背後の気配は、ずっと夜の闇の中、薺のあとを追いかけてきた。

 薺は歩く速度をさらに早めた。

 雨はさっきまで以上に強くなった。……ざーっという強い雨の音が聞こえた。

 ふと、薺はその背後の気配の中に、ある一人の確固とした強いイメージを突然、その頭の中に思い浮かべた。

 それは薺のよく知っている『一人の女の子』の姿だった。

 その女の子は、小学五年生のときに薺をいじめていた、クラスのリーダー的な強い力を持った一人の小さな女の子だった。

 その闇の中に、薺は小学生のころに自分をいじめていたクラスの女の子の姿を思い出した。

 薺は別にそのときのことを今も気にしているわけではなかった。

 お互いに子供だったし、小学生のときならそういうことも(つまり、自分の感情をコントロールできないことも、あるいは正しいこと、間違っていることの判断など)あると思ったし、薺だって、完全に被害者というわけではなくて、きっと薺の気がつかないところで、その女の子のことや、かっこいい男の子のこと、あるいはもっとたくさんの誰かの心を知らないまま、傷つけていたのかもしれないのだから。

 でも、それでも時々、薺はその当時のことを夢に見た。

 その夢の中では、その女の子は楽しそうに笑って、じっと薺のことを、いつも遠くから、あるいは、ときにみんなの最前線に立ったりもして、……観察していた。

 その女の子の顔に、薺は心底恐怖をした。

 そして、眼が覚めると、薺はいつも、ベットの中で泣いていた。……私は弱い。弱い自分が悔しいと思った。(その女の子のことを憎んでいるわけではない。過去にいつまでも縛られている自分が悔しかったのだ)

 その女の子が、その闇夜の中にいるような気がした。

 そんなことはありえない。

 それはわかっている。

 ……でも、どうしても、そう思えて仕方がなかったのだ。

 薺はなんども、自分の背後を振り返ろうとした。でも、どうしても、(怖くて、怖くて)背後の闇を振り返って直視することができなかった。

 やがて、からん、となにか金属製の缶のようなものを誰かが蹴飛ばしたような音が聞こえた。

 その音を聞いて、薺の体はびくんと震えた。

 そんな薺を見て、誰かかどこがで、ふふ、と楽しそうに笑った気がした。

 その女の子は、(当時のままの姿だったから、それは現実には絶対にないことなのだけど)にっこりととても楽しそうに笑いながら、まるで当時のいじめられている薺のことを見ていた(観察していた)ときと同じ狡猾な蛇のような表情のままで、ずっと薺のことを背後からつけ狙うように(でも、薺とは絶対にある一定の距離を保ちながら)薺の背後の闇の中を雨の中、傘もささずに歩き続けていた。

 その女の子の悪魔のような微笑みに、薺は、……心底、恐怖をした。

 ざーっという強い雨の音が聞こえる。

 あまりの恐怖のために、薺は軽いパニック状態に陥った。薺はうまく自分の思考を続けることができなくなった。呼吸も荒くなって、手の先っぽが少しだけしびれていた。

 ……なんであの子のことを思い出したんだろう?

 薺はなんとか、それだけの思考をすることに成功する。(小学校のときのことを思い出したからだろうか?)

 ぴちゃぴちゃ、と背後で小さな足音がした。

 その足音は、まるで薺のありえない想像を裏付けるように、……大きな大人の人の足音ではなくて、小さな、小学生くらいの子供の歩く足音だった。

 ……ざーっと降る強い雨の中で、なぜかその音はとても鮮明に薺の耳に聞こえていた。

「……白瀬さん」

 その『女の子』の声を聞いたとき、薺は思わず大きな悲鳴をあげそうになった。

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