EP05 軍律違反

「――っ! 大型種に交戦反応有り!」


 不意に、幾つものモニターを呆然と見守っていたアヤメが引きつった声で叫んだ。ジェノも慌ててモニターを見れば、『UNKNOWN』と表示された大きなマーカーは交戦状態を示す赤だった。


「これ、って……」


 その様子に釘付けになったジェノは、ただ呆然と呟いて、それからまるで縋る様な目でダグラスを仰ぎ見る。


「アイツ……っ!」


 再び鈍い打撃音が響く。ダグラスはジェノの言葉に答える代わりに、歯切りと憤慨の表情を残した。

 その表情が、シルヴィオが待機命令を破り、たった一人で出撃したという事を物語っている。恐らく今までの話を踏まえれば、そう考えるのが妥当であった。


「どう、しよう……隊長が……っ!」


 その瞬間、バレッタの琥珀色の瞳へ見る見るうちに涙が溜まって、静かに零れていく。それに気が付いたアヤメが、バレッタの不安を和らげる様に彼女の手を取った。


「アヤメさん……オペレーションをお願いします。――俺は、ヴィオさんを助けに行きます」


 そんな中、一人考え込んでいたジェノは一度深呼吸をして、それから覚悟を決めた様に言い放った。その言葉にアヤメはギョッとして彼を見つめる。


「ジェノ君……それは」


「軍律違反……でしょ。そんな事とっくに分かってます! でもヴィオさんを助けられるなら、俺は懲罰でも除名でも受け入れるつもりです。だって、約束したんです、俺……『困った時は助け合う』って!」


 ジェノは、顔色を青白く染めたアヤメの言葉を遮りながら、感情を顕に言い切った。その瞳には揺らぐ事の無い絶対的な決意が宿っている。

 困った時は助け合う事――交わした約束が脳裏を駆け巡っていた。きっと今こそ、その約束を果たす時なのだろう。


「……わ、私も行きます……っ! 私だけ見守ってるだなんて事、絶っ対に出来ません!」


 その言葉にハッとしたのか、目を乱暴に擦り涙を拭ったバレッタも、真剣な表情で賛同した。彼女も同じく覚悟を決めた様だ。


「……んもぅ、しゃあないなぁ! ウチも付き合ったる――……」


「――っ!? え、エデン南西部に多数のオニの反応有り!」


 その瞬間、唐突にオペレーションルーム中の機械達が鳴り始め、一人のオペレーターの声に再びアヤメの言葉は遮られた。

 鳴っているのは異変を示す警報。その場に居た全員が何事かと顔を上げ、エデン周辺の様子を表す中央モニターを仰ぎ見る。

 そして、叫んだオペレーターの言葉に呼応するが如く、エデン南西部周辺に突如降り出した雨の跡の様な沢山の反応が現れ始めた。


「なっ……!」


「……各位へ通達。エデン南西部周辺に、多数の歪みとオニの反応――百鬼夜行を観測しました。現在より進行中の大型種討伐計画を放棄、全勢力で制圧に当たる事を提案します」


 面食らう全員を他所に、室長らしき女性の冷静な声がオペレーター室に落とされた。恐らく、これは全館放送なのだろう。彼女の言葉の後に一瞬訪れた静寂は、一気に各隊へ連絡を始めるオペレーター達の声に食い破られた。


「クソッ! 何でこんな時に……っ!」


 ようやくシルヴィオを助けに行ける。そう思っていた矢先の出来事に、ジェノは固く握った拳を台に叩き付けながら怒りの感情を吐き捨てた。その様子を見ていたアヤメは、力強く拳を握ると、この場を取り仕切っている室長の元へと歩み寄る。


