EP08 冥王は死に愛されない

 テング――小型であるにも関わず、高い知性を持つネームド。何より厄介なのが、奴らが空をる事だ。目にも止まらぬ速さで空を縦横無尽に駆け回り、刀の様な腕で斬り付ける。

 それが、テングという名を冠する理由であった。


『――こちらオペレーター室、アルフレット! ごめんね、遅くなっちゃった! ネームドの反応確認したんだけど大丈夫!?』


 異形いぎょうと睨み合う一同の耳元で響く、周章しゅうしょうした男性の声。アルフレットと名乗ったオペレーターは、遅れた事を詫びながら状況の確認を急いだ。


「――! ッ、こっちこそわりぃなアルフ!  今んとこ、ギリギリって感じだ、なァッ!」


 それに即座に反応し、大雑把な説明を返すのはヴィクトール。その語尾は荒々しい物へと変わる。それもそのはず、彼は先程からテングの攻撃を拳一つでパリィしているのだ。


「っ、速い……!」


 彼を援護しようとシルヴィオが放つ呪力弾。それは自由に空を駆けるオニの前には無力も等しく、僅かに掠めるばかりで撃ち落とすには至らない。

 ジェノとバレッタも同じくだった。浮かぶ表情は苦悩。ジェノに至っては腹立たし気に舌を鳴らしている。


「チッ……一匹はボクが引き受ける! ベクトと黎明隊はアルフクンの指示の元、もう一匹を頼んだ!」


 故に、ルネは一人飛び出した。指笛を鳴らし、空を駆る一匹の注意を引いて。少しでも、苦戦する黎明隊の負担を減らす為に。

 久方ぶりに再会した、妹分とその大事な仲間を守る為に。


「お姉ちゃんッ!」


「ボクじゃなくて自分の心配をしろ、バレッタ!」


 背後でバレッタが叫ぶ。だが、振り返りはしなかった。悲痛な叫び声を上げる彼女を信じていたから。

 振り返らずに声を張る。僅かにそれは掠れた。時間が無い、そろそろ呪力で発作を抑えるのも限界だ。早い所あの化け物を葬り去らなければ。


「――っ!」


 微かに視界が歪む。瞬間、世界全ての時間が遅くなった。脳裏に映るのは急襲。それは右から、つるぎの様な歪な腕で。


 考える前に足が動いた。左へと跳び、時の流れが元に戻っていく中、まるで先程見た光景が真横で繰り広げられる。先程まで己がいた場所、そこにはテングの片手が突き刺さっていた。


『ギィ、イィィイイッ』


 オニの口元が不快であるかの様に歪められる。耳障りな金属音が耳をつんざいた。その様があまりにも滑稽で、思わず笑い声が零れる。


「あっはっは! 化け物の分際で人の真似事かい!?」


 喉を駆け上がる違和感を飲み込んで着地、再び走り出す。但し、今度は逃げる為では無い。地へ刺さった腕を抜こうと必死になる、惨めな化け物の元へ。


「――はぁッ!」


 愚物ぐぶつは目の前。それを真正面に見据えて、下から上へ大鎌えものを振り上げる。


 キンと高い音がした。己の振るった鎌と、化け物の刃が目の前で交差している。

 防がれた。残されていた左腕だ。


(――押し負ける!)


 いくら小型と言えど相手はオニ。このまま鍔迫り合いを続ければ負けるのは明白だ。故に、鎌の角度を変えて受け流す。

 瞬間、化け物の体躯は前方へと傾いた。


(今……っ!)


