EP11 真夜中の後悔

「はぁ〜っ、楽しかったぁっ!」


 そう言うや否や、バレッタはルネの部屋の大きなベッドへと飛び込んだ。現在は風呂上がりである為彼女の髪は結われておらず、ルネそっくりの銀髪はバレッタの動きに合わせて広がる。


「はは……、バレッタは元気だねぇ」


 まるで旅行気分の妹分を見ながら、令嬢の様なネグリジェを纏うルネは笑う。

 今日のバレッタは、ルネ達の部屋に来てから遊んでばかりだった。ルネの豪運は相当な物で、どんなカードゲームでも彼女には勝てやしない。ムキになったヴィクトールと共に結託すれど、結果は変わらず惨敗。


「お姉ちゃんって、もしかして他のゲームでも強いの?」


 そう言うバレッタが思い浮かべているのは、普段ジェノが暇な時にプレイしているパズルゲームだった。彼に聞いた所、なんでもあのゲームにも対戦モードがあるらしい。


「さぁねぇ。……まぁ、運が絡む物だったら負ける気はしないけどね」


 真剣に問うバレッタへ向けて、ルネは何故か意味深長な笑みを浮かべる。これは強者の笑みだとバレッタは一人感じ入った。


「――ルネ、居るかしらぁ? 入るわよぉ」


 と、そこへ、ノックと共に来客が一人。のんびりとした声は女性の物、ヴィクトールの物では無い。こんな時間に一体誰がとバレッタは首を傾げる。


「あぁアリスか、入っていいよ。もうそんな時間だっけ?」


 だが、どうやら来客はルネの知り合いの様だ。ルネははたと瞬きをすると、独り言とも取れる言葉を呟きながら入室を許可した。


「やぁねぇ、また時間感覚が狂うくらい寝てたの?」


 とぼけるルネに文句を言いながら扉を開けて入って来たのは、白衣を着た背の高い女性だった。彼女はバレッタを見ると、不思議そうに金色の瞳を瞬かせる。


「あら? 見慣れない子ねぇ。……うふふ、もしかしてルネの隠し子?」


「へっ!?」


 そうして、しばらく悩んだ後に揶揄う様な声色でそう言い放つ。唐突に標的にされたバレッタは、思わず素っ頓狂な声を上げた。


「あははは、そんな訳あるか! ゲホッゲホ……」


 バレッタが目を丸くする横で、ルネは大笑いしながらその言葉を否定した。それと同時に空咳を零した為、白衣の女性は「笑いすぎよ」とルネを窘める。


「ははは、悪い悪い……この子はバレッタ。前に話したろう? 養護施設でボクを姉の様に慕っててくれた子だよ。今は修行の為に一時的にボクの所に居るんだ。……で、バレッタ、こっちはアリス。ボクの主治医だ」


「あら……貴女がそうなのねぇ。うふふ、よろしくね?」


 全く反省してない様な口振りで謝りつつ、ルネは互いに互いを紹介した。紹介された白衣の女性――アリスは綺麗な茶髪を揺らしながら手を振る。呆然としていたバレッタは慌てて頭を下げ返した。


「さて……本題に入るけれど、身体の調子はどう?」


 不意にアリスはバレッタから視線を外すと、首を傾げながらルネへ問うた。先程アリスが来た時にルネが言った言葉から察するに、この問いかけは毎日している物なのだろう。


「今日は絶好調さ。バレッタのお陰で朝も起きれたからね」


 ルネは口元に軽く笑みを浮かべながら、少しだけ自慢気に答えた。もちろん朝起きる事は常人にとっては普通の事なのだが、彼女にとってはそうでも無いらしい。


「あら、それは良かったわぁ。……じゃあ、お客さんもいるみたいだし、私は帰るわね? うふふ、薬飲み忘れないでね。おやすみなさい」


 患者の正の変化にアリスは満足した様に頷くと、問題無しと判断して踵を返す。


「ははは、わかってるよ……おやすみ」


 そうして彼女は部屋を後にした。まるで母の様な態度の主治医が去ると、ルネはバレッタに向き直り、今度は自身が母の様な言葉を口にする。


「……さて、バレッタ。今日はもう寝ようか、明日からは訓練だからね」


「あ……うん、分かった! おやすみ、お姉ちゃん」


「あぁ、おやすみ」


 まるで姉妹の様な二人はおやすみと言葉をかわすと、二人仲良く同じベッドに潜り込むのだった。


◈◈◈◈


「ぅ……ん……?」


 深夜、不意に扉が開く様な音がした気がして、バレッタは目を開けた。


「……あれ、お姉ちゃん?」


 眠い目をこすりながら隣を見れば、そこには居るはずのルネが何処にも居なかった。不思議に思って辺りを見回せば、僅かに扉が開いているのが目に入った。


 ぼんやりとしたまま立ち上がって、あかりが漏れる扉の方へと歩いて行く。扉が小さく軋んだ。僅かな明かりに照らされるリビング、そこに立っていたルネが驚いた様にこちらへ顔を向ける。