「アカツキ室長! あの、ちょっと話があるんですが……」


 それは、今この瞬間出撃権限の全てを仕切る室長――アカツキに交渉するためだ。アヤメは藁にもすがる思いで、少し高い位置に居るアカツキを静かに見上げる。


「……先程までの一連の流れは聞いていました。残念ですが、許可出来ません。貴女方もいち早く百鬼夜行の制圧に当たる事を推奨します、アヤメ」


 しかし、アカツキの態度に取り付く島は無い。彼女は冷然とした態度で、ただ淡々と機械的にシルヴィオの救出任務の依頼を却下した。


「……っ! せ、せやけど……」


「例外は認められません。これは室長命令です。現在、オーミーン全指揮権は、であるアカツキにあります」


 なおも食下がるアヤメに、アカツキは「室長命令だ」と権威を振りかざす。その一連の会話の間、アカツキがアヤメを見る事は一度も無かった。

 流石のアヤメも、室長命令だと言われてしまえば食いさがれない。彼女は一言も言い返す事が出来ず、悔しそうに唇を噛み締めた。


 そんな、明らかにこちら側が不利な戦いに水を差す人物が一人。


「――おい、アカツキ。そいつらを通してやれ」


 それはダグラスだった。彼の声を聞いて、ようやくアカツキはこちらに視線を向ける。


「貴方は……ダグラス? どうしてここに……。お言葉ですが、その提案は却下します。現在優先されるべきは百鬼夜行の制圧です」


 そうして、一瞬ハッとした様に目を見開き、ダグラスの事を「元部隊長」という称号で呼ぶ。口の中で転がされる様に呼ぶ事になった名前への驚きはやがて解けて、アカツキは再び機械的に提案を却下した。


「チッ……ならそっちは俺が行く。お前なら……ましてや俺の実力も知ってんだろ」


 何やらアカツキと知り合いらしいダグラスは、その名を冠するが如く暁の瞳を真っ直ぐ見据えて、に呼びかける。


「提案を却下します。防衛部隊、または総帥直属部隊以外の大型討伐への出撃許可は――……」


 対するアカツキは、アヤメの時と同じ反応。だが、機械的に切り捨てようとするアカツキの言葉は途中で止まった。彼女はそのまま口を噤むと、耳元のヘッドセットに手を当てる。


「……任務が更新されました。アカツキは只今よりダグラス元部隊長と口喧嘩を開始致します。ですので各位、その仲裁または引き続き各隊へのオペレーションを続ける事を提案します」


 そうして、変わらずの無表情でアカツキが口にしたのはそんな言葉だった。彼女だけは無表情であったが、「了解」と返事をするオペレーター達の口元には笑みが浮かんでいる。


「そ、それって……!」


「アカツキは現在口喧嘩に集中しています。その為、今この場で何処かの小隊が出撃しようと、アカツキの与り知る所ではありません」


 差し込んだ僅かな希望に、アヤメは顔を上げた。アカツキは白々しく突き放して答えないが、恐らくアカツキのが彼女にそうするよう指示したのだろう。


「ハッ、上等だ。その口喧嘩受けてやるよ。――百鬼夜行を制圧した後でな」


 そう力強く笑い飛ばすダグラスの風体はまさに鬼神。彼は現役であった頃とそう変わらないであろうオーラを纏いながら、中央モニターの点描を睨み付けた。


「……いいんすか、ダグさん。その足……」


「フン、テメェに心配される程落ちぶれちゃいねぇさ。分かったらテメェらはさっさと行け! 銀嶺あのバカがくたばっちまう前にな!」


 ダグラスはジェノの心配を鼻で笑って一蹴すると、今度こそ早く行けと顎でしゃくって指示をした。いつもと変わらぬ憎まれ口。それが、ジェノにとっては有難かった。


「オペレーションはウチに任せとき! 困った時は助け合う事、やろ? こうなったらもうトコトン付き合ったるわ!」


 そうしてアヤメもいつもの様に笑って、オペレーションは任せろと胸を叩く。頼り甲斐のある二人のその言葉に、ジェノはしっかりと頷いて、バレッタは涙声で返事をした。


「――ジェノ、銀嶺に会ったら伝えとけ。これで、ってな」


 二人が駆け出すその瞬間に、ダグラスがたった一言だけジェノに託す。それは、いつものふてぶてしい皮肉では無く、何か別の意味合いを孕んだ言葉だった。


「……了解っすよ」


 ジェノはダグラスとシルヴィオに何のわだかまりがあるのか知らない。けれども、彼のその一言は何か重要な意味が含まれていると察して、目を見て静かに頷いた。


◈◈◈◈


「――はぁぁああぁああっ!」


 シルヴィオの雄叫びと共に、もう何度目か分からない一閃が舞う。しかし冷たい殺気を纏ったそれは、九尾狐きゅうびこの機械の表皮に微かな傷を付けるだけだった。


「くっ、埒が明きませんね……!」


 もう何度これを繰り返しただろう、シルヴィオは苛立った様に吐き捨てた。既に飛び出した時より日は高く高く昇っている。けれど、一向に終わりが見えてこない。無線もバイタルモニターも持たずに飛び出して来た彼は、相手の状態はおろか自分の状態すら分からないのであった。


