【断章】『金剛』Ⅰ 悲愴

「……もう一回、言って貰えねぇか」


「えぇ……その、ヴィクトール君の呪力道は塞がっています。これでは……恐らく、呪力を繰って戦う事は不可能でしょう……」


 生涯消える事のない記憶として俺の中に残り続けているのは、親父の困惑する様な硬い声と、医者の申し訳無さそうに言い淀む声。お前は戦えないと戦力外通告を受けた、十二歳の時の記憶。


「…………悪い」


 親父は何も悪くないのに、ただただ俺の頭を撫でて謝っていた。その当時、足を失った事が原因で退役したばかりだった親父のあの辛そうな顔は、今でも覚えている。

 小さな頃から憧れていた、最強のヒーローに俺はなる事は出来なかったのだ。



「よっ、ヴィクター。元気してるかぁ?」


 目の前の激しく損傷した武器の整備にすっかり夢中になっていた俺は、後ろの方から聞こえてくる呑気な声に気が付いて顔を上げた。

 付けていた防塵ゴーグルをずり上げて、声が聞こえて来たカウンターの方まで歩いていく。


「……何だよセナ、お前また来たの?」


 そこに立っていたのは、一般教養を得る為に三年間通ったスクールで出来た親友のドラセナだった。彼は、親父の跡を追って整備士見習いとなった俺とは違い、そのままスクールに通い続けて戦士としての道を歩んでいる。


「いいじゃんよ、親友の顔を見に来るくらい。なっ?」


 カウンターに頬杖をついてウインクをするセナは、週に何回かこうして整備室に顔を出す。そのほとんどが冷やかしで、決して暇じゃない俺と会話する為だけに来る事が多いのだか、時折本当に武器の調整に来るのだ。


「本音は?」


「いやぁ、ご指名を受けて任務に着いてったらちょいと受け身を失敗しちまってな。ほら、この通り……」


「バーカ!」


 今日はその時折の日だった様だ。彼がカウンターの上に出したのは、先程まで俺が睨み合っていた武器と似通った状態のスピアだった。思わず口から罵倒が飛び出す。


「……なぁセナ、お前もっと真面目にやらなくていいのかよ」


 俺はセナが付けた武器の傷を見て、ため息をついた。これは、正確には受け身に失敗して付いた傷では無い。咄嗟に誰かを庇った時に付いた傷のはずだ。それは一度だけではなく、何度も何度も。

 彼が持つ能力はきっと、その程度では無いはずだ。本気さえ出してしまえば、もっと。


「俺はいいんだよ。お前さんこそ、本当に諦めてよかったのか?」


 だが、セナはへらへらと笑いながら、問い詰めようとする俺の言葉をのらりくらりと躱し、むしろ逆に俺を問い詰めてくる。


 諦めてよかった――無論、そんな訳が無い。俺だって、俺だって本当は。


「……仕方ないだろ。攻撃が出来なきゃ、戦場になんか出れる訳が無い」


 だが、そんな事を言っても仕方がない。正当な理由で溢れそうになる本音に蓋をして、目の前の武器の状態チェックに勤しむ。セナは相変わらず庇い方が上手かった。


「俺はそうは思わないんだけどねぇ……っと、忘れてた! ちょいと俺はこの後用があるから、武器の事よろしくな?」


 セナはしみじみと呟いた後、急に何かを思い出してハッとしたように手を打つ。そこに立っているのはもう、いつも通り軟派者のセナだった。


「どうせまたデートだろ」


「ヒュウ、ご名答」


 俺が半眼になって呟けば、セナはウインクと共に指を鳴らしてくる。ウザったらしい口笛付きだ。


「さっさとどっか行けバーカ!」


 とりあえずいつもの調子で罵倒を返せば、セナはケラケラと楽しそうに笑いながら去っていく。俺は苦笑混じりにそれを見届けると、預けられた武器を持ち上げて整備室へと引き上げた。


