纏世言語魔法

「アトリ様、もう少し滞在しても良いのでは?」


 アトリが万雷の魔法を使用し、水の都周辺の景観を損ねてから一週間。

水の都から北上し広大な湖『ティア湖』を目指す事にしたマトとアトリを、関所まで見送りに来た衛兵エレートが引き留める。

 水の都で二つの秘された石碑を探し出したマトとアトリだが、何故かその捜索に付き合ったエレートに奇妙な友情を感じており。そんな彼に引き止められた二人はつい足を止める。


「あれほどの力を持つアトリ様がカエリストに就くとなれば、王も姫様も喜ぶでしょうに。もう幾許か滞在していただければ謁見の機会もあるかと。城内の景観はそれはもう見事な――」

「のこのこ遊びに行って、それで争いに引っ張り出されては困るんだよエレート。我々には旅の目的がある」

「秘された石碑、ですな。いやはや惜しい。賢者アトリ様に、勤勉な従者のマトの二人がもう旅立ってしまうとは。まだまだ見て欲しい場所は多くあったというのに」


 エレートは肩をすくめマトを見下ろす。

 その顔には『アトリ様を引き留めてくれ』と書かれていたが、それは無理な相談だとマトは苦笑する。


「何度もご馳走になって、何て言うか、エレートさん、ありがとうございました」


 マトが頭を下げるとエレートは諦めたように小さくため息をついた。


「いや、こちらこそ有意義な時間を過ごさせてもらった。姫様が心配なさっていたゲールの近況も知る事が出来たし、なにより二人の友人が出来たのだから。マト、どうか良い旅を。そしてあわよくばアトリ様を連れ帰って来てくれ」


 マトはエレートの大きな手にぐらぐらと肩を揺らされながら笑顔で頷く。

 もし、また水の都に来ることがあるのなら、再びこの大男と街を巡りたいと思ったのだ。


「やれやれだ。ではな、エレート。そこで寝ている小妖精にもよろしく。せいぜい仲良くやってくれ」


 アトリはエレートの腰につけられた『ベッド』を見つめる。


「はは。いつまで共にいるかは分かりませんが、私も彼も、互いの夢を支え合う友人でいたいと思っています」

「そう願っているよ。……よし、餞別だ、魔法力について少し教えてやろう」


 アトリはエレートと小妖精エディンの友情に僅かな希望を見だし、言葉を送る。


「まず一つ、妖精は自分では魔法力を生み出す事が出来ない。

 自分の身体を維持する程度は出来るが、基本的には自然、大地から漏れる魔法力を吸収していくしかない。幸か不幸か同族を積極的に襲う種族ではないが、それだけに自身が『魔法』へと至る為には長い時間を要する。もっとも、たまに勝負と称して魔法力の奪い合いくらいはするがね」


 アトリは一歩、二歩と踏み出し、エレートに背中越しに語り掛ける。


「一方の人間は魔法力の扱いは妖精と比べて段違いに苦手だが、その魂は個人差はあるとはいえ魔法力を生むことが出来る。特に、感情を大きく動かした時に魔法力が溢れるんだ。例えば先日放った万雷の魔法。あの威力、あれは私の感情の発露と言ってもいいだろうね。本来はもう少し威力が低いはずだった」


 エレートは苦い顔を浮かべる。

 いくら魔獣討伐のためとはいえ、アトリが薙ぎ払った一帯は植林をしたばかりだったのだ。エレートにとって関係各所に頭を下げに行った事は記憶に新しい。


「でだ。もし妖精が人間に近づくとすれば、それは魔法力が目当てと思っていい」

「しかしそれは、良く言えば手を取り合えるという事でもありませんか?」

「協力は出来るだろうが、妖精の魔法は人には過ぎた力だ。利用するだけのつもりが力に憑りつかれ、容易く争いが起こるさ。そして魔法へ至れるのならば、善悪など些細なことと人間に力を貸す妖精も少なくないだろう」