「――――!」


 大地を揺るがす程の九尾狐の咆哮。それは相変わらず耳障りな機械音だったが、時折調子が悪いラジオの様に小さなノイズが混じっていた。どうやら、闇雲に繰り返していた攻撃は無駄では無かったらしい。


「――っ!」


 音の圧にシルヴィオが怯んだ瞬間、九尾狐の白い体躯が飛びかかってくる。彼は慌てて横に飛び退いたが一歩間に合わず、大狐の強靭な爪に左腕を深く切り裂かれてしまった。

 疲弊しているのはこちらも同じ。気付かぬ内に、身体強化も出来ない程に呪力が低下していたらしい。


「ぁ、づ……っ!」


 シルヴィオは腕に走った熱さに耐えつつ、残り僅かとなった回復錠を口へ放り込んだ。それを思い切り噛み砕けば、呪力低下による疲労がじわじわと回復していく様に感じられた。


『………………』


 九尾狐はギュルギュルと低い唸り声を上げシルヴィオを睨み付けているが、一向に飛びかかってくる様子は無い。ただ全身の回路を赤く点滅させ、荒い息を吐いていた。


(今――!)


 相手が疲れていると踏んだシルヴィオは、今が好機と言わんばかりに一歩を踏み出した。


「――――ぁ」


 しかし、駆け出そうとしたその瞬間目の前が白く飛んで、彼はガクンと膝をついた。回復錠に血液不足までをも治す効果は無い。あまりにも血を流しすぎたのだろうか、頭の中まで真っ白になる様に感じた。


 そんな白んだ世界の中で、九尾狐が動いた気配がした。相手もこれを絶好の機会だと踏んだのだろう。この一瞬の隙で、シルヴィオは狩る側から狩られる側へと落とされてしまったのだった。


(――レイラ)


 そんな時でも、白く染まったシルヴィオの脳裏に浮かぶのは、最愛の妻の姿であった。


「ごめん、なさ――……」


 徐々に白んでいた視界が戻る。目の前には、今まで幾人も葬ってきたであろう九尾狐の得物つめ。それはまるで、シルヴィオが妻を失った時の再演だ。


 死が眼前に迫る。

 喉から掠れた音が鳴った。

 あの時の様に足は動かなかった。


 また、同じだった。

 急激に距離を詰めてきた死の気配に、シルヴィオはまた為す術が無かったのだ。


 だからそっと、激しい後悔と共に目を閉じて、命の灯火が消される瞬間を、ただ静かに待って――。


「――シルヴィオ隊長からっ! 離れなさぁぁあぁあいっっ!」


 けれども、突如聞こえた、聞こえる筈のない少女の声と、すぐ傍に現れた気配がそれを許してくれない。それは、数時間前まで聞いていた筈の懐かしい声だった。

 何かが風を切り裂く音がして、死の気配は甲高い機械音と共に遠のいていく。


「バレッタちゃん、退いて下さいッ!」


 そうして、聞こえる筈の無い声がもう一つ。シルヴィオは目を開けた。色が戻っていく世界の中、一人の少年が九尾狐を穿うがたんと落ちてくる。それは、もう何年も見続けていた少年の姿だ。


「……チッ、掠っただけすか」


 少年の殺気に気付いた九尾狐は、傷付いた体を引きずる様にして後退する。それにより少年の攻撃は鼻先にしか当たらず、彼は忌々しそうに舌打ちを残した。


「――どう、して……」


 思わず零れたシルヴィオの問いに、少年も少女も答えない。ただただボロボロになった隊長を守る様に、彼の前に立ちはだかるのみであった。


「ほら隊長、立って下さい。――反撃の時間は、ここからっすよ」


 そうして、挑発的な笑みを浮かべて振り返った少年――ジェノは真っ直ぐシルヴィオを見据えて言い放ったのであった。

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