【断章】『荒業』Ⅰ やくそく

『高難易度任務、失敗か。派遣隊と連絡付かず。生存は絶望的』

『特殊騎士部隊所属、姫騎士隊ディーヴァ。新たに大型討伐任務を達成』

『開発部隊、新たな武具の開発を開始! 詳細は年内に発表模様』


 夜、自室内。寝転んだままのジェノの網膜を、緩やかなスピードで世の情勢が通り抜けていく。気を紛らわす為に開いたデバイスに映し出されるニュースはどれもつまらず、ただただ欠伸を誘うだけであった。


『もし今誰の為に戦っているのか分からないって言うなら、私達の事を思い出して下さい! 私達がジェノ先輩の戦う理由になります!』


『えぇ、そうですよ。困った時は助け合う為――その為に、私達と共に戦ってください、ジェノ君』


 そんな興味を惹かれないニュースに埋め尽くされる脳裏に、ふと昼間交わした会話が蘇った。今までシルヴィオとダグラスしか知らなかった、何処か遠い所に感じる己の過去の話。

 戦う理由であった兄――アリウスがいなくなり、戦う理由を見失っていたジェノを掬い上げてくれたその言葉達は、いつまでもジェノの中に残り続けていた。


「……戦う理由、か」


 呟きながら、ジェノの視線は鍵の付いた引き出しへと向けられる。そこに入っているのは、渡されてから一度も開ける事が出来ていないアリウスの遺書だ。

 ジェノはそっとベッドから這い出て、静かに鍵を開け、遺書に触れようと試みる。しかし、未だに兄がいなくなった事を認められないその手は震えていた。


「――っ!」


 思わず声にならない悲鳴を上げたジェノは、震える情けない手を見つめながら再び引き出しの鍵をかけた。静かにベッドへと腰掛け、やがてため息をつくと、そのまま後ろへと倒れ込んで片手を真っ直ぐに伸ばす。


「……ねぇ、兄ちゃん。俺……このままでいいのかな」


 そんな呟きは誰にも届かない。ジェノは伸ばした右手を何度か開閉させると、そっと脱力する様にその手で両目を塞いだ。


◈◈◈◈


 それは、俺が五歳の時の話だ。


「おとうさぁぁあん! おかあさぁぁあん!」


 雨の音が響く。それに共鳴する様に響いているのは、幼子――己の泣きじゃくる声。傘はさしていなかったが、雨には濡れていない。隣には傘を持って俯く兄がいたのだ。

 目の前には両親の墓。オニ除けの結界を突破したオニに襲われ、敢え無く落命したと聞かされた。そんな事を言われても、当然受け入れられるはずが無い。


「……ジェノ」


「にぃ、ちゃぁ……っ!」


 名を呼ばれ、泣きじゃくったまま兄に抱きつく。兄は服が汚れる事もお構い無しに、ただ泣き付く自分を強く抱き返した。肩を抱く手が、絞り出された声が、震えている。


「俺が……、絶対に守るからな。――約束だ」


 弟の前では絶対に泣くまいと涙を堪えていた兄は、そう固い覚悟を吐き出しながら一層強い力で泣きじゃくる自分を抱き締める。そんな兄の言葉に、自分はただただ泣きながら縋る他無かった。



「ジェノ! エデンに行くぞ!」


 それから六年後。誇らしげに胸を張った兄が告げてきたのは、そんな言葉だった。

 エデンと言うのは、たしかオニの脅威から逃れる事が出来る要塞都市の名だったはずだ。けれど、そこへ行くには対オニ組織であるオーミーンに入らなくてはならないと兄に教わった。

 でも兄は、戦う力も、ましてやオニを視る力ですら持たない。なのにどうして、急にそんなことを言い出したのだろう。


「……研究員としてな、スカウトを受けた」


 そんな全ての考えが顔に出ていたのだろう。俺が何かを問う前に、兄は小さく笑って答えた。優しく俺の頭を撫でる兄の表情に満ちているのは安堵。兄がずっと勉強を続けていた事を知っている。俺を安全なエデンへと連れて行く為に。

