EP05 ラウンジの問題児

「待ち合わせはこの辺り、ですね」


 翌日、黎明隊一同は、ラウンジの端――整備室の近くまでやって来た。昨日の事があってか、ジェノとバレッタの間に会話らしい会話は見られない。

 ジェノがそわそわとしているのも、整備室の近くだからというだけでは無いだろう。


「――ぁ」


 不意に、バレッタが小さな声を上げた。視線の先には、青いロングソファに腰掛けたまま項垂れている銀髪の女性。バレッタの瞳が懐かしさに揺れる。


「お姉ちゃん……っ!」


 思わず駆け出したバレッタを止めるすべは無かった。ジェノは無言で、シルヴィオは優しい笑みを浮かべて、それに着いて行くだけである。


「……お、お姉ちゃん?」


 遠慮がちに掛けた声に反応は無い。バレッタは戸惑いを隠せず、もう一度呼びかけたが、ルネが顔を上げる事は無かった。

 よく見れば、肩が規則正しく上下している。どうやら彼女は眠りに落ちている様だった。これには、バレッタのみならずジェノもシルヴィオを戸惑いを隠せない。


「え……お、お姉ちゃ――……」


「――おい、お前ら。ソイツになんか用か?」


 戸惑う三人の背中に刺さる、刺々しい声。三人が纏めて振り返れば、そこには赤髪の青年が一人。シルヴィオの物とは違う大鎌を背負い、怪訝そうに三白眼を細めている。


「……あ? お前……! ラウンジの問題児!」


 不意に彼はジェノを凝視すると、ピンと来たと言わんばかりに大声で不名誉な渾名あだなを叫んだ。一瞬人違いでは無いかと疑ったが、彼はバッチリとジェノを指さしている。


「――ッ!? え、何すかそれ……!?」


 流石のジェノもギョッとして声を張り上げた。自分の二つ名は『荒業あらわざ』であって、決して『ラウンジの問題児』等では無い。


「知らねぇの? お前めっちゃ有名だぞ。ラウンジ名物、鬼神に追い回される問題児。まぁあの蒼穹そうきゅうを頻繁に壊してちゃ、そりゃなぁって感じだけどな」


 キョトンとしながら律儀に説明をする青年の様子を見るに、その不名誉な渾名は彼だけが呼んでいる物では無いらしい。

 だが確かに、ラウンジであるにも関わらず大声で騒いでいるのはジェノの方だ。あの調子では嫌でも有名になるだろう。


「っ、嫌すぎるんすけど……! って、あれ……何で蒼穹の事を? 俺、その名前他の所で言った事無いんですけど」


 最悪な渾名に顔をしかめていたジェノは、ふと耳に『蒼穹』という単語が飛び込んで来た事に違和感を覚えた。

 蒼穹はジェノの得物の名であるが、その名を知る人物など、同じ隊員であるシルヴィオとバレッタ、そして蒼穹の製作者であるダグラスくらいなのである。


「あれ、分かんねぇの? まぁ確かに俺、母ちゃん似だしな……っと、こうしたら分かるか? ホレ」


 ジェノに言問こととわれた青年は、苦笑しながら額に手を当て、急に不機嫌そうな表情を作る。その表情は誰かに似ている様な、そんな感覚をジェノへと与えた。


「……? …………あぁっ!? だ、ダグさん!? って事はアンタ、ダグさんの……!?」


 その瞬間、ぼんやりと鬼神きしんの顔が思い浮かんで、青年の顔を凝視していたジェノは素っ頓狂な声を上げた。即座に顔が青くなり、しゃんと背筋が伸びる。


 確かに青年の髪色は茶毛のダグラスとは違い、暗く深みがかった赤色であったが、その瞳はダグラスと同じペリドット。言われてみれば、声にも何処かダグラスを感じさせる物がある。


「そういう事。俺はヴィクトール・トリプレット。んで、ダグラスは俺の親父な? はは、本当にお前武器壊しすぎ。毎回直す方の身にもなれっての」


 青年――ヴィクトールはダグラスとは違って人好きのする笑顔を浮かべると、愉快そうな笑声をあげつつジェノへ軽口を叩く。その真っ当な意見に、ジェノは「サーセン」と呟く他無かった。


「これは……いつもお世話になっています。私はシルヴィオ――かつて、ダグラスさんに助けて頂いた者です。そして、本日お世話になる黎明隊の隊長も勤めております」


 天敵の息子の登場に、すっかりしおらしくなってしまったジェノを横目に、シルヴィオは恭しく頭を下げた。


「え!? あぁ、あんたが銀嶺ぎんれい……。いや、いつもこっちこそ親父が怒鳴り散らしてごめんな? ま、若干一名怒鳴られても仕方ねぇ奴もいるけど……」


「っ、だからサーセンって!」


 ヴィクトールはいきなり頭を下げたシルヴィオにギョッとしたが、黎明隊の名を聞くと、納得した様に一人頷いた。彼が口にした余計な一言にジェノが反応すれば、彼は更に楽しそうな笑い声をあげる。


