EP06 金銀に染む刃
「しばらく私が引き付けます! その間に先輩は隊長を!」
そう言うとバレッタは一気に駆け出して、警戒を続ける九尾狐の足元へと突進して行った。
「了解っす! ――ヴィオさん、ほらこれ」
ジェノはバレッタの言葉に頷くと、すぐさまシルヴィオへ無線と
『――はん、ヴィオはん! 聞こえとるか!?』
瞬間、けたたましい呪力低下警告音が響き渡り、同時に何度も自分を呼ぶ懐かしい声が聞こえた。警告音を聞いたジェノは、静かに緊急用の回復錠を手渡す。
「なん、で……」
渡された回復錠を噛み締めながら、シルヴィオは思わず掠れた声を漏らす。その瞳には涙の膜が張り、脳裏に浮かんだ様々な感情で震えていた。
『――っ! やっと繋がった……! このドアホ! 何勝手に飛び出しとんねん!』
無線はその微かな吐息を拾ったらしい。無線の向こう側で、泣きそうになりながらも迫真の剣幕で怒るアヤメの声が聞こえた。
『ウチら四人まとめて、もう二つも軍律違反を犯しとる! もう怖いモンはあらへんで! ぶちかましたりぃ!』
そんな彼女の声は徐々に、力強く前向きな物に変わっていく。だが、アヤメが口にした「軍律違反」という単語が引っかかって、シルヴィオの脳内は更なる疑問で埋め尽くされた。
「すみま、せん。一体、何が……?」
「ヴィオさんが勝手に大型と戦い始めたのと、俺達が緊急要請を蹴ってこっちに来た事っすね。ヴィオさんは知らないと思いますけど、
ジェノが淡々とシルヴィオの問いに答えれば、彼はハッと目を見開き、「何と言う事を」と小さく呟いた。それがその決断に至ったジェノ達に向けられた物なのか、それとも腑甲斐無い自分に向けた物なのかは定かでは無い。
「今は、俺達の代わりにダグさんが出撃してくれてます」
畳み掛けるようにジェノがそう続ければ、シルヴィオは信じられない物を見るが如く目を更に見開いた。
ジェノはそのまま、硬直してしまったシルヴィオの肩をしっかり掴んで、ダグラスに託されていた伝言を一語一句間違えない様口にした。
「『これで
「――!」
その告げられた言葉に、シルヴィオの心の中に長年巣食っていた罪の意識が、解けて消えていった気がした。
ダグラスに出来た借りは
溶け出した罪の意識は、瞳から溢れる温かな雫へと変わり、パタリパタリと地面を濡らしていく。
『――っ、先輩! そろそろ援護を……きゃあっ!?』
そこにバレッタからの援護要請が入った。無線越しに聞こえた悲鳴に振り返れば、九尾狐の猛攻に耐え凌ぐ少女の姿が目に入る。
「バレッタちゃん!? っ、了解っす! ……ほら、立ってくださいよ、
ジェノは焦りを感じながら返事をすると、槍を構え直して前を向いた。同時に、誰よりも頼りにしている隊長の名をしっかりと呼びながら。
「そう、ですね……」
嗚咽を堪えていたシルヴィオは静かに涙を拭うと、その場の全てに背中を押されたように立ち上がって、そっと顔を上げる。
そこにはもう、諦めも恐怖も、迷いすらも無い。
ただ真っ直ぐと、前だけを見据えていた。
「――行きましょう、ジェノ君!」
その言葉を皮切りに、ジェノとシルヴィオは駆け出した。シルヴィオはいつもの様にレーザー弾を展開する。それが九尾狐の足元を焼いて、バレッタへの猛攻はやむ。突然の横槍に、狐は苛立った様に耳障りな咆哮を轟かせた。
「……っ! ありがとうございますっ!」
援護に気付いたバレッタは、嬉々とした感情を声に滲ませた。
それから体勢を立て直すと、空間移動とそれを応用した多段ジャンプを駆使しつつ、九尾狐へお返しと言わんばかりに猛攻をかける。しかしバレッタの持つ薄刃のククリナイフでは、狐の硬い皮膚に傷を付ける事が出来ない。故に彼女は、既にシルヴィオが付けていた裂傷をなぞる事によって九尾狐へとダメージを与えていた。
「――――!」
だがしかし、いくら弱っているとはいえ、九尾狐もやられているだけでは済まさない。
「――わぁっ!?」
九尾狐はノイズ混じりの声で怒りの咆哮を落とすと、尾と足を用いた回転連撃に出た。
バレッタはすんでのところで直撃を回避したが、彼女の小さな体は風圧に耐えられず吹き飛ばされてしまう。
「バレッタさん!」
「っ……、平気です! ごめんなさい先輩っ! カバーを……!」
何とか空間移動を駆使して宙で体制を整えると、バレッタはまるで猫の様に着地する。そしてその身を案じたシルヴィオの呼び掛けにすぐさま返事をし、ジェノに追撃を託した。
「――分かってますよ!」
力及ばずで悔しがる彼女の言葉に答えると同時に、ジェノが鉄砲玉の如く飛び出していく。その手に握られた得物の名が指しているのは、彼の絶対的な意志が宿ったその強い瞳であった。
「行くよ」
一つ、雷を帯びた振り上げ。二つ、炎を纏った横薙ぎ。三つ、風を伴った乱れ突き。
ジェノは流れる様に属性を付け替えながらコンボを決めていく。これは彼にしか出来ない特殊な芸当だ。大量の呪力で無理矢理属性を切り替えながら相手を圧倒する――この戦い方こそが、彼に「
『――――――――!』
「――っ!?」
