【断章】『銀嶺』Ⅲ 拝啓、愛しき貴女へ
拝啓、愛しきレイラへ。
お元気でしょうか。きっと貴女の事ですから、そちらの世界でも花と夕陽に囲まれているのでしょうね。
今でも、貴女に手を引かれて訪れた屋敷の庭園で、「貴方と共に生きたいの。だからこの家を逃げ出しましょう」と言われた事を覚えています。あの日も、綺麗な夕陽が差し込んでいました。
結局、子供の家出の様な形で家を飛び出して、護衛の皆様と壮絶な追いかけっこが繰り広げられた後、ご主人様が折れて結婚を許して下さったのですよね。追われている身だったと言うのに貴女はずっと楽しそうでした。見た事無い街の様子に目を輝かせて、気に入っていた白いワンピースを泥だらけにして、「こっちよ」と手を引く貴女はこれ以上無い程に煌めいていました。
貴女の傍に居られて、貴女と共に歩めて、私は本当に幸せでした。
いいえ、今でも私は幸せです。
今の私には、大切な仲間がいます。貴女が居なくなった後に出会った、とても優しい人達です。
少々やんちゃでよく憎まれ口を叩きますが、その分だけ仲間想いなジェノ君と、いつも元気で一生懸命で、我々にもその元気と愛嬌を振り撒いて下さるバレッタさんです。それから、姉御肌でいつも私を叱ってくださるアヤメさんに、貴女を失ったあの日から、私をずっと気にかけて下さっていたダグラスさん。頼もしく、優しい仲間に囲まれて私は本当に幸せです。
ジェノ君は中々素直になって下さいませんが、隠そうとしている気持ちも分かりやすく、からかった時の反応が可愛らしいのでついついからかってしまいます。彼は年の離れた弟の様な感じがしているので、どうしても構いたくなってしまいますね。
バレッタさんは貴女の為に覚えた料理を、本当に美味しそうに食べて下さいます。まるで貴女の様な笑顔で美味しいと笑うので、ついつい沢山振舞ってしまいます。ですがあまりにも振る舞いすぎて、先日「体重が……」と仰られているのを聞いてしまいました。反省しなくてはですね。
アヤメさんにはまた怒られてしまいました。恐らく、この間の任務中に少し無茶をしたのが原因でしょう。あの日、私が勝手に飛び出してから、少々彼女は過保護になった様に感じますが、今ではそれも嬉しいです。
ダグラスさんは私に真っ直ぐ意見をぶつけてくれる様になりました。何と言うか、どちらかと言うと遠慮なく文句を言う様になったと言った方が近い様な気もしますが。この間朝食に何を食べるか口論になった際は私も負けじと言い返しました。
それと最近、雰囲気が柔らかくなったとかつてお世話になった方々に言われるようになりました。何でも私、裏では「復讐鬼」とあだ名を付けられていた様で。本当にその通りだったと、思わず笑ってしまいました。どれもこれも隊の皆様のお陰ですね。
そういえば先日、その大切な隊に「黎明」という名を与えました。今まで隊の名前など考える余裕も無く空欄にしていたのですが、私の夜が明けたのを期に、夜明けを意味する名を与えたのです。何の相談も無く決めてしまったのですが、ジェノ君もバレッタさんも「素敵な名だ」と喜んで下さいました。
私の夜は明けましたが、人類の夜明けはまだまだ遥か先です。私も、黎明隊も、皆様の希望となれる様に戦い続けていきます。
申し訳ありませんが、そういう事ですので、私が貴女の傍に行くのはまだまだ先になりそうです。いつか私がそちらに行くその日まで、どうか愛想を尽かさずに待っていて下さいませ。
愛しています、レイラ。それでは、また。
いつまでも貴女を想って
シルヴィオ・カトルーフォ
◈
シルヴィオはそっと瞑目を止め、静かに鎮座している墓を眺めた。そうして想いをしたためた手紙を懐から取り出して置くと、再び手を合わせる。
「……また、来ますね」
物言わぬ墓石ばかりが並ぶ霊園。静かなこの場所から離れ難くて、名残惜しくて、シルヴィオは愛しき人の名が彫られた墓を見つめたまま回れ右をしようとする。
「――っと……」
だが、その所為で後ろにいたらしい誰かとぶつかってしまった様だ。相手の掠れた声が耳に飛び込む。
慌ててシルヴィオがそちらへ顔を向ければ、何処か令嬢を思わせる隊服を纏った女性がそこに居た。
