万雷

「これが、カエリスト。水の都か」


 アドミニアという世界にある程度は慣れたつもりのマトだったが、美しい白い石畳と街の隅々にまで広がる水路、計画的に建てられたレンガ作りの建物が立ち並ぶ様は圧巻の一言。


 水路にはゴンドラに乗った水夫が行き交い、どこからか軽やかな音楽が聞こえて来て、これまでマトが訪れたどの町よりも水の都は栄えていた。街のあちこちには加工した魔法鉱石を取り付けた街灯が立ち並んでおり、夜になればまた違う光景を旅人に見せてくれるだろう。


 特に見事なのが街の中央にある大きな噴水。

 女神らしき石像が持つ水瓶から絶えず水が溢れ、この国の豊かさを表しているかのようだ。


「久方ぶりの水の都だが、どうにもこの人の多さは慣れない。少し離れた国で起った竜騒ぎなんてまるで無かったかのような賑わいじゃないか」


 アトリは噴水の縁に座りながら行き交う人々の多さに辟易としていた。


「私は本来向こうのお城が似合うお姫様タイプなんだ。弟子よ、さっさと宿屋でも見つけて来てくれないか」

「こんなに広いと宿探しも大変そうだ。パンフレットでもあれば良いのに」


 マトはそう言いながら周囲をキョロキョロと見渡すと――。


 ――ドンッ、と何処からか一人の大男が降り立った。


 後ろに束ねた黒い長髪、白銀の鎧と青いマントを纏ったその姿は大きな体躯も相まって二人に威圧感を与える。


「っ」


 マトは反応できず危うく噴水に落ちそうになり、アトリは輝きの杖をギュッと握りしめ臨戦態勢に移る。


「おっと、驚かせてすまない。私はしがない衛兵のエレート。普段は観光案内をしているんだが。なにやらお困りのように見えたので、声をかけさせてもらった」


 エレートはニコリと笑みを浮かべ、アトリの杖を下げるようジェスチャーしたが、突然現れた大男に易々と心を許さないアトリは一歩下がり杖を構える。


「とてもしがない衛兵の風貌には見えないな。まるで歴戦の戦士のようじゃないか。それにお前。少し妖精の気配がする」


 依然警戒を解かないアトリの言葉にエレートは僅かに目を見開き、顎に手を当てる。


「ほう。お嬢さんのその姿、伊達ではないらしい。寝ていないで出ておいで、エディン」

 すると、パタパタと小さな翅を持つ妖精がエレートの腰の辺りから現れた。


「っ、妖精?」

「小妖精だよマト。しかし不思議な組み合わせだ。カエリストの兵士と小妖精のコンビなど聞いた事も無い」


 マトは至近距離で妖精を視たのは初めての事だった。

 大きさニ十センチほどの妖精はパタパタと羽ばたくのが疲れたらしく、ポテンとエレートの肩に腰を下ろす。髪の長い少年といった容姿で身につける衣服はサイズ以外、人が着るものと同じに見える。


「ふぁ。こんにちは。旅人の二人。ボクはエディン。キミ達は?」


 眠たげな小妖精エディンが目を擦りながら二人を見下ろす。


「俺はマト。それでコッチが」

「アメリア。魔術学院から弟子のマトと共に海を渡ってやって来た」


『流浪の賢者アトリ』という目立つ名前は伏せ、アトリは使い慣れた偽名で自己紹介を終える。


「それは長旅ごくろうさま。ここに着いたばかりなら、キミ達もエレートの世話になると良い。こんな大きさだけど面倒見の良い男だ。ボクも、消えかけていた所を助けてもらった。ふぁ」


 エディンは小さな欠伸をすると、エレートの肩にうつ伏せになり眠り始めた。


 エレートはやれやれとため息をつくと、腰に取り付けていた蓋の無い水筒らしきものを掴み、その中にエディンを入れた。どうやら水筒はエディンのベッド代わりらしく中には柔らかそうな布が敷き詰められている。


