第5話 5月3日 状況と第零軍

「……んぁ」

目が覚めた。周りが白くぼやけている。


「……あぁ、ここは天国か」


「残念かどうかはわからんが、ここは天国ではないぜ?」


「ガッ!?」

起き上がろうとしたが起き上がれない。勢いがよすぎて、しばらく呼吸ができない俺。


「おおっと、悪い悪い。一応拘束はさせてもらってるさ。いま、起こしてやる」


そういってリモコンを操作する男。すると、ベッドごと起き上がる……ということは。


「これ、介護用ベッド?」


「あ? その通りだがって、どうした!?」


驚くだろう。だって泣いているのだから。俺は。


「あと70年は、このベッドに寝ることはないと思ったんだけど……」


「そんなことかよ……下らないことで泣くな、めんどくせぇ。そんなの、遅いか早いかだけだろ?」


「ちっ、拘束は解いてくれないか」


「それは話をしてから……っ」


「?」

男が急に真剣な顔になる。


「自分の顔に、何か?」


「いや……悪いが、しばらくは拘束を解けそうにない」


「はぁ……?」


しばらく考え込んだ後、スマホを操作する男。


「ふぅ……さて、どこまで話したか?」


「何も話してないが……」


「はっ、詰まらないぜ。さて、少し話をしよう。自分の名は金剛こんごう紅葉もみじ。これからしばらくよろしくだ、圓明えんみょうかえで


「なんで俺の名前を?」


「お前はこちらの業界では有名だからな……『漆黒の殺人鬼』、『至近距離狙撃手ゼロ・スナイパー』。この二つの名はよく聞く」


「うわぁ……そんな通り名だれがつけたんだよ」


「知るか。ただ、金のためとはいえあまりにも採算が取れないばかりか、一度も捕まらず、壊滅した組織は10以上。通り名がついて当然だ」

やはりか、と最後に付け加える金剛。


「しかし、だなぁ……多少はこちら側に足を踏み込んでいるかと思っていたがこれは少し誤算だな。まさか本当に素人とは。戦闘能力はそれなりみたいだが」


「あ~、やっぱりここって、いわゆる裏の世界ってやつ?」


「残念ながらその通りだ。それに、お前はもう引き返せない。遅かれ早かれこっち側に来ることはほぼ確定だったから、あきらめろ」


「はぁ……やっぱ殺しすぎたのかな?」


「それは違うぞ、圓明君」


部屋に初老の老人と同い年くらいの少女が。


「お、意外と早かったな、局長」


「ほうほう、やはり早く来て正解か。まさかもう発現しているとは。これはまた大物じゃ……っと、すまないね。私は局長。名前は一応あるが、あまり明かせない理由があってな。局長と呼んでくれ」


「は、はぁ……」

間抜けた返事をする俺。


「ふぅん……この感じは、猫、だね」

今度は自分をじろじろ見ていた少女が口を開く。


「ね、猫?」

意味が分からん。どう見ても俺は人だろ。


しかし、発育がいいな。身長の割には女性の象徴の主張が激しめだ。下品でない程度であるのもポイントが高い。


バチン!


「ぶ!」


「見るな変態! この金香きんかの体を見ていやらしい妄想に浸るんじゃない! この童貞が!」


いきなりビンタされ、ののしられる俺。理不尽だ。


「気を付けとけ。石手はある程度なら心を読むぞ」

少し笑いながら金剛が。


「ほう、石手相手にいきなりよこしまな感情か……健全な男子じゃのう」

煙草に火をつける局長。


「おい、一応ここは病室だぞ」


「固いことは言うな。年寄りの数少ない楽しみを、はぁー、奪わんでくれ」


ひと吸いで煙草の半分が灰に。それを灰皿に押し付けながら口を開く。


「さて、健全な男子、圓明楓。一つ問おう。お前に覚悟はあるか?」


「覚悟……?」


「そう、覚悟じゃ。逃げるためではなく、目的のために人を殺す覚悟。そして、それでもこの世界で生きていく覚悟。それはあるか、そう聞いておるん」


「ない」

最後まで聞かず、即答する俺。


「なるほどのう……理由を聞かせてもらえるか?」


真剣な表情が少し険しくなる局長。


「主に3つだ。一つは、俺は今の世界で満足しているからだ。俺をとらえようとしてきた連中の中には、世界のため、この国のため、そしてオムニアのため協力してはくれないか、という奴らもいた。断れば問答無用で実力行使。そんな奴らのために手を貸すのはごめんだ。もう一つは、俺はまだ死にたくないんだ。ただでさえ家庭の事情で危険にさらされることが多いのに、さらに死にやすい裏の世界に身を置く理由はない。そして最後。戦闘能力のほぼない自分を迎える理由がわからない。以上だ」