 でも、そんな兄になんと返事をしていいのか分からず、俺は曖昧に「ふぅん」と頷くだけであった。


 街から引っ越すのはすぐだった。とはいえ、二人暮しの俺達には荷物と言える荷物はほとんど無い。生活に必要な物と、それから両親の形見であるらしいピアスを大事に持って、エデンからきた迎えの護送車の元へ急ぐ。


「狭くてごめんねぇ。流石に大きな車は出せなくて……えぇと、アーリオ君……かな? 申し訳無いんだけど、急なスカウトだったから君は助手席の方で手続きをお願いしたくて……」


 迎えに来たらしいオーミーンの人は、小さな護送車しか用意出来なかった事を申し訳なさそうに謝っていた。大きな剣を担いだお姉さんは、手招きしながら兄を間違った名で呼ぶ。


「大丈夫っすよーっ! それと……俺の名前、アーリオって書いて、アリウスって読むんです! ……あ、そうだ、ちょっとすいません。――いいかジェノ、ちょっとの間このお兄さんの言う事をちゃーんと聞くんだぞ」


 兄が名前を読み間違えられるのはいつもの事だ。だから、なんて事ない様な声で返事をして、お姉さんの元へ向かおうとする。だが、すぐに振り返って、俺の頭を力強く撫でながら釘を指した。


「あら、そうだったのねぇ。ごめんなさい、これからよろしくね、アリウス君! ……それじゃあ後ろと弟君はお願いしますねぇ、銀嶺ぎんれいさん」


「えぇ、承知しました。お任せ下さいませ、隊長様」


 納得した様に何度も頷いているお姉さんは、後ろにいた男の人に声をかけた。見上げると首が痛くなるほど大きなお兄さんは、優しい声で返事をすると、護送車の後ろ側へと俺を呼び寄せる。

 これまで兄以外の人とあまり話してこなかった俺は少し警戒しながら、手招くお兄さんへ近寄った。お兄さんはじりじりと近寄る俺に嫌な顔一つせず、なんなら「どうぞ」と乗る手伝いまでしてくれる。

 何かしてもらった時には必ずお礼を言え、という兄の教えを守って絞り出した「ありがとう」は、掠れて上手く発音できなかった。


「ふふ、ちゃんと座らないと危ないですよ」


 車が発車してからしばらく、膝立ちで窓の外を眺めていた俺に優しい注意が飛んでくる。ハッとして、慌ててしっかり座り直すと、お兄さんはまるで自分の子供にする様に問うて来た。


「何か、面白い物でも見えましたか?」


 外に広がっていたのは、住んでいた街からも遠くに見えていた、大きな建物の死骸達。そんな物は見慣れているから興味は無い。俺が見ていたのは、そんな死骸の中で蠢く存在だった。

 流れていく風景に混じるそれに無言で指を向ければ、お兄さんの視線もそちらに向いて、何かに気が付いた様に報告をする。


「……! 隊長様、はぐれのオニです。どうかお気をつけて」


 多分、お兄さんが報告した相手は運転しているお姉さんだ。じっと膝を抱えながらその様子を観察していれば、視線に気付いたお兄さんがこちらに優しく笑いかけてくる。


「……君は、オニが視えるのですか?」


 お兄さんの問いかけに俺は小さく頷いた。じっと見ていた事がバレて恥ずかしく、目は合わせられない。


「……うん、みえるよ。でも、あれだいきらい。あれのせいで、父さんと母さんは死んじゃったから」


「そう、でしたか……。……そうですね、私もあれは嫌いです」


 その俺の態度はお兄さんの目にどう映ったのだろう。お兄さんは悲しそうな目をして、「だいきらい」という俺の言葉に同意する。お兄さんはずっと優しかったから、そんな事を言うのはなんか意外だった。


「……ねぇ、お兄さんはあれ、たおせるの?」


 お兄さんはそれきり黙り込んでしまった。何となく静かな空間が嫌で、ふと降って湧いた疑問をぶつけてみる。そうすれば、お兄さんはちょっとびっくりした様な顔をしてから、すぐにさっきみたいに笑った。


