第一章 今週、気付いたこと。あのね、異世界転生とかよく言うけどさ。そんーなに楽でもねぇし!? そんなに都合良く無敵モードとかならねえから!?

1-01.「多分俺は死んだと思う」


 

 俺は多分死んだ。

 と、思う。

 と、思うというのは、どうも現時点で俺は「生きている」ようだからだ。

 その上で、「自分は死んだ」という記憶……いや、「感覚」がある。

 熱、痛み、驚き、恐怖……。

 明確な記憶と言うより、そういう曖昧で漠然とした、切れ切れのイメージのような、「死の記憶」。

 しかも───それが「二つ」もあるのだ。

 どういうことかよく分からない? いや、俺自身もよく分からん。 

 というか、現状自分で自分が何者なのかすらよく分からないのだ。


 目が覚めて、最初に感じたのは空気だ。

 夜の、少し湿り気のある冷たい空気。

 鼻腔には土と、木々と、そして血の匂い……。

 血……?


 咽せた。

 血が喉の奥に絡まっている。

 仰向けに寝ていた姿勢から起きあがり、二、三回嗚咽して、唾とともに吐き出す。

 口の中が切れて、鼻血も出ていた様だ。

 内臓とか喉の奥とかの血で無くて助かった、と言えるのか。

 何せ俺の「おぼろげな記憶」の中では、自分は既に死んでる筈なのだから。


 二つの「死の記憶」は、どちらも曖昧だ。

 一つは、森の中、洞窟の前。

 そこで俺は、野営の準備をしていたらしい。

 見回すと、確かにここは鬱蒼とした森の中で、少し離れた位置に小さな洞窟の入り口がある。

 つまりこの一つ目の「死の記憶」は、この場所でのもの、のように思える。


 目の前に、木の切り株を利用した簡易コンロがある。

 切り株に十字の切れ目を入れ、その切れ目に火種を入れて鍋を置くものだ。

 火種はちろちろと残っているが、鍋の方はちょっと見当たらない。


 自分が火をおこし、鍋をかけた。そんな気がする。

 何のため? 勿論飯を食うためだ。

 しかし多分、自分一人の分ではない。数人……そうだ、連れが居た。


 自分はここで、その数人の連れのための食事を用意していた。

 疲れていたのか、簡易コンロの火の暖かさもあり、うとうととしかけけていた。

 その最中、背後から“撃たれた”。


 刺すような鋭い痛み。肩口に受けたのは、経験から矢だと知る。

 立て続けに暗闇から放たれたそれは、辺りの木や地面などにも当たり地に落ちる。正確精密な射撃と言うより、やたらに撃ち込んでいる様だった。

 意識はこの時点ではまだ明瞭で、辺りを見回し様子を見つつ伏せようとする……が、身体がままならない。痺れ……いや、麻痺と言って良い。

 矢の先に麻痺毒が塗られていたのだ。

 この手の麻痺毒は、対象の大きさにより継続時間と効果が変わる。

 まだ対応出来る。出来るはず……と。


 思い出せるのはここまでだ。

 ここで、武器を手にした数名の集団に囲まれ……意識が無くなる。


 それから今に至る、ということは、助かったのか? とも考えられるが、自分の中にはそこで死んだのだという感覚がある。


 再び周りを見渡すと、木々や地面には焼け焦げたような跡もあり、また血もあたり一面に飛び散っている。

 さらには、自分とは異なる数人(?)の死骸……またはその痕跡まで目に入って来た。

 それまで、半ば呆然としたままの意識ではあったが、それらの生々しい「惨状」を認識し、何だか気分が悪くなる。


 嗚咽し、吐き戻しそうになりながら、再び記憶をまさぐる。

「もう一つ」の、死の記憶。


 ここではないどこか。

 今ではない何時か。

 薄暗い小さな部屋。

 ゴミやモノが散乱し、汚れて散らかった部屋の中。

 四角い小さな箱に向き合う自分。

 その箱の中の何かを凝視している自分。

 それらの曖昧な記憶の中にも、強い光、衝撃、音、熱……そして痛みと混乱と……死の認識。


 そう、「自分の部屋でPCに向き合っているときに、窓の外から轟音と強い光が差し込み、そのまま死に至る」という記憶があるのだ。

 PC? そう、PCだ。

 パーソナルコンピューター、パソコン。

 電子部品の組み合わせで作られ、様々なことが出来る“魔法の箱”。

 日本の、自分の汚い部屋の中で死んだ俺、と、この森の中で死んだ俺、という二つの記憶が自分の中にある。


