第4話「エリザベート嬢は僕に中指を立ててくれない」

 顔に付着したピザを拭き取りながら席に着くと、喜嬉ひさきは物珍しそうに店内を見渡しだした。

 九十年代前半の海外製玩具が棚に屹立きつりつとして飾られたレトロな店並みを堪能すると、満足したかのように小さく吐息をらしてしまう。


「ファミレスなんて始めてきましたよ、オシャレな雰囲気ですね~」


 和々ニコニコと微笑みながら感想を述べていると、戯賀きしげは何も言わずに喜嬉の方へとメニューを渡した。


「選びながらで良いから俺の質問に答えろ」

「わかりましたわ!」


 喜嬉は初めて見るメニュー表を、高級車カタログでも見るかのように視線を縦横無尽に移してゆく。

 色彩様々な料理に空の胃袋を掴まれ、迷わされている間に戯賀はぺンとメモ帳を握り質問体勢へと入る。


「好きな食べ物は?」

「栗きんとん」

「嫌いな食べ物」

「ん~~、無し!」

「共和党」

「ティーパーティー運動って名称、洒落しゃれてますよね」

「座右の銘」

「イタリアのスケベ野郎を殴る時はまず親指を突き出す」


「……なるほど、だいたいわかった。んじゃあ──」


 ※


「──ハッ! また人格がブッ! ブヘェア‼ ペッ!」


 依頼者の人格が体に戻った瞬間、喜嬉は自分の口に違和感を覚え早大に吹きだした。


「な、なんですか! このネバネバした物は!」


 粘り気があり何とも言えない臭さが拡がる食べ物を目視した瞬間、喜嬉は目を大きくし鼻を摘まんでしまう。


「な、何なの! この黒い……イカすみ? イカ墨パスタ⁉ なんでイカ墨にネバネバで変な味がするの!」

「“イカ墨納豆パスタ”を頼んだのはお前だろ」


 入れ替わった彼女に反応し、眉をひそめながら呆れた様子で彼女を見つめる戯賀の方にもイカ墨納豆が飛び散っており、彼の頼んだメロンクリームパンにも掛かっていた。

 急いでテーブルを拭きだすと頼んだ記憶の無い高カロリーな料理の数々に、喜嬉は更に自身の思考と眼を疑ってしまう。


さばピザ、カツカレーチャーハン、イチゴとチョコソースが掛かった巨大パフェ……朝からこうも高カロリーばかり……何なの! もう一人の私は!」

「お前が全部頼んだんだろ」


 溜息を溢しながらもメロンクリームパンに付着した黒い納豆をはらい頬ばると、先程のメモ帳を取り出した。


「さっき“暗殺対象”である人格の方にも話したが、“依頼者”であるお前にももう一度ちゃんと話そう。

 ──解離性同一症かいりせいどういつしょう、まぁ二重人格だけどトラウマやストレスが原因でなるんだって、なんか覚えない?」

「二重人格の存在に気付き始めたのは一ヶ月くらい前でしたけど……ストレス……いえ、それらしいことは特にありませんでしたね」

「なるほど、二重人格だと気づけたのはどうして」

「周りから行動や発言が時々おかしいとか、私全然知らないのに大学のマリファナサークルとかに加入してたり、決め手は私がいつ買ったかわからないこのノートなんです」


 気落ちした様子で発覚した経緯を話すと、バックから『犬王けんのお喜嬉』と綺麗な字で書かれた何の変哲もない普通のノートを手渡しだした。

 いくつかのページをめくってみると、戯賀は物難しそうに眼を細め首を傾げだす。


「……これクトゥルフの本か何か? 俺、はらぺこあおむししか読めねぇんだけど」


 不真面目な反応に愕然がくぜんとしながらも代わりにページを捲りだし、喜嬉は例の内容に「これ」と指を差す。




 ──兎はどこから自然発生したのか。


 ──神はケツ穴から地球をひり出した。


 ──マイケル・ベイはトランスフォーマーで味を占めてしまった。


 ──全編説明がほとんど無く、あとは視聴者の考察に任せます系の作品は三流以下。


 ──一万年と二千年前とか言ってる暇があったら、主人公の性格なんとかしろ。


 そこに書かれていたのは厨二病的であり、独創的であり、哲学でもある兎にも角にも見るに堪えないいびつな内容ばかり。

 所々ところどころに下手くそな落書きが書かれており、『未来に降臨する悪魔』と書かれている絵なんてただの角の生えた“棒兎ぼううさぎ”だった。


 そんな文章ばかりを読み進めていくと、






 ──新作映画、性病vsメガロドン あなたは誰?




