3.怒涛の一日で最大のニュース

「すみません。ミシェル嬢。トネールがとんでもないことをしたようで」

「あの、なんのことだかちょっとわかってないのですが、ひとまず家に帰っても大丈夫ですか? 忘れていたのですが、さっきまでメイドと一緒にいたので、心配させているかもしれません」


 わかっていない、というより深く追求するととんでもないことになりそうだ、というのが正直なところである。


「……本当に……本当にすみません」


 苦悩に満ちた顔でレイモンは深々とため息を吐いて謝る。


(なんだか苦労されていそうな方だわ……)


「とにかく、まずは一度ミシェル嬢の家にうかがい……いえ、送って行きます」

「はい、お願いします」


 このレイモンの言葉で、妖精たちが盛大に文句を言っていたが、彼はそれを全て無視したため、ミシェルは自宅へと帰ることになった。


「でも、どうやって帰るんですか?」

「……魔法、のようなものだと思ってください。失礼、手に触れても?」

「はい」


(魔法なんて……! 本当にあるのね! ううん、街から森に移動したんだもの、魔法くらいあるわよね。凄いわ……!)


 エスコートのように差し出された手にそっとミシェルが手を乗せると、エイモンが、きゅっと握り返してきた。


(え、エスコートってこんなしっかり手を繋ぐものだったかしら?)


 あいにくミシェルは家族にしかエスコートされたことがないからわからない。


「一瞬で移動します。少しめまいがするかもしれませんので目を閉じていてください」


 大きな手に包まれて緊張した刹那、レイモンに言われたミシェルはぎゅうっと目をつむる。そのとき、ふわっと浮いたような感覚がしたかと思えば、閉じた目でもわかるほどに周囲が明るくなり、次の瞬間には光が消えて、とん、と足が地面につく。


「もういいですよ」

「はい……」


 おそるおそる目を開くと、そこはもう緑の濃い森の中ではない。ミシェルが姿を消したギルド会館のすぐそばの路地裏だった。


「めまいや吐き気はありませんか?」


 長身のレイモンが心配そうにミシェルの顔を覗きこむ。すると顔を見るためにかがんで、するりと銀の髪が流れる。


(髪に気をとられていたけど、顔も綺麗な方だわ、レイモンさんって)


「大丈夫です、ありがとうございます」

「よかったです」


 微笑んで答えたミシェルに対し、レイモンもまた微笑んで頷いた。


「まずは、そのメイドの方を探しましょうか。ご一緒します」

「助かります」


 歩き出す前に、レイモンは羽織っている外套のフードを目深に被る。ぱっと見怪しいことこの上ない。


(レイモンさんにあまり長くつき合わせるわけにもいかないし、リーズとすぐに合流できるといいのだけど……)


 そう思いながら歩き出したミシェルが、リーズと会えたのはそのあとすぐだ。彼女はギルド会館前で「お嬢様ぁ~」と泣きながら探し回っていたのだった。彼女はミシェルが長身の怪しげな男と一緒にいるのを見つけてビクビクとしていたが、ミシェルのとりなしで落ち着いた。


「あとはもう家に帰れます。送っていただいてありがとうございました」


 そう言ったミシェルに首を振って、レイモンはレノー家までミシェルを送っていくと言って譲らなかった。


「もうすぐ日が暮れます。女性だけでは危ないでしょう。……それに、先ほど貴女に起きたことについて、僕はレノー男爵にお話せねばならないことがあります」


(話すこと……? 妖精と会ったってことの口止めかしら?)


 森から帰る前にトネールが口走っていたことはすっかり忘れているミシェルは首を傾げたが、何しろ一度に色々なことが起こりすぎている。一つ二つ忘れていても仕方ないだろう。


(あ、ネージュに挨拶をするのを忘れていたわ。また会えるかしら……)


 そんなことを考えながら、ミシェルたちは辻馬車を拾って帰宅することになった。レノー家に到着してからは、最初にメイドのリーズが降りて、そのあとにミシェル、続いてレイモンが降りるはずだった。だが、ミシェルが降りたところで、痛烈な歓迎を受ける。


「ミシェル! お前という子は……!」


 通常、メイドたちが出迎えるところ、自宅に戻るなりミシェルたちを待ち構えていたのはレノー男爵だった。


「お父様」

「やはりギルドに仕事を探しに行ったのだな。お前は行動力がありすぎる」

「お父様」

「婚約者がなんだ。結婚がなんだ。お前が望むなら私がいくらでも見繕ってやる」

「お父様」


 ミシェルがレノー男爵に声をかけ続けるが、酷く興奮しているのだろう。レノー男爵の弁舌は止まらない。


「もし結婚できなくても、一生うちにいればいい」

「お父様」

「何、心配はない。我が家にだってお前一人を養うくらい」

「お父様! お客様です」


 ようやくそこまで叫ぶと、レノー男爵は、ぴた、と止まった。そこでようやくミシェルは馬車の前からずれて、レイモンが馬車から降りてくることが叶う。


「……お取りこみのところ申し訳ありません。私はレイモン・アルブルと申します。ご令嬢のことでお話があり、お伺いしました」


 外套を目深に被った、実に怪しい男である。だが、ファミリーネームを名乗ったということは、貴族の証だ。それをわかったうえでか、レノー男爵はまじまじとレイモンの外套を被った顔を見つめる。その外套からは、わずかに銀の髪が覗いている。


