【断章】『金剛』Ⅱ 主人は冷たい土の中に
墓石に綴られた『
それは俺を元気付けてからたった半年後の出来事。姉貴は、高難易度任務と称される任務で魔の巣窟となったニホンへ遠征に出ていた。彼女は、そこから帰ってくる事は無かったのだ。
「俺でも誰かを守れるって……傍に居なけりゃ、守れねぇじゃねぇか」
呟いた声は、もう、姉貴には届かない。
「なんで……なんで俺の手の届かない所で死ぬんだよッ……!」
俺の力は、確かに誰かを守れる力になる。それでも、守りたい相手が傍に居なければ、それは何の意味も持たない。
「守れるって言うなら……ちゃんと守らせてくれよ、姉貴……!」
溢れ落ちる涙は、悔しさに染まっていた。そのまま地面へと崩れ落ちて、無力な自分への苛立ちを叩き付ける。そんな幼稚な行動を咎める者は、もうこの場には居なかった。
◈◈◈◈
姉貴が亡くなったと知らされてから、既に三日が経とうとしている。親父も母ちゃんも、すぐに仕事を再開したと聞いた。だが、二人とも俺と妹には「気が済むまでそうしてろ」と言うばかり。
俺は、その言葉に甘えて、何時までも姉貴の死を引き摺っていた。
「………………」
この霊園に来るのも何度目か分からない。もう、目を瞑って歩いても、姉貴の墓標に辿り着ける程にこの場を訪れていた。
この先どうしたらいいのか、なんて、答えが返ってくるはずも無い質問を何度もぶつけている。そんな事をしたって、「お馬鹿さんですわね」と頭を小突いてくれる人はもう居ないのに。
「……あ?」
暗い気持ちに沈んだまま歩いていれば、不意に啜り泣く声が耳を掠めた気がした。
ここは、霊園。まぁ、つまり、そういう事だって有り得る。背筋が凍った。
啜り泣く声が聞こえてくるのは、どうやらこの先。俺が目指す場所。姉貴の、眠る場所。
もしかしてと思う反面、馬鹿馬鹿しいと思う。姉貴は、誰かが無茶をして怒った時以外、泣かない人だったからだ。
「…………! ひ……と、か……?」
予想に反して、その場に居たのは一人の女性。顔を覆って座り込んで、長い銀髪と肩を震わせている。一瞬この世の者では無いかもしれないと思ったが、その説は彼女の懺悔によって棄却された。
「……めん、なさい……っ、ごめん……ごめん、レティ……!」
彼女は、姉貴へと謝っていた。それは、何度も何度も、繰り返し。
「ぼ、く……が……っ、なに、も、できなかった……できなかった、から……っ! ぅ、ゲホッ、ゲホッ……!」
泣きながら懺悔する彼女は、不意に火がついた様に咳き込み始める。それは泣くという行為に付随する物では無く、何かの発作の様にも見えた。
「あ……おい! 大丈夫か!?」
慌てて駆け寄れば、彼女は苦しそうに咳き込みながらも顔を上げた。空咳が止まる様子も無い。俺は、とにかく彼女の背を摩りながら、「落ち着け」と声を掛けた。
「ほら、ちゃんと息吸え。薬とか持ってねぇのか?」
俺の問いに、女性は浅く呼吸を繰り返しながら首を振る。困ったなと思いながらもその場を離れる訳にもいかず、とにかく俺は彼女の背を摩る他無かった。
◈
「ゲホッ……はぁ、ぅ……すまない、ね。……少し、落ち着いたみたいだ」
しばらくそうしていれば、やがて彼女の症状も落ち着き始めた。荒い呼吸を繰り返しながらも、女性は申し訳無さそうに言葉を並べる。
「……君は、レティの弟クン……かな」
一体彼女は何処の誰なのだろうと考えていれば、唐突に女性の声が俺の思考を乱す。
「はぁっ!? な、何でそれを……!?」
レティと言うのは姉貴の愛称だ。つまり、彼女は姉貴の隊に属していたという事だろうか。いや、それにしてはあまりにも馴れ馴れしい態度だ。彼女は、もしかしたら姉貴の友人なのかもしれない。
「はは、顔がそっくりなんだ。……それに、彼女から……手のかかる弟がいる事は、聞かされていたからね」
「て、手のかかる……」
一人驚きながらも考察を続けていれば、女性は可笑しそうに笑った。何処か儚げで美しい所作に心臓が跳ねる。顔に血液が昇るのを感じて、慌てて誤魔化す様に耳についた言葉を繰り返した。
「けれど、同時にこうも言っていたよ。ようやく前を向いた。だから、この先が楽しみだって……。なのに、レティは……ボクの所為で、レティは……っ!」
だが彼女のその表情はすぐにまた、雨が降り出しそうな曇り空へと変わってしまう。そんな顔は似合わないのに。
「なっ……待てよ、そんな自分を責めるモンじゃ……」
「っ、ボクの所為なんだよ……!」
何とか宥めようとするも、俺の声は彼女の悲痛な叫びに遮られる。
「ボクは……ボク、は……大型の強襲が
彼女は再び懺悔を始めた。大型の攻撃が見えていたのに、自分は何も出来なかった。そういう事だろうか。そんな事、誰にだってあるはずだ。
「いや、だから、それは誰だって足が竦んでもおかしくない状況で――……」
「違う! ボクが視ていたのは
そう、彼女を擁護しようとすれば、彼女は今までに無いくらいの大きな声で否定した。思わず、身体が竦む。
「……っ! み、らい?」
そこまで聞いて、ようやく彼女の正体に合点がいった。
彼女は、恐らく、ルネ・ラピスラズリ。未来を見通す眼を持つ、オーミーン最強格の一人に数えられる女性。確か、二つ名は『
「ボクはあの時……っ、ちゃんと視ていたのに……! 遅かったんだ……レティには、届かなかった……」
けれど、俺にはそれが信じられなかった。
「ごめん……っ、ごめんなさい……許してくれ、弱い、ボクを……」
目の前で何度も何度も謝りながら涙を流す優しい人が、自分が弱い所為で守れなかったと後悔する優しい人が、誰もが恐れる冥王だとはとても思えなかった。恐れるべき者だとは、思えなかったのだ。
「……待てよ」
自然と口が動いた。このまま放っておいたら、彼女はふらっと何処かへ消えてしまうかもしれないと思ったからだ。
「そんなに……そんなに言うなら、お前が見届けろよ」
彼女が、一人で消えて居なくなってしまわない様に。
「お前が! お前が姉貴の代わりに、俺が一人前になる所、見てろよ。誰かを立派に守り通せる様になる所……見ててくれよ!」
彼女が、罪悪感に囚われて消えてしまわない様に。
そんなに言うなら、俺が枷になってやろう。姉貴が守った人を、今度は俺が守ってやる。そう、静かに決意した。
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