林檎
利居 茉緒
林檎
部屋の中に、二人の男女が立っている。一人はラフな灰色のスーツに身を包み、もう一人は今からパーティーに向かうかのような、スワロフスキーを散りばめた真っ黒なドレスを纏っている。窓から入ってくる月光と、頭上のオレンジ色の照明を浴びながら、どちらも中央にある植木鉢の中身──つるりとした緑色の葉を茂らせる、一本の木を見つめていた。
一メートルほどの小さな木には、真っ赤に熟れた林檎が一つ、実をつけている。美しい表面は艶やかに光を反射し、目にするものに歯を立てた時の想像を掻き立てる。
「──これほどの実は初めて見たよ」
男は果実に目を奪われながら、わずかに口角を上げて言った。それに対して女は、なんとも妖艶にほほ笑んだ。
「そうでしょう?」
──人は皆、一粒の種を持って生まれてくる。産道から生れ落ち、産声を上げた時、それは脆いてのひらに固く握りしめられているか、あるいは小さな口の中に隠されているときもある。それはほとんどの場合、生後すぐに大切に両親の手によって植木鉢に埋められ、赤ん坊の成長とともに根を張っていく。そして物心がつくときには、特別な感情を抱く相手に花を咲かせ、甘露な実を宿す林檎の木となるのだ。
その木は一般的に、絆の象徴となる。感情の込められた至極の一玉。一度しか実らない特別な果実。子が成人した時、家族はそれを食しあい、永い間育まれた愛を確かめるものだ。
そしてそれは、ごく稀に血縁者以外にも実を成すことがある。
例えば、親愛。心からの友。一生ものの絆の証明。時に衝突し、笑いあい、小さな悪事の共犯者となる、純粋に相手を思う友情に。
あるいは、情愛。大切なパートナー。嫉妬や執着、歓びや恋を内包した、心臓を渦巻く深い愛情に、その木は応えることがある。
もしくは。
「これを僕にくれる、と?」
男は目の前に吊り下げられる鮮血色に、この行為のあまりの特別さに、ごくりと生唾を呑み込んだ。明かりを受けて、きらきらと磨かれた宝石のように輝く果実は、舌の上に広がる蜜の甘さや、鼻孔に広がる芳醇な香りを脳に錯覚させる。脳を蕩かすほどの危険な香りを纏ったそれは、かつて家族と交わしたものとは比にならないほどの魅力をもって、男の心を絡めとる。
「ええ、もちろん。貴方の為だけのものだから。」
熱に浮かされた男の声に、女はカイヤナイトの瞳を細めて応える。瞳孔には強い力が宿っており、彼女も男が果実に手を伸ばすのを渇望しているように見えた。
「さあ、早く」
どろりとした声が男の耳に入り込む。彼は衝動のままに実を摘んだ。
ぷつり。切り離された重みが手のひらに乗る。表面の油が皮膚を撫でる。そしてゆっくりと、果実を口へ近づける。女の視線は凶器となって、痛いほどに男に突き刺さった。
──がぶり。彼は歯を突き立てた。強烈な甘みが口内に広がった。濁った香りが鼻孔を穿った。次第にそれは痺れに変わり、熱に変わり、男のことを殺しにかかる。咄嗟に吐き出そうとして、それでも彼を追い立てるのは、甘くて危険な毒の味。
男は目を見開いた。臓腑が灼ける心地がして、脊髄に従うまま真っ赤な液体をこぼした。
女は笑った。真っ赤なルージュの唇をなめた。積年の憎悪が形となった林檎が、願望のままに彼女の仇敵を打ちのめすさまを見ながら。
林檎 利居 茉緒 @kakuyonu112
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