「…………アルブル様。お初にお目にかかります。私は、アベル・レノー。お話をうかがいましょう」


 たっぷり数秒沈黙したレノー男爵は、神妙な面持ちで頷いた。


***


 レイモンは父――アベルと共に応接室に消え、話をしていた。ミシェルはといえば、リーズと共に自室に戻って着替えなどをしていたが、手持無沙汰だった。レイモンの話は深刻なのだろうか。ずいぶん長い時間話し合っているようだが、いい加減ディナーの時間も過ぎる頃だ。


「どんな話をされてるのかしらね?」


 ひとりごちて、今日のできごとを頭の中で反芻する。


(今日急にトネールに攫われたこと? 妖精のこと? ……そういえば、お嫁さんとか……)


 思った途端に頬が赤らんで、ミシェルはプルプルと首を振った。


(ううん。考えていても仕方ないわ。様子を見に行こう)


 ミシェルはぱっと立ち上がって、応接室へと向かう。普通、貴族令嬢が客の元に呼ばれてもいないのに顔を出すのははしたない行為だが、自分のことで話があると言って応接室にこもっているのだから構わないだろう。


 応接室が近づいたところで、がちゃと音をたてて部屋の扉が開いた。


「お父様」


 青い顔をしたアベルに続いて、レイモンが部屋から出てくる。


「ああ、ちょうどよかったです。今貴女を会いに行こうとしていたところでした」

「私に?」

「ええ。……レノー男爵、構いませんか?」


 きょとんとしたミシェルにレイモンは微笑んで、アベルをうかがう。相変わらずアベルは青い顔のままだ。


「はい……ミシェル、こちらへ来なさい」


(どうされたのかしら、お父様……?)


 不思議に思いながらも、ミシェルは手招きされるがままに応接室に二人と共に入る。そうして三人はアベルの隣にミシェル、その対面にレイモンという形でソファについた。


「回りくどいことはよくないので、単刀直入に言いますね」

「はい」


 レイモンがまっすぐにミシェルを見つめて言うのに、真剣な面持ちでミシェルは頷く。


「ミシェル嬢、僕の婚約者になって、結婚しませんか?」


(この話だったのね)


 得心したミシェルは微笑んだ。


「いいですよ」

「わかります。突然のことで驚きましたよね。ですが、今日のことを」

「だから、いいですよ」


 遮って再度ミシェルが言えば、応接室にしばしの沈黙が降りた。だが、長くは続かない。


「ミシェル!?」

「いいんですか!?」


 アベルが叫んだのと同時に、なぜかレイモンが顔色を変えた。


「政略結婚なのですよね? トネールたちのこともありますし、私が嫁ぐと双方に都合がいいのですよね?」

「え、ええ、まあ。そうです。そうなのですが」


 ぎくしゃくと返事をしたレイモンから、ミシェルは次にアベルに目を向ける。


「お父様も私が了承するのならこの縁談を結んでもいいと思ったのよね?」

「ああ、そう、だが……」


(たぶん私が断るだろうとお父様は思ったんでしょうけど……)


 もう一度レイモンに目線を戻して、ミシェルは淑女教育を受けた令嬢にふさわしい優美な笑みを浮かべた。


「でしたら私が拒む理由は……あ」


 不意に思い出して、ミシェルは困ったように眉根を寄せた。


(せっかく、初めていただいた求婚のお話なのに……これを言ったらお断りされるかしら……)


「どうしたんです?」


 気づかわしげなレイモンの声に、ミシェルは小さく拳を握る。


(でも、言わなくちゃ)


「レイモン様は知らないかもしれませんが、私、腕に大きな痣があるんです。……政略結婚とはいえ、痣持ちの嫁なんて、嫌じゃありませんか?」

「男爵に聞いています。そんなこと、全く問題になりませんよ」

「そう、なのですか……?」


 言下に否定されたが、ミシェルはまだ懐疑的だ。


「ええ」


 力強く肯定するレイモンはどこまでも穏やかな顔をしている。作り笑いでもなく、我慢しているふうでもないその表情に、やっとミシェルの緊張が解けた。


「よかった……」


 ふにゃ、と頬が緩んで、じんわりと目元が熱くなる。


 もともと、ミシェルが働きたかったのは、レノー男爵家のお荷物にならないためだ。家に居座り続けるのは外聞が悪いのだから、腕の痣のせいで結婚ができないのならば、せめて家のためになることがしたかった。


 だが、レイモンはそんなミシェルを娶ってくれるという。政略結婚だろうとなんだろうと、ミシェルが役に立てるならそれでいい。しかも、レイモンは腕を嫌がったりしない。ただそれが、嬉しかった。


「ありがとうございます、レイモン様」


 微笑んでレイモンに礼を言いながら、ミシェルは涙がこぼれないようにこらえる。


「……っ、いいえ、ミシェル嬢」


 すっと立ち上がったレイモンは、ミシェルのそばに来て、跪いた。そうして、彼女に手を差し出す。


「唐突な申し出を受け入れてくださり、ありがとうございます。ミシェル嬢、貴女とは都合上の結婚になるとはいえ、僕の妻になる方です。できる限り、貴女を尊重すると約束します。ですから……僕と結婚してくださいますか?」


 改めてのプロポーズに、ミシェルはふふっと笑みをこぼす。


(政略結婚なのに、まるで恋愛結婚みたいに優しいプロポーズをしてくださるのね)


「はい、喜んで」


 差し出された手に自分のものを乗せてミシェルは答える。そうして、就職活動をするために家を出かけたミシェルは、この日初めて出会ったレイモンと婚約することになったのだった。

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