「日常生活の中での助け合いはできませんか。妖精の魔法があればきっと生活が豊かになる。妖精も人から魔法力を貰えば互いに利がある」

「戦場こそ、一番効率が良い」

「な……」


 アトリはまた一歩進み、エレートは思う所があるようで考え込む。

 そんな二人を見つめるマトの脳裏には、ゲールの城下町を焼いたあの竜の姿があった。人の欲、妖精の欲が重なった時にあの光景が再現されるかもしれない。

 それは恐ろしい事だった。


「魔法力を得るのに一番効率がいいのは。笑い合う事でもなく、慈しみ合う事でもなく。殺し合う事だ。怒り、慟哭、負の感情は瞬間的に増幅するからね。エレート、血の味を覚えた妖精は恐ろしいよ。ここ200年は生存圏の違いと先代妖精女王の意向で人と妖精が交わることが殆ど無かったけど、もう、黄金の時代は過ぎてしまった。これからは、今までよりずっと妖精を目にする機会が増えるだろう」


 輝きの杖に指を添わせると、アトリは自嘲気味に笑う。


「水の都に長居して、噂話に耳を立てて分かったよ。もうじき、人と妖精の争いが始まる。カエリストが戦い始め情勢が不安定になれば、小国も付け入る隙があると考え攻めてくるかもしれない。エレートよ、お前の王は、もう止まれないのか?」

「攻められては、反撃するしかないでしょう。友好国であったゲールが焼かれた今、少なくとも『準備』はしなくてはなりません。なにより、今は相手が人なのか妖精なのかすら判断がつかない。武力を誇示し敵の士気を下げるのは、間違いだとは思えません」


 ああ、それはもっともだなとアトリは諦観を浮かべる。


「……妖精の国が出来てから数年でこれだ。群れるはずのない妖精が国を作ってしまった。今代の妖精女王カーマインベールの『号令』によるものとしか思えない。そして、いくら群れようが妖精の本質は変わらない。自身が魔法へと至る為に魔法力を求める。そして、これから先、人を知った妖精が増えれば、やがてより効率の良い魔法力の摂取方法に気がつくだろう。その誘惑に、妖精は抗えない」

「アトリ様、それは。妖精が争いを起こすという事ですか」

「……お前とエディンは、そうでないと信じているよ。そうすれば、少しは希望が見えてくる。魔法などなくても理解し合えるのなら、それが一番だ」


 アトリは口を閉ざした。


「……アトリ様のお言葉、決して忘れません」

は案外お前の事が気に入っているんだ。むざむざ死ぬなよ、エレート。本当にやばい時はそこのウトウト小妖精と魂を通わせ、契約しろ」

「契約ですか?」

「ああ。といっても魂の契約は5割以上の確率で死ぬがな。だが、もし契約を成立させれば、大抵の戦場を生き延びる事くらいは出来るだろうさ。詳しくはエディンが目を覚ましたら聞くと良い。――行くぞ、マト」

「あ、うん。それじゃあエレートさん、また!」

 そうして、二人はエレートに見送られ美しい水の都を後にした。


・・・


 カエリストと妖精国の争い。小国と妖精国の争い。そして、カエリストと連合諸国との争い。小規模な争いから突発的な衝突、そして大規模な戦争。歯止めのきかない争いが始まろうとしていた。

 人は争い、領土を得て、利益を得る。

 妖精は争い、魔法力を得て、魔法へと至る。


 そして。

 ――妖精国から離れた妖精が人の国に力を貸し始めた事で、

 妖精戦争が幕を上げる。


・・・


 旅の最中。

 草原を歩くアトリは拾った小枝と輝きの杖を交差させた。


「実のところ、エレートが言っていた事は可能かもしれない。争う事無く手を取り合い、互いに利益を与え合う関係は無理ではないのかもしれない。けれど、強力すぎる魔法がある事も事実だ。

 芽生えた信頼を一方的に壊してしまう力を、私たちは見ただろ?」


 パキっと輝きの杖に押し付けられた小枝が折れる。


「同じ言葉を有してはいるが、同じ理を、他種族の理屈を理解している訳ではないからね。利害だけでは無い『何か』を見出さないといけない。残された時間は少ない。悲劇は、我々が止めなくてはならない。人同士、妖精同士、人と妖精同士。皆が真に互いを想い合えるように。その一歩を作り出さないと」


 マトは自身の火傷痕が残る右手を見つめ、ぐっと握りしめる。


「人はやがて、キミの世界のように科学を発展させ魔法から離れるかもしれない。妖精はやがて人を家畜とし効率よく魔力を生み出す道具とするかもしれない。そうなるとどうだ。待っているのはどちらかが絶滅するまで続く争いだ。そうなる前に」


 旅の過程で秘された石碑に触れる度に輝きを増す杖を、二人は見上げる。


「纏世言語魔法。――が至るべき、相互理解の魔法を、かの地にて発動させる」

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