1-09.「あなた……の、記憶……」


 

「こっち……」

 背の低い彼女は、その背丈には不似合いなほど大きな曲がりくねった木の杖を持ち、またいかにも『魔女』と云わんばかりのこれまた不似合いに大きな、黒いよれよれの三角帽子を被っていた。

 黒い。全身黒ずくめだ。真っ黒くろすけ、だ。

 帽子も、外套も黒いし、その下のローブも黒くて、目も髪も黒い。

 その黒髪は、丁寧に切り揃えられていた姉、外交官のマノンと真逆に、短めではあるが癖っ毛を適当に切ったような乱雑さで、大きくつり上がり、他のダークエルフよりも小さな黒目をした目の形と合わせ、なんとはなしに痩せた小さな黒猫のような印象だ。

 俺は既に服を着て後ろを追って歩いてはいるが、彼女……このケルアディード郷氏族長ナナイの妹であり呪術師でもあるガヤンが、一体何をしようとしているのか、どこに向かって居るのかすら分からない。

 不安か、というと確かにそういう気持ちもある。

 俺は、レイフが俺同様の転生者であるという一事で持って、この郷での安全を担保されているに過ぎない。

 しかもその事実は、俺とレイフの間だけの秘密。レイフ自身、親であるナナイや他の郷のダークエルフ達には明かしていないという。

 そんな流れでここに居座らさせて貰っている俺は、初日を除けば取り立てて危険な目にも遭っていない。

 その危険すら、やってきたナナイ達により俺自身が何をするでもなく解決してしまった。

 俺はただ混乱して怯えて転んでただけ。

 成り行き任せ人任せ、である。

 ある意味、危機感が麻痺していたとも言える。

 

 連れ立って歩いた先は、この郷の門の一つ。

 郷の周りは、ある場所は生木、ある場所は木柵や簡単な土壁などでぐるりと囲まれて居る。

 ダークエルフ達にとって、主な脅威はヒトの軍勢ではなく魔獣だ。

 その点で言えば、対攻城兵器であるとかの「策を弄してくる敵軍」よりも、魔獣、つまりは獣、害獣の侵入を防ぐ、阻害することを目的としたものが必要なわけで、強固に固める必要はあまり無いのだろう。

 その門の近くの櫓代わりの木の上には、本日の不寝番が居る。

 ガヤンは不寝番のダークエルフに声をかける。

 不寝番がそれを受けて仕掛けを操作すると、跳ね橋状の門を降りて排水路兼用の堀に橋がかかる。

 

 ガヤンはこちらを見て、無言で来るように促す。いや、促したように思えた。

 氏族長のナナイと真逆に、末妹のガヤンは口数が少ない。いや、少ないなんてレベルじゃない。ほぼ無言。

 最低限のことしか話さないし、そもそもその最低限ですら話しているか怪しい。

 なので、もともと鈍い方……だろうという自覚程度はある俺の方で、かなりあちらの伝えたいことを当てにいかないとならない。

 今も、視線を受け、右を観て、左を観て、ガヤンの目を観て、彼女の頷きに頷きを返して、右足を半歩前に出しかけて、もう一度ガヤンの目を観て……かーらーの、「近付く」である。

 近付きつつ観ていると、彼女はその身の丈には大きすぎる杖を振り回し……または杖に振り回されながら、何事か呪文らしき文言を唱えていた。

 杖の先、そしてその周りの空間から、じんわりと滲むように闇が渦を巻いて広がる。

 広がりだしたそれがあたかも質量のある漆黒の竜巻のようになったかと思うと、次の瞬間には霧散して、しかしそこには大きな獣のシルエットが起立していた。

「ぬわ!?」

 ちょうど目の前に現れたそれに驚いて、たたらを踏んだ俺は仰け反りつつバランスを崩す。

 それでも尻餅を着くことは危うく防いで踏みとどまるが、その異様なモノに視線は釘付けになっている。

 

