幕間 シュコニの冒険

激怒の日


 シュコニはドーフーシ帝国キタタオッカ半島随一の港町、キラヒノマンサに生まれた。


 父親はキラヒノマンサ最大の冒険者パーティ「雷花らいか」の剣士で、ツイウス王国出身の母は裁縫職人だった。


 多くの冒険者一家がそうであるように兄弟はいない。ずっと妹が欲しかったが、子供全員が冒険者を目指せば武器と防具の代金で破産してしまう。代わりにシュコニは両親の愛情を一身に受け、少々わがままな12歳の少女に育った。


 空の鮮やかな初夏の日、シュコニはキラヒノマンサのアパートで下手くそな鼻歌を歌いながら親父とおにぎりを結んでいた。台所には母と幼馴染のルシエラもいて、おにぎりに入れる焼き魚の身をほぐしている。


 金髪・碧眼の少女は朝からずっと上機嫌だった。明日は13歳の誕生日で、成人して名前をもらう予定だ。そして、子供の頃からの夢だった冒険者になる。


 シュコニは父と同じ雷花に入れてもらえる約束で、今日はそのための肩慣らしとしてノモヒノジア迷宮に入る予定だった。生まれて初めての迷宮だ。


 茶髪を刈り上げにした親父がおにぎりに海苔を巻きながら言った。


「いいか。今日は2層まで見たらすぐに帰るぞっ。今日は俺とルシエラと、冒険者でもなんでもない母さんだけのパーティなんだ。無理はできない」

「わかってるよっ。それより母さん、海苔をもう少し巻きたい」


 決して裕福ではないシュコニの家は、去年、親父が古物商から買い取った古文書のおかげで少し豊かになっていた。母は当初こそ「こんな無駄なものに大金を」と激怒していたが、その古文書には「海苔」の製法が書かれていて、作ってみると美味しかったし、余ったぶんは高値で売れた。シュコニはおにぎりが好物になったし、裁縫職人の母は、今では仕事時間の半分を海苔作りに使っているくらいだ。


「仕方ないわね……それを握ったら防腐して倉庫に入れて頂戴」


 金髪碧眼の母から海苔を受け取り、米が多すぎる不細工なおにぎりに海苔を張りまくって誤魔化し、シュコニは右手につけた「銀杏の指輪」に向けて倉庫の呪文を唱えた。


 昨日もらったばかりのこの指輪は親父の家系に代々伝わる家宝で、手にした以上は、料理中だろうが死ぬまで絶対に外すなと厳命されている。


 常世の倉庫が台所に口を開くと、青い髪のルシエラが羨ましそうに言った。


「いいなぁ。それって装備するだけで『倉庫』と『微風』が手に入る指輪なんでしょ?」

「えへへー、も荷物があったら入れていいよっ。親父も若い頃はこの指輪を使って、パーティの荷物持ちから始めたんだって」


 シュコニは父親から命じられた通り嘘をついた。この指輪が装備者に倉庫と微風のスキルを与えるのは本当だが、実はそれはオマケみたいな効力だ。明日にはもう成人し、大人になるのだから秘密を守ってみせろと約束させられている。


 シュコニは台所に並んだおにぎり全てに「防腐」の呪文をかけた。みかん色の優しい光がおにぎりを包み、母が小さく拍手してくれた。


「おい、残りMPに気をつけろよ。今日のパーティに鑑定持ちはいない。体感だけでMPの残りを把握するんだ。ルシエラもだぞ。油断するな」


 親父は油断大敵とばかり命じたが、今の言葉は、本当は自分に向けたものだというのをシュコニは知っている。親父は家宝を娘に譲ってしまった。


(ステータス……)


 心の中でそっと念じると指輪の上に奇妙な画面が現れ、ドーフーシの文字と数字でシュコニの詳細なステータスを表示した。親父から聞いた話では、この指輪は数百年も昔、伝説の勇者が先祖に与えた特別な魔道具なのだそうで、ステータス画面は指輪の秘密のひとつだった。


 MPを手早く確認したシュコニは倉庫を閉じ、腰のベルトに父のお古の日本刀「髪切虫かみきりむし」を差した。服装はシャツとスカートの普段着だったが、母がそっと赤いマントをかぶせてくれる。ステータス画面に「火鼠の皮衣」という表示が追加された。


 これも昨日、成人を前に裁縫職人の母からプレゼントしてもらったものだ。単純な防御力はステータス画面から確認できたが、この防具には追加効果があるらしく、効力を尋ねても母は「まだ秘密」と教えてくれなかった。明日、成人の日を迎え、本当の名前を得たらついでに教えてくれるという。いずれにしろ、防御力だけで上等の鎧を上回るほど性能が高い。


 腰のベルトに刀を差し、赤いマントを装備した娘を両親は感慨深い目で見つめた。視線が少し照れくさかったが、シュコニは両親と幼馴染に言った。


「行こうよ。生まれて初めての迷宮だっ!」



  ◇



 Bランクの巨大迷宮ノモヒノジアの入り口は、知られているだけで3つもある。うち2つの入り口はそれぞれレテアリタ領とツイウス領にあり、残る1つはドーフーシ領だ。


 その入り口はキラヒノマンサ市の中央にある。シュコニは「イケニエさん」が24時間見張り続ける分厚いゲートで発行してもらったばかりの冒険者カードを見せた。ランクはGだった。2つ年上の幼馴染で斥候をしているルシエラによると、明日成人すればFに上がるらしい。


 街の中に迷宮の入り口があるような土地は珍しいが、危険性はなかった。ノモヒノジアは規模や敵の強さからして本来はAランクに相当するダンジョンなのだが、外界に与える影響の弱さからBランクに指定されている。


 この迷宮をドーフーシが発見してから二百年、レテアリタやツイウスも攻略に参加しているが、最高到達層は未だ第9層が限度だ。


 攻略を困難にしている要因は迷宮内部に存在する複数の階段で、この階段のためにノモヒノジアは危険ではなかった。


 ノモヒノジア迷宮の各層には7つの階段があり、それぞれの階段の先にも7つの階段が用意されている。7の累乗で増えていく分岐は6層時点