お嫁さんはフェアリーのお墨付き~政略結婚した傷物令嬢はなかなか幸せなようです~

かべうち右近

お嫁さんはフェアリーのお墨付き

男爵令嬢は求職中

1.男爵令嬢は求職中

 辺りは一面濃い緑で、深い森の中に佇むミシェルは一人、戸惑っていた。ついさっきまで、ミシェルは街にいたはずだ。なのに。


「見てみて、連れてきたよ!」

「本当だ!」

「かわいいねえ」

「ぴったりかも~」


 さわさわと木の枝が揺れるのに合わせて、子どものような声が聞こえるが、いくら周囲を見回しても、彼女の目に飛び込むのは森の緑ばかりで、人の姿はない。


「……っ誰なの!?」


 ぎゅっと拳を握って叫んだミシェルの目の前に、ひらりと金色の何かが現れた。


「ごめんごめん、驚かせちゃった? ボクはトネール。妖精フェアリーだよ」


 金色の何かだと思ったのは、掌ほどのないサイズの、小さな小さな人の形をしたものだった。それが、動いて、喋っている。


「フェア、リー……?」


 呆然と呟いて、ミシェルはまじまじと目の前の妖精――トネールを見つめる。それはおとぎ話の中にしか存在しない、世界樹の森にいるという伝説のもののはずだ。


(どうして、こんなことになっているの……?)


 ここに至るまでの道程の、何がいけなかったのかを、ミシェルは考え始めるのだった。


***


 レノー男爵家三女ミシェル・レノーは、傷物である。


 そんな噂話がちまたではまことしやかに囁かれていた。そうはいっても、彼女の身体に不具合があるわけではなく、生まれつき腕に大きな痣があるというだけだった。だが、貴族はそういう見た目の悪さを気にするものだ。


 だからこそというべきか、本来なら婚約者の一人でもいてしかるべき十八歳の秋に、ミシェルには求婚状の一つも届いていなかった。


「やっぱり働きに出るべきだと思うのよね」


 ミシェルが真顔でそう言い出したのは、今朝、家族がそろって朝食をとっていると

きだった。もちろん家族は猛反対である。


「貴族令嬢だぞ、お前は! 働くなんてとんでもない!」

「あなた落ち着いて。血管が切れますよ……」

「お前がいくらお転婆だからって」

「でも私、結婚できないなら食いぶちくらい、自分で稼ぐべきじゃない?」


 このように卒倒しそうな父親や呆れたような兄たちを笑顔で押し切り、ミシェルは仕事を探すべく街へとやってきたわけである。


 さすがに貴族令嬢が一人で出歩くわけにはいかないからメイドも一緒だが、その姿はさながら平民の町娘だ。黒髪黒目、あるいは茶色の髪がほとんどの平民の中に混じるのに、ミシェルの亜麻色の髪とハシバミ色の目は目立ちすぎる。


 その対策として髪をきっちり結い上げて髪色の印象を薄くし、顔にはそばかすのメイクを施した。ハシバミ色の瞳だけは隠せないが、これらの服装だけでずいぶんと貴族令嬢らしさはなりを潜めている。


「街はやっぱり楽しいわね、リーズ。ギルドに行けば職を紹介してもらえるわよね?」


 上機嫌で歩きながら、ミシェルは隣を歩くメイドのリーズに声をかける。だが彼女は怯えたふうだった。


「あのう……お嬢様、本当にいいんですか……? 旦那様、すっごく怒ってらっしゃいましたけど……」


 メイドのお仕着せは目立つので、こちらも町娘風の服である。


「いいのよ。どうせうちは貧乏なんだから、婚約者が決まったってもう持参金なんて用意できないでしょ?」

「わ、わたしには同意いたしかねますぅ……!」


 貧乏という言葉に肩を揺らして怯えるリーズである。


「ふふ。それにしても、賑やかね」


 街はいつにも増して人と活気で溢れている。


「あっ、そろそろ世界樹の夜祭ですもんね、楽しみですねえ」


 リーズは打って変わって顔をぱあっと明るくすると、目線をあげて遠くを見る。視線の先には青空が広がった先に、巨大な樹木の影――世界樹がある。


「世界樹って妖精が住んでるっていうけど本当かしら? 今でも世界樹の守り手がいて、妖精と世界樹を守ってるっていう伝承もあるけど……」

「ええっお嬢様信じてないんですか?」

「ううん。その逆。本当だったら面白いなって。だって、夜祭のときに世界樹が光るでしょう? あれが本当に妖精の仕業だっていうなら、すごく素敵じゃない?」


 この世界には、魔法などのような不思議なものは、世界樹くらいしかない。だからこそ、妖精がいたほうが面白いと思うのだろう。


「そうですねぇ。わたしは世界樹の夜祭の出店のほうが楽しみですけど~」

「まあ、リーズったら」


 くすくすと笑いながら、ミシェルとリーズはギルドに向かって歩いていく。

 五年に一度、秋に開催される『世界樹の夜祭』は、その名の通り世界樹に感謝を捧げ、祝福を授かるためのお祭りだ。祭りの期間中だけ夜にうっすらと光る世界樹の姿になぞらえて、街中にランタンを灯すのがお決まりだった。その準備のために、今は人手がいくらあっても足りない時期である。


(だから今、臨時で雇ってもらって、なんとかそのまま就職するのよ!)


