「そ」

Column1 「壮絶」を「悲惨な、惨たらしい」と解釈するのは正しい?

 今回は、「壮絶」の意味について考えてみようと思います。


     ☆


 ——壮絶な戦いだった。


 皆さんは上記の一文を読んで、どんな戦いをイメージしたでしょうか。


「悲惨な、むごたらしい(戦いだった)」とイメージする方も多くいるようですが、それは本来の意味ではありません。


「壮絶」とは「きわめて勇ましいこと」(『明鏡国語辞典 第三版』より)。

 そのため、「壮絶な戦いだった」は「きわめて勇ましい(戦いだった)」という風に捉えるのが適切です。


「壮絶」の「壮」には、「意気・血気が盛んで勇ましいこと。また、大きくて立派なこと」というような意味があり、「絶」には「壮」の意味を強調する「非常に」とか「この上ない」として使われています。


 漢字の成り立ちを考えれば、「悲惨な、むごたらしい」として捉えるのは不適切であることが分かることでしょう。


 そもそも、何故このような誤解が生まれたのかというと、「想像を絶する」と混同されたのではないかと考えられています。


「そう(ぞうを)ぜっする」と「そうぜつ」という音と近いですよね。そして「想像を絶する」とは「想像できる範囲をこえている」(『デジタル大辞泉』より引用)という意味ですから、「壮絶」の誤った意味とも重なります。(『毎日ことば』参照)


 では、この本来の意味ではない使い方について、辞書ではどのように考えているのでしょうか。下記に整理してみました。



●「壮絶」を「悲惨な、むごたらしい」と意味で捉えることを認めている辞書

『三省堂国語辞典 第八版』


●「壮絶」を「悲惨な、むごたらしい」と意味で捉えることもあると記している辞書(⇒現状を記しただけで、どちらかというと認めてはいないと思われる)

『デジタル大辞泉』


●「壮絶」を「悲惨な、むごたらしい」と意味で捉えることを誤りとしている辞書

『明鏡国語辞典 第三版』


●おそらく「壮絶」を「悲惨な、むごたらしい」と意味で捉えることを誤りとしている辞書(⇒言及されていない・用例がないため)

『新明解国語辞典 第八版』『新選国語辞典 第十版』『旺文社国語辞典 第十一版』『三省堂現代新国語辞典 第六版』『学研現代新国語辞典 改訂第六版』『大辞林4.0』『精選版 日本国語大辞典』



 整理したものを見る限り、ほとんどが認めていないようです。


 辞書の中で唯一、「壮絶」=「悲惨な、むごたらしい」を認めている『三省堂国語辞典 第八版』を引いてみると、「②はげしさや、異常さが感じられて、おそろしいようす。凄絶(おそくとも終戦直後からある用法)」や「③程度がひどいようす」と書いてあります。


「おそくとも終戦直後からある用法」とあるように、『三省堂国語辞典 第八版』では使われて来た歴史をかんがみて、「壮絶」=「はげしさや、異常さが感じられて、おそろしいようす。凄絶」という意味として使うことも許容しているのでしょう。


 多くの辞書で認めいない「壮絶」=「悲惨な、むごたらしい」ですが、意外にも色んなところで見かけます。

 ネットの記事でもそうですし、最近売れている小説でも見かけました。そしてどれも「壮絶ないじめ」という風な使われ方をしていて、どうも「壮絶」+「いじめ」がセットになってきている印象があります。


 これからもこの使い方が広まれば、他の辞書でも認めることもあるかもしれません。

 ですが、漢字の意味と上記の辞書の状況を踏まえると、今のところは「壮絶」=「きわめて勇ましいこと」という意味として用いた方がよいのではないかなと思います。


 皆さんは、「壮絶」を「悲惨な、むごたらしい」という意味で使うでしょうか?



◇掲載場所◇

『ことば』2023年―9月―Column14

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