 馬、の様でもあり、狼、の様でもある。

 大きさもまたちょうど、少し小さめの馬くらいだ。

 全身正に闇を凝縮して作られたかのように真っ黒で、光を一切反射していなかった。

 ゆらゆらと揺らぐ影のようでもあるが、全体の輪郭が滲んだ水彩画のように不明瞭なわりに、それはある種の生き物であるという確たる存在感も持っていた。

 ぶるる、と嘶きとも唸りともとれる声を出し、身体を揺らす。

 滲んだ顔は常に一定の形を見せないが、だいたいは馬の頭蓋骨のように見えた。

 そしてその、眼窩があったであろう空洞の奥だけが、ちらちらと燃える燠火のように光を放っている。

 

 それ、から目を離し、ガヤンを見る。

 ガヤンは慣れた様子でその馬らしきモノに跨がると、やはり此方を見返して、

「うしろ」

 とだけ言う。

「後ろに着いてきて」なのか、「後ろに乗りなさい」なのか。

 後者かなー? 多分後者なんだろーなー。

 変だなー、怖いなー、と思いながらもその馬らしきモノに恐る恐るで近付き手を伸ばすと……馬らしきモノの長い尾、または闇の渦の端が俺に巻き付き、そのままふわっと持ち上げて背に乗せる。

「ひゃぼっ、ほぐげへぇ!?」

 そんな感じのことを叫んだ気がするが、何を言い掛けてたのかは自分でも分からない。

 分からないまま、俺とガヤンを背に乗せたその闇の馬らしきモノは、ひとっ飛びに門を飛び越え、疾走した。

 ……開門させる必要無かったじゃん!!

 

 ◆ ◆ ◆

 

「サラマンダーより、ずっとはやい!!」

 という謎文言が頭にぐるぐる渦巻いてるが、実際本当に物凄い速度で森の中を疾走している。

 しかもそれは、崖も木々も岩場も全てを足場とし、滅茶苦茶な進路を飛ぶように走る。

 頭が揺れ、顎が揺れ、視線も揺れに揺れている。

 ケツが痛い……となりそうな暴れ馬っぷりながら、意外にも座っている尻の方には特に大きな衝撃はない。

 というか、明らかに座っているのに座っている感覚すらない。

 物体に座っているという感覚自体がないのだ。

 

 このときには勿論そんなことを考える余裕など無いが、後で聞いた話だとこの馬らしきモノは半霊的な召還獣で、所謂実体としての肉体が無い、幻獣というものなのだという。

 最初に出会った、岩のような鱗に覆われた化け物熊……ロックベアのような、何らかの魔力を身体に宿した“魔獣”とは、また異なる存在なのだとか。

 どうやって召喚したか? そう、魔法で、だ。

 これもまたこのときには全く気がついてなかったが、俺は「向こうの世界」基準で言うと、この世界に転生してきてから初めて本物の魔法を見たのだ。

 魔法、召喚、そして……魔法少女っ……!!

 いや、エルフだから実年齢すげえけど!

 しかし見た目的にはガチ魔法少女!!

 で、その見た目猫っぽい魔法少女の召喚した幻獣の背に乗せられて夜の森を疾走している。

 木々は深く、空の月や星々の光もさして届かない。

 感覚としてはまさに文字通りの闇の森。全く視界の効かないまま暗闇を行く。

 多分、何回か漏らしてた。

 

 どれほどの時間かなどまるで分からない。

 分からないが、ようやく止まったのはやはり暗い森の中。

 どしん、と尻から地面に落とされる。

 尻の痛みどころではなく、頭の中も、胃の中も見事にぐるんぐるんである。

 ぐるんぐるんのぐわんぐわんで、微妙な酸味が口の中を襲っているが、それは流石になんとか堪える。

 うむぐぐぐー、と堪えつつ見渡したこの場所。

 ここには、やや見覚えがあった。

 そうだ。最初に意識が戻った、小さな洞窟前の場所だ。

 何故ここに? その疑問の答えを欲して向ける視線に、俺をここへと連れてきた張本人は答えようという素振りはなく、辺りを見回し、杖を地面にぐりぐりと押し付けたり、肩に斜め掛けしていた鞄から何かを取り出したりと忙しい。

「あ~……」

 流石にどうしたものかと声をかけるが、しかし何をどう聞いたら良いものかも分からない。

 何してるの? 何でここに来たの? 君って呪術師だって聞いたけど、それって何をする仕事なの? ていうか何で俺を連れてきたの? これ別にフラグじゃないよね……?