 内心でぐっと拳を握りつつ決意を新たにしたミシェルは、ギルドの会館にたどり着いた。のだが。


「ああ? 仕事ぉ!?」


 受付で声をかけると、スキンヘッドのいかつい男がじろじろとつま先から頭のてっぺんまで見てきた。


「ここは商業ギルドだぜ。悪いが、あんたみたいなお嬢さんができる仕事はここじゃ紹介してやれねえな。お前さん、いいとこのお嬢さんだろ。そんなやつにやる仕事はねえよ」


 有無を言わせず、ぐいぐいと肩を押しながら追い出そうとするのを足を踏ん張ってミシェルは耐える。


「え、やだ、待って待って待って!」

「待てねえなあ」

「待ってください! 私、読み書きできます! 算術もできます! えーとえーとそれから会計帳簿読めます! 美術鑑定も少しくらいならできます! だから!」

「わりいな、お嬢さん。亜麻色の髪に、ハシバミ色の目。お前さん、レノー家のご令嬢だろ。お前さんのおやじさんが、娘がきても雇うなって言ってきたもんでな。何ができても雇えねえんだよ」

「……まあっ!」


 貴族の令嬢だとわかっていてこのぞんざいな扱いなのかということよりも先に、父が手を回していたことにミシェルは口を尖らせる。


「わかったら帰ってくんな。雇ったらわしがお前さんのおやじさんに睨まれちまう」

「……わかりました。ご迷惑はかけられませんものね」


 しゅん、と項垂れてミシェルはすごすごとギルド会館をリーズと一緒に出る。


「すごい勢いでしたねえ……」


「ああ、もう。どうしようかしら。お父様が根回ししてるなら、この街のどこだって働けっこないわ」


 呆然とするリーズと次の対策を考えてぶつぶつと喋るミシェル。往来で怪しいことこのうえない。


「じゃあお嫁さんになればいいんだよ!」

「だってそれができないから働こうって話で……え?」


 明るく言われたのにミシェルは文句を言って、きょとんとする。そばにはリーズ以外、誰もいない。


「リーズ、何か言った?」

「いいえ~わたしは何も言ってません」

「そう……?」


(確かに聞こえたのに……ううん、でもリーズよりももっと高い……まるで子どもみたいな声だった)


 考えるように頬に手を添えて、指先が耳たぶに触れたミシェルはハッとした。


「やだ、イヤリングがないわ。さっき落としたのね」

「じゃあすぐ戻りましょう」

「ええ、すぐだから待ってて」

「あっお嬢様!」


 ぱっと踵を返して走りだしたミシェルを、リーズが慌てて追いかける。先ほど背を向けたばかりのギルド会館に、リーズよりも早く着いたミシェルは入り口のドアに手をかけた。


「大丈夫、そのためにボクが迎えにきたんだもの」


 またも耳に届いた子どものような声に振り返った刹那、ミシェルの視界は光に包まれた。


「きゃっ!?」


 眩しさに目を閉じて、身体がふわりと浮いたような感覚が襲ったあと、おそるおそる目を開けば、そこはギルド会館でも、街の往来でもなかった。


 視界いっぱいに、緑が広がっている。木漏れ日を落とす足元はふかふかとした腐葉土で、ここが森なのだとすぐ気づく。ミシェルがたっているのはちょうど木々が生えていないぽっかりと広がった広場のような空間だった。


「……ここは……?」


 明らかにどこか別の場所にいる。森だということはわかるが、それ以外何がどうなっているのかさっぱりわからない。呆然と呟いてあとずさったミシェルは、何かにつまづいてしりもちをつく。それは大きな木の根だった。


(後ろは壁? 森の中なのに……?)


 大きな大きなこげ茶の壁がある。ごつごつとしたその壁をたどって視線をあげれば、その先に濃い緑の葉を茂らせた枝がいくつも連なっていた。


(これ、壁じゃないわ! とっても大きい、木なんだわ!)


「みんなー! 見てみて、連れてきたよ!」

「……っ!?」


 先ほども聞いた声にミシェルが驚いて、森のほうに目を向けるが、やはり人はいない。


「どれどれ?」

「本当だ!」

「かわいいねえ」

「ぴったりかも~」


 さわさわと枝に茂った葉が揺れて、次々と子どものような声が聞こえてくる。


(夢でも……見ているの……?)


 次第に脈が早くなる。あたりを見回しても、枝が揺れているだけで人の姿はない。


「誰なの!?」


 大きな声をあげたミシェルは、次の瞬間に、息を呑んだ。


「ごめんごめん、驚かせちゃった? ボクはトネール」


 先ほどからずっと聞こえてきていた声と共に、ミシェルの前に何かが現れる。


妖精フェアリーだよ」


 目の前にひらりと飛んできたのは、掌ほどのサイズの妖精だった。

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