「近隣の魔獣討伐の折に、偶然見かけて拾ったは良いものの。中々離れる気配が無くてな。今ではこうして友人という訳だ」


 そんな様子をみて毒気を抜かれたのか、アトリは杖を下げた。


「さて。警戒も解いてくれたと見える。そろそろ昼飯時だ、よければこのエレートのおススメをご馳走しようじゃないか」

「……ご馳走」


 懐事情が心もとないアトリの心が揺れる。そして。


「コホン。せっかくの申し出を断るのも行儀が悪い。エレートと言ったな、がっかりさせないでくれよ?」

「ははは。これは責任重大だ、それでは水の都の観光ツアーといこうじゃないか」


 エレートに連れられ、二人は水の都を巡るのだった。



・・・


「お前の人となりは理解したが。エレートよ。仕事はしなくて良いのか?」


 夕暮れ時。街はずれの小高い丘に設置されたベンチに座るアトリは手に持った紙袋を覗き込む。水の都を一望できるこの場所をエレートは紹介したかったらしい。


「ま、こちらとしては世話になり助かったが」


 アトリが手に持つ紙袋の中には一口サイズの芋を甘い蜜でコーティングしたデザートが入っており、芋を頬張ったアトリの表情は綻んだ。杖を持たされていたマトは『大学芋』みたいなものかなと推測する。


「仕事というならば、こうして街を見まわる事こそが私の仕事だ。非常に有意義な一日だったよ。マト、今日は楽しかったかい?」

「はい。こんなに楽しくて良いのかなってくらい、水の都は良い所でした」


 エレートは満足気に頷くと夕焼けを背に二人を見下ろす。


「私はね、この美しい水の都を多くの人に楽しんでほしい。そして守っていきたい。君達のような年若い旅人には特に、良い光景を、思い出を持って帰って欲しいんだ」

「お前がそう言うなら良いが。何だかんだお弟子の気晴らしにはなったらしいしな。故にエレートよ、一つお節介を言わせてくれ」

「なにかな?」

「一日ばかりの付き合いだが、お前には強い魔法力を感じる。それこそ、街の案内に留めておくには惜しい力だ。そこの寝坊助妖精に吸わせておくには勿体ない。風の噂に聞く勇者に勝る存在になれるのではと思うぞ。ハッキリ言えば、宝の持ち腐れだ」

「それは嬉しい言葉だが……」


 そう言いかけたエレートを遮るように、フワリと小妖精エディンが現れる。ぐっすり寝たからか、その目に眠気は無い。


「エレートはバカなんだ。自分の事よりも、自分を育ててくれた街と王様の方が大事でさ。旅人さんの言う通りだってボクも思うけど。けど、それもなんだか悪くない気もするんだ。不思議だよね」

「お前は……魔法力が吸えればなんだって良いだけじゃないか?」

「そう思うんだけど。不思議なんだ。ボクもね、エレートの手伝いをしたいって、最近思うんだよね」


 アトリは驚くようにエレートをエディンを見ると、クツクツと笑いだした。


「――まさか、妖精がそう思うとは。それほどの男か」

「そうみたい。ボクの魔法は、エレートにあげるよ」


 アトリの目が一瞬潤み、何かを言おうとするも、結局言葉にはならなかった。

 

「さて。まだまだ紹介したい場所はあるが、そろそろ日が暮れる。夜になるとたまに野党が現れる事もあるから、今日は解散としよ――」


 二人の会話を見守っていたエレートがそう言った時、大きな鐘の音が鳴った。


「言った傍からコレだ。今の音は野盗ではなく魔獣の接近を知らせるもの。街は結界も衛兵も居るが、ここは少しばかり都合が悪い。いや……、運が悪いか。二人とも、離れないでくれ。大丈夫、私が居るのだからここが一番安全な場所だ。街に戻ったら夕飯にしようじゃないか」


 狼を思わせる魔獣の群れが遠くに見える。

 こちらに気がついているようだが、すぐには襲ってくる気配も無い。エレートは腰に納めていた剣を引き抜こうとし。

 アトリに制された。


「エレート、それにエディン。お前達の姿に私の夢を見たよ」

「アメリア、何を」

「偽りの名を語った事を詫びよう。我が名はアトリ。流浪の賢者アトリ。良いものを見せてくれた礼だ、あの魔獣はこちらで処理しよう。マト、杖を! あっ、投げて渡すな、大事に扱えっ」


 ――輝きの杖が光りを帯びる。


「万雷の魔法エルム・トール・マラガン、我が宿痾を祓う輝きをここに示せ!」


 三節からなる大魔法。

 輝きの杖から紫電を纏った魔法力が遥か空に放たれ、暗雲が凝縮したかのような球体を形作ると。


 ――――カッ。


 数え切れぬほどの雷が球体から放たれる。

 爆撃を思わせるほど苛烈。

 地を薙ぎ払う万を超える光の束が魔獣へと降り注いだ――。

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