『本当に諦めて良かったのか?』


 不意に、セナの一言が脳裏に蘇る。


「っ、俺だって、本当は――……」


 思わず拳を握って、小さく呟く。そんな一言を聞き届けるのは、物言わぬ武器達以外に誰も居なかった。



 それからも、全く変わらない日々。毎日武器と睨み合って、直して、たまに持ち主と言い争って。そんな風にあっという間に時間が流れて、俺は気が付けば十六になっていた。

 相変わらず俺は戦えないまま。戦場に向かう戦士達の武器を調整して、ただその背を見送るだけ。本当に、このままでいいのだろうか。


「あら、随分と浮かない顔ですのね。ヴィクトール」


 武器を修繕する手を止めて、ぼんやりとそんな事を考えていれば、突如頭の上に声が降ってきて慌てて顔を上げた。


「……っ!? あ……なんだ、姉貴か」


 そこで不思議そうに首を傾げていたのは姉貴であった。まるで騎士の様な白い隊服を纏った彼女は、何やら難しい隊名の隊長を務めていると聞く。


「まぁ、なんだとは何ですの? 失礼ですわよ?」


「わ、悪かったって……」


 姉貴は本当に親父と母ちゃんの子なのかと思う程に上品な動作で腕を組み、ムッとした表情を作る。その顔はどっからどう見ても親父の娘の顔だ。


「それよりもヴィクトール……何か悩み事でもございますの? ……あぁいえ、分かりましたわ。きっとその体質の事ですわね?」


「……ん、まぁ」


 相変わらず、姉貴は俺の考えてる事を読むのが上手い。それ程までに顔に出ていたのかもしれないが、姉貴はピタリと悩みの種を当ててきた。


「俺にも力があれば、誰かをこの手で守れたのかなって」


 静かに、荒れた手のひらを見つめて零す。妹に、到底ピアノを弾く人の手には見えないと言われた手だ。


「まぁ、まさかヴィクトール……整備士が不満ですの?」


 俺の言葉を聞いた姉貴は、まるで茶化す様に声を上げた。そういう所は母ちゃんそっくりだ。というか、同じ事を言われた覚えがある。


「なっ、違ぇよ! ただ……別の道もあったのかなって。――親父みたいに、誰かを救うヒーローになれたのかなって……思ってさ」


「ヒーロー……」


 慌てて反論すれば、姉貴は最後の単語が引っかかった様で、それを口の中で復唱する。


「……っ! わ、悪かったな、子供っぽくて……」


 姉貴はそれ以来黙り込んでしまった。呆れられたかもしれないという事が怖くて、気不味さから目を逸らす。


「いいえ? ヴィクトールらしいと思っただけですわ」


 だが、次に落とされた柔い笑声はいつもの様に優しいものだった。ハッとして姉貴を見れば、彼女は慈愛に満ちた笑みを浮かべている。


「……ヴィクトールはその力、戦うには適していないと言いますけれど、わたくしはそうは思いませんわよ」


 姉貴は、そうして口元に浮かべた笑みをふっと消すと、俺の事を真っ直ぐに見据えて言い放つ。


「……なんで?」


 その瞳が宿しているのは、からかいでも慰めでも無い。それはただ、真剣に俺の事を考えてくれている目だった。姉貴の表情につられて、俺も真剣な顔のまま聞き返す。


「アコール隊のフェルディナンドさん……聞いた事がございますでしょ? 彼も、貴方と似た様な体質ですのよ」


「へ……あの『皇帝』が!?」


 そうして姉貴が口にしたのは、総帥の孫息子であるあの『皇帝』の名前だった。『皇帝』フェルディナンド・フェルナンデス。それはこのエデンにいれば否が応でも耳に入る、最強の存在と謳われる男の名だ。

 それが、俺と同じ体質だと、姉貴は宣った。期待に心臓が跳ね上がるのを感じながら、震えた声で聞き返す。


「えぇ。何でも彼は呪力道が普通一般の人々と逆で、あらゆるものの呪力を吸収してしまうそうですわよ」


「っ、じゃあ全然違うじゃねぇか」


 だが、やはりその期待はすぐに打ち砕かれた。

 呪力道が逆向きである事と、塞がってしまっている事では全くもって意味が違う。少しでも期待した自分が馬鹿だった。


「もう、話は最後まで聞きなさいませ? 確かに彼は比類無き努力で武器に呪力を乗せる事くらいは手軽くやっておりますけれども、わたくしが言いたいのはそちらではありませんわ」


「……どういう意味、だよ」


 姉貴は、思わず顔を逸らした俺の額を指で弾いた。話を最後まで聞こうとしなかった報復なのか、彼女は余計な一言を付けて俺の傷を抉ってくる。


「彼はその体質……特異呪力とも言えるそれを、として用いておりますのよ」


「――――!」


 息を飲んだ。呪力を吸収する力を、守りの力に転用する――それはつまり、攻撃を吸収して無効化しているという事だ。


「呪力の塊であるオニに攻撃するには呪力しかない。それは、逆も然りですわ。呪力は呪力にしか攻撃出来ない……ここまで言えばヴィクトールでも分かりますわね?」


 呪力には、呪力でしか攻撃出来ない。それは、整備士の俺にとっては当たり前の原理だ。だから、呪力道の塞がっている俺はオニに攻撃する事が出来ない。


 だが、それはオニも俺に攻撃する事が出来ないという意味で。それは、それは、つまり――……。


「…………、……俺、でも……誰かを守れる……?」


「えぇ、そういう事ですわ」


 一つの可能性に辿り着いた俺を見て、姉貴は人好きのする笑みを浮かべた。


 目の前の霧が晴れていく様な心地に包まれた。どうして、今まで気が付かなかったのだろう。確かに、一人で戦う事は無理だ。でも、それは一人で戦おうとした場合の話。


 誰かと共に戦えば、俺はその誰かを守る事が出来る。俺でも、誰かの英雄になる事は出来るのだ。


「……ふふ、ようやくいつもの顔に戻りましたわね。恥を忍んでフェルディナンドさんに聞いた甲斐がありましたわ」


 俺の考えている事は全て態度に出ていたのであろう、姉貴は肩を竦めながら呆れた様な笑みを浮かべていた。その顔は本当に母ちゃんにそっくりだ。


「なっ……わざわざ聞いてくれたのかよ!? 何でそこまで……」


 これは俺の問題で、この問題が姉貴を困らせる事は一つも無い。それなのに、どうして彼女は手を貸してくれたのだろうか。


「……ふふ、変な事をお聞きになりますのね。そんなの当たり前ですわ。可愛い可愛い弟が悩んでいたら、助けたいと手を差し伸べてしまうのが姉の定めですもの」


 姉貴は、心底面白そうに笑った。

 手を伸ばすのは、姉だから。家族だから。困っていたら、助けるのは当たり前。

 どうやら俺は、こんな事も分からなくなっていた程に悩んでいたみたいだ。


「……そっか、ありがとな。姉貴」


「ヴィクトール、これからも何かあったらすぐにお姉様を頼りなさいね。――わたくしは何時でも貴方の力になりますわ」


 そう言って、姉貴は真っ直ぐに俺を見据えて力強く胸を叩く。そんな頼りがいのある姿が、俺が見た姉貴の最期の姿となった。

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