 で、じゃあ肝心の「俺は誰か?」ということに関しては……解らない。


 俺は自分の部屋にいた。PCで何かの作業をしていた。そのとき外から、轟音と光があり、おそらくはそれが原因で死んだ。

 俺は集団の一人としてこの森で待機、叉はキャンプをしていたが、何者かに襲われて死んだ。


 どちらも曖昧で途切れ途切れの記憶の断片。

 だけれどもどちらも同等に、何か生々しい「自分の記憶」として残っているのだが、同時にどちらにも、何か自分のことではないような違和感もある。

「すごく感情移入しているお話だけど、やはりそれは自分自身のことではない」みたいな感じだ。


 惨状の現場から少し離れて、深く呼吸をする。

 状況含めて何もかも分からないが、とにかく死体の側には居たくなかったし、落ち着きたかった。

 いや、まあ、「気がついたら森の中で死体に囲まれ、自分自身の死んだ記憶が2つもある」なんてのに落ち着くも何もないのだが、死の記憶が生々しくもどこか現実味が無いのと同じく、この現状もどこかしら絵空事めいている。

 しばらく。しばらく自分の記憶と状況とをすりあわせていた。

 そうすることで、ここに至るまでの状況、二重の記憶の中で何があり何が足りないかとかを整理し、朧気な全体像が見えてきた。

 いや、「見えてきたような気がする」程度かな?


 一人の俺は、いわゆる引きこもりだ。

 たぐり寄せ探し出した記憶からは、そういう結論になる。

 長いことずっと部屋の中にいて、社会との接点はせいぜいネットだけ。

 友達も恋人も居ない。親ともまともに会話は無い。

 ただ食って、寝て、荒んだ生活の記憶。それしかない。

 もう一つの記憶ではどうか?

 記憶のかけらを集めてみると、所謂「傭兵」のような仕事をしていたらしい。

 しかも、銃を手にして戦地を駆け巡る、……というモノじゃない。

 剣や斧を持ち、鎧と盾で身を守る、中世ヨーロッパのそれに近い。

 どうも華々しくは無い。

 誰か、うっすらと覚えのあるような数人とのやりとりの記憶がある。

 あるが、それらの多くで、俺は小馬鹿にされ、嘲られ、見下されているようだった。

 多分、戦力として「弱かった」のではないかと思う。


 何だか情けない、という気持ちが沸いてくる。

 どちらの記憶も、惨めで悲惨だ。

 世間と隔絶して引きこもっている俺。

 中世ヨーロッパのようなところで、周りから蔑まれながら傭兵団の下っ端暮らしをしている俺。

 どこにも、「良いところ」が無い。


 いかん、涙が出そうだ……と、言うところで、ようやく内に向かっていた思考が途切れた。

 

 

 息遣いと咀嚼音。

 血と臓物の匂いに紛れる獣臭。

 気付けば辺りを囲む獣の数は数十を超えるか?

 いつから居たのか。単に俺が気付いてなかっただけか。

 獣……多分これは、狼だ。或いは狼に似た犬科の群れだ。

 それらの影が辺りをうろついている。

 狼そのものを観たことがあるかどうかは自分でも分らないが、血の匂いに誘われたのか、新鮮な死体というご馳走に舌鼓を打つその姿は、決して喜ばしいモノではない。

 彼らを……つまり今餌となっている彼らと、そして俺自身を……殺したのは多分この狼たちでは無いだろう。

 或いは襲撃者達を追い払って、“獲物の横取り”をしたのかもしれない。

 今現在、狼らしき獣たちには、こちらに襲いかかろうという気配はない。

 そりゃそうだ。労せず喰える新鮮な肉がゴロゴロしているのだから、死に損ない一人は後回しで構わない。

 しかし食い終わってなお満足できなかったら?

 ここにもう一つ死に損ないの……というか死んだはずが死んでない……餌が転がってる。


 自分が何者かすら分からない曖昧な意識のままだが、それでも本能的な危機感だけは無くしていないようだった。

 腰を浮かせて身構え、辺りを探る。

 このあたりの所作は、「引きこもりの俺」ではなく、下っ端とは言え「傭兵団に居た俺」の習い性か。

 慌てふためき半ばパニックになっている俺の意識と、それでもやや冷静に状況と対応策を考えている俺が居る。不思議な感覚だ。

 

 改めて。

 周囲を探ろうと伸ばした右手を見ると、意外にも野太く逞しい。

 筋肉質で脂肪が程良くついているようだ。いや、やや脂肪は多めかもしれない。

 本当にこいつ……じゃない、「俺」は、弱かったのか?