 意味不明文章の中、一つの文章に指を差して喜嬉は喋りだした。


「この『あなたは誰?』ってところは私が書きました、ほら筆記とか色々と違うでしょう? ノートで会話できないかなって思ったんですけど……これ以来何も書かなくなって」


 見比べてみると確かに文字の書き方が全く違うことが伺えられ、戯賀はメロンクリームパンを一口食べノートに顔を近づけた。


「……いっつもおかしなこと書いてるんだなお前、キリストと機関銃は恋人とかさ……」

「だから! 私はそんなこと書いてません! もう一つの頭のおかしな私がそれを書いてるんですって!」

「お前の区別なんてわからない人から見たら江戸時代と戦国時代くらい見分けつかねぇだろ」

「つきますよ! 縄文と明治くらい!」


 しばしば口喧嘩をしていると其処そこに戯賀が注文したお茶が運ばれ──テーブルに置かれるよりも早く、皿に乗ったカップだけを取り顎を仰け反らせながら飲み切ると平静な様子で空のカップを皿に置き直し、そのまま持って帰らせた。


「……そこでだ。本来だったら保護とか良好な関係を結ぶだとかで治すらしいんだが、今回はっつーわけだからなぁ……」


 顎に手を置いて何かを思案するような表情を浮かべた戯賀を見た喜嬉は、既に嫌な予感が脳を凍えさせ身をすくませた。


「な、何ですか……」


 恐ろしさ十割十の気になる内容を、小さな聲で彼に問く。

 気が抜けたかのように目をつぶったまま鼻から息を溢すと、戯賀は静かに唇を開きだした。


「そこで……俺は逆にお前を甚振いたぶり続けて、人格をボロボロにして一つにすることにした」


「……は?」


「いわゆるショック療法ってやつ」

「ぐ、具体的にそれは何を──」

「んじゃあショック療法、とりあえずお前が頼んだもの全部食え」

「ちょっと!」

「グズグズするな! 例え人格が違うとしてもお前が頼んだものだ! 農家や輸送業者全員に謝罪できるのか⁉」


 突然怒りをおもてに出し、威圧を掛けてくる戯賀に体を震わせてしまう。

 別の自分だとしても確かにこれらは自分が頼んだ物だ、食べたければ食べたいが最悪な事にばかりが並んでいるのだ。

 それを全部喰えなんて、自業自得な所もあるが脅し以上の何物でもない。


「で、ですけど……」

「はいはい、何かあった時の催涙ガスと精神安定用コカインね」

「コカッ──んぐっあ⁉」


 机の上に手際よく置かれた二つの物に驚いた喜嬉の口に、戯賀は急いで鯖ピザを詰め込んだ。


「ンぐ……んぐあぁが……げぇあ……」

「ホラ食えホラ食えホラ食え」

「や、やめ……巫山かんざさ……うッ」


 カツカレーチャーハンと鯖ピザ、イチゴチョコ巨大パフェを交互に口へと投入し、三角食べのバランスを実証していると──











「ヴぇぇぇぇあぇぇぇぇあえっぇええあヴぇ」




 吐瀉としゃ

 結論、三角食べは無能。


「もう食べればぜん……吐いぢゃうばっがで……」

「じゃあゲロ食えよ!」

「やだァ‼」

「韓国人に負けるぞ!」

「負けで良いです‼」

「ちょっとジョッキ持って来てぇ!」


 催促するように呼び出すと店主の男がジョッキを片手に此方こちらへとやってきて、サバやチャーハンの形が残った吐瀉物がぶちまけられたテーブルの前に立ち手渡した。


「おい、さっきから君たちは何やってるんだ」

「え? 戦争孤児の募金活動の為のパフォーマンス研究ですけど」

「……そうか、あんまり騒いだり汚したりするなよ」


 戯賀の嘘に首肯しゅこうし立ち去るとすぐさま手でかき集めた吐瀉物をジョッキに入れ、恐怖に顔を歪ませていた彼女へと吐瀉物水を突き出した。


「飲~~~む~~~のッ!」

「飲まないッ‼」

「二ドル払う!」

「いらな──ゲッ」


 瞬間、またも口へと押し込み彼女が出した物を体の胃袋へと戻し込んでいく。

 飲み込むと喜嬉は電源が落ちたかのように俯きだし──


「ふ、ふふっ、ふふふっ、あはははっ」


 小さく肩を上げながらまるで何かが吹っ切れたかのように哄笑しだし、太ももを二回ほど叩きながら天井を見上げだした。





「あはははハハハハハははははハハハハはハハハハハッ!」

「お、治ったか」






「あーはははははははは! ゲロ食べちゃいましたわ~、十年熟した梅干しみたいで食えたものじゃありませんわね。あはは」


「あ~~~~」


 食ったゲロに対して嗤う暗殺対象の喜嬉、それを見て頭を抱える戯賀。

 人格が入れ替わったとなると、今は何もすることが出来ない。


 これは骨が折れるな、頭髪が棒になりそう。

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