流浪の賢者アトリ


「人は私を流浪の賢者と呼ぶ。なに、少しばかり長生きで。おおよその生き物より賢いだけなんだがね。ご覧の通り見目麗しく高貴な少女でもあるが、気安くアトリと呼ぶといい」


 深い森の中。茅場はたった一つの選択肢としてアトリの小さな背中に続く。


「アトリ、さん。ここは」

「さん、か。なるほど、敬称という事か。理解できるよ。しかし慣れないな。キミの意図と発される言葉の違和感がある。やれやれ、言語魔法トワリも万全という訳ではないらしい」


 アトリは楽しそうに分析すると茅場を見上げた。


「さて。キミの質問に答えよう。ここはコトトの森。サリア地方、小国ゲールの端。そしてキミの事を当ててみよう。どこぞの世界から迷い込んだね。というのも、見るに十代の後半、肌艶から言って労働階級ではない。つるっとした手は実に私好みだ。服装の生地も良い、けれどその靴は少し汚れている。誰かが拭く習慣がある訳では無さそうだ。となると。どこかしらの学生といった所だ。庶民でも貴族も無いらしい。しかしそんな場所はこの世界には無い。魔術学院の生徒がこんな場所に居る事はあり得な、ゲホッ」


 長々と話したアトリは急に咳き込むとローブの中から水筒を取り出し、ゴクリと飲んだ。


「久しぶりに人間と話すとコレだ。どうだ、キミも一杯」


 茅場は有難く、無警戒に、その液体を煽る。


「ぶはっ、これ、アルコール」


 茅場は咳き込むと慣れないアルコールを口からペッと吐き出した。


「おや。これは失礼。水と違って長持ちするのだが、子供には早かったようだ」


 それから数日。茅場は薬草と秘された石碑を探すアトリに連れられコトトの森を彷徨った。


 それ以外の選択肢などありはしなかった。


・・・


 コトトの森を離れる前日。

 秘された石碑の前で焚火を囲むと、賢者アトリは小さな果実を口に含んだ。


「この杖はね、ようやく手に入れる事が出来た輝きの杖と言う一品だ。碑文に記されている限りでは最も古き女王ハリエスが所持していたとされる魔杖。長い歴史の中で失われたとされていたが二百年に及ぶ探索の末に見つけた」


 アトリは見せびらかすように杖を浮遊させる。


「二百年って。それは国の事業として、ですか」


 茅場マトはアトリに与えられた果実を口に含み、その味に渋い顔をしつつ、この世界の歴史を徐々に学びつつあった。


「ん? あはは。まさか、私個人の趣味だよ。こう見えて三百年ほどは生きているからね。世間では流浪の賢者アトリとも、人嫌いのアトリ、世捨て人のアトリとも呼ばれているちょっとした有名人さ。顔を知っている者は限られているがね」

「三百……」

「おや。疑っているね。まあ、こちらの世界でも人間としては随分と長命ではあるけれど。私は人間とも妖精ともつかない存在だ。あまり気にしない方が良い」

「妖精?」


 これまでの茅場の生活には馴染みのない単語だった。少なくとも妖精とは、人間と同列に語られる程の現実感がある単語では無い。


「ご存知で無いか。なるほど。知的好奇心がくすぐられる反応だ」


 まるで冗談のような話を聞かされながらも、茅場は程なくして勝手に自分を納得させた。

確かに、アトリは少女の容姿でありながらも、子供特有の不安定さを感じさせない不思議な存在感だったからだ。


 その青い瞳は深い知啓を感じさせる。


「人嫌いって。とてもそうは見えませんけど」


 少なくともアトリの茅場への対応は親切と言えるものだった。


「友好的かい? まあそれなりに理由はある。私には魂の色が視えるからね。好き嫌いもえり好みもするけれど、全てを拒絶するわけではない。それに、キミの話は面白そうだ。どうだい少年。私と出会えた幸運に感謝し、私の旅に着いて来ないか?」


 焚火に照らされたアトリの顔には微笑が浮かんでいるが、そこには拒絶されるとは全く思っていない自信が伺えた。茅場は目の前のたった一つの救いの手に縋るしか生き残る術がないのだ。アトリの自信は当然のものと言えた。


 茅場は選択肢など無い提案を前に頷くしかないのだから。


「快く受け入れて貰えて何よりだ。一人旅を続けて二百年もすれば気が付くが、少女一人では立ち入り難い場所も多くてね。何より独り言が増えた。ああ、そういえばキミの名前を聞くのを忘れていた。なんと呼ぼうか?」

「茅場的。茅場が苗字で的が名前です」

「ならば。、そう呼ぼう。この世界では自身の名前だけを名乗る習慣がある。そして、キミはこの世界では賢者アトリの従者、もしくは弟子であり流浪の旅のお供。なに、それなりに褒美も用意する。きっと、なにより喜ぶはずだ」

「それって」

「元の世界へ戻る方法を探る。いや、実のところ見当は付いている」

「ほんとですか!」

「もちろんだ。この杖に魔法力を繋げる旅、秘された石碑を巡る旅。その果てで、私達の夢は叶うだろう」


 アトリに手を差し出されると、はそのほっそりとした手を握り返した。

この世界でも握手という習慣はあるらしい。


「それと。喋り方はもっと気安くていい。子供に気遣われるのはどうにもくすぐったい」

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