EP09 本日より居候

「……うん、これで良し!」


 合同訓練から数日後。バレッタは割り当てられた部屋の入口で身嗜みだしなみを整え、やがて満足した様に微笑んだ。


「ふわぁ……と、なんやバレちゃん。朝っぱらからどないしたん? えらい大荷物やんか」


 片手にキャリーケース、背中にはリュックサック。そんな重装備のバレッタに、同室であるアヤメは怪訝そうに声をかけた。彼女は寝起きの様で、寝巻き姿のまま眠たそうに欠伸を繰り返している。


「あ、アヤメさん! おはようございます! えっと、今日からしばらくお姉ちゃん……ルネさんの部屋に居候させて貰うので、その荷物です!」


 いかにも起き抜けのアヤメとは違い、ピッシリとアカデミーの制服を纏ったバレッタは嬉々として答えた。はやる気持ちを抑え切れない様で、その琥珀色の瞳は一段と輝いている。


「あぁ、それか! なんやぁ、せやったらウチ、今日からしばらく一人やんかぁ。寂しいわぁ」


 バレッタの返答に、アヤメはルネとの一件を思い出した様だ。ぽんと手を打って、納得したと言わんばかりに頷くと、即座に茶々を入れる体勢に入った。


「あはは……とは言っても、ただ上の階に移るだけなのであんまり変化無いんですけどね」


 冗談めかしたアヤメの言葉に、バレッタは思わず笑い声をもらす。宿舎自体は同じ建物である為、下手をすれば本日中にも再会する可能性はあるのだ。


「なはは、そらそやな! ほんじゃ行ってきぃ。迷惑かけたらアカンで!」


「はい! 行ってきます!」


 呆気らかんと笑い、見送りの言葉と共に手を振るアヤメ。そんな彼女にバレッタは威勢よく返事をし、スーツケースを片手に部屋を飛び出していくのであった。


◈◈◈◈


「えっと……ここ、かな?」


 目の前の扉に掛けられたドアプレートには、流暢な筆記体で「Luneルネ Lapislazuラピスラズリli」と印字されていた。その下には小さく「Viktorヴィクトール」と殴り書きが踊っている。どうやら、ここで間違い無いらしい。


 バレッタは少しだけ緊張した面持ちで小さく深呼吸をすると、やがて「よし」と言う掛け声と共に軽く頬を叩いた。そうしてドアノッカーに手を伸ばし、何度かそれを鳴らす。


 しばらくの。その後に、扉を隔てた向こう側から何かバタバタと慌てる様な音がして、バンと音を立てながら扉が思い切り開かれた。


わりぃ遅くなった! 誰が何の用だ? ……と、おぉバレッタか! よく来たな!」


 開いた扉の先に居たのはエプロン姿のヴィクトール。バレッタの鼻腔を微かな甘い匂いがくすぐった事から、彼が朝食を作っていた事を察する。


「あ、ヴィクトールさん! おはようございます!」


「おう、おはような。……で、せっかく来て貰ったのにわりぃんだけど、ルネの奴まだ寝てんだよな……。あ、この前の無茶のせいとかじゃなくてアイツ、なんもない日は普通にいつも昼過ぎまで寝てんのな? ほんっと自堕落……」


 威勢のいい挨拶に、ヴィクトールは同じく気持ちのいい笑顔を浮かべて返した。だがすぐにバツの悪そうな顔になると、彼はルネの生活習慣がだらしの無い物である事を口にする。それがあまりにも予想通りで、バレッタは思わず苦笑を漏らした。


「ま、立ち話も何だしとりあえず上がれ上がれ!」


「はい! お邪魔します!」


 同じく苦笑を浮かべたヴィクトールは、バレッタを招き入れてその場で回れ右。そのまま着いて来いと言わんばかりに先導して歩き始めた。バレッタはシルヴィオから教わった通りに礼儀正しくお辞儀をすると、キャリーケースを引いてそれについて行く。


「あ、そうだバレッタ、飯食った?」


 その短い道中に、ヴィクトールはふと思い付いた様な質問を投げかけて来た。


「え? ……あー、えっと……食べてないです!」


 バレッタは少し迷った末に、食べていないと答える。実のところ別に食べていない訳では無いのだが、暫定朝食とされる先程食べたトースト一枚くらいではバレッタの腹は満たされないのだ。


「はは、そっか。フレンチトーストだけどいいか?」


「フレンチトースト!? もちろんです! 食べます食べます、絶対に!」


 どうやら先程の甘い香りの正体はフレンチトーストであった様だ。フレンチトーストと聞いた途端にバレッタは目の色を変え、鼻息荒く即答する。ただのトーストとフレンチトーストでは大違い、バレッタは遠慮なく頂くことにした。


「お、おぉ……随分食いつくな……」


 その態度に若干引き気味のヴィクトールを見て、バレッタはしまったと顔を赤らめる。黎明隊の二人の前であればこの様な態度を取られる事ももう慣れたものだが、流石に知り合って日が浅いヴィクトールに見られたとなると羞恥心をくすぐるものがあった。


「……あ、そこが風呂場で、その奥が手洗いな。流石にどれが何洗う奴とかはルネに聞いてくれ」


 だが、ヴィクトールはそれ以上バレッタの態度に触れる事も無く、扉の先の部屋の説明を挟んだ。バレッタは慌てて顔を上げると、忘れない様に記憶に刻み込みながら首を縦に振る。