九尾狐の反撃、尾での一撃が避け切れなかったジェノにヒットする。仰け反った彼の顔には、この場に似合わない笑みが浮いていた。どうやら、彼のスイッチが入ったらしい。
「……ははっ、あはははっ! まだまだこんなもんじゃ無いっすよねぇっ!?」
追撃の噛み付きをバックステップで躱しながら、ジェノは楽しそうに九尾狐を煽った。それは、長年の経験で彼に染み付いた挑発癖。家族を、兄を奪われた苦しみごと穿つ様に、縦横無尽に槍を突き出す姿はまさにバーサーカー。ジェノはそうしている間だけ、負の感情の一切を忘れる事が出来たのだ。
「あは」
飛びかかってきた狐の爪を、まさに流水の如く受け流す。振るわれた尾の風圧を、槍を地に突き立ててやり過ごす。
そして、その一瞬の隙を突いて反撃。
「ほら、見てなぁッ!?」
ジェノはひっくり返りそうな程に声を荒らげて叫びながら、高く跳躍する。そうして勢いをつけて、九尾狐の仰け反って悲鳴を上げるその顔をめがけて、ジェノは思い切り愛機を振り下ろした。
『グ、ギャア――――――――――ッ!』
蒼穹は深々と九尾狐の片目に突き刺る。奇しくもそれは、ダグラスが片足と引き換えに与えた傷と同じ場所だった。あの時味わった屈辱と激痛を再び味わった九尾狐は、半狂乱になりながら何度も
「――ッ、しまっ……!」
その突発的な動きに対応しきれず、ジェノは蒼穹から手を離してしまった。彼は九尾狐の咆哮の音圧に耐えながら落下の衝撃に備える。そこへ狐の追撃が迫ったが、視界の半分を失った九尾狐の攻撃は見当外れな場所へと飛んだ。
『――! 今やヴィオはん! 相手は我を失っとる! 畳み掛けぇ!』
「えぇ!」
アヤメの鋭い指示が飛ぶのと、ライフルで援護をしていたシルヴィオが動き出すのは同時であった。彼は駆け出しながら、得物を命を刈り取る形へと変形させる。ただただ真っ直ぐに半狂乱になって暴れる九尾狐を見据え、有効打となる一撃を叩き込む場所を見定めた。
『――シルバー、愛してる』
不意に、愛しき人の声が脳裏に蘇る。脳裏に焼き付いた声が、姿が、何度も交わした言葉が、シルヴィオの足を加速させた。
「ヴィオさん!」
「シルヴィオ隊長!」
上手く着地したらしいジェノと、投げナイフで牽制していたバレッタが叫ぶのも同時であった。その二人の言葉は、まるでシルヴィオを鼓舞する様に注がれる。苦楽を共にし、ここまで共に戦ってきた二人の声は、シルヴィオが駆ける原動力へと変わった。
「――はぁあぁあああぁぁぁああッッ!」
シルヴィオは沢山の想いを込めた雄叫びを上げて、高く高く跳躍した。
その瞬間、背後から夕陽が差し込む。
それはかつて、妻と笑いあった幸せな時間に差し込んでいた物と同じであった。彼女と笑いあった時と同じ場所で、彼女を喪った時と同じ場所で、夕日はまるで背中を押す様にシルヴィオを照らし出す。
『シルバー』
もう一度だけ、愛しい彼女の声が蘇る。
『――貴方なら、大丈夫』
耳元で、懐かしい声がそう言った気がした。紫紺の瞳が震えて、溢れた雫が一つ風に流されていく。
振りかぶった大鎌は、全てを包み込む夕陽と全てを凍てつかせる
取り乱している九尾狐の、残されたもう片方の目に、金銀に染む刃が映り込む。膨大な呪力が込められて、銀の焔は更に激しく燃え上がっていく。
「――これで、終わりです!」
シルヴィオは高らかに宣告した。そして、長年の呪いを断ち切るが如く、金銀に染まる愛機を振り下ろす。瞬間九尾狐の鮮血が舞って、その身体は銀の焔に包まれた。
『ギ、ァアアァ――――――――!』
天を裂く様な断末魔。九尾狐は高く高く
やがて最期まで残されていた頭部までもが消え、完全に九尾狐の姿は無くなる。支えを失った蒼穹が落ちてくる音が聞こえた。
『――大型の反応、消滅……っ! ……やった、やったで! 大勝利やぁぁああっ!』
一瞬の静寂の後、アヤメが興奮した様に叫んだ。バレッタがそれに同調する様に歓声を上げる。ジェノは安堵した様にその場に座り込み、疲れたと言わんばかりに空を仰いだ。
「――レイラ」
その様子を見守っていたシルヴィオは、その場で静かに呟いて、黙祷する。背に当たる夕日がとても暖かく感じた。長い間心の中に閉じ込めていた優しい記憶が次々と脳裏に蘇って、ただ静かにシルヴィオの頬を雫が伝っていく。
「やっと……やっと、終わりましたよ……」
ここに九尾狐は討たれた。もう、何かを憎む必要など無いのである。
シルヴィオはとめどなく涙を流しながら、今まで見せた事の無い様な柔らかい笑みを浮かべた。復讐鬼はようやくその役目をここで終えて、憎しみは剥がれて零れ落ちていく。
「……さぁ、帰りましょうか、皆さん。帰ったらすぐに、温かい紅茶を入れますので!」
夕陽が差し込む中、シルヴィオは憑き物が落ちた様な笑顔で二人を振り返った。それは今までの様な憂いを帯びた笑みなどではなく、心の底から喜びを噛み締めているような笑顔。
ようやく、シルヴィオの時間は前に進み始めたのだ。何よりも愛しい人の記憶と、何よりも大切な仲間と共に。
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