタの名前を口にする。アルフレットが口にしたのは名前だけではなく、非公開データベースに登録される様な情報共にだ。


「ひぇえっ!? ど、どうして私の名前を!?」


「あっ、驚かせちゃってごめんね? 実は僕、一度見聞きした事は忘れられなくて……」


 まさかであるアルフレットが自身の名前を知っているとは思わなかったバレッタは、恐れ多くて情けない悲鳴と共に驚愕を顔に張り付ける。

 それを怖がらせてしまったと勘違いしたアルフレットは、慌てて自身が完全記憶能力を備えている事を明かした。


「も、もしかして……特異呪力って事ですか……!?」


「え? うぅん、違うよ。僕の特異呪力は――……あいたっ!」


 バレッタの言葉を訂正しようとしたアルフレットの言葉は途中で止まる。傍に立っていたウィルフレッドが、彼の頭を叩いたのだ。


「おい馬鹿、あまり大きな声で言うな」


「えへへ、そうだった。……僕の特異呪力はね、『預言者』の能力なんだ」


 半眼になったウィルフレッドへ気が抜ける様な笑みを見せたアルフレットは、口元にそっと手を当て、内緒話をする様に囁いてみせる。


「えっ……えぇぇえぇぇっ!?」


「いや小さな声なら言っていいって意味じゃ……はぁ、もういいか……」


 心の底から驚いた様なバレッタの悲鳴が周囲に轟き、周りにいた人々は何事かとこちらに注目する。咎めるのを諦めたウィルフレッドが首を振る横で、ルネは噎せながらも楽しそうに笑っていた。


「ふふ、他の人には内緒……ね?」


「はっ……はいぃ……!」


 自身が王子と呼ばれている事を理解しているはずのアルフレットのウィンク。あまりの破壊力に、バレッタは思わず頷き返してしまった。


「それで……ルネさんはどうしてここに? 今は特に大型の出現は予想されてないけど……」


 そのままアルフレットは目的を果たさんと言わんばかりにルネに問い掛けながら首を傾げる。彼がそう言う程に、ルネがラウンジ、それも任務カウンターに現れるのは珍しい事であった。


「ははは! ぅ、ゲホッ……何もボクは大型だけを狩る訳じゃないんだけどなぁ。まぁいいや、今日はバレッタの為にここに来たんだ。に丁度良さそうな任務は無いかい?」


 あまりの言われ様に、ルネは思わず大きな笑い声を上げる。いつの間にか大型専門の様な扱いを受けていたらしい。ルネは大してその事について訂正する訳でも無く、目元の涙を拭いながら本来の目的を口にした。


「訓練……? あぁ、そっか! 黎明隊は今謹慎処分中だもんね。あはは、それでか、考えたねぇルネさん」


 ルネが口にした訓練という単語にアルフレットは一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、すぐにバレッタが属する黎明隊が置かれている状況を思い出し、楽しそうに笑う。

 仮に現在ルネの所に属していると言っても、バレッタが黎明隊に下された処分を免れる訳では無い。故に、わざわざ訓練という形を取っているのだ。


「訓練に丁度良さそうな任務かぁ……あっ! ねぇ、ウィルも連れてって貰ったら? さっき提案した任務なら訓練にも丁度いいだろうし……ウィルも誰かが居た方が安心でしょ?」


「いや、勝手に決めたら迷惑だろ……」


 顎に手を当て、自身の記憶を思い起こしていたアルフレットは、ウィルフレッドに丁度良さそうな任務を提案していた事を思い出す。それから、彼に同行させて貰ったらどうかと提案したが、当の本人は相手方に迷惑だろと頭を振った。


「あっ、そっか、そうだよね! えーっと、ルネさん、もし良かったらウィルの事も連れてって貰えないかな? さっきウィルに提案してたの、中型……ツチグモの討伐任務なんだけど……」


「はは、勿論構わないよ。ただバレッタの訓練が目的だから、弟クンには援護に回ってもらうと思うけど……」


 戦力が増える事に越した事は無い。そう判断したルネは二つ返事で承諾する。但し、それは条件付きだ。今回はただ任務に出る訳では無く、バレッタを鍛える事が目的である。


「あぁ、助かる……。俺はいつも援護みたいな物だから、別に問題は無い。……とりあえず銃を変えてくる。今の調整だと誤射をしかねないからな……」


 その条件も、ウィルフレッドにとっては大したものでは無いらしい。彼は何処か疲れきった様な顔で頷くと、整備室の方向へと歩いて行った。


「あはは、了解。ありがとう、ルネさん! ……それじゃあ、依頼を受理します。えーっと……ラピスラズリ隊、でいいかな? オペレーターはこのまま僕が務めるね、よろしく!」


 そんなウィルフレッドを見送り、満面の笑みを浮かべたアルフレットは、その誰もが見惚れる優しい笑顔のままオペレーターの責務を果たさんとする。

 こうして、急遽編成されたラピスラズリ隊の合同訓練が始まるのであった。

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