「荷物は……ま、ルネが起きたら置かせてもらえな? 今はとりあえず適当に置いといていいぞ。……で、テーブルはそこ。待ってろ、今フレンチトースト持ってきてやるから!」


 廊下の先、広い大部屋。恐らくリビングだ。ヴィクトールはテキパキと説明を続け、最後にカウンターキッチンとなっているテーブルを指さした。


「わーい! ありがとうございます!」


 バレッタは今日一番の笑顔を浮かべると、ヴィクトールの言葉に甘えてキャリーケースとリュックサックを近くにあったソファの傍に置く。そして飛び跳ねる様にして席に着くのであった。


「ほい、俺特製のフレンチトーストだ。へへ、ビックリする程美味ぇからな、腰抜かすなよ?」


 黄金色のフレンチトーストが乗った皿をバレッタの前へ置き、ヴィクトールはニヤリと得意げに笑う。目の前に現れたご馳走に、バレッタは琥珀色の瞳を煌めかせた。


「わぁ……! もう匂いから既に美味しいです〜! いただきます!」


 ナイフを手に取り、丁寧に切り分け、蜂蜜がたっぷりとかかったフレンチトーストを一切れ口へ運ぶ。瞬間、とろける程の甘さが口の中へ広がって、バレッタは黄色い悲鳴を上げた。


「――んんーっ! おいひいれふっ!」


 口元を抑えながらそう叫べば、傍に立つヴィクトールと目が合い、彼は「だろ?」と嬉しそうに笑った。どうやら彼は相当自信があった様だ。


「これ、ルネの好物なんだよ。アイツ、蜂蜜で喉焼けする癖にこれだけはしょっちゅう作らせるんだよなぁ」


 ヴィクトールは笑顔のまま続けた。バレッタはその何処か慈愛を含んだ笑顔を眺めながら、一人納得する。ここまで美味しいフレンチトーストであれば、誰だってとりこになるだろう。


「本っ当に美味しいです! おかわりしていいですか!?」


 皿の上のフレンチトーストはあっという間にバレッタの胃の中へと消えていく。しかし、二切れ程度で彼女の腹が満たされるはずも無く、バレッタは遠慮せずにおかわりを要求した。


「あ!? おかわりぃ!? そ、そうか……流石にルネと同じ量じゃ足りねぇよな。ちょ、ちょっと待ってろ、今作るから!」


 予想外の要求に、ヴィクトールはその場で自問自答をし、慌てた様にカウンターの奥へと消えて行く。

 その姿を見て再びバレッタはしまったと思った。いつもであれば、バレッタが満足するまで料理が出てくるのだ。黎明隊の料理番であるシルヴィオも慣れた物で、何度も繰り返されるおかわりに疑問すら持たない。むしろおかわりをしないと「もうよろしいのですか?」と問うてくる程だ。その所為か、バレッタはいつもの様におかわりを要求してしまったのである。


「あっ!? ご、ごめんなさい私ってば……! いつもの癖で……! て、手伝います!」


「あーあー、いいっていいって! こんなんすぐ作れるし、いくらでもおかわりしてくれ!」


「で、でも〜っ!」


 バレッタは立ち上がり、ヴィクトールの元へと駆け寄った。二人の間で押し問答は繰り返される。しばらくやり取りを交わした後でバレッタが折れ、渋々と席へと戻るのであった。


◈◈◈◈


「はっはは! あっちゅう間に四皿も食いやがった! こりゃ飯はルネの倍くらい作っとかなきゃだな!」


 その十分後、ヴィクトールは可笑しそうに腹を抱えていた。俯いたまま赤面するバレッタの前には、四枚の皿が積み上げられている。


「うぅ……す、すみません……」


「いいっての。俺も沢山食べてもらえて嬉しいんだぜ? いい食いっぷりだ、久しぶりに見た」


 バレッタが呻きながら謝れば、目元の涙を拭うヴィクトールは気にする事は無いとそれを笑い飛ばす。彼の言い方から察するに、ルネは余程少食の様だ。


「んじゃ朝飯も済んだとこで、部屋の案内の続きな。そっちの後ろの扉……あっちがルネの部屋、こっちが書斎兼俺の部屋だ」


「書斎、兼……?」


 ヴィクトールは立ち上がり、カウンターキッチンの対角線へと歩いて行く。どうやらあちらが彼の部屋の様だ。

 しかし、ヴィクトールの部屋として紹介された部屋は何故か書斎も兼ねている様で、バレッタは不思議に思って首を捻る。


「おう、俺も居候の身だかんな。元々書斎だった部屋借りてんの。……あ、そうだ、基本的に扉開けてっけど、閉まってる時に用があったらそこのベル鳴らしてくれな。防音室になってっからノック聞こえねぇんだ」


「え、防音室? 書斎が、ですか?」


 一個疑問が解決したと思えば、新たな疑問が降って湧く。確かに書斎や図書室と言えば静かな印象があるが、何も防音室にまでしなくてもいいだろう。


「……あ、そうか。へへ、見せてやるよ。この部屋が防音室なのは……コイツがあるからだ」


「――! こ、これって……」


 楽しそうに口元を吊り上げたヴィクトールは、意気揚々と扉を開け放つ。そこは確かに本棚と、数多の本が存在していた。ただ、存在するのはそれだけでは無い。

 

 書斎の中央、そこには本に囲まれる中、異彩な存在感を放つ物があった。


「ピアノ、ですか!?」


 そう、それはピアノ。黒い光沢を放ち、いかにも場違いに感じるそれは、荘厳な雰囲気と共にそこに佇んでいるのであった。

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