 なんてなことがぐるぐる頭の中で渦巻いているが、それを適切な順番でどう聞けばよいモノか分からない。

 はは~ん、さては俺、思ってる以上に頭悪いな? というかコミュ力無い系か? うむ、納得できる。

「ここ」

 口を半開きにしてあわあわしてる俺に対して、真っ黒魔女っ子のガヤンは杖の先である場所を指し示す。

 地面に描かれた模様……魔法陣っぽく見えるもの……の中心だ。

 流石に俺も、躊躇する。

 嫌だな~、怖いな~。これ、もしかして俺を生け贄にして儀式か何かやるつもりなのかな~。呪術師ってもしかして、そういう事なのかな~、なんてことをまたぐるぐる。

 ぐるぐるの躊躇ので足踏みしていると、再び杖で地面を指し示す。

 覚悟を決めた……というより、有無を言わさぬ視線に押し負けて、俺はのっそりちょこんと、そのぐるぐる魔法陣の真ん中へと足を踏み入れ座る。

 

 杖を高く掲げ、いかにもという具合に詠唱を始める魔女っ子ガヤン。

 再び、先ほど同様に闇の細かな粒子が立ち上り渦を巻いているかのようであった。

 その渦は螺旋状の細い細い蛇のようになり、杖の動きに合わせてゆっくりと虚空を舞う。

 不気味で、それでいて不思議と幻想的で、美しくもある光景であった。

 もしひとりでこの光景に出くわすと言うようなことがあれば、間違い無く驚いて腰砕けになっていただろう。

 詠唱が大きく高くなり、ぶんと杖を回してから振り下ろすと、その切っ先が俺へと突きつけられる。

 刹那、のた打つ闇の蛇は高速で俺へと迫り来るや、鼻の穴から入り込んできた。

 

 ほぐわっ! と、またもや表音表記難易度の高い悲鳴を漏らすも、先ほどの幻獣同様物質としての質量は感じられない。

 それどころかそのまま鼻を通って頭蓋骨の内側へと広がり、脳みそを弄られているかの気味の悪い感覚が広がる。

 初めて味わう感覚。

 いや、それを言うなら「死んで異世界に転生する」ということもその一つだが、この感覚ばかりは他に類を見ないものに感じた。

 そして、頭の中を弄られると同時に、周りの風景も変化を始める。

 光が戻りはじめ、深夜の真っ暗な森が赤く染まる。

 夕方の光がどんどん明るくなり、太陽は頂点に戻り、それがまた沈みだして早朝から明け方、そして再びの深夜へ。

 俺と、魔女っ子ガヤンと、魔法陣。

 それ以外の全てが、あたかも動画の巻き戻しのように動いている。

 再び頂点に太陽が戻り、また夜へと。

 続けて戻り続けた風景の中に、見知ったーーーいや、体験していた場面が写り込む。

 そう、俺が此処で覚醒し、化け物熊に襲われて、ナナイたちに助けられた場面だ。

 そこでの、過去の俺を、魔女っ子ガヤンが杖で指し示す。

「あなた」

 意識が白熱し、途切れる。

 

 ◆ ◆ ◆

 

