ティア湖と勇者

 海を思わせるほど広いの底。

 秘された石碑はそこにあるらしい。観光客も多く訪れる有名な湖を前に、アトリとマトは途方に暮れていた。


「さてと。どうしたものか。この輝きの杖は魔法力を繋げる力があるが、直に触れるまではどれほど近づいてもその性能を発揮しない。なあ弟子よ、素潜りに自信はあるかな」

「五メートルくらいなら潜れるけど。さすがにこれは」


 マトは湖を覗き込むが底は見えない程深く、伝承では湖の中央にあるという石碑はとても目視できるものでは無かった。

 秘された石碑。

輝きの杖で触れる事で、繋がり、魔力を循環させる事が可能になるという。

 人も妖精をも超えた魔法力の行使を可能にするというが。秘された、と言うだけあり、その所在は伝聞と伝承でしか伝わっておらず、捜索には長い時間を要する。


「メートル。メルトルと同義だね。やはり面白い。異なる世界とはいえ近しいものが幾つもあるのだから。元を辿れば、もしかしたら同じところから生まれたのかもしれないね」

「それで賢者さま。どーするのでしょうか?」


 マトはしばらくはティア湖で野宿かなと算段をつけ、背負った寝袋のセットをどのあたりに設置するか考え始める。


「深き海に沈む魔法トリト。暴風の魔法ソト。いや、いっそ爆炎の魔法フレイヤで湖を蒸発させてしまうのも手か」


「いやいや。最初に言ったトリトでいけるんじゃないか」


「魔法は便利だが万能じゃない。塩水と淡水、海と湖。深き海に沈む魔法は十全に機能はしないだろうし。なにより、深き湖の底から浮上する術もないし、息も持たない」

「融通が利かないなぁ」

「元素魔法であればシンプルだが、特殊魔法ともなると限定的な状況下でしか使えない事もざらだ」


 アトリは肩をすくめ、マトは自分の中の『なんでも出来る事が魔法』という認識を改めた。


「ちなみに。かなり大きな水棲生物も潜んでいるらしいよ。たまにボートが沈むらしい」

「魚のエサにはなりたくないな」


 二人が頭を悩ませていると。


「何か困りごとかい? オレで良ければ力になるぞ」

「ちょっとフェイ。貴方は世界を救う役目があるでしょう。そりゃ困ってる人は見過ごせないけど」

「そうですよ。勇者として、賢者さまに知恵を借りなくては。寄り道していてはいけません」

「……」


 現れたのは四人組。

 快活な雰囲気の金髪の青年、勝気そうな赤毛の女性、真面目そうな藍色の髪の女性、寡黙で不思議な雰囲気の青白い女性。四人とも戦士としての迫力ある装備と雰囲気を帯びている。


「勇者フェイ……、本当にいたのか」


 マトの口から感嘆が漏れる。

 ゲールや水の都で噂に聞いた勇者一行が現れたのだ。

ファンタジー世界にはある程度なれたつもりの彼だったが、こういった役割を負った

人間を見るのはアトリ以外ではゲールの城主くらいのものだった。


 曰く、勇者フェイは大国カエリエストの兵隊と妖精の争いを単独で撃破し争いを収めたという。


「そこの黒髪は知っているみたいね。そうよ、彼が勇者フェイ、私が魔銃使いのエトナ、で回復魔法士のミルテに。そこの黙っているのが妖精のハーレ。よろしくね」


 差し出された手を握り返すマトはアトリを見る。どうやら賢者を探しているとの事だが。アトリは小さく首を横に振り、我関せずの心づもりらしい。


「えっと。俺はマト、こっちが」

「アメリア。魔術学院にいたけど、従者のマトを連れて家出中。あまり構わないでほしい」


 それなりに名の知れたアトリはいつも通り偽名のアメリアを名乗った。


「そっか。よろしくな、マト! アメリア! それで、なにか困っているように見えたが?」


 フェイの力強い両手がマトとアトリの肩を揺らす。

 まさに明朗快活といった雰囲気の男は人々の心を照らすに相応しいと言えるが、アトリは面倒くさそうにその手を払った。


「フェイ! あんた話聞いてたの?」

「だってよぉ」


 と仲間同士で揉めだした二人にマトが割って入る。


「ああっと。大丈夫ですよ。な、アト、アメリア」

「そうだね。大した問題ではないよ。勇者フェイ、キミはキミの役目を果たすと良い。これは餞別だよ」


 アトリはそう言うと杖をフェイの頭にかざした。


「希望の魔法セラ。キミの未来にささやかな祝福を」


 ぽわぽわとした光がフェイを包む。


「お! なんか幸せな感じがする!」

「さあ。行きたまえ。もっとも、お前は畑でも耕す方が向いているだろうがな」

「――ははっ、間違いないな!」


 ――それがマトと勇者一行との出会いだった。

 人嫌いのアトリにしては温和な対応だったことに驚いたマトだったが、その理由を聞いて納得した。


 魂を視る魔法ソレイユ。

 アトリは初対面の人間には常にこの魔法を使用しているのだが、フェイの魂は輝くオレンジであり、非常に美しかったからだという。


 因みにマトの魂の色は煤けた水色であり、アトリの魂の色は淀んだ暗灰色。経験により陰る魂が、あのように美しいまま保たれるのは稀で。アトリはフェイの勇者としての旅に少しだけ期待したのだろう。


「それなら話くらい聞いてあげればいいのに」

「勇者フェイはともかく。他の三人はみな恋する桃色。とても一緒にはおれんよ」

「あの無口な妖精も?」

「ふ。あれはもはや本懐は遂げられないな。いるんだ、妖精にも関わらず人間に入れ込む変わり者がな。あまり褒められた事ではないが、想いを阻む事も出来まい」


 どこか懐かしむようにアトリは呟くと、杖をトンと下ろし湖を眺めた。


「さて。それで。どうしようか」


 結局、投擲する魔法クールトを使用し、杖が湖の底の秘された石碑に直撃するまで二週間の時を要した。


 そんないつ終わるとも知れない旅は、争いの歴史に隠れながら続いていく。

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