【断章】『銀嶺』Ⅰ 光明の少年

「――シルバー!」


 まるで絹の様な金髪が翻り、愛する者だけが呼ぶ事を許されたシルヴィオの渾名を呼ぶ。

 夕陽ゆうようが射し込む美しい花畑。愛しい人は人懐こい笑顔を浮かべながらシルヴィオへと手を伸ばした。


「……レイラ」


 シルヴィオもそれに応え、その手をとった瞬間に世界は一変する。美しい花畑は焼け落ち、目の前の愛しい人はいつの間にか傷付き、血に塗れていた。彼女は口の端から鮮血を零しながら笑う。


「ごめんね、愛してる――……」



「――っ!」


 そんなをなぞる様な悪夢から飛び起きれば、時刻はおおよそ朝に分類される時間。朝日よりも先に目覚めたらしく、外にはまだ薄暗い世界が広がっていた。

 呼吸を整える為に手を当てた胸元で、小さく音を立てて二つの指輪が通されたネックレスがその身を躍らせる。シルヴィオは無言のままそれを握り締めて目を閉じ、遠く色褪せる事の無い記憶を思い出した。


 焼け落ちて行く美しい街。「逃げて」と遺して、もう二度とその美しい瞳に光を宿す事の無くなった愛しい人。当たり前に訪れると思っていた明日は来なかった。


『私が戦うのは、大切な人の為。――ただ、それだけです』


 昨日、シルヴィオが口にした言葉は何も間違っていない。戦い続けているのは大切な人の為。

 ただその真意が、と言うだけの事だ。


 決して忘れるはずも無い、血の様な回路が走った純白の体躯。幾人もの生命を奪っただろうあの強靭な爪で、愛しい人の命は華と散った。目を閉じるだけであの無機質な視線が蘇る。まるで、お前は無力だと突き付ける様な絶対的強者の瞳。


 ゆっくりと下を向けていた顔を上げる。昏い瞳に激情が宿った。そこに燃え盛っているのは復讐心の焔。それは普段、シルヴィオがおくびにも出さない感情だ。きっとそれは、もう六年以上の付き合いになるジェノですら知らないだろう。


「……準備をしなくては」


 不意にシルヴィオは頭を振ると、脳を支配していた考えを四散させた。何時もより起きる時間には少し早いが、仕方が無い。そう思って枕元に置いてあったデバイスを手に取れば、画面が点灯すると同時に一つの警告が表示された。


『【警告】「預言者」が大型発生の予兆を観測。明日以降、単独での任務はお控え下さい』


 それを黙読したシルヴィオの目が僅かに見開かれる。彼の頭には四散させたばかりの考えが帰って来ていた。逸る気持ちを抑えながら詳細を調べるが、警告以上の事はまだ何も出てこない。


「これは……アヤメさんに聞きに行くべき、ですね」


 シルヴィオは「預言者」と呼ばれている人物がアヤメの同僚――つまりオペレーターである事を知っていた。そしてまた、「隊員二人を危険に晒さない為に」と言えば警告以上の情報をくれる事も分かっている。勿論、その言葉に嘘は無い。その裏に、闇よりも暗い私情が隠されているだけで。


 そうと決まればシルヴィオの行動は早かった。あっという間にいつもの燕尾服を身に付けると、デバイスだけを持って自室の外に出る。


「――! そうだ、ジェノ君に朝食を作っておかなくては……」


 すれば、リビングと呼ぶべきスペースを挟んだ対角線に見えるもう一つの扉が目に入った。その部屋の主は勿論、同室であるジェノだ。まだ朝と呼ぶには早すぎる時間、恐らく夜更かし常習犯の彼は起きていないだろう。

 シルヴィオは少しだけ微笑むと、簡単な朝食と置き手紙を置いてからラウンジへと足を運ぶのであった。


◈◈◈◈


 正直、果たして復讐という行動が正しいのかと考えた事は何度もある。その度に私は「YES」と言う答えを何度も出してきた。

 恐らく、妻は復讐など全く望んでいないだろう。これが自分のエゴである事も理解していた。私は、あのオニへの復讐心を抱かなければ、生きる意味すら見いだせなかったのである。

