第4話

 一瞬、眠っただろうか。


「――!!」


 わたしはがばりと身を起こし、そして、愕然とする。


「なに、ここ……」


 わたしの呟きが虚空に吸い込まれるように消えていく。

 起き上がってまず驚いたのは頭痛がしないことだった。


「……嘘でしょ」


 年に数度あるかないかというくらいの、すっきりとした目覚めの感覚。

 息をしても、首を動かしても痛くない。

 頭を傾けても、強くぶるぶると振っても、頭痛のズの字の気配すらしない。


「本当に、治ったの……?」


 呟いて、しばらくの間ぽかんとした後、ようやくわたしは周囲の様子に気がついた。

 そこは、わたしが乗っていたはずの若津線の車内ではなかった。

 同じ電車に見えるけれど、広告も無いし内装も違う。

 それに、やはり扇風ファンが無い。


 それよりも、さらに驚くべきものがあった。

 わたしは窓の外を愕然と眺めた。


「嘘でしょ」


 繰り返し呟く。


 電車から見える外の風景は、一見するといつもの路線の途中にある田園風景だった。しかし、眺めているとやがて異様なことに気づく。


 数秒間隔で、まったく同じ風景を繰り返している。


 電柱――電車の電線の場合は架線柱というのだったか――を抜けると穏やかな田圃が広がって、やがて次の架線柱がざっと通り抜ける。そしてまた、穏やかな田圃が広がる。

 次の架線柱の後も穏やかな田圃で、もちろんその次の架線柱の後も穏やかな田圃。


「繰り返してる……」


 果てしなく広い田圃があるのではない。まったく同じ田圃を何度も見せられている。

 あぜ道の奥にある小さなお社の鎮守の森や、そのずっと奥の山が何度も同じように現れて流れていく。


 同じ風景を延々と繰り返す電車。とうてい信じられない現象だった。けれど、わたしは存外にすんなりと、その状況を飲み込んでしまった。


 見えない人に頭痛を治してもらったという時点で、わたしの中で『不思議』が飽和してしまったのだ。


 先程まで――何年間もあんなにわたしを苦しめていた頭痛が、跡形もなく消えている。

 霧が晴れるどころか、海が真っ二つに割れたというくらいすっきりした。


 どうやっても治らない、科学や医学で解明できないわたしの偏頭痛は、わたしの中ではオカルトだとかオーパーツだとか、そういう世界にある謎と同レベルの存在だった。それが無くなってしまったのだ。もはやそれ以上に驚くべきことは無かった。


「わあわあ、あそこの子、願いを叶えてもらっちゃったみたいだぞ」

「ひいひい、どうなることやら……」


 少し遠くからそんなひそひそ声が聞こえてくるが、わたしはお構いなしに、外の光景に見入ってしまった。

 だが、そんな幻想的な時間は、急な減速で終わりを告げた。


 車輪がギイと軋みながら、電車が止まろうとしていた。


「さあさあ、何が代償になるでしょうな」

「うんうん、愉しみですな」


 やがて電車は完全に停止し、何も無いところでドアを開けた。

 ホームがあるようには見えなかった。開いたドアから見る光景も、やはり鎮守の森に臨む田園風景だった。


 まるで壊れた動画みたいだな。そんなことをぼんやり考えながらわたしが大人しく座っていると、何も無いところから見えない誰かが乗り込んできたらしく、こつこつと足音がして、そしてわたしの前で止まった。


「彼に願いを叶えて貰ったお代を頂きますよ」


 今度は女の人の声だった。


 ごくりと、見えない二人組が唾を飲み込んだ音が聞こえてくる。

 わたしからは見えないけれど、期待を込めたまなざしがこちらに刺さっている気がする。失礼な人達だ。人かどうかわからないけど。


「お代……」


 あの二人の話のとおり、わたしはこれから、頭痛を治したという代償を支払うことになるのだろう。


 話では、心臓を取られた人が居たとか。

 頭痛が無くなったことがあまりに嬉しくて、今のわたしは少し正気では無かった。何故か従容と、その女の人の声に頷いてしまったのだ。


 しかし……何が取られるのか。心臓か、命か。命の危機に際していろんなことが頭を巡るが、どれだけ脳を漁っても目の前の事象に対応できるような知識が全く存在しない。役に立たない走馬燈だ。


「何を……?」


 女の人の声はわたしの問いに応えなかった。


「じゃあ、これにしましょう」


 動き出すことができずじっとしていると、存外に近くで女の人の声がして、見えない何かがわたしの後頭部に触れた。

 ひんやりと冷たいその手は、わたしの頭の中に染み入ってくるようだった。


 その途端、急激に、眠くなった。


 わたしは思わず崩れるように鞄に突っ伏す。

 頭痛に耐えていた先程までと同じ体勢だけれど、気分は雲泥の差だった。今はふんわりとした心地よい眠気がわたしを包んでいる。


 冷たい何かは、するりとわたしの頭から離れていった。


「確かに、頂きましたわ」


 それと共に、見えない女の人の足音が、遠ざかっていく。先ほどの男の人と同じように、隣の車輌へと向かったようだった。


 わたしは眠気に身を任せた。とても気持ちよくて、幸せな気分だった。


「ぶうぶう、つまらない」

「いえいえ、きっとごっそり持ってかれたんですよ、中身を」

「さてさて、何を奪われたのやら」


 眠る直前、最後に聞いたのは、例の二人組の脳天気な声だった。

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