第3話
顔を上げて周りを見渡したいのに、襲い来る偏頭痛さんのおかげでどうにもならない。
突っ伏すというよりも、もはや蹲るような状態だ。
自分の外の状況に構っていられる余裕がまったく無い。顔の下に敷いていたフェイスタオルがずれて通学鞄の金具が頬に当たっているけれど、それを直す余裕すらない。
わたしは痛まない残りの頭――もちろん脳がそういうモノではないことは分かっているけれど――で必死に考えを巡らせる。
扇風ファンが無い。
姿の見えない二人組。
考えてみれば、先ほどから車掌によるアナウンスも無い。
電車の揺れは同じだし、座っているシートの材質も同じ。
――けれど、何かが決定的に違っているというのを、わたしは本能的に感じていた。頭痛がどんどん酷くなるのは、その警告なのかもしれない。
そんなとき、電車がゆったりと減速した。
左方向への慣性に耐えていると、やがて停車する。数秒後、プシュウという音でドアが開いたのが分かった。
やはり、車掌のアナウンスは無かった。
こつん、こつん。
また、新しい足音がした。
何者かがこの車輌に乗り込んできた。
わたしは思わず緊張で身を固くする。
顔を上げたい。上げたいのに、頭痛の他にも静かな恐怖がわたしの体を縛っていた。
きっと、顔をあげたら『何か』を見てしまう。
ゆったりとした足音は、よりによってわたしの前で止まる。
そして、足音の主は、すとんとわたしの横に腰を下ろした。それとほぼ同時に、ドアが閉まり、電車が滑るように動き出す。
「……」
痛みをおしてこっそりと横目で窺ってみると、やはり、何も居ない。
ただシートだけが僅かに沈んでいる。
二回目なので、驚きはそれほどではなかった。
何というか、あまりに酷い頭痛のせいで何でもアリな気分になっていた。痛みで幻覚を見ているのかもしれないし、気絶して夢を見ているのかもしれない。
「つらそうだね」
涼しげな男の人の声がした。きっと、隣の透明な誰かの声だ。
頭痛のせいか耳鳴りまでしているのに、その声は不思議とするりとわたしの耳に入ってきた。
「君の頭の右の方にね、悪い水が溜まってる。それを抜けば、楽になるよ」
「!」
わたしは思わず息をのむ。
いきなり電車で隣に座った見えない誰かが、頭痛を治してくれるという。
さっきの乗客二人が、代償がどうとか変なことを言っていた。
どう考えても、おかしい。やばい。
理性がものすごい勢いで警鐘を鳴らしている。固辞するべきだ。断るべきだ。逃げるべきだ。
――それなのに。
その人の言葉は、理性とか恐怖とか常識とか、そういうものをすべてぶち抜いて、わたしの芯を納得させてしまった。
頭の中に溜まっている、悪い水。
それは、わたしが昔から金持ちの出自だとかの代わりに夢見ていた、わたしの頭痛の真相の妄想と同じものだったからだ。
「じゃあ、治してください」
半ば自棄になっていたわたしは、そう言ってしまった。
声を出すだけでもごわんごわんと後頭部が痛む。
「それが、君の願いだね。叶えてあげるよ」
優しい男の声とともに、わたしの右の後頭部に、ふわりと温かい何かが載せられる。手のようだ。
直後、ぞわりとした。
全身に広がる怖気と共に、わたしの身体の中から後頭部を通じて何かが抜け出していった。
膿んだニキビを潰してしまうような、気持ち悪いのに気持ちいいという不思議な感覚だった。
「さて、終わったよ。お代は次の駅の人に払ってね」
その言葉を最後に、隣の誰かは立ち上がり、こつ、こつ、とゆったりとどこかに歩み去って行った。
どうも例の移動専用車両とやらにでも行ったのだろう。
遠くの方から、先程の二人組がヒイとかギャアとか言っているのが僅かに聞こえてきた。
顔を上げようとしたけれど、何かが出て行ったような虚脱感が強くて何もできずじまいだった。
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