EP03 戦う理由
ジェノ達が帰ってきたのは隊員区画。普段、ジェノとシルヴィオが生活をしている部屋。バレッタの寝泊まりする部屋は別にあるのだが、日中はこうしてジェノ達の部屋に集まる事が多い。
「あの……、バレッタちゃんそれ全部一人で食べるつもりすか?」
そう呟くジェノの視線の先にあるのは大きなホールケーキ。バレッタが早速稼いだポイントと交換してきた、本日の御馳走でアフターヌーンティーの主役だ。勿論周りに大小様々な大きさのケーキが置かれているが、そのホールケーキだけは格別の大きさである。
「へ? もちろんですよっ! ……あ、ジェノ先輩も食べます?」
「いや別に……」
そんなホールのバターケーキを前に話を繰り広げていたジェノとバレッタの鼻腔を、不意に果実のような香りがくすぐった。
「お二人共、お待たせ致しました。本日の紅茶はダージリンですよ」
二人が香りにつられてその方向に顔を向ければ、そこには人数分の紅茶が置かれたトレイを持ったシルヴィオが立っていた。彼は音を立てないようにカップをテーブルの上に置くと、「どうぞ」と優しく微笑む。何でも彼の前職は執事であったらしく、その一挙一動が美しかった。
「わぁ、いい匂い! ありがとうございます隊長!」
バレッタは顔を綻ばせて礼を言うと、早速カップを持ち上げて薄いオレンジ色の紅茶を一口飲む。それだけで口いっぱいに爽やかな香りが広がり、バレッタは心底幸せそうな表情になった。彼女はその幸せが終わらぬ内に、既に切り分けられているバターケーキ一切れを皿に取り、その先端をフォークで刺して口へと運ぶ。
「はぁ……美味しい……っ! やっぱりこんなに美味しい物が食べられる瞬間こそ、オーミーンに入って良かったって思う瞬間ですよねぇ……!」
「えっ、もしかしてバレッタちゃん……美味しい物食べる為だけにオーミーンに入ったんすか?」
幸せを噛み締めるようにしみじみと述べるバレッタに対して、ジェノは小さく声をあげて驚いた様に問うた。配膳を終えたシルヴィオも表情を変えることなくジェノの横に座ったが、ジェノと同じ事を考えたのだろう。バレッタに向けられたその視線は、少し不思議がっている様だった。
「んなっ! そんな訳無いじゃないですかぁ! 美味しい物を食べたい気持ちは半分だけです!」
それを聞いたバレッタは慌てて口の中のバターケーキを飲み込むと、心外だと言う様な面持ちで反論した。ジェノが「半分はあるんすね」と茶化して見せれば、バレッタは「失礼ですよ!?」とむくれる。
「私がオーミーンに入ったのは! えっと……しょ、正直それ以外の道がなかったというか……? その、私……物心ついた時から既にここの養護施設に居たんです。なので、オーミーンに入る以外の道が考えられなくて……」
話し始めた勢いはあっという間に失速。バレッタは手にしていたフォークをまるで人差し指の様に当て、少し悩む様に小首を傾げる。同じく不思議そうな顔を続けるジェノとシルヴィオを他所に、バレッタが続けたのは幼い頃からオーミーンの養護施設に居たという事実だった。
「それこそ最初は、私なんかが隊士の皆さんみたいに――
途中言い淀む場面もあったが、最後にはそう言い切ったバレッタの表情には自信が満ち溢れていた。どうやらバレッタは養護施設でも十分な愛を受けて育った様だ。
「恩返し……そうすか」
ジェノは恩返しと聞いて小さく微笑んだ。優秀と言えど自身よりも幼い彼女が、暖かな理由で戦い続けているのを聞いて安心すると同時に嬉しくなったのだ。
「も、もう! なんか私ばっかり話しててなんだか恥ずかしいですよぉっ! こうなったらお二人の話も聞きたいです! お二人は、どうしてこのオーミーンで戦い続けてるんですか?」
暖かい目を向けられて恥ずかしくなったのか、バレッタは少し頬を染めながら今度は二人へ問い掛ける。その問いへの二人の反応は似通った物だった。
問われた二人は目を丸くし、同時に顔を合わせると、もう一度キョトンとしたままバレッタを見つめ返した。
「えっ、な、なんですか? 私、変な事言っちゃいま――っ! あ、その、話せない事があるなら全然話してもらわなくてもいいんですけど……!」
二人に同じ反応をされたバレッタは、自身の発言に何か問題があったのかと身構える。だが、それも束の間ジェノは「あー」と気まずそうな声を上げた。
「そう、じゃ……なくてっすね。あの、正直俺が戦い続けてるのに、バレッタちゃんみたいな立派な理由は無くて……」
苦笑いと共にジェノは言い淀む。最初にバレッタを不純な動機だとからかったが故に、少々バツが悪いのだろう。
「あ、ほら、ヴィオさんとかなら……なんか、戦う理由……あるんじゃないすか?」
バレッタがその事に気が付く前に、ジェノは慌てて話をシルヴィオに振る。期待を込めて隣を仰ぎみれば、シルヴィオは何かを悩んでいる様にも見えた。
「私……、ですか」
彼は二人分の期待の視線を受け僅かに瞠目すると、小さく呟いた後に僅かに押し黙る。だが、その口元もいつもの微笑みに染められ、すぐに開かれた。