 勢いを殺さぬ様に一回転。そのまま、無防備なテングの横っ腹へと得物を振り抜く。手応えはあった。切創から、人間のそれとは異なる血液が吹き出す。


『ギィ――――――!』


 化け物は金切り声をあげながら身を捩った。瞬間、地に刺さったままの右腕が抜ける。ようやく自由を取り戻したそれは、まるで怒り狂うかの様に宙で両腕を振り回した。


「くっ、しぶとい奴だ……ぅ、ゴホッ!」


 苛立ちに任せて零れ落ちた言葉が掠れ、抑え切れなくなった違和感が飛び出してくる。限界が近い、早く何とかしなくては。


「――――!」


 再び揺らぐ視界。視えるは断末魔を上げ、崩れ行く化け物の姿。

 今しか無い。足を踏み出して、方向を変える。狙うは未だ怒りの咆哮を上げ続けるオニ。地を思い切り蹴って、高く高く跳躍。


「――ぁ」


 だが、その瞬間、目の前が暗く染まる。理解したのは自身の身体が落ちて行く感覚のみ。

 いけない、限界だ。遅れて理解がやってくる。呪力で補わなければ、己の病弱な身体は耐えてくれない。

 焦りから武器を振るえど、空振るばかり。己の身体は背を下にして落ちて行く。


「っぁ、がは……ッ!」


 受け身さえも取れず、走る衝撃。息が詰まる。勢いが殺し切れず、その場を惨めに転がった。身体中が軋む。違和感が喉を駆け上がった。


「――ぇちゃ……!」


 耳鳴りの中、僅かにバレッタの声がした気がした。

 いけない、このままではいけない。

 咄嗟に手放しそうになった柄を思い切り握り締める。悲鳴を上げる身体を叱咤して起き上がり、得物を目の前に構えた。せめて、この身を守る為に。


 何故か、覚悟していた衝撃はやって来なかった。

 まるでノイズが晴れる様に視界が開けて行く。


 瞬間、目を疑った。


「……はは、どうやら天の神様は相当ボクの事が嫌いらしい」


 思わず失笑と自嘲が零れる。

 怒り狂ったテングの腕が穿うがっていたのは、ヴィクトールと黎明隊が交戦していたはずの化け物の身体。いつの間にか、彼らの傍まで来てしまっていたらしい。

 身体を穿たれたそれは、けたたましい断末魔を上げて惨めに崩れ去って行く。その光景はまさに、先程視た物そのものであった。


 突然の事にオニは混乱したらしく、僅かに隙が生まれる。


 それを黎明隊は見逃さなかった。

 シルヴィオは即座に銃弾の雨を浴びせ、オニを怯ませる。ジェノはその隙に駆け出し、跳躍。銃弾の雨が止んだ瞬間に蒼穹そうきゅうを振るって、オニを地へと叩き落とした。


「バレッタちゃん!」


「――はい!」


 宙で叫ぶジェノの声に呼応する様に、バレッタの姿が現れる。ククリナイフ状にした光の刃で、ルネが付けた切創に重ねる様に斬り付けた。


『――――――!』


 瞬間、オニは高く高く咆哮した。それは、絶命への怒り。どうっと大きな音を立ててテングの矮躯わいくは地面へ沈む。動かなくなった化け物は、その身を散らし結晶へと変え始めた。


『……ネームドの反応、消失。その辺りにオニの反応はもう無いよ! お疲れ様、何とかなったね……!』


 皆の鼓膜を柔和な声が叩いた。ほっと息を着くようなオペレーターの声に、黎明の一同は張り詰めていた気を僅かに緩める。


「――ッ、ゲホッ! ぅ、ゲホッ、ゴホッゴホ……は、ぅ……」


「――! お姉ちゃん!」


 だが、次に聞こえてきた苦しげな呼吸音に、バレッタは慌てて振り返った。先程まで大好きな姉貴分が、決して丈夫では無い身体を張って戦っていたのだ。


「ったく、お前は無茶しすぎだっての……。……あーあー、いいから喋んな、もう。後は俺が何とかしとくから……寝てろ、バカ」


 ルネの傍には既にヴィクトールが居た。彼にしだれかかるルネは何やら呟いているらしいが、流石にその声までは聞こえない。


「……ん、わりぃなお前ら。コイツ、久しぶりに会った妹分に無茶させない様にって自分が無茶してやんの。ちぃっと戦いすぎだな、発作が反動として出てやがる」


 無言で駆け寄ったバレッタに、ヴィクトールは呆れた様な笑みを浮かべながら代わりに弁明をする。彼の腕の中のルネは、苦しげな表情を浮かべながらも規則正しい呼吸を繰り返していた。


「……で、問題児。アンタのお眼鏡に、コイツは適ったのか?」


「っ……その、変な事って言うか……なんて言うか、その、すいませんでした。ルネさんは全然悪い人じゃないし、やっぱり、強かったっす」


 ヴィクトールは少しだけ棘のある声で、バレッタの後ろについて来ていたジェノに声をかける。ジェノは僅かに肩を震わせると、申し訳無さそうに目を伏せて呟いた。


「あの……ルネさんに謝っといて欲しいっす。疑って、悪かったって。やっぱ、噂なんて碌な物じゃないっすね」


「おう、任せとけ」


 一気に和らいだヴィクトールの視線を浴びて、ジェノはそのまま自分の失礼な言動を謝った。困った様に目を逸らす姿は、噂を鵜呑みにした己を恥じている様にも見える。


「え、た、隊長……! これって私……!」


「えぇ、そうですね。ルネさんの元で沢山学んで来て下さい。行ってらっしゃい、バレッタさん」


「……! はいっ! やったぁぁっ!」


 こうして、バレッタはルネの元で修行をする事が認められた。心の底から嬉しそうに飛び上がる彼女を、その場の誰もが微笑ましく見守るのであった。

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