EP04 空回りの思いやり

 シルヴィオと、ついでにアヤメが宿舎に戻る頃にはすっかり日が暮れていた。


「ただいま戻りました」


「お邪魔しますぅ〜」


 帰り着いた彼らを迎えたのは、ソファに座ったまま各々好きな事を続けていた少年と少女。出迎えた二人は隊長の帰りを待ち望んでいたらしく、まるでどうなったのだと言わんばかりにシルヴィオを見つめていた。


「……へぇ、謹慎処分で済んだんすね? 意外っす。もっと重い処分が下ると思ってたんで……」


 シルヴィオが告げた報告を聞き、手にしていた携帯ゲーム機を膝に起きながら呟いたのはジェノだ。その結果は意外だったらしく、彼はぱちくりと瞬きを繰り返し、シルヴィオをじっと見つめていた。


「よ、よ、よ……良かったですぅ〜っ! 私、てっきりもう一緒に戦えないかと思ってましたぁ!」


 同じく報告を聞いて、手にしていたフォークを取り落とし、涙目になって喜ぶのはバレッタだ。彼女は大きな琥珀色の瞳を潤ませながら首を振り、大袈裟に安堵と喜びを体現していた。


「て言うか、別に問題無いんならそんな死人の顔してないで下さいよヴィオさん。何すか、そんなにこっぴどくイジメられたんすか?」


 ジェノは安心した反動か、いつもの様に生意気な事を言い放つ。彼は涼しい顔をしているが、こう見えてシルヴィオが戻ってくるまで、いつもは失敗しないはずのゲームで何度も失敗する程心ここに在らずだったのである。恐らくその照れ隠しだろう。