「そうですね、私の戦う理由はとても在り来りな物になってしまいますが……」
彼はそこで一度言葉を切ると、笑みに染められたままの口元に優しく触れる。しかし、何処か遠くを眺むその瞳は何処か寂しそうだ。
「私が戦うのは、大切な人の為。――ただ、それだけです」
そうして、シルヴィオが口にしたのはそんな理由。彼が言い終わるや否や、尊敬と感動が入り交じったバレッタの嘆息がこぼれ落ちた。
「わぁっ……! すっごくカッコイイです隊長! 素敵……憧れちゃいます〜っ!」
バレッタは毎日戦場を駆ける戦士と言えど、たった十五歳の少女だ。つまり、この手の話は大好物。彼女は黄色い歓声を上げると、琥珀色の瞳を輝かせてうっとりとした表情を作った。
「……そうだと、いいのですが」
そんなバレッタを他所に、シルヴィオは困った様に微笑む。その表情は何処か痛切な感情を纏っている様にも見え、ジェノは僅かに違和感を覚えた。
「そ〜れ〜で〜、結局、先輩は教えてくれないんですか?」
だが、その表情の真意を確かめる前に、バレッタの追撃を喰らってしまい、ジェノはシルヴィオから視線を外す事を余儀なくされる。
「え!? あー……、はは、その……。えーっと……俺が、戦い続けてるのは……本当に、何となく、というか……」
焦りからか、僅かに声が上擦る。誤魔化す様な空笑いが虚しく響いた。「何となく」と動かした口内はカラカラに乾いていて、無意識のうちに唾を飲み込むが意味は無い。
「何となく?」
首を傾げるバレッタの反応は順当だ。しかし、彼女が向ける視線には侮蔑などの負の感情は一切含まれておらず、ただ純粋な疑問を抱いている様に見える。
「っ……、……本当、は、兄貴の為、だったんす」
その、純粋に問う様な視線に耐え切れず、ジェノはポツリと零す様に呟いた。無意識下に触れたのは、首に下げた紫色のゴーグル。
それは、現在常用化がされ始めている
「小さい頃に両親が亡くなって、それで、ずっと俺を育ててくれた兄貴……その、研究員だったんで、戦えたら兄貴の役に立てるかな、って……」
その研究員は、自らに遺されたはずのたった一人の家族で。
「でも、兄貴は……その、もう、居なくて……。だから、俺が戦う理由は……もう何処にも無いんです」
だが、その遺された唯一の家族ですら、ジェノにはもう遺されていない。
戦う理由は無いと呟く声が震えた。しかし、不思議と涙は溢れてこない。兄を亡くした三年前に涙は枯れきってしまったみたいだ。
ジェノは、三年前から、泣きたくても泣く事は一切出来なくなった。
「けど、俺はオニの事視えるし、戦えるし……、逆に辞める理由も見つからなくて……。それで、ここまで来ちゃったというか、なんというか……」
何とか震える声を誤魔化そうと、無理矢理吊り上げた口元は歪な笑顔を型どった。ゴーグルを掴む手に力が入る。まるで、自分は惨めだと言わんばかりに。
「先、輩……」
バレッタの声色に混じるのは、驚愕と、心配と、そして、どうしてこんな事を聞いてしまったのだろうと言う後悔。「大丈夫だ」と言いたくても、乾いた口は一向にその言葉を吐き出そうとしなかった。
「……私は、十分だと思いますよ」
そんな重い静寂を切り裂いたのは、シルヴィオの柔らかな声。
「――――!」
「例え、お兄さんがもういなくても……オニが視えるから、戦い方を知っているから――守る力があるから。だから今もずっと、戦い続けている。ジェノ君の話は、こう捉える事も出来ます」
シルヴィオは、驚いて顔を上げたジェノの目を真っ直ぐと見つめながら、まるで諭す様に言葉を並べていく。それは、今のジェノの在り方の全てを肯定する物。
「ヴィオさん……」
「――! そうですよ先輩! 戦いたくても、戦う術を持たない人だっている……だから、先輩はそんな人達の為に戦う! 私もそれでいいと思います!」
そんなシルヴィオの言葉にハッとしたバレッタは、何度も何度も力強く頷きながら、同じくジェノの在り方を肯定する。
「バレッタちゃんも……」
「それに、もし今誰の為に戦っているのか分からないって言うなら、私達の事を思い出して下さい! 私達がジェノ先輩の戦う理由になりますからっ!」
「えぇ、そうですよ。困った時は助け合う為――その為に、私達と共に戦ってください、ジェノ君」
一生懸命な後輩と、優しい隊長は共に微笑む。戦う理由が見つからないのであれば、自分達が理由になるからと。
「――っ! ……はは、ありがとうございます。お陰で、なんか……ちょっとだけ分かった気がします。――俺が、戦い続ける理由」
あまりにも真っ直ぐで、懸命で、頼もしい理由に少しだけ吹き出して、ジェノは頷いた。二人が戦い続ける理由になってくれるのならば、このまま守る為に戦うのも悪くないと思えたのだ。
「ふふ、それは何よりです。困った時は何時でも言ってくださいね? 約束ですよ」
全員がより強固になった絆を感じる中、シルヴィオはそう言って優しく笑った。
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