「なるほどな……ま、当然か。石手」


「嘘はないよ。本心から、というまでかはわからないけど」


はぁ、とため息をつくのは局長。


「もし嘘を言うのであれば、力ずくでも従わせるつもりじゃったが……案外肝が据わっておる。気に入った。だが、これはできれば伏せたかったが……」


局長は煙草に火を。他二人は少し暗い顔をして部屋の電気を消した。


「ん?」


「はぁー、これを見てくれ。黙ってな」


そういって白い壁にプロジェクターででかでかと映し出されたのは……


「あん、あぁん! 激しいですぅ、ご主人様ぁ……あ!」


「は?」

「おや?」

「むむ?」

「キャー!」


凌辱もののアダルトビデオだった。


「この犬め、ここがいいんか、ああ?」

ビデオの中では、犬みたいに首輪とリードがついた女が激しく犯されている。


「いやっ、だめっ、見ないで! 早く消してぇ!!!」


体全体で頑張って隠そうとするのは、まさかの石手だった。うん、変態かな。


バチン!


「ぶ!」


「見るな変態! 私だって健全な女子よ! 見て悪い!?」


「悪いとは言わないけどこんなのが趣味なのか、このビッチ」


「ビッチじゃないわよ! 私は処女よ!……って何言わせてるのよ!」


バチン!


「ぶ! 理不尽だ!」


「自業自得よ! って、金剛もなにしてるのよ、早く消してよ!」


「ははあ、石手はこんな趣味があったんだなぁ。確かこの前首輪とリードが届いてた気がするがまさか……?」


「確かに届いとったのう。犬用にしては少しサイズが大きいと思っとたが、まさかのう……」


「あ、はは、あははぁ……」

その場で崩れ落ちる石手。顔が赤から青に変わる。ビデオから女の嬌声がむなしく響いている。


「ま、冗談はこの辺にして、本題だ」


リモコンを操作する金剛。画面が切り替わると、そこには俺の姿が。


「臨時ニュースです」

声が入る。俺の声ではない。


「この人物、圓明楓を地上の管理塔まで連れてくること。繰り返す。圓明楓を管理塔まで連れてくること。繰り返す―――」

繰り返し俺を連れて来いという言葉が続く。


「―――以上、オムニア政府直属、天使隊レグナーズゼロ軍より」


「なっ!?」

最後の言葉に驚きの声を上げる俺。


「お、おい、これは……」


「無理もない。なんでも、あの第零軍が動くらしいんだからな」

淡々という金剛。


「第零軍。オムニア政府の事実上のトップ4人のうち、先の中国との戦争で最も功績を上げたラファエルが率いるレグナーズ最強の軍隊。数は少数ながら、一軍で14億人以上の国を滅ぼした軍。そんないかれた連中が、あろうことかお前個人をご指名だ」