「えぇ、勿論ですよ。自慢ではありませんが、腕に覚えはございますので」


「ふぅん……」


 その答えはまたもや意外だった。だってお兄さんは、何だか虫も殺せ無さそうな顔をしていたからだ。現に、緊張で変な態度の俺にまで優しくしてくれているのである。


「……俺もあれたおせたら、にぃちゃんの役に立つ?」


 そんな失礼な考えを他所に、俺はオニという存在を知ってからずっと考えていた疑問を口にしてみた。何となく、兄には気恥ずかしくて聞けなかった疑問だ。


「そうですね、君のお兄さんは呪具開発の研究員としてスカウトされたと聞いています。なので、きっとオニが落命した際に落とす呪力結晶は確実に必要になると……あ。えぇと、その、答えだけ言うとするのであれば、とても役に立つと思いますよ」


 お兄さんは途中まで喋って、それから俺の不思議そうな表情を見て、自分が難しい事を言っている事に気が付いたらしい。慌てて少し考えると、すぐに簡潔に「役に立つ」と頷いた。


「――! じゃ……、じゃあお兄さん……俺にあれのたおし方おしえてよ。強いんでしょ?」


 その答えに心が踊った俺は、今までずっと抱えていた膝を下ろして前のめりになる。俺もオニを倒すことが出来ればきっと――兄を、守る事が出来るだろうから。


「えぇっ!? それは……えぇと……。……あ、君は……今いくつですか?」


 俺の反応は想定外だったらしい。お兄さんは素っ頓狂な声を上げて驚くと、また少しだけ黙り込む。それからまたすぐに、何かを思い出した様に問い掛けてきた。


「……? じゅういち、だけど……」


「なるほど……。それであれば、来年からスクールに通うといいですよ。あそこなら、オニとの戦い方をしっかり教えて下さいますから」


 訝しげな俺の答えを聞いたお兄さんは、まるでちょうど良かったとでも言うように笑う。エデンについては兄から散々聞かされていたが、そんな施設があるとは知らなかった。


「ふぅん……。てことは、お兄さんはおしえてくれないの?」


 理解はしたものの、何だか逃げられたと感じ納得いかなかった俺は、少し拗ねた様にそう尋ねる。すれば、お兄さんは罪悪感を覚えた様に呻き声を上げた。


「う……、そうですね……。授業の後、私に時間があれば可能だと思います。それで良ければ……」


「……! うん、いいよ。やくそくね、絶対だよ」


 歯切れの悪いお兄さんの言葉に、俺は嬉しくなって身を乗り出す。そのまま「やくそく」と小指を差し出せば、お兄さんは少し困った様に笑いながら、同じく小指をそっと絡めてくれた。


「ふふ……かしこまりました。約束です」


◈◈◈◈


「――――!」


 遠い記憶を回顧し、少し微睡んでいたジェノをデバイスのバイブが揺り起こす。


『【警告】「預言者」が大型発生の予兆を観測。明日以降、単独での任務はお控え下さい』


 慌てて掴んだデバイスに現れていたのはそんな表示。

 預言者と言うのは、大型のオニが現れる予兆を観測する事で大型の発生を予測する事が出来る特殊能力――その名も特異呪力を持つとされる存在だ。無論ジェノはその姿を目にした事は無い為、本当に存在しているのかは定かでは無い。

 だが、預言者が予測した大型の出現はこれまで百発百中。故にその実態が何であれど、この警告には従う必要があるのだ。


「大型……か」


 ジェノの様な一兵卒では、大型のオニは交戦許可が降りなければ戦う事すら許されない。そもそも大型は強大な力を持つと言われている。かないっこないだろう。


「……明日からの任務、全部取り消しになるだろうな」


 それはそれでやる事はあるけど、とジェノは一人ごちると、今度は完全にベッドの中に潜り込み、夢の中へと再び落ちていくのであった。

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