 目が覚め覚醒してから自分が探り出した記憶は、どれも切れ切れで断片的だ。

 もしかしたら先ほどのそれは、「まだ傭兵団に入り立てて未熟な頃の記憶」で、かなり昔のものだったりするのではないか?

 希望的観測だが、そうも思える。いや、そう思いたい。そうであってくれ!

 

 ボロボロのズボンに、上は……裸だ。

 何故半裸なのか? それは分からない。分からないが、これはちと拙い。

 うっすらした記憶の中では、革と金属片を繋ぎ合わせた無骨な鎧を着込んでいた様に思う。

 それでどれほどの防御効果があるか分からないが、無いよりマシなのではないか?

 いや、多分マシだ。マシに違いない。

 

 焦りつつ周囲を探る手に棒状のものが触れる。

 剣か? 棍棒か? 斧か?

 とにかくこの暗闇で、無数の「敵」に囲まれた状況。何でも良いから武器が欲しい。


 柄の部分を掴み、それを持ち上げる。

 思いの外軽いが、手に馴染む。

 おお、この身体やはり結構力があるのかもしれん! いや、それとも特殊な武器なのか?

 期待と不安が混ざり合いつつ見るそれは、使い古した片手鍋だった。

 どーりで軽いはずだよっ! そりゃ手にもよく馴染むわっ!


 逃げたい。そう思う自分が居る。

 ていうか逃げるべきだろ?

 いや、真面目な話、正直今のところ断片的な二つの記憶のどちらがより強いかというと、間違い無く「引きこもりしていた俺」の方だ。

 より強い、というのは、リアリティがある、という意味で、だ。

 確かにこの、「傭兵らしきことをしていた俺」の記憶だって断片的にはある。

 けどそれがどーにも、より他人事っぽく感じられる。

 もしかしたら。

 もしかしたらこの肉体、「傭兵らしきことをしていた俺」の方は、「引きこもりしていた俺」の考える以上に強かったりして、狼の群など蹴散らしてしまえる強者だったりするかもしれない。

 いや、そうだ! そうあるべきだ!

「引きこもりしていた俺」からすれば、この状況って所謂「異世界転生」的なやつじゃね?

 だったら元々の「引きこもりしていた俺」がヘタレのブタ野郎で非モテ拗らせたクソメンだったとしても、転生した先ではチート級の超絶パワーを持っていて、ゲームみたいにサクサクと敵をぶっ倒し、当然のようにモテモテ王国を建国してハーレムライフを満喫する……ってのが、あるべき筋書きじゃろ?

 それが、あるべき正しいセカイの姿ってーもんじゃんかよ!?

 

 ……がっ……!!

 ところがどっこい、済ませませんっ……!!

 いやもう、全くそんな気配はないっ……!!

 

 ないよ、そりゃ!!

 全くそんな感じしないよ!?

 ぶっちゃけリアルにナウで、ガクブルマインドだよ!?

 目の前には狼(多分)。

 デカい。いや、結構デカいんだよ、これが。

 そいつらが、ほぼほぼ人間と思える死体を貪り食ってるわけだ。

 あ、もう半ば原型留めて無いけどさ。

 スプラッターだよ。

 そしてそれを、鍋を片手に握りしめて凝視してしまってる俺だよ。

 狼たちに気付いたときよりも、ある程度冷静に辺りの状況を把握し始めた今の方が、恐怖心も混乱も増してきている。

 鍋では、狼には、勝てない!

 誰でも! それは! 分かる!

 だから! 俺は! 逃げたい!!

  

 しかし同時に……。

 俺の中からふつふつと、「自分は此処を固守しなければならない」というような思い……衝動が湧き上がっている。

 これは、「ここで死んだはずの、傭兵らしきことをしていた俺」の残した意志なのだろうか?

 何かを、誰かを此処で護らなければならない。捜し出さねばならない……。

 その意識、感覚、使命感……。

(使命感? 何の使命!?)