 おかしな話だ。どうやら私は復讐相手に生かされているらしい。


「――やくそくね、絶対だよ」


 そんな暗澹あんたんとした世界に一筋の光を落とした少年が居た。幼いながらもオニをその視界に捕らえ、自分を守ってくれた兄の為に戦う力が欲しいと言っていた少年。

 正直、その時はその場限りの約束だと思っていた。たまたまそこに居たのが私であったから、力を手にする口実にされたのだと思っていた。だが、少年にとってはそうでは無かったらしい。



「お、にい、さんっ……!」


「――っ!?」


 背後から息も絶え絶えの声が聞こえるのと、服の裾が後ろに引っ張られる感覚が身体を襲ったのはほぼ同時だった。


「なん……!?」


 驚きで張り付いた喉では上手く発生出来ず、背後に現れた存在が何者か尋ねる事さえ出来なかった。転けそうになりながらも何とか踏みとどまり、慌てて身体の向きを変えれば、そこには肩で息をする少年の姿が。


「やっ……と見つけた! 探すの……大変だったんだけど……。て言うか、歩くの早すぎ……!」


 どうやら彼は私を見かけ、その背を追ってきたらしい。息を整えながら苦言を呈してくる少年には何処か見覚えがあった。だが、それがどの隊だかは皆目見当もつかない。普段サポートメンバーとして数々の隊を転々としている自身の記憶容量からは、彼と出会った隊をピンポイントで割り出す事は容易で無かった。


「君、は……」


 見た目通りの年齢であれば、恐らく十代前半。声も高く、敬語も使い慣れていない様にも見える。纏っているのはほぼ新品の制服。そんな見習いにも等しい少年が、一体どうして私に――。


「え……。お、お兄さん……約束、忘れたの?」


『――やくそくね、絶対だよ』


 瞬間、有り得ないとでも言いたげな少年の言葉が、いつか護送車の中で交わした言葉と重なった。


「――! あの時の!?」


 ようやく出会いの場を思い出し、素っ頓狂な叫び声を上げる私に、少年の不満げな視線が突き刺さる。


「すいません、まさか本気だったとは……」


 申し訳なさから、あまり弁明にならない弁明を重ねれば、少年は更に不機嫌そうな表情で私を見つめた。


「何それ。有り得ないんだけ……あ。兄貴に敬語使えって言われたんだった……」


 そのまま流れる様に不満を口にしていた少年だったが、不意に何かを口篭りながらその不満はしりすぼみになる。


「え……えっと……俺、ジェノ。ジェノ・ペラトナー……っす。もう十二になったか…………なりました、から。スクールも、ちゃんと入って……その……。だ、だから……その……約束……」


 少年――ジェノ君はたどたどしい敬語で自身の名を告げた。彼はその後、何やらもごもごと何かを恥ずかしげに言い淀む。恐らく、断片的に聞こえた単語から推測するに、「あの時の約束を果たしてくれ」と言いに来たのだろう。


「……ふふ、ジェノ君ですか。素敵な名前ですね。私はシルヴィオ・カトルーフォと申します。――君が守って下さった約束を、私が破る訳にはいきませんね。どうぞこれからよろしくお願いします」


 私は何だか微笑ましい気持ちになった。きっと、妻との間に子供が居たならばこんな気持ちだったのだろうか。


「――! はいっ!」


 誠心誠意を持って返した言葉に、ジェノ君は目を輝かせて頷く。あの瞬間だけは、オニへの憎悪が多少薄らいだ気がした。



 それから彼とは約束通り、私に余裕がある限りオニとの戦い方を享受した。ジェノ君は素質があったらしく、多少荒削りではある物のあっという間に私の教える技術を吸収していった。

 会った時には近況報告をするのが毎回のルーティーンになっており、彼からよく開発部にいるお兄さんの事を聞かされたものだ。ジェノ君はよく、お兄さんから貰ったという開発段階の呪視じゅしゴーグルに触れながら、「このまま強くなれれば兄の役に立てる」と嬉しそうに語っていたのを覚えている。


