道中(ミト⇒ゲール)

 流浪の賢者アトリの移動は徒歩移動が基本となる。秘された石碑はどこにあるとも知れず、地道なフィールドワークによって見つける事になるからだ。


 無論、そんな悠長な探索は長命のアトリだからこそ可能な方法なのだが。


「キミのその靴は随分と歩きやすそうだ。革靴という訳でも無さそうだし。その割に水は弾くし軽そうだ。なあ、私にも履かせてくれないか?」


 ミトの町を出て数日。雑草の生えた街道を進み小国ゲールの城下町へ向かう途中、

アトリは興味深そうにマトの靴を観察した。


「……あの、靴はともかく。ちょっとトイレに」

「またか。この辺りの綺麗な湧き水で腹を下すとは、最近の若い者はこれだから。一々水を沸かしてやらないと水分補給すら」

「とにかく、あの便利魔法お願いします!」


 マトは駆けだすと道から逸れた草むらに入りうずくまった。


「やれやれ――天蓋魔法ルスフィア、我が弟子の排泄を覆いたまえ」


 先代妖精女王の名を冠す魔法が唱えられるとマトの周囲を薄い膜が覆い、虫は遠ざかり音は遮断された。魔獣の嗅覚すら欺く魔法はアトリの旅の必須魔法と言える。


「温室暮らしの子供……まるでかつての私じゃないか」


 アトリはそう呟きながらローブの内側から地図を取り出した。


「あと一日も歩けばゲールか。お供を連れた旅も悪くは無い……かもな」


 アトリは弟子から奪った『ボールペン』を使い、今日まで辿って来た道を地図に書き記した。


「あれ……。アトリー、アトリ師匠―」

「私はキミのお母さんじゃない。尻くらいは自分で拭いてくれー」

「いや。そうじゃなくて。とにかく来てほしいんだけどー」

「はあ」


 嫌々ながら草むらに向かったアトリが見たものは、尻を突き出したままのマトと。

マトの視線の先にひっそりとそびえていた秘された石碑だった。


「……どうしてこんな場所に」


 アトリはマトの尻をツンと蹴ると。


「やるじゃないか我が弟子よ。褒美に綺麗にしてやろう」


 ニヤリと笑い、輝きの杖に詠唱を捧げた。


「水を生む魔術よ。ささやかな洗浄を与えよ」


 魔法よりも遥かに格の下がる『魔術』により、魔法力を素としたささやかな水が生まれ――。


「うわっ! 冷たっ!」


 また一つ、アトリの夢に近づいた。


・・・


 パキ、と薪が爆ぜる。

 日が落ちた木々の中、マトとアトリは木を背に並んで座り焚火の揺らめきを眺めていた。


「……腹減ったなぁ」


 栗に近い触感の木の実を三つほど食べたマトは日本での食事の贅沢さを思い出す。食料の見つからない日もある事に比べれば恵まれた夕食ではあったが、現代日本人からするといささか質素に過ぎる食事だ。


「アトリはあんまり食べないんだな」


 ローブに包まるアトリは花の彫刻の施された水筒に口を付け、微笑む。


「これで旅にはなれているからね。語るほどでもないがそれなりに特殊な身の上でもある。私はそこらの大男よりもよほど丈夫で、空腹にも強い。気を遣う必要は無いよ」


 ジリジリと何かが這う様な音と、鈴虫を思わせる音があちこちから響く。


 街灯りなど何処にも無い闇の中で焚火の光は少し心細く、マトは隣にアトリが居る事に感謝した。

 ミトの町で見た生活、魔物に対する警戒態勢を思うと『流浪の賢者』でなければとてもこの少人数で旅など出来なかっただろう。


「他に……」

「ん?」

「他に、俺みたいに迷い込んだ人がいるんじゃないかって思う時がある」

「なるほど。可能性はゼロではないな」

「けど。きっと俺が一番恵まれているんだろうなって。何の『恩恵』も『能力』も授からない異世界転移。言葉だって分からないまま死んでしまった人もいるのかもなって思うと。賢者さまに拾われたのは、ラッキーだったって思う」


 アトリは目を点にして黙り、クツクツと笑いだした。


「殊勝じゃないか」


 マトは引きつった表情で苦笑する。


「そりゃあ……見た事もないほど大きな蛇にいつの間にか囲まれているから、最後に感謝でもしとこうかなって。あの、アトリさん、これ、死んだかな俺達」


 アトリの細腕に縋るマト。


「おお。確かに大きいな」


 チャポッと水筒から口を離しながらアトリは呑気に感想を述べる。


 電信柱ほどの長さと太さの蛇が『天蓋魔法』の周囲に輪を描くと、その長い舌をチロチロと伸ばした。


「天蓋魔法も万能では無いか。内側の我々をエサとは認識していないだろうが、物珍しい靄と思われている可能性もある。はてさて、それじゃあ、手っ取り早い対処法を試すかな」


 アトリはローブの中にマトを引き寄せると悪戯っぽい笑みを浮かべ――。


「さっさと寝るとしよう」


 酒臭い言葉と共に眠り始めた。


「えぇ……」


 蛇には瞼がないという。

 マトは大蛇と目が合っている気がしながら、グッと目を閉じた。

 明け方にはいつの間にか大蛇は居なくなっていたのだが、マトの顔には深い隈が刻まれていた。



 そんな日の夕暮れ時、二人はゲールの城下町へと辿り着く。

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