「…………げっ、バレッタ……!?」


「お姉ちゃ……」


 何故か慌てた素振りを見せるルネを呼ぼうとするバレッタの声は、そのルネが手にしていた物を見た事により途中で止まる。


「っ、あぁーっ!? ちょ、ちょっと! それ煙草でしょっ!? 何吸おうとしてるのお姉ちゃん!」


 それは、彼女が咥えている煙草に火種を与えようとしているライターだった。バレッタは信じられないといった様子で声をあげ、ルネを糾弾する。


「うわっ!? し、静かに……! ベクトにバレるだろ……!」


 予想外の大声に、ルネはもう少し声を抑えてくれと懇願する。その視線は半分バレッタに注がれ、もう半分はヴィクトールが自室としている書斎へと注がれていた。


「バレるべきだよ! もーっ! お姉ちゃんただでさえ喉が良くないのに!」


「わ、分かった。吸わない、吸わないから静かに……!」


 怒り心頭といった様子のバレッタは、一向に声を抑える気配が無い。このままではいずれヴィクトールにバレて大変な事になると察したルネは、まるで子供をあやす様な口調でバレッタを宥めながら、咥えていた煙草を箱に戻した。

 それを見ていたバレッタは、ムッとしながらも刀を鞘に収める。ルネに反省している様子が見られない為、明日にでもヴィクトールに言いつけようと考えているのだ。


「ふぅ……助かった。……それにしても、どうしたんだいバレッタ。眠れないのかい?」


 そうとは知らないルネは、いそいそと話題を変えようとバレッタがこちらの部屋に来た理由を訊ねた。


「え? うぅん、何となく目が覚めちゃったんだけど、そしたらお姉ちゃんが居なくて……」


 まんまとその策に嵌るバレッタは、何となく目が覚めてしまったと自分の状況を素直に語った。


「あぁ、ボクが起こしてしまったのか。悪かったね」


「うぅん、そんな事ないよ! 大丈夫! ……お姉ちゃんこそ、こんな遅くにどうしたの?」


 自分の所為かと謝るルネに首を振り、バレッタは逆に彼女へこんな時間に抜け出した理由を訊ねる。


「ボク? そうだなぁ……ボクは眠れなくてね。不安なんだ。いつもの事だけれど……」


 ルネは一瞬驚いた様な顔をしたが、その顔はすぐに曇って、彼女は力無く笑う。初めて聞いた彼女の弱音に、ルネを絶対的強者だと信じ切っていたバレッタは目を丸くした。


「不安?」


「あぁそうさ。明日は特にバレッタも居るからね。果たしてボクに、ちゃんと二人を守りきる力があるのかどうか……」


 そう言いながらただ静かに、彼女は自身の手のひらに視線を注ぐ。まるでその手のひらには、誰かを守る為の力など一切宿ってないとでも言いたげに。


「えっ、お姉ちゃんでもそんな不安、感じる事あるんだ……」


 意外だ。てっきりルネはそういう不安とは無縁だと思っていたから。そんな驚きはバレッタの口を突いて飛び出す。


「ははは、ボクはフェルディナンドの様な完璧超人じゃないんだぞ? 不安くらい感じるさ。……もし、視てるだけで二人を助けられないなんて事があれば、ボクは今度こそ……」


 途端、ルネから笑声が零れた。誰もが英雄と謳う『皇帝』の名を上げて、自分はそうでは無いと言いながら。言いながら、彼女の表情は再び曇る。白金の瞳に宿るのは、昏い昏い後悔と怯えの感情。


「お姉ちゃん……?」


「……バレッタ。君、ボクの死にたい理由にならないでおくれよ。……さぁ、もう寝に戻ろう。明日は早いからね」


 まるで今にも泣き出してしまいそうな小さな掠れた声が、バレッタの耳に飛び込む。その言葉の真意を問いただす前に、ルネが誤魔化す様に就寝を促した。


「……ぁ、うん……」


 慌てて彼女の表情を確認するが、そこに先程までの暗い雰囲気は無い。その所為か、どうにも掠れた言葉について追及するつもりにはなれなかった。


『君、ボクの死にたい理由にならないでおくれよ』


 先に歩き出してしまったルネの背中をじっと見遣りながら、先程の言葉を反芻する。

 それは、その言葉の意味は、きっと。


「……死んじゃ、嫌だよ。お姉ちゃん……」


 大好きなルネが抱える思いに気が付いたバレッタは、一人、泣きそうな声で呟いた。

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