『ひとまず、ここまでだな。今日はキャンプだ。この中への探索は、明日からにしよう』

 鎧を身につけた男がそう告げる。

 場所は同じ。小さな洞窟の前で、時刻としては夕方くらいだろう。

 数人の男女が周りで荷を降ろし、辺りを整え野営の支度をする。

 一人の男が、手斧で切り株に切れ目を入れ、簡易コンロに仕立てる。

 俺、はそこに乾いた木屑などを落として火をつけると、鍋をかけた。

 横で、何事かを話し合っている。

 口調には緊張感、焦燥、そして怒りや悲しみが含まれており、やや口論めいてもいた。

『───大丈夫だ。妹さんはきっと見つかる』

『まだ死んだと決まったわけじゃない』

『彼等はしぶといさ。そう簡単にくたばるタマじゃない。そうだろ───』

 願い、だ。

 言い聞かせるように、窘めるように。

 しかしそれは、やはりただの願い───願望に過ぎない。

 そう。

 俺自身がまさに、その願望にすがって此処にいるのだから。

 

 何の? 何の願望だ?

 これは俺の過去に体験したこと。過去に観ていた場面そのものだ。

 しかし、ぼんやりとした夢うつつのようなそれは、まるで他人の見た夢を再体験しているみたいな非現実感がある。

 

 不意に、痛みが走る。

 矢だ。

 俺はこれを知っている。

 矢を受けて、俺はここで倒れる。

 毒による痺れで、身動きが出来なくなる。

 倒れた俺の視界の中で、仲間らしき数人が応戦している。

 髪の長い女が弓をつがえて撃ち返す。

 盾を持った大男がそれを庇い、別の一人は射掛けてきたであろう場所に灯りのついた光魔石の欠片を投げつけて、相手の位置を確認しようとする。

 それらを粉砕するかの様に、斧や棍棒を手にした大柄な者達が突進して来る。

 その姿はハッキリとは見定められない。

 光魔石のかすかな灯りの逆光でシルエットとしてしか見えず、俺の意識も覚束なく鳴り始めていた。

 数の力で盾の男が潰され、もう一人も吹き飛ばされる。

 辺りにさらに数人が躍り出て、女も礫を受けよろめいたところを、さらに殴られる。

 悲鳴や怒号も小さくなり、俺の意識はさらに白熱し遠のいて行く。

 

 遠吠え。

 血飛沫。

 怒声。

 血の味。

 肉の味。

 血。

 肉。

 臓物。

 血……。

 

 血の……。

 

 彼女の、血にまみれた姿。

 美しくも、儚く……そして崇高な……。

 

 ───戦乙女───。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 覚醒する。

 この前と同じ場所、同じ様な時間帯。

 けれども、違う。

 違うということを認識するのにやや時間が掛かった。

 覚醒したときには、むしろ先ほどの「過去を再体験していたとき」よりも、それらのが体験が現実的に思い出されて居た。

「あなた……の、記憶……」

 そこに居たことすら忘れていたダークエルフの呪術師、ガヤンがそう声をかけてくる。

 記憶。今のは俺の記憶だ。

 それも、「向こうの世界の」ではない。

「こちらの世界の」

 つまりこの、オークの追放者、ガンボン・グラー・ノロッドとしての、死の直前の記憶だ。

 魔法陣と、ガヤンにより召還されたらしき闇の蛇のようなモノは、俺の中にある失われた記憶を刺激し、呼び覚ますためのものだったのだろう。

 それが成功したのかそうでないのか。

 俺には分からない。

 分からないが、このオークの追放者たる俺は、何か大切なもの……存在を失い、そのために此処へとやってきていたのだ、と言うことが、改めて再認識される。

 そしてその「失った大切な何か」が何なのか、すら、未だに思い出せていないことも。

 膝を着いてへたり込んだ様な俺に、ガヤンが近づいてくる。

 小柄なガヤンは、それでもへたり込んだ俺より頭一つ高いくらいの背丈であった。

 彼女はただ無言でこちらを見ている。

 そしてそのまま、す、と両手を差し出してきたかと思うと、そのまま俺の頭を優しく抱えるようにして引き寄せてきた。

 声が洩れる。

 嗚咽。

 そのとき初めて、俺は自分が泣いていることに気付いた。

 何故泣いているのかすら、分かりもしないのに。

  

 

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