「え、あ、あぁ……すいません。その、少し……考え事を……」


 対して、声をかけられたシルヴィオは咄嗟に反応出来なかった。その様子は心ここに在らず。ぼんやりと考え込む様に何かを言い淀む。


「……その、実は……ですね」


「――――?」


◈◈◈◈


「その……取り乱して、本当に申し訳無い。それに……シルヴィオ殿の服も汚してしまって……」


 かなりの間泣きじゃくり、ようやく落ち着いたらしいロイスは恥ずかしそうに礼を告げた。赤い瞳は更に赤く、未だに声は潤んで鼻声となっている。


「いえ、気にしないで下さい。私ですら、決着をつけるのに十年程もかかってしまったのですから」


「せやで! ヴィオはんみたいに飛び出して行かんかっただけ百点満点やわ!」


「ちょ、ちょっとアヤメさん……!」


 何とも微笑ましい状態のロイスに、シルヴィオは優しく笑う。それをアヤメが横から茶々を入れれば、ロイスは小さく笑い声を上げた。


「――っと終わ……んん、声が……。ふう、やっと終わったかい?」


 ようやく事態の終わりが見えた事を察してか、ルネは掠れた声と共に問い掛ける。彼女の顔は先程よりも若干白く、体調が良くないのだろうと一目で分かった。


「――! ルネ殿……。申し訳無い、随分と待たせしまったな」


「いいさ。苦しい感情を溜め込むのは良くないからね」


 今にも倒れそうな顔色の彼女は、ひょいと肩を竦めると、狼狽えるロイスへ心配要らないと告げる。何処かその態度には慣れを感じられた。


「……すまない、感謝する」


 手をヒラヒラと振るルネに対し、ロイスは深々と頭を下げた。


「……それでは、私はお先に失礼させて頂く。何かあれば今度こそ私が力になる故、いつでも聖騎士隊クルセイダーを頼って頂きたい」


 そうして次はシルヴィオとアヤメに向き直り、再び綺麗な敬礼を見せる。背筋を伸ばした完璧な敬礼、顔を上げた彼の表情は、しっかりと頼り甲斐のある部隊長のものであった。


「――! はい、ありがとうございます!」


 シルヴィオは同じく礼を返し、去り行くロイスを見送る。マントをひるがえし、颯爽と去っていく様は、まさに騎士と呼ぶに相応しかった。


「……んで、次はルネはんの用事やんな? ルネはんもヴィオはんに謝りたかったり何だりするん?」


「はは、ボクの用はそんな大した事じゃないさ。少し、頼み事があるだけだよ」


 片目を茶目っ気っぷりに瞑ったアヤメの茶化す様な言葉に、ルネは笑いながら首を横に振る。そしてふっとシルヴィオを見据えると、意味深長に目を細めた。


「頼み事……? えぇと……総帥直属の隊士である貴女が、ですか?」


 真正面から見つめられたシルヴィオは、困りながらも問い返す。

 階級も実力も、どちらも彼女の方が遥かに上だ。それなのにわざわざ、自分達に頼る程の事があるのだろうかと言う疑問が脳内に浮かんでいた。


「あぁ、そうさ。今日はこれを言う為だけにここに来て、君達を庇ったんだよ。……何、そんな顔をしないでおくれ。別にボクが頼みたいのは難儀な事じゃないさ」


 そんなシルヴィオの心情を知ってか知らずか、ルネは安心させる様に言葉を紡ぐ。彼女はそこで一度言葉を切ると、組みっぱなしにしていた手を頬に当て、こう言い放つのであった。


「ねぇ、君の所にいるあの子――バレッタの事、ボクに預けてよ。謹慎中だけでいいからさ」


◈◈◈◈


「え、はぁ!? そ、それって……引き抜きって事すか!?」


 シルヴィオが戸惑いながらも話した内容は、ジェノを驚かすには十分な内容だった。彼はいつも眠そうにしている目を丸くして、心の底からの驚きを露わにする。


「いえ、彼女が言うには、我々が謹慎している間だけで良いそうなのですが……」


「……ご、ごめんなさい隊長。もう一回……もう一回、言って貰ってもいいですか?」


 飛び出したジェノの疑念に答えるシルヴィオに、呆然とした様なバレッタの声がかけられる。唐突な事で理解出来なかったのだろうか、とシルヴィオは笑い、それに応えた。


「やっぱり、急にこんな事を聞かされてはそうなりますよね……。えぇと、現在バレッタさんに一時的な隊の転属が提案されていて――……」


「あ! そ、そっちじゃなくて! 誰がの方です!」


 しかし、分かりやすい様にと簡潔に答えようとするシルヴィオの言葉を、バレッタは慌てて遮った。突然の行動に、シルヴィオは戸惑う様に目を瞬かせる。


「え? あ、あぁ……えぇと、提案者は、総帥直属部隊の『冥王めいおう』ルネ・ラピスラズリさんです」


「ルネ、ラピスラズリ……」


 そうしてシルヴィオが口にした名前を、バレッタは口の中で転がすように繰り返す。その名を聞いた途端、彼女の目が輝いていくのが見えた。


「あの、本当におね……ルネさんが、ですか? あの……、銀髪で、目の色も銀で、あといつも咳してて……。ちょっと人を煽りがちだけど、すっごく頭が良くてすっごく強い、あのルネさん……?」


 バレッタは堰を切ったように言葉を連ね始める。その彼女の言葉はまるで、ルネを見た事があるかの様――否、最早話した事があるかの様だった。

 ルネは総帥直属部隊と言われる程の実力だ。彼女が強い事は誰でも理解出来る事だが、その他の事は滅多に表に現れないという彼女の素性を知っていなければ分かり得る事では無いのだ。


「……? えぇ、そうです。……あ、もしかしてルネさんとお知り合い……なんですか?」


 軽く首を傾げ、暫し逡巡。すぐ様シルヴィオは一つの可能性へと行き着いた。単純にバレッタがルネの追っ掛けである可能性もあったが、恐らくその線は薄いだろう。


「はい……! 私が養護院に居た頃、あの人を姉の様に慕ってて……。が隊に入ってからは疎遠だったんですけど、そっか……まだ覚えててくれたんだ……!」


 その証拠に、頷くと同時に少し目線を下げたバレッタの口からは「お姉ちゃん」という単語が零れ落ちた。口元がふわりと綻んで、琥珀の瞳が僅かに潤む。

 その様はまるで、生き別れた家族に再会したかの様だ。


「あの、隊長! 私、その話お受けしたいです! と言うかお受けします! 絶対!」


 即座にバレッタは顔を上げると、首が取れそうな勢いで頷いて、ルネからの提案を受け入れる。その様子に、シルヴィオもアヤメも思わず顔を見合せて笑った。


「……あの、待って下さい。冥王って、あの冥王すか? 関わった者を皆、死に至らしめるって言うあの……」


 しかし、対面に居たジェノはそれを良しとしない。それは、相手がである事に起因していた。


 冥王――それは、死の世界の王を意味する言葉。あまり良い意味では使われる事の無い言葉。身近なれど、慣れる事は永遠に無い、を思い起こさせる様な言葉。

 では何故、ルネがそんな忌避される様な二つ名を冠しているのか。そこには無論理由がある。


 滅多に表に現れる事の無い上に、一人で異常な数の勲章を持つ彼女には、様々な噂が纏わりついているのだ。やれ大型を呼び寄せる力を持つだの、やれ全てを死へ導くだの、どれも信憑性は無い。


