(4)二つ

         ***

 ここ最近ずっとあの夢を見る。俺の姿をした奴の夢を。外見は似ても似つかないがなぜか俺だと分かる。そんな奴が楽しそうに笑いやがる。夢の中の俺は現実の俺とは正反対だった。何もかもが違って輝いていた。きっとそれが俺の捨てたと思っていた願望なんだろう。そう考えると俺はつくづく哀れな奴だと思う。未だに願望を捨てられないなんて「人間」みたいじゃないか。

 そんなことを考えていると急に頭が痛み出した。少し悶えるようにして仰向けから横になる。いつまで経っても寝付けずに一日を過ごし真夜中を迎えた時だった。急にまた頭が割れるように痛み出し全身が沸騰するぐらい熱くなって悶えて呼吸すらままならなくなった。それに耐えるように目をぎゅっと瞑ったら、なぜか一瞬体が軽くなった。そして瞑っていたはずの目の前が明るくなって、それに伴って段々と意識が遠のいていって――


 目を開けると、相変わらず無機質な天井が見えていた。そして上半身を起こす――えっ、思わず声が漏れてしまっていた。だって、信じられない。……こんなにも身体が「軽い」なんて。いつもなら無理やり重い体を布団から引き剥がすのに、こんなにも軽いなんて。あり得ない。

 カーテンの隙間から透き通るように柔らかく淡い月明りが一筋射していた。そのお陰で部屋中がうっすらと見渡せた。最初は見間違えたのかと思った。だって、部屋の景色が明らかに違っていたから。

 混乱する頭を押さえながら電気のスイッチを探し、点けると目を刺すような痛みが走る。暫くして目を開けると――物が多く恵まれている部屋だった。さらに見渡していると全身鏡が角にぽつりと佇んでいた。一歩一歩進み、前に立つと――絶句した。そこに映っていたのはピンク色のパジャマを身に纏った女子だった。雲ひとつない青空のような、澄みきった泉のような、透き通った無垢な瞳が俺をじろりと睨んでいた。反射的に目を逸らした。……のにその姿が目に焼き付いて消えなかった。艶やかで滑らかな肩まで伸ばした髪、くっきりとした目許に二重、光沢が見られるほど輝いて潤っていてニキビや毛なんて一つもない肌、しっかりと膨らんでいる胸、くっきりとしたくびれ……。

 駄目だ。思い出すな。しかし、そう思うのとは裏腹に脳内に次々と浮かび上がっていく。

 目の前がぐらつく。考えるよりも先に体が動いていた。けど、足が軽すぎるがゆえにもつれて転んでしまった。息が苦しい。前がチカチカして歪んでいく。胸が苦しい。喉が焼けるように痛い。気付いたら腹から這い出て来たものを吐き出していた。熱いし気持ち悪いし呻き声すら出なかった。やがて、全身に酸素が届かなくなって視界が百八十度回転する。また、目の前が明るくなる――


 勢いよく飛び上がる。でも今度は鉛のように重かった。汗をびっしょりかいてて服にべっとりと張り付いていた。息を整えようとしたが、それすら叶わず意識が途切れた――

 再び目を開けると自分の部屋だった。でも……何かが違かった。そう何かが――

「やあ、初めまして」

 いきなり耳元で囁かれ、無意識にポッケの中の自己防衛用のナイフを取り出していた。

「あはは。警戒してるね。でも穏便にいこう」

 ナイフには動じていない様子だった。そいつと距離を取って電気を点けると――息を呑んだ。そこに居たのは紛れもない俺だった。

「あはは、驚いてるね。まあ、無理もないか。君に話があるんだ、と言いたいとこだけど、ここじゃ話し辛いよね」

 そう言ってそいつは手を叩き、景色が変わり、辺り一面が白一色の狭い空間に変わった。

「じゃあ、改めて初めまして」

 かしこまった様子で言う。こっちは何一つ理解できていないっていうのに。まずここはどこだ。あいつは誰だ。何で俺の格好をしているんだ。何なんだ。さっきから。夢か?

「ああ、混乱してるとこ、悪いね」

 相変わらず間延びした声で語るあいつ。もうナイフで殺そう、そう決意した。けど――

「ねえ、君、咲ちゃん、でいいんだよね」

 その名前を言われた瞬間思考が止まった。冷や汗が流れる。もうずっと言われてこなかった名前。嫌な記憶がこびりついている名前。

 ――女の子なのに汚いわ、咲ちゃん。

 ――男みたい。お前おかまだ! おかま!

 ――女子なのに可哀そう。実は男とかぁ?

 止めろ! 出てくんな! くそが!