「あぁ成程な、だからルネに群がってたって事か……。――おい、起きろバカ! 全員揃ってんぞ!」


 それから、また彼は納得した様な声色で呟くと、容赦無く俯いて寝入るルネの肩を叩く。あろう事か彼女に「バカ」と罵声を浴びせたヴィクトールに、今度は黎明隊の三人がギョッとする番であった。


「……ん、うぅん……? ケホ、バカはの方だろう……揃ったって何が……」


 揺さぶられてようやく意識を取り戻したルネは、特に罵倒を気にする様子も無く、微睡まどろんだまま言葉を口にする。


「――! ……はは、バレッタだ」


 緩やかに顔を上げた彼女は、心配そうに自身を覗き込んでいたバレッタに気付き、花のように微笑んだ。バレッタを目にした途端に、眠気も吹き飛んだ様である。


「えへへ……お姉ちゃんっ!」


「久しぶり、大きくなったね、バレッタ。元気にしてたかい?」


「うん、うんっ! またお姉ちゃんに会えるなんて夢みたい……! 嬉しいっ!」


 思わずと言った様に飛び付くバレッタと、それを笑いながら受け止めるルネ。彼女らの髪色は同じ銀。それ故に、二人は傍から見ればまさに姉妹だ。

 何処か潤んだ様な声のバレッタの口調は、隊長シルヴィオ先輩ジェノの前であるにも関わらず、すっかり崩れてしまっていた。


「……と、また会ったね隊長サン。それから……問題児クン?」


「んなっ……ジェノっすよ!」


 再会を喜ぶバレッタを撫でながら、ルネが一言。微睡みながらも会話はぼんやり聞こえていたのだろうか。ジェノは呆気に取られるも、即座に訂正を飛ばした。


「ははは、冗談だよ……ゲホッ、ケホケホ……」


 咳き込みながらも愉快そうに笑うルネに、ジェノは頭を掻きつつ眉根をひそめるしか無かった。どうやら彼女は、バレッタの言っていた通り煽り癖があるらしい。


「あはは……えぇと、本日は御指導、御鞭撻ごべんたつの程、どうぞよろしくお願い致します」


 シルヴィオは目の前で行われた一連の流れに苦笑していたがすぐ様態度を改め、拳を胸に当てきっちりと一礼。


「勿論だよ……はは、隊長サンは随分と律儀だねぇ」


「お前が適当過ぎるだけだろバーカ」


 目を細めて笑うルネに、ヴィクトールは冷ややかな視線を浴びせながら呟いた。冥王相手に強気な態度に出る彼は、やはり鬼神の血筋を感じさせる。


「煩いなぁ、バカは君だろう? 君がまた脳筋討伐をした話はロイスから聞いてるんだぞ」


「ッ、うるせぇっ! 殴るんだからしゃーねぇだろ! お前こそまた無茶してギリギリで生還してきたばっかだろうが!」


「ボクはいいんだよ。どうせ勝つんだ……」


 やれやれと首を振ったルネがそれに言い返し、二人は周りを置いて言い争いを始めてしまった。その様子は、二人がかなり気を置けない間柄である様にも見える。


「あ、あの! 所で……お姉ちゃんの隊はヴィクトールさんと二人、って事でいいんですか?」


 どうにか止めねばと焦ったバレッタは、二人の間に割って入るように声をかけた。

 合流してから結構時間が経ったが、この場に現れる者は他に居ない。それに、先程ヴィクトールは「全員揃った」と言っていた。


「え? いいや? こいつはボクの隊には……というかボク自体、隊には属してないよ」


 しかし、平然と返ってきたのは予想外の言葉。ルネは「何を突然」と首を傾げている。


「――? では、ヴィクトールさんは一体……?」


 シルヴィオは僅かに瞠目し、脳裏に浮かんだ疑問をそのまま口にした。ジェノもバレッタも、同様に不思議そうな表情を浮かべている。


「あぁ……そうだね、こいつは……んん? ベクト、君は一体何だ?」


「はぁっ!? テメェ、家事全般してやってるの誰だと思ってんだよ!? って言うか、俺はお前としたんだろうが!」


 ラウンジに、裏切られたと言わんばかりの大声たいせいが響き渡る。叫ぶヴィクトールの顔には青筋が浮いていた。


「あれそうだっけ? はは、すっかり忘れてた」


 対するルネは飄々ひょうひょうと笑っている。忘れていた、と口では言っているが、恐らくそれも嘘だろう。楽しげに細められた瞳と、吊り上げられた口元がそれを語っている。


「こいつ……ッ! ……はぁ、いいかお前ら、見ての通りルネはずっとこんな感じだせ。士官にするってんなら覚悟しとけよ」


 怒りに拳が震えていたが、それもほんの僅かな時間。ヴィクトールはすぐ様脱力すると、呆れ返った顔で黎明隊の三人に忠告をした。

 ただ、その心配も無用である。何故なら、今回の目的はルネに纏わりつく噂の真偽を確かめる事、そして彼女自身の強さを体感する事だ。


「つーかいつまで俺に武器持たせてんだよ! いい加減自分で持て!」


 喚くヴィクトールは気付かなかった。二人を見つめるジェノの目が、ずっと険しいままの事に。目の前で笑っているルネの瞳が、それを認めて剣呑に細められた事に。

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