 それが何なのか、誰なのかも分からないのに。


 少し深く息を吸い、腹の底に溜め込んでからゆっくりと長く吐き出す。

 それを数回。

 大きな呼吸で、気持ちがやや落ち着いた……ように思う。

 暗がり。木々の隙間から僅かに覗く月と星の明かりに、切り株の簡易コンロの火。

 その中で輪郭だけ蠢く狼の群へと睨みを利かせる。

 さて、こんなものに意味はあるのかと思うが、意外にも奴らの動きに変化が出た。

 怯んでいる? といえるのか。或いは……戸惑っている?

 単に、満腹になったし相手をするのも面倒だ、となったのかもしれない(だったらラッキーだ)。

 遠巻きになりつつ距離をおきだす。

 正直、「敵だったか仲間だったかも分からない誰かの死体」を守るために、十数頭の狼と戦う気は起きない。

 なら……さっきの衝動は何だ?

 何を「守りたい」という気持ちが湧き上がってきたのだろうか?


 そのとき不意に、空気が一変した。

 明確すぎるほどの明らかな怯え。その空気が伝染するかに群に伝わる。

 俺に? いや違う。

 俺の、背後に、だ。


 より強い、生臭い獣臭。

 地響きにも似た足音。

 木々に当たる巨体が、ゆっくりと近づいて来る。


 俺は動かない。いや、迂闊に動けない。

 動いたらその瞬間に、自分の首が宙を舞っているような……身体が容易く引き裂かれているような、そんな気がする。

 周りの群れもまた同様なのか、そわそわとしつつも遠巻きにしている。


 近い。一層近くに来たその気配に、俺は出来る限り音を立てずに体勢を変え、すべての神経をそちらへと向ける。

 黒い小山が、のそりと動いていた。


 闇の中起立するその影は、優に俺の二倍……いや、三倍はあるようだった。

 吐く息が白い煙のように立ち上り、血と臓物と死の臭いを辺りにまき散らしている。

 口元から赤黒く染まり滴っているのが何かは見ずとも分かる。

 辺りに散乱しているのが何かも含めて。


 食欲と死の危険を天秤に掛けて、未だ口惜しげに辺りをウロウロしている狼の群れとは格が違った。

 全身の毛が総毛立つ思いとは、まさにこのことだ。

 シルエットは熊に似ている。

 全体的に丸みを帯び、剛毛に覆われ、野太く強靭な四肢を持っている。

 暗さ故ハッキリ確認出来ないが、鋭い牙と爪もあるのだろう。


 食い散らかされた肉片が、かつて連れだった者達なのか、それとは別の者なのかは分からない。

 分からないが、この生き物はヒトを食う。それは分かる。

 俺は、こいつにとっては餌の一つでしかない。

 問題は、既に満腹で、もう「新しい新鮮な肉」には興味が無いのか、それともまだまだ食い足りないのか。


 ゴウ、と、唸る。

 唸ると同時に、それはこちらの存在を認め、のそりと一歩を踏み出す。

 一歩。

 また一歩。

 威嚇もしない。吼えたりもしない。

 それが必要ないことを、そいつは十分に分かっている。

 近づいてくる度に、生臭い息や、鮮烈な血の臭い、体温までもが伝わって来るようだった。


 死の体験。その記憶。そこに新たな死の気配、予感を刷り込まれ、俺は動けなかった。

 一度死んだ、という記憶、感覚があるからと言って、死に対する恐れが無くなるワケではないようだ。


 近付くと、それは確かに熊に似ていた。似ているが、やはり熊とは異なっていた。

 鼻先から頭頂部、そして背中にかけて、鱗のような岩のような、硬質化した皮膚が連なっていた。

 見ようによっては、鎧甲を身に着けた熊のよう、とも言える。

 怪物、叉は魔獣……そう呼ぶに相応しい威容であり存在感だった。


 それが、何気ない動作で軽く右腕を挙げる。

 そして多分この後、同じ様に何気ない自然な動作でそれを振り下ろし、俺の腹か首筋を切り裂くのだろう。

 軽く上体を上げるようにして立ち上がり、狙いを定めてくる。


 動け、動け、動け、動け……!!

