2.妖精たちは確信犯

「ふぇあ、りー……?」


 ぽかんとしたミシェルは、目の前に現れた妖精を凝視する。木漏れ日を受けて青みがかって光る金の髪に、そのつぶやきを合図にしたのか、ぶわっと風が巻き起こり、気づけばミシェルの周りには妖精たちがたくさんいた。


(どうして、こんなことになっているの……?)


 今朝からの行動を思い起こしてみても、現状の理解は難しい。どう考えても、突然に森に移動し、突然目の前に妖精が現れている。


 ぼうっとしているミシェルの頬に、つん、と小さな手が触れた感触に驚いてそちらを見ると、にこにこととした妖精と目が合った。


「……すごい、妖精って本当にいたのね!」


 妖精たちは色とりどりの髪色と瞳の色で、まるでカラフルな花畑の中にいるかのようだ。その妖精たちが口々に聞き取れないほどミシェルに話しかけてくる。


「いるよ~」

「驚いてる、かわい~ね~」

「外のニンゲン久しぶりだあ」

「一緒に遊ぼう!」


(わああ……すごい。喋ってる! 生きてる……! やっぱり、夢、じゃないわよね?)


 しりもちをついたときの痛みで、夢でないことを確認しつつ、突然見知らぬ場所に連れてこられたことへの恐怖が、おとぎ話の存在のはずの妖精がいたことの驚きと好奇心に塗りつぶされている。


「会えて嬉しいわ。もしかしてあなたたちは私とお友達になってくれるかしら?」


 ちゃっかりミシェルの肩や膝に座っている妖精に話しかけると、彼らは嬉しいそうにさざめいた。


「いいよぉ~」

「やった!」

「ニンゲンの友達だあ」


 キャッキャと喜ぶ妖精たちに、ついミシェルの顔が緩む。


「ふふ、じゃあ、名前を教えてくれるかしら?」

「ええ? なまえ~?」


 途端に妖精たちに困惑したような空気が流れ始めた。


「ええ。名前。お友達なら名前を呼びたいのだけど……あっもしかして、名前を教えるのはだめだった? おとぎ話に出てくるものは、そういう伝承もあるわよね。名前は秘密にしないといけないとか」


 何しろ妖精たちについてはおとぎ話レベルでしか伝わっていないから、何が彼らにとってタブーなのかが、ミシェルにはわからない。だが、他のおとぎ話で名前を秘する幻想生物がいるという話も知っている。


「そうじゃないのよ」


 膝の上に乗っていた白髪の少女のような妖精が困ったように言う。


「あのね、わたしたちには名前がないの」

「そうなの?」


 白い妖精に問えば頷き、周りを見渡せば、青い妖精も水色の妖精も一様に頷いた。


「あれ、でもさっき……」


 ぱっと金色の妖精――トネールに目を向けると、彼は得意げな顔になる。


「ふふーん。ボクにはとーってもかっこいい名前があるんだなあ!」

トネールだったわよね? そうね、稲妻みたいで、確かにぴったりの名前だわ」


 ふふ、と笑うとトネールは嬉しそうな顔で笑って、白い妖精のそばに飛んでいき、彼女を指した。


「ねえ、君、そんなに名前を呼びたいなら、つけてあげたら?」

「えっでも名前よ。そんなに簡単につけていいの?」


 白い妖精とトネールを見比べると、白い妖精は、ぱああっと顔を輝かせた。


「それってとっても素敵だわ! ねえ、お嬢さん、わたし、お嬢さんに名前つけてほしい。お嬢さんの名前も教えてほしいわ」


 ミシェルの手にそっと小さな手を乗せて、白い妖精はにこにことしながらおねだりする。


(か、可愛い……!)


 きゅん、とときめいて、ミシェルは頷いた。


「そういうことなら任せて! まず、私はミシェル。ミシェル・レノーよ。あなたの名前は……そうね……」


 ミシェルはちらりとトネールを見てから、白い妖精に目線を戻す。


(この稲妻みたいな子がトネールなら、この子は……)


 髪は白いが、瞳はアイスブルーだ。頭に浮かんだ景色と目の前の妖精が重なって、自然とミシェルは笑顔になる。


ネージュなんてどうかしら?」

「ネージュ?」

「そう。あなたの髪、とっても白くて雪みたいで綺麗だから。どうかしら?」

「雪……」


 つぶやいた白い妖精はほんの少しだけ考えて、ぱっと顔を上げたかと思えば、すぃーっとらせんを描いて舞い上がった。


「わたし、わたしの名前はネージュ……! 雪の妖精、ネージュ! ふふっミシェル! これからよろしくね、わたしのつがい


 きらきらと雪のような光をまき散らしながら、白い妖精――ネージュが歌うように高らかに言う。それに合わせて、ミシェルの身体の中でふわりと何かが駆け抜けたような感触がした。