「っ、ジェノ君……!」


「噂の真実はともかく、あの人が居た隊がどの隊も全滅してるのは事実っすよ」


 ただ、そんな中でたった一つ、ルネを冥王たらしめる真実があった。

 それは、彼女が所属していた隊は、彼女を遺して全滅しているという事。それも一度では無く、三度も。彼女は三度も、死を免れている。

 それこそが、ルネが冥王と呼ばれるに至る理由であった。


「――っ! それって先輩はお姉ちゃんの所に行くのが危険だって言いたいんですか!?」


「……そうっすよ。危険極まりないっす。そんな……死を呼び寄せるだなんて言われてる人の元に行くなんて」


 バレッタの悲痛な金切り声が、しんと静まり返った部屋に放たれた。その言葉に、ジェノは静かに肯定の意を示す。彼の声には冷たい色が現れていた。


「ち、ちが……違います……! お、お姉ちゃんは……そんな人じゃ……っ!」


「でも、バレッタちゃんが知ってるのは何年も前のルネさんって事でしょ? だったらそんなの、分からないじゃないすか」


 必死な弁明も届かない。何故なら、バレッタが知っているルネは、もう何年も前のルネだからだ。彼女がと呼び慕うのは、まだ冥王となる前のルネ。

 だから、ジェノは首を縦に振ることは無かった。


「……俺は反対っすよ。自分が知り得ない所で親しい誰かが死ぬのは、もう嫌なんです……!」


 そして、ジェノはまるでとどめを刺す様に再度口を開いた。そっと首元にぶら下がるゴーグルに触れ、悲壮な感情が滲んだ瞳をバレッタへと向ける。


「――っ!」


 その強い思いが宿った視線に、バレッタの言葉は封殺された。その根底にあるのは、心から自分を案ずる気持ち。それを無下にするなど、バレッタには出来なかった。


 再び訪れる沈黙。バレッタは言い表すには難解な心情を抱え、俯いて唇を噛んだ。

 シルヴィオはどうすればいいのかと戸惑うばかり。困り果てて、挙句助けを求める様にアヤメを見つめる他無かった。


「……えぇ? ウチぃ? もうしゃーないなぁ……。ほれジェノ君、そんな心配なんやったら皆で合同任務……は、アカンから……合同訓練でもしてきぃ! ウチがルネはんに連絡入れといたるから!」


 そんなシルヴィオの救援要請を受けて、アヤメは呆れた様に頭を掻きながら口を開く。

 提案したのは合同訓練――片側の隊長を士官とし、戦術を教わる。訓練であれば、謹慎の身で行っても問題は無い。


「なっ……アヤメさん! 何を――……」


「いいえ、ジェノ君、アヤメさんの言う通り、合同訓練を行ってから決めるべきです。憶測のみで物事を判断するのはいけませんから……」


 シルヴィオは、吼えるジェノにアヤメの提案を受け入れる様諭す。ジェノはまだ何か言いたげであったが、信頼できる隊長に噛み付く気は無いらしく、少し悩んでから大人しく頷いた。


「その、バレッタさん。そういう訳で、提案を受けるかどうかは合同訓練を行ってから決めさせて頂けないでしょうか? その……正直に言うと、私も不安なのです。隊長としての責任もありますから……」


 そうして、しっかりとバレッタの目を見ながら、一言ずつ丁寧に言葉を並べて行く。隊長には、隊員の命を預かるという責務があるのだ。


「隊長……。わ、かりました……」


 バレッタはただ頷いた。ただ、それ以外に返す言葉を見つけることが出来なかったのだ。

 俯いてしまった二人の少年少女を見て、シルヴィオとアヤメは顔を見合せ、困った物だと苦笑を浮かべた。

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