第5話

『次は、井倉町、井倉町~』


「――っ!?」


 独特なイントネーションのアナウンス。

 わたしははっとして飛び起きた。


 電車に乗っていて、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 顔を上げると、田園風景が終わり、町並みが目に入る。

 

 とたん、ぶわっと扇風ファンの乱暴な風がわたしの顔を撫でた。

 車内にはほかに数人の乗客がいた。みんな普通の服を着た人間だった。


 起きられてよかった。ここがわたしの降車駅だ。

 わたしは慌てて身支度を整え、立ち上がった。ところが予想以上の身軽さで、思わずつんのめってしまう。


 電車に乗るときにあんなに響いていた頭痛が、気付けばすっかり無くなっている。

 

 寝て治るということはあまり無いのだが、今回に限ってはとてもすっきりした。


 電車が減速し、井倉町駅の灰色の駅舎が目に入る。

 完全に停車すると、車掌が再びアナウンスをはじめた。そしてスキップ寸前の足取りで、わたしは電車を降りる。


「おやおや、本当にあれで済んだのか……?」

「まあまあ、そういうこともありますよ」


 去り際に、乗客がまばらな車内のどこかから、そんな声が聞こえてきた気がした。


 ◆◆◆


 通学定期券を取り出し、改札まで早足で歩く間、わたしは何気なく右の後頭部に触れてみた。


「あれ……?」


 不思議な感触がした。わたしは思わず立ち止まる。


 そこには、髪に小さな隙間が出来ていた。その根本と辿ってみると、つるりとした皮膚が指先に触れる。

 大きさからすると、恐らく――これはまさに、十円玉大のだった。十円どころか、五百円玉以上の大きさがあるかもしれない。


 頭痛緩和の民間療法のために毎日幾度となくマッサージしているので確信がある。昨日まではこんなところに十円のは無かった。


 わたしは不意に、寝ている間に見ていた夢を思い出す。頭痛を治す代わりに何かを奪われたという不思議な夢だった。


「……ふむ」


 わたしは納得して、再び歩き出す。

 たかだか半径数センチの髪の毛。これで頭痛が治ったのなら、安いもんだ。


 駅を出て、梅雨明けのからっとした晴れ間を見上げ、わたしは一人でにんまりと笑う。


 軽やかに家路につきながら、わたしは今度一度脳神経外科を受診しようと考えた。

 もしかしたら、CTスキャンすると右後頭部の中身がごっそり消えているかもしれない。

 あの噂好きな二人が言うように、ごっそり取られてしまっているかもしれない。

 それはそれで、面白いなあ。お医者さんがどんな反応をするか楽しみになってしまう。


 頭痛の種が無くなってしまった今、次のわたしの妄想は、『わたしが代償として何を奪われたか』という議題に移っていた。


 普通に考えれば恐いはずのことなのに、16年間の膿が抜けたわたしの気分は青空よりもさらに浮かれていた。


 そうだ、いっそのことお父さんもわたしと同じように悪い水を抜いてもらえばいいかも――

 と思ったところで、わたしは致命的な事実に思い当たって断念した。


 血が繋がっていて同じ体質だからこそ分かる、あの苦しみ。

 奇跡が期待できないのなら、仕方ない。こうなったらわたしがこれからめいっぱい優しくしてあげよう。


 そんなことを思いながら、わたしは弾む足取りで帰路についた。


 何せ私の父親は――悲しいことに、あの電車に乗ったとしても、私と同じ代償が――半径数センチ髪の毛が、払えないのだ。

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偏頭痛少女、すこしふしぎな電車に乗る もしくろ @mosikuro

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