Column4 「きこえる」を「聴こえる」と書けるか否か

 今回は、「きこえる」に「聴」の漢字が使えるかどうかについて考えてみたいと思います。


     ☆


 先日完結した『割り切れない日本語』で、「聞く」「聴く」「訊く」について修正していたときのこと。


 辞書を改めて調べていたときに、「『きこえる』を『聴こえる』と書くのは、本来は誤り」(『明鏡国語辞典 第三版』を参照)という解説を読みました。


 何故「聴こえる」と書けないのかといえば、「聴」という漢字には「その音を聞こうと意識を向けている」という意味があるため、「どこからか聞こえる音が耳に自然と入ってくる」というものとして使うには不適切ということなのでしょう。


 この点について他の辞書ではどのように捉えているのか、調べてみました。



●「聴こえる」と書くのは(本来)誤りとしている辞書

『明鏡国語辞典 第三版』『学研現代新国語辞典 改訂第六版』


●「聴こえる」と書くのを認めている辞書

『三省堂国語辞典 第八版』『三省堂現代新国語辞典 第七版』


●おそらく「聴こえる」と書くのを認めていない辞書(⇒見出しがない・言及されていない・用例がないため)

『新明解国語辞典 第八版』『旺文社国語辞典 第十二版』『新選国語辞典 第十版』『岩波国語辞典 第八版』『旺文社標準国語辞典 第八版』『大辞林4.0』『デジタル大辞泉』『精選版日本国語大辞典』



 認めている辞書もあるようですが、基本的に「聴こえる」を使うことを許容している辞書は少ないですね。やはり「聴」という言葉には、そこに「耳を傾ける」という意味があって、「自然と音が入ってくる」というのとは異なるということがあるのだろうと思います。


 ちなみに、認めている辞書についても、すべて「聴こえる」と書けるわけではないようです。『三省堂国語辞典 第八版』には「音楽の場合など」と条件を付けていて、多分「きれいな音」について言っているのかなと思われます。


 とはいえ、これまで私が読んできた出版された作品を読んだ中でも、「聴こえる」を使っているものがありました。


 その作品というのは、難聴の子が登場するもの。


 彼らにとって「音をきこう」とするときは、常に意識を傾けなくてはいけないんですね。ですから、作者さんは彼らが耳で「きく」「きこえる」という場合は、常に「聴く」「聴こえる」を使っているようでした。(実際に作者さんの解説があったわけではないですが、使われている場面を総合的に考えると、上記のように考えられると思った次第です)


 この辺りも、作品の内容によるのかなと思うのですが、意図して使うと、より作品の奥深さを感じられるのかなと個人的には考えます。


 ただし、やはり「聴こえる」を使うことに否定的な辞書も多いことをかんがみると、使う場面には注意する必要があるでしょう。この辺りは、作者さんに委ねられるのかなと思います。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る