「……っ! す、すみません! お怪我はありませんか?」
シルヴィオはサッと顔色を青くして、不思議そうな顔をしている女性に陳謝する。すれば、女性は数回瞬きをした後、掠れた声で笑い始めた。
「はは、気にしないでおくれ。余所見をしていたのはボクも同じだ。ここに来る人自体珍しいからね。ボクこそ、眠る人の名をまじまじと見てしまってすまない」
そう言いながら女性は首を横に振った。どうやら彼女は霊園に訪れる人物が珍しく、シルヴィオが手を合わせる墓石に刻まれた名を見ていたらしい。
「あぁ、いえ、お気になさらないで下さい。妻は大層自分の名を気に入っていたので、きっともっと見てと言うと思います」
だが、シルヴィオは優しい笑みを口元に浮かべると、きっとここに眠るレイラは気にしないと口にする。すれば、女性は目を丸くした後、再び可笑しそうに笑い出した。
「そうか……確かに、綺麗な名だね。――手を合わせても?」
「えぇ、勿論。妻も――レイラも喜びます」
シルヴィオが女性の提案を快諾すれば、彼女は優しい笑みを浮かべて、静かに瞑目する。再び霊園は静寂に包まれた。けれどそれは、何処か心地の良い静けさだ。
「……ありがとう。それじゃ、ボクはこれで」
不意に、祈り終えた女性が顔を上げて、その静寂を終わらせた。シルヴィオが頷いて、いつもの様に完璧な礼を見せれば、女性は片手を上げて去っていく。
霊園で生まれた小さな絆に、シルヴィオも暖かな気持ちになってその場を後にした。
◈◈◈◈
「――っげほ……、見ない顔だったなぁ」
そうして男性と別れた後、女性は一人、先程の事をぼんやりと思い返していた。歩く度に長い銀髪がゆらゆらと揺れ、零れる空咳が霊園に響く。
『――――』
不意に、隊服のポケットに入れっ放しにしていたデバイスが震えて、何者からかの連絡が入った事を示した。どうせ自分に来る連絡は面倒な物だと知っているので、デバイスを取り出す速度はこの上なく遅い。
『「
女性のデバイスに仰々しい文字と、本部からの連絡である事を示す証が映し出される。やはりそれは、面倒くさいの最上位である軍法会議への参加命令だった。
いつもであればその最初の一文を読んだ瞬間破棄するのだが、今回は「同時に勲章授与式も執り行う」と記してあった為、何となく気になって目を通す事に決める。
と言うのも、勲章授与式は総帥直属部隊が大型を倒す様になってからすっかり行われなくなっていたのだ。何せ、こちらはもう既に大型を倒すのは当たり前の事。なのにそれを毎回行っていればキリが無い。
何やらアコール隊の副長は気に入って毎回行っていたらしいが、彼女も現在はこの場におらず、勲章授与式という単語を聞く事自体が久しぶりなのだ。
とどのつまり、今回それが執り行われるという事は、総帥直属部隊以外の誰かが大型討伐を成し遂げてみせたという事だ。
一体、問題を起こしながらも大型討伐をやり遂げたと考えられる隊はどんな隊なのかと、女性は少しだけ気になったのである。
『今回の会議では以下の小隊、「黎明隊」の今後の処罰を決める。「
「ははは! ぅ、げほっげほ……。さっきの彼、とんだ問題児だったのか」
その名と、横に添えられた写真を目にした瞬間、笑声と空咳が思わず零れた。
カトルーフォ――それは先程出会った男性が祈っていた墓石に記されていた名だった上、そこに写っているのは明らかに先程の彼だ。
どうやら先程出会った男性は小隊長で、大型討伐をやってのけたのは彼の隊らしい。しかも、隊員は彼を入れてもたった三人。女性はケラケラと笑いながら、隊員の顔も拝んでやろうと画面をスクロールする。
『「
そうして、表示された二つの名前。その内の、一つの名前と顔を目にした瞬間、女性の目はデバイスの画面に釘付けになった。
銀髪をツインテールにした、利発そうな少女。それは、遠い昔の記憶に焼き付いた少女の顔だ。
「……バレッタ?」
静かな霊園の中に落とされた小さな呟きは、余韻を残しながらも消えていった。
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