 自分の身体に意志を吹き込もうとする。

 ゆっくりとスロー再生で、奴の手の、そして鋭い爪先の軌道が目に入る。

 あ、これ、あれだ。すげースポーツ選手とかの言う、「球が止まって見えました」系のアレだ、とか、そんなことを考えながら、ただその動きを見ていた。


 で。

 俺の右横を閃光が走り抜けたことには、その後に気づいた。

 

 

 続く風きり音と咆哮。

 目の前のそいつは、上体を反らすように仰け反り、耳をつんざくほどの怒号を上げた。

 幾つもの細い筋のようなものが体に突き立てられていて、それが矢だと気づくのに数瞬かかる。

 

 そいつが仰け反り怒号をあげその手を闇雲に振り回すのと同時に、俺は硬直が解けてむしろ腰砕けになった。

 それが幸いしたというか、腰砕けになりこちらも仰け反るようにして後ろにころんと……それこそ文字通りに「ころん」と倒れ転がったことで、そいつの爪を避けられた。

 ころん、ころん、ころんとさらに二転三転する動きが、これまた悉くに回避行動になるのだが、当然何ら意識しての動きじゃあない。

 そしてその俺とそいつの間に、ざっと立ち塞がる影がある。

 

 すらりとした体躯に、緩やかなウェーブのかかった金髪。

 革と金属を組み合わせた軽妙な鎧を身に纏い、背には強弓、両手に短めの短刀が二振り。

 逆光気味の月明かりがシルエットを際立たせ、その輪郭が光り輝く様に目に映り、それは神々しくも威厳あるものに思えた。

 

 その刹那。

 姿勢低く巨躯の懐に潜り込むと、爪先をかいくぐり血飛沫を散らす。

 その手に合った短刀の一つが、化け物熊の喉を刺し貫いているのが目に入るのもまた、数瞬後になる。

 

 

 ぽかん、としたまま尻餅の格好で座っていた。

 ころん、で、ぽかん、だ。

 つまりコロンポカンだ。

 コロンポカンだが、心臓は早鐘をつくように鼓動を繰り返し、息は浅く早いまま。

 しかしそれも徐々にゆっくりと落ち着きはじめ、何とか緊張も解けつつある中、数人の足音と声が近付いてくる。

 

「また、そう危険な真似をせんといて下さいよ。あたしらの居る意味が無いでしょーが」

「悪ィ悪ィ。あいつらには内緒にしててね」

「そーもいかないですよー。アランなんか此処に来てることすら文句言いますもん」

 

 ざわっ、と、別の緊張感が忍び寄る。

 女だ。女性の声だ。いや多分、そう、間違いなく女性の声だ。

 まだ姿は見えないが、複数の女性が近づいてきている。

 そしてこれ、今。この状況!

 これは間違いなく、「みっともなく腰砕けになっているところを、女性数人に助けられる」という、実にみっともないイベントが発生している最中なのだ!

 ヤバい。何がと言われても、とにかくヤバい!

 俺は今更ながらに慌てて立ち上がろうとして、しかしまたもやみっともなく脚を滑らせてどずん、と仰向けに倒れた。

 月の光が目に滲む。

 

「あのー」

 声が間近に聞こえた。

 俺に声をかけたのかと一瞬思ったが、そうではなかった。

 

「本当にコイツなんですかね? 言われてたの」

 訝しげ、というか、半ば呆れたような声で、一人が別の一人に問う。

「……んーーー?

 じゃないの? 場所はまあ間違いなくこの辺だろう?」

 顎を上げて視線を声の方に向けようとするが、よく見えない。

 

「正直、初めて見たよ、わたしは」

 またもう一人。

 そして、そのもう一人の言った次の言葉が、俺をさらなる驚愕の事態へと突き落とす。

 

「こんな臆病でみっともなくて……情けないオークは」

 

 ……オーク?

 聞き間違え……ではない…と、思う。

 オーク?

 それは確か、RPGとかファンタジー小説とかに出てくる、醜い豚面のモンスターで、たいていはザコキャラ扱いで、ある方面では女騎士を監禁陵辱する種族として扱われている、あのオーク?

 手で、顔を触る。

 大きな口に、上下から突き出した犬歯。上向きで潰れた鼻。


 なるほど。

 どうやら俺は、オークらしい。

 いや、つまり俺の今の状況は……「引きこもりしてた俺」の視点で言うならば、「何らかの理由で死んで異世界に転生したところ、それが死にかけのオークで、そのまま蘇生し生き返った」と、いう。

 そーゆーことだろッ!?

 

 ……という事を理解し……いや、「思い出し」て、ようやくそこで、俺の精魂が尽き果て意識を失った。


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