第23話 交錯する思惑 side 圓明紫

人体が倒れる音が2つ響く。しかし、それはさっきまで同じ1つの体だった、2つの肉塊である。3つ目に響くであろう転倒音は、2つの肉塊と左腕を切り落とした天使の羽に包まれ、響くことはなかった。


「圓明様、任務完了です」


「ご苦労様でした、ウンデ」


3対の羽をもつ女性が、圓明の体を抱きとめているものに声をかけた。そのまま、女性は大きめの担架の前に降り立つ。担架には左腕と右足がない圓明が置かれる。控えていた他の翼をもたないものが、落ちないように圓明をバンドで固定していく。


「圓明様、これら、どうしますか?」


「放っておくしかできません。掃除屋の仕事を減らしてはいけませんから。さあ、ラファエル様からの命令です。今日はゆっくりと休みなさい」


「わかりました」


そういいながらウンデは歩き、圓明と呼ばれた6つの翼をもつ女性の影に立つ。


「それでは、御用があればお呼びください」


そう言い残し、影へと沈んでいった。その間に、翼をもたない者たちは圓明に点滴と各種機器を取り付けていた。


「圓明様、準備整いました」


「ご苦労様です。このままオムニアへ帰還します。二人とも、私の手を離さないように」


「「はい」」


二人が女性と手をつなぐと、女性と圓明をのせた担架、そして点滴や各種機器は上昇を始めた。しばらく上昇したのち、滞空する。


『圓明ゆかり様、従者2名様、おかえりなさいませ』


壁から横が開いている大きな箱が出てくる。簡単に言えば、扉を含む四面が強化ガラス張りのエレベーターである。

その中に3人は抵抗なく入り、滞空を解く。だが、女性、圓明紫とその従者2人の手は離れない。


『スキャン完了。圓明楓の生体反応を確認。起こしますか?』


「いえ、今はいいわ。そうね、無重力地帯を向けてから起こしてちょうだい」


『了解いたしました。では、上昇いたします。揺れますのでご注意を』


箱ごと上昇する。今までの上昇とは段違いに早い。五分もたたないうちに減速が始まる。


『これより、無重力地帯に入ります。機器、負傷者等は自動的に反転します。お気を付けください』


担架と周辺機器は自動的に上下反転し、天井に足をつける。ギシギシ、と担架から音がする。おそらく、楓の体はまだ地上側の重力に従っているからだろう。


オムニアの人々が従う重力と、地上の重力、その力が釣り合う場所……つまり、海抜0メートルからオムニアの地上のちょうど半分のところは力が釣り合い、無重力状態となる。ここで特に問題になるのは人を含む生き物ではなく、命のないものだ。生き物は例外を除き、従う重力の方向のみに従うが無生物は無重力地帯を境に従う重力が変わる。


それゆえ、オムニアと地上をよく往復する無機物は重心がほぼ底面と同じ場所にある。無重力体で上に落ちたとしても、すぐに反転できるように。


では、生き物はどうするか。何も処理をしなければ、地上付近でもオムニアの重力に従い頭を地上に向けておくことができる。ただ、これは一部の者のみできる芸当であり、天使の翼があっても簡単ではない。


そこで、無重力地帯で魔法的処理を施すことにより、従う重力を疑似的に変える処理を行っている。ある一定の訓練を受ければ地上の人も、オムニアの人も、機械的な処理で従う重力を変えられる。


当然、それを受け入れない、または必要ない人も一定数いるわけで。例えば、大地と空の子供達インペルフェクツとか、ここにいる圓明紫とか。


「二人とも、気を付けて」


「「はい」」


ジャンプして反転。天井に足から落ちた紫は、そのまま2人の従者を持ち上げる。無重力地帯だからこそできる。


2人は天井に立ち、紫の陰の上に立つ。その髪はいまだに地上を向いたままだ。


「じゃあ、いくわよ」


「「んんっ……」」


少し苦しそうな反応をする2人。しかしそれも一瞬のこと。声を上げて2秒もしないうちに髪は地上ではなく、オムニア側に落ちていた。


「じゃあ、少し離れていて。何が起こるかわからないから」


「「はい」」


紫から離れる2人。


「管理者、お願いするわ」


『了解しました。これより、重傷者の意識を呼び起こします。生命維持装置のセットを確認。作業、開始します』


バチン! と火花がはじけるような音。


「ぐはっ……な、何が……?」


そして、目覚める圓明楓。


紫はゆっくりと近づく。


「どこまで覚えてる?」


「どこまで……っ!」


ガタン、と一度暴れる楓。しかし、そのあとは続かなかった。すぐに息が荒くなる


「そんなに暴れてはいけないわ。ただでさえ、四肢の半分を失って血が足りてないのよ?」


「はぁ、はぁ……お前は、誰だ…?」


「あら? 殺されるとでも思った? そんなことするわけないじゃない」


頭にはてなマークが浮かびまくる楓。


「第零軍の名前を出したのは間違いだったかしらね……まあいいわ、過程はどうあれ結果は最良、とまではいかなくとも十分なのだから」


局長(よく知ってるおじさん)を殺せたのも大きいわ、と付け加える紫。


「さて、質問に答えましょうか。私は圓明紫。あなたの、圓明楓の生みの親よ」


「……は?」


「まさかあなたを生んであの事件が起こるとは思ってなかったわ……」


遠い目をする紫。だからこそ、楓の言葉に驚くしかなかった。


「今更何の用だ?」


「!?」


泣いて喜んでくれる、とまでは思ってはいなかった。さらに言えば、何故置いていったのかと恨み言を言われると思っていた。


しかし、楓は違ったのだ。恨んでもなければ喜んでもいない


「……いいえ、違うわ。きっと急に事態が変わったから、混乱しているだけだわ」

小さくつぶやき、紫は楓の目を見る。


「これからは一緒に、そして上級国民として暮らせるわ。地上に未練があるなら行くこともできるし、翼もきっと発現できるわ。私の子だもの、きっと3対の翼を持つことができるはず」


「だから何だ? 誰が頼んだそんなこと。今までの生活をめちゃくちゃにしやがって、何が母親だ。お前はただ、俺の平穏に生きるという望みを壊した、最低な奴だ」

それだけだ、と吐き捨てる楓。すると、殺気が箱の隅から発せられる。2人の従者だ。


しかし、その殺気もすぐ消えることとなる。紫が次の言葉をつなげないでいるとき、バシャン、という多めの水が地面にたたきつけられた音がしたからだ。


「「「「え?」」」」


4人の疑問の声がシンクロする。


天井を見れば、赤い絵の具をぶちまけたような光景。しかし、絵の具ではありえない濃厚な鉄のにおいが混じっている。


そして肝心の血の出どころは、楓。見れば、右腕がなくなっている。


「うわあああぁぁぁ―――⁉⁉⁉」


「う、嘘よ、嘘よね!」


半狂乱になって楓の肩を持とうとした紫。しかし、肩を持つことはできなかった。なぜなら、持った瞬間、楓の肩が液体となって地上側へ落ちたのだ。楓はその時点で声が出なくなっているが、驚愕の顔はそのままだ。


そして、その顔も崩れ始める。


「いや、嫌よ、待って、やめ、やめてぇぇぇぇ!」


紫の必死の抵抗むなしく、楓の体はすべて赤い液体となって箱の一面を真っ赤に染め上げた。

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