Column3 「探す」と「捜す」の違い②

 さて、前回のColumnでは、「探す」と「捜す」を次のように捉えましたね。


「探す」……「欲しいものを見つけようとする」

「捜す」……「見えなくなったものやなくしたものを見つけようとする」


 例えば「古書店で初版本を探す」「宝物を探す」「職を探す」(『学研現代新国語辞典 改訂第六版』より引用)というのは、欲しいものや求めているものを見つけようとしていたため「探す」が使われ、「犯人を捜す」「落とし物を捜す」は見えなくなったもの、なくしたものを見つけようとするため「捜す」が使われていました。


 しかし『三省堂国語辞典 第八版』を調べてみると、なくしたものを見つけようとするはずの「カギをなくして部屋の中をさがす」は「探す」の見出しにありましたし、『てにをは辞典』では「犯人を出す」という記載がありました。


 何故、このように辞書によって違いが出るのか。それを考えるために、今回は漢字そのものに注目してみようと思います。


 使用するのは『漢字の使い分けときあかし辞典』です。これには次のようなことが書かれています。


**********

《探》は、もともとは〝穴の中のようすを確認しようとする〟という意味合いを持つ。「火星の探査」「ジャングルの奥地の探索」「事件の真相を探る」といった使い方に、そのことがよく現れている。

(中略)

 一方、《捜》は、いわば〝家の中でなくなったものを見つけ出そうとする〟というイメージがある。音読みの熟語では、「犯罪の捜査」「行方不明者の捜索」がその例となる。

 つまり、《探》は〝穴の中〟という未知の場所で「さがす」のに対して、《捜》は、〝家の中〟というよく知っている場所で「さがす」という違いがある。ここから、《探》には漠然とした雰囲気がある一方で、《捜》は、「さがす」ものや場所について具体的な情報があったり、「さがす」方法がはっきりしているなどといったイメージを持つ。

 たとえば、財布を忘れた場合、どこで忘れたかがはっきりしているなど、具体的な手がかりがあるときには、「忘れた財布を捜す」と書くことができる。これを《探》を使って「忘れた財布を探す」とすると、あてもなく「さがす」というイメージになる。

**********


 これを元に、『三省堂国語辞典 第八版』にあった「カギをなくして部屋の中を探す」を考えてみると、「あてもなくさがす」ということがイメージとして湧くのではないでしょうか。


 逆に「カギをなくして部屋の中を」であれば、「具体的な手がかりがある」状態で見つけようとしていることが、ニュアンスとして伝わるように思います。


 では「犯人を探し出す」はどうでしょうか。

 これも『漢字の使い分けときあかし辞典』に分かりやすい解説が書いてあったので、引用いたします。


++++++++++

「犯人につながる手がかりを探す」(中略)も、〝あるかわからない〟と考えて、《探》を書くのがふつう。《捜》を用いると、手かりがかり(中略)について、〝存在を確信している〟というニュアンスになる。

「逃走中の犯人を捜す」の場合は、犯人についてさまざまな情報があるはずだから、普通は《捜》。《探》を使うと、なかなか見つからない〟雰囲気になる。

++++++++++


 つまり「探す」とすると、「あるかわからないもの」や「なかなか見つからない」というニュアンスを持ち、「捜す」とすれば、「存在を確信している」「見つけ出すためのさまざまな情報がある」というニュアンスを出すことができるということが、ここから分かるかなと思います。


 そして辞書によって使い分けが違ったのは、この点を取り入れるか否かにもよるのかなと、個人的には思います。


「探す」と「捜す」のお話、いかがだったでしょうか。


『Column3 「探す」と「捜す」の使い分け①』の冒頭にも記載いたしましたが、「探す」と「捜す」は混用されることも多いので、使い分けが難しい漢字であることは確かです。

 また辞書によっても見解が違っていたので猶更なおさらだと思います。


「探す」と「捜す」を使う際は、書き手の方が「どういう方針で二つの『さがす』を使い分けるのか」を考える必要がありそうです。



◇掲載場所◇

『ことば』2023年―8月―Column8


【おまけの話】

 あるテレビ番組を見たときのこと。


 ヨーロッパにある山で生活をしている人の話だったのですが、そこで生活する夫婦の娘が、取材者に対して「敷地のどこかにいる、お母さんを探してくるわね」というようなことを言ったのです。「言った」といっても言語は日本語ではなくヨーロッパの方の言語なのですが、字幕にはそのように表記してありました。


「お母さんを探してくるわね」と言ったのは、放牧などもしているので敷地が広いことが関係していますが、その娘には母親が「家の周囲のどこかにいる」ことは分かっているんです。そのため、ここまで書いた内容ですと「捜す」の方が正しいように思います。


 ですが、脳内で「お母さんを捜してくるわね」と表記したのを思い浮かべたら、なんだか事件のにおいがしてくるな――と思いました。

「捜索」という熟語があるせいなのか、それともこの敷地の広さだと本当に迷子になる可能性もあると思ったのかもしれませんが、何となく「捜」を使うと穏やかな雰囲気ではなくなるかもしれないなと。


 また、母親は「家の周囲のどこかにいる」とはいえ、「『ここにいる』という確かなことが言えない」というのもあるのかもしれません。

 例えば、家の北側かもしれないし、東側かもしれない。牛や牧羊犬と一緒にもっと離れたところへ行ったのかもしれない――つまり「家の敷地内にはいるけれど、これから向かう方向にはいるか分からない」、ということなのかなと想像します。


 字幕スーパーを付けた方が、どのような意図をもって「お母さんを探してくる」としたのかは分かりません。ですが、牛などの生き物が周囲にいて、時間がゆっくりと流れる大らかな雰囲気のある場所での出来事だと考えると、「お母さんを探してくる」の方がいいのかもしれない――と思いました。


 ……以上、おまけの話でした。

 これは私の個人的な感覚なのであまり共感できないかと思いますし、そもそも深読みしすぎている可能性もあるので何とも言えません。そのため、「そういうこともあるのね」とさら~っと読んでいただければ幸いです(笑)

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