「つがい?」


 聞き咎めたミシェルが首を傾げると、その疑問を解く前に他の妖精たちがわらわらと寄ってくる。


「ずるい! ぼくも名前ほしい! ぼくにもつけて!」

「俺に名前つけてもかまわんぞ」


 口々に名前を求めて妖精たちがわあわあと喚いているので収拾がつかない。


 そんな状況を収束させたのは、新たな人物の登場だった。


「トネール!」


 叫ばれた声は、怒りを含んでいるように感じられる低さだった。


「あっレイモン、いいところに来たね」


 トネールが振り向いた先には、長身の男性がずんずんとこちらに歩いてくるところだった。ちょうど今、ミシェルの周りは妖精たちが壁のようになっていて、ミシェルからも男性からも互いの姿が見えない。


(誰かしら?)


「いいところ、じゃありませんよ! 突然いなくなったりして、僕がどれだけ心配したと……」


 語気も荒く説教しながら近づいてきたところで、唐突に妖精たちの壁がざあっと割れてミシェルの姿が露わになる。


(わあ……)


 地面に座ったままの姿勢で、ミシェルは男性を見上げた。


 彼はずいぶんと背が高い。銀色の長い髪を後ろでゆったりと結っていておくれ毛が肩に垂れているが、顔が整っているせいか、それがなんだか様になる流麗な雰囲気を持った男の人だった。着ているのは普通の服に外套だが、妙に似合っている。そして今は、ミシェルと同じハシバミ色の瞳が、驚きに見開かれていた。


(綺麗な髪の人……こんな人初めて見た)


 互いにぽかんと見つめ合いながら、ミシェルは内心で「あっ」と声をあげた。


(すごく綺麗だから、これで耳が尖ってたら、物語に出てくるエルフだわ)


 妖精についでエルフのように麗しい人の登場に、さらにわくわくとしながらミシェルは立ち上がる。


「初めまして。私はミシェル・レノーと申します」

「ああ、ご丁寧にどうも。僕はレイモンです……そうではありません!」


 綺麗な淑女の礼を取ったミシェルに、男性――レイモンはつられて挨拶をしたが、すぐにはっとしたように叫ぶ。


(ノリのいい方ね)


「トネール、どこでさらって来たんです! こんなお嬢さんを! 外の世界のご令嬢でしょう!」

「あっはは! いい反応! そうだよ。レイモンと一緒に行ったあの街にいたの。先に連れてきちゃった!」

「またあなたは考えなしに……」


 やれやれと首を振るレイモンだったが、ミシェルは思い出したように、ぱちんと手を叩いた。


「そうだわ。私を街からここの森に移動させたのは、トネール。あなただったのね?」

「うん、そうだよ」


 悪気のなさそうなトネールの返事に、レイモンが深々とため息を吐く。


「……ミシェル嬢、申し訳ありません。トネールが暴走してあなたをさらってきてしまったようです。ご安心ください、あなたは僕が責任を持ってご自宅までお送りしますから」

「はい、ありがとうございます」


(そういえば、リーズを置いてきちゃったわ。今ごろ心配してるかも……悪いことをしたわ)


「え~だめだよお」


 不満そうに口を尖らせたトネールの脇をすり抜けて、ネージュがふわっと飛んでくる。


「レイモンレイモン、そんなことより聞いて!」

「ミシェル嬢、妖精たちの戯言は気にしないでくだ」

「わたしねわたしね、名前をもらったのよ!」


 耳元ではしゃぐネージュの言葉を無視していたレイモンが、被せられたネージュのセリフにぴたりと止まる。


「待ちなさい、今なんて」

「ミシェルにネージュってつけてもらったの! 素敵な名前でしょう?」

「……待ちなさい」


 わなわなと震えながら、レイモンがネージュを見やる。そこへトネールが追い打ちをかけた。


「レイモンのお嫁さんになってもらおうと思って連れてきたんだよ! だから帰しちゃだめ! ネージュと番なんだから、どうせ帰せないでしょ!」

「およめさん?」


 ぱちぱちとミシェルはまばたきをする。色々と気になる単語はあるが、そう言われれば「お嫁さん」という言葉をここに来る前に言われていたのに、妖精と出会った感動ですっかり忘れていたミシェルである。


「よ……っ! あなたは……全部織り込み済みで名前をつけるようにそそのかしましたね……?」

「当たり前じゃ~ん」


 顔を手で覆ってうめき声を出したレイモンに対し、トネールはにこにこと笑う。その二人の様子を、何がなんだかわからずに交互に見るミシェルなのだった。

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