 それだけに、は大きな衝撃を落とした。

 それは、北部第八オアシス襲撃事件。オニ避けの結界のみを頼りにしている街――通称オアシスでは、悲惨だが稀にある事だった。

 問題はその先。見出しに躍った、『将来を期待されていた若き才能の芽、アリウス・ペラトナー落命』の文字。いつも聞かされていた、彼の兄だと瞬間的に理解した。


「――ジェノ君ッ!」


 前に一度お世話になった小隊長から彼が錯乱して医務室へ運ばれたと連絡を受け、駆け付けた私の目に入ったのはその瞳からあらゆる輝きを失ってしまったジェノ君だった。


「……ぁ」


 徐に顔を上げた彼と目が合う。かつて快晴の空の様だった瞳は、絶望と混乱と、そして恐怖に荒れ狂っていた。零された震える吐息が、見知った顔へ縋り付きたくなった様をありありと表している。


「ぅぃお、さん」


 掠れた声が私の名を呼ぶ。絶望の底に叩き落とされた彼は、救援を求める様に揺れる視線をこちらへ向けた。心的外傷を負った所為だろうか、その揺らぐ瞳から涙が落ちる事は無かった。


「ぉ、れ……どうしたら……」


「……っ!」


 非常に似ていると、そう思った。

 それは、レイラを喪ったばかりの私に。

 生きる意味を失って、途方に暮れて、己でさえも幸せになれない道を選ぶ事しか出来なった、私に。

 何故か、彼には同じ道を歩ませてはいけないと思った。何もせず、この目の前のたった十四歳の少年を暗い道へ迷い込ませてしまう事など、絶対に許される訳が無かった。


「――私の隊に、来ませんか?」


 だからだろうか。気が付いた時はそう口にしていた。私が数々の隊を転々としていたのは、復讐相手を探す為。そして、奴が現れた瞬間にその場に駆け付けて、自らそれを屠る為だ。

 私はそれらを全てかなぐり捨てて、絶望に沈む少年の手を取る事を選んでいた。



「――はん? ヴィオはーん? 聞いとります?」


 僅かに視線を落とし思い耽っていたシルヴィオは、訝しげに己の名を呼ぶアヤメの声にハッとして顔を上げた。


「――っ! すみません……少し、考え事を……」


 誤魔化す様に軽く微笑めば、目の前のアヤメの表情が心配から呆れに変わるのが見て取れた。


「もぉ、心配やから情報が欲しいっちゅーたんはヴィオはんやんか! 勿論心配なんも分かるけど、もうちょい気ぃしっかり持ちないな、隊長はん?」


「……ふふ。はい、すいません」


 ため息をつき、腰に手を当ててシルヴィオを叱る姿は何処か母親然としており、シルヴィオは吹き出しそうになりながらも頷いた。


「全く……えーっと、確か観測情報を――……」


『――オーミーン全職員に通達。預言者、及びレーダーが大型の発生を確認しました。現時刻より、一般部隊の出撃は本部の指示があるまで停止。防衛部隊及び、総帥直属部隊のみの出撃を許可します』


 突如、アヤメの呟きを緊急放送がかき消した。滅多に聞く事の無いただならぬ様子の放送。その内容にアヤメとシルヴィオだけでなく、その場にいた全ての人が動きを止め、緊張した面持ちでスピーカーを見上げた。


「なっ……!? っ、ちょ……すまん! ウチ戻るわ!」


 徐々に喧騒を取り戻す人々の様子に我に返ったのか、アヤメは謝罪と共に任務カウンターからオペレーター室へと引き上げていく。カウンター越しに覗く限り、オペレーター室にも嵐が訪れている様だった。


「……っ、こうしては居られません。とにかくジェノ君とバレッタさんに連絡を……」


『引き続き情報を提供します。発生地は西部第三オアシス跡地であり、また、発生した大型はネームド。その名は――……』


 シルヴィオは弾かれた様に顔を上げ、目を見開いた。その手から滑り落ちたデバイスが落ちる音は、有事に取り乱す人々の騒ぎ声に掻き消される。


「――――――」


 この緊張の糸が張り詰められざわめく空間に、静かにその場から走り去る一人の存在を気に止める者など誰もいるはずが無かった。

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