「大丈夫?」

 顔を覗き込んでくるあいつ。後ずさり、ナイフで牽制する。

「まあ、いいや。じゃあ、私の話を聞いてよ」

「……お、お前は誰だよ」

 やっとのことで口にできた、けど、あいつはうんざりした様子で答える。

「いい加減、話させてよ。その後で聞くから。まあ、一回ぐらいはいいか……私は地球間を媒介する案内人ってところかね」

 そう言ってあいつ―案内人は手で制し話し始めた。有無を言わせない何かを感じた。

「まず、君に話さなきゃいけない事実から。この世には地球が三つあるんだけど――」

「は? ……地球が三つ?」

「うん。見えないんだけどさ」

 案内人はさも当然のように言う。信じられるわけがないだろ。てか頭狂ってんのか。

「見えないと信じられないのは人間の駄目なところだよね。例えば、言葉が通じると仮定して、縄文人に空の向こうに宇宙っていう空間があって……とか言っても信じるわけがないでしょ?」

 急に言われてわけが分からないが何とか理解しようとしてみる。腹立つけど。

「でも、信じなくても、実際に宇宙は実在する。それと同じ。見えないけど、実際に在る」

 「分かった?」と聞かれて曖昧に頷く。

「じゃあ、戻るよ。一つ目の地球を一地球、二つ目を二地球、三つ目を三地球とするとね。一地球と二地球は全く同じ環境なんだ。つまり、生命が誕生すると全く同じ命が二つ生まれるってこと。まあ、クローンって言えば分かりやすいかな。ただ、複製じゃなくてどっちも本物だけどね。それでね、人間の場合は二人とも成長していって「十七歳」になると結合して三地球に送られるんだ。まあ、全部寝ている間に行われるから普通の人は気付かないんだけど。だって二つとも全く同じだから結合しても気付かないし、地球間を行き来するのだって……君がさっき体験したのと同じで、簡単だからね。……ここまでOK?」

 こんなの一回で分かるわけない。質問してかみ砕いて。何とか理解できた、気がする。

「じゃあ、ここから本題で君らのことなんだけど。君はもう知ってるよね? もう一人の君――咲のこと」

 こくりと頷く。薄々気付いてはいたけど、まさか夢で見てたもう一人の「俺」は夢や幻想なんかじゃなかったとは思いもしなかった。

「君らの場合は何かの不具合でね、生まれる時、全く同じじゃなくて、凄い出来る方と全く出来ない方で別れちゃったんだよね。まあ、君が一番分かってるんだろうけどさ」

 それを聞いた途端、言い知れない怒りが全身からこみ上げてきた。ずっと。ずっと考えていた。なんで。なんで俺だけ――って。

「それでね、結論から言っちゃうとね、君には死んでもらうから」

 ――は? 今なんつった? 死ぬって言った? 全身から寒気がし恐怖が這い上がってきた。別に死ぬのが恐いんじゃない。案内人の纏う雰囲気が尋常じゃなかったからだ。

 俺はキッと睨み威嚇したけど、ひょいとかわされてしまった。そして呆れ顔になって。

「……だって悪い方を淘汰するのが自然の摂理だろ? 百も二百も出来る奴とマイナス百、二百のお前を結合させたら、真面目にこの世界を壊す異端児になりかねない。だからどっちかを消すしかないんだ。分かるだろ?」

 頭をトンカチでぶん殴られた気分だった。

「君は十七歳になる瞬間に死ぬ。つまり、余命二十三日と三時間九分ってところだ」

「――ふっ、ははははっ」

「どうしたの? いきなり。情緒不安定?」

 いきなり笑い出した俺を訝しむ。

「……いや、だって、おかしいだろ? 俺って一体なんなんだよ。なあ。結局尻拭いだろ?全部、しわ寄せなんだろ? 俺に存在価値なんてないんだろ? 結局使われるだけの奴隷だろ? 嗤えるだろ? なあ?」

 初めて案内人の顔がぐにゃりと歪んだ。

「……あっ、そうだ。案内人、さっきみたいにもう一人の咲の所に行けるか?」

 そんな案内人を無視して問うと案内人は面食らったように「えっ」と漏らした。

「……ま、まあ、さっきのは不具合だったけど、人工的にやろうと思えばできる。ただ、一日が限度だ。それ以上は肉体が持たない」

 一日もあれば十分だ。

「それにしても、なんで? どんな目的で?」

 意味が分からずに聞いてくる案内人に口角をぐっと吊り上げて答えた。

「死ぬ前に、何もかも全部、全部ぐっちゃぐっちゃにぶち壊してやりたいから――」

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