顔から血の気が引いていくのを感じる。絶望だ。逃げ切れるわけがない。


「そうでもないよ、変態」


「……ああ、そうですか」

石手のボケにつっこむ気力もないほど。あらま面白くない、という石手の言葉も右から左。


「ありゃま、心ここにあらずだね……」


「仕方ないだろ。もし同じ立場なら、自分は自殺してるだろうな」


「さて、状況は把握できだじゃろう。今お前さんは大変な状況にある。そこで提案があるのじゃ」


「……てい、あん?」


「そう、提案じゃ。我らがお前さんを保護しよう。その代わり、一つお願いを聞いてほしいんじゃ」


「はぁ……おねがい、とは?」


「なに、簡単なことじゃよ。我らと一緒に管理塔に来てくれればいいあいたぁ!」


「っ!」


「局長のばかやろう、もう少し言葉を足せ! 警戒してるだろうが!」


俺の警戒と同時に局長の頭を殴る金剛。その後ろでうんうんとうなづいている石手。顔に血色は戻ってきている。


「今更だが、すまなかった。圓明、お前の身柄をオムニアに引き渡すようなことは絶対にしない。それだけはわかってくれ」


「本当?」


「本当だ。信じろと言っても難しいかもしれないが、今後の行動でそれを判断してくれ」


声にやたらと感情がこもっているのがわかる。さすがにこれが演技だったら役者になるべきだろう。

「わかり、ました。ただ1つ。なぜ俺にそこまでのことをしてくれる? 身柄を引き渡せば、オムニアの上級国民として上に上がれるかもしれないのに」


「それは言えない。こちらにも事情がある。それに、自分たちは上級国民になるためにこんなところで活動しているわけじゃない」


「そうですか……」

少し考える俺。


実際問題として、保護というのは割と願ってもないことだ。それを断り、日常生活に戻ったとしても周りすべての人間と、最強の軍隊から逃げ切れるわけがない。目の前の局長、石手、金剛の戦闘能力は不明だが、保護を申し出ている以上、ある程度の戦闘能力はあるだろう。さすがに第零軍に勝てるとは思わないが。


「あ、そうだ、一つ言い忘れてたよ。たぶんだけど、第零軍はしばらく動く心配はないよ。最低でも半年は大丈夫かな」


「……何故?」

一気に警戒を強める俺。


「あああ、警戒しないで、お願い。この手の話は割とこっちの世界じゃよくあることなんだよ」


「裏の世界でよくある……?」


「そう。簡単に説明すると、ある程度規模があって名前が通ってる団体や結社に対して、オムニア政府、または自治政府が仕事をよこすの。たいていは地上に逃げた犯罪者を捕まえたり、不測の事態による物資要求とかかな。それをこなすことで、お金か物がもらえる。それがこっちの世界では主な仕事なのよ」


「なるほど……」


オムニアは確かに世界を征服していて、エネルギーをほぼ無限に作ってはいるが、その代わりとして食料などの物資は地上の自治区をのぞいた直轄地からほとんど調達している。広大な中国を滅ぼしたせいで、直轄地は割と少なく、さらに天空まで運ぶためのパイプラインはオムニアの不思議な金属の大地が宙に浮いているからか動くため、割と不具合が起きやすい。それを補うため、上級国民には禁止している結社を自治区ではあえて認めることで、不測の事態に対応しているそうだ。


「だから、割とよくあるのよ。最近は水が多いかな。ただ、犯罪者の捕獲はある程度期限があって、それを超えると要請した軍が動き出す。それの最短期間が半年だから、半年は大丈夫だよ」


「さて、それでどうするのじゃ? 保護を受け入れるのか、それとも受け入れないのか。決めてくれないと、こちらとしても対応に困るのじゃが……」

煙草を取り出し火をつける局長。かなりのヘビースモーカーだ。


「本当なら数日考える時間が欲しいところだが……わかりました。保護を受け入れます。対価として、管理塔にも行きます。ただ、それが終われば自分を解放してほしい」


「……どうだろうな。解放はできない可能性が高いぜ、圓明」


「それでも」

金剛を見る。


「金剛の言う通り、解放できない可能性ははるかに高いのう……だが、いいじゃろう。いつになるかわからんが、お前さんの身の安全が保障されたら、解放しよう」


「ありがとうございます」


「お、意外。素直に礼を言うなんて、案外いい人なのかな? それとも、口約束で簡単に信じるようなただの馬鹿なのかな?」


「石手、それは今じゃない。黙っとけ」


「ちっ、堅物が」


「言ってろ。で、石手の進言もある。書面はかわす」


「いらない」

金剛の言葉を食う俺。


「……いいのかのう? 書面にしておけば、我らが約束をはぐらかしたとしても解放されるのじゃぞ?」


「はっ、それは書面を交わしても変わらない。第3者がいないこの場で、書面も言葉も意味なんてない」


「それは、我らの保護から勝手に逃げ、自由になろうとしているととってもいいのかのう?」


「そうだ。あんたらが信用できないと判断した時点で、俺はここから逃げる」


「なるほど。いいな、次から俺も使おう」


「ん? どゆことなのよ?」


「ほう、悪くない答えじゃ」


約一人、俺の真意に気づいていないようだ。


「むむ、馬鹿にされた気がする」


「はぁ……」

せっかくかわいいのに、一言多いんだよな……石手。


「ひゃわっ!」


「どうした、石手?」


「にゃ、にゃんでもない……」


ちっ、心を読まれたか……

と、思った矢先だった。


「あ……!?」

急激に視界がかすむ。そのまま、胸が締め付けられるような感覚とともに意識が飛んだ。

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