第6話 ひとりかくれんぼ ―完遂―

「これが最後ノちャンスだ」

「今なラ、家族にもどれるノニ」

 ――ハヤク出てコい



「……はい、せんせい」


 ふすまに手をかけ、誘われるまま身を動かす。


 指に力を入れるその刹那、高野は何かに腕を引かれ、ぐらりと身体が後ろに傾いた。ぼんやりとしたまま振り返るが、そこには誰もいなかった。その代わりに、高野は自分の右手の下に何かがあることに気が付いた。

(……? これ、って)


 そこにあったものは、万年筆だった。群青色の本体に、文字が白く彫られている。高野は万年筆を手に取り、じっと目を細めた。


「英語……、うぃー、あー、ゆあ……」

 高野は無意識のうちに、万年筆に彫られている文字を呟く。単語を読みあげるにつれ、霞がかっていた思考が、どんどんクリアになっていった。そして、

「……サポーター」

 メッセージを読み切った高野は、目を大きく見開く。万年筆には、「We’re your supporter.」と書かれていた。


 その瞬間、パチリと瞬きをした高野は、先ほどとは違う意味で声を上げそうになりながら、万年筆を握り締めた。

(―――っ、あっぶなぁぁああ?! 先生らがあんな事言うわけないやん!!完っ全に幻聴やのにナチュラルに騙されかけたわ!! あーー、こっわ!!)


 お守りのように胸に抱える万年筆は、高野が施設を出て一人暮らしを始めるとき、お祝いに、と貰ったものだった。

 高野と一番関わりの深かった吉野という職員が、「私たちは、いつでも高野君の味方だからね。何かあったらいつでも帰っておいで」と、皆を代表して渡してくれたのだ。素直に喜ぶのは照れ臭く、その時は「おん、あざす……」としか言えなかったが、ここから出たら、改めてお礼を言いに施設に行こうと、高野は静かに心に決めたのだった。


 相変わらず、押し入れの外からは気味の悪い声が聞こえてくるが、その声はもう、「先生たち」のものには聞こえなかった。高野は身を小さくし、押し入れの壁に背をつけたまま『ひとりかくれんぼ』を続行した。恐怖心や不安で息が浅くなるが、その度に、手の中の万年筆が、自分を励ましてくれているように感じた。


 

 ふすまの外を睨み続けて、どれくらいたっただろうか。いつの間にか、「声」は聞こえなくなっていた。


 そして、


 ――ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン


 時計の音が5回鳴った。


 高野はホッと息をついた。これで、ルール通り2時間隠れきったことになる。『ひとりかくれんぼ』は終わったのだ。


 さて、ここからどうすればと思案していると、ふすまがひとりでに開いた。高野がそっと押し入れの外に出ると、そこには悔しそうな顔の「ひとりかくれんぼ」がいた。


「……おにーさんは、僕と一緒にいてくれないの?」

「すまんな、俺はここにはおられへん。帰るとこがあるからな」

「…………」


 目に涙をためながら、少年はすがるように高野に声をかける。

「行かないでよ、おにーさん……、僕、寂しいよ……」


 家全体が白く溶けるように消えていく。だんだんと周囲との境界線が曖昧になっていく少年へ、高野は苦笑いしながらも、『ひとりかくれんぼ』を終わらせるため、口を開いた。



「すまんな、『おれの勝ち』、や」



 パリン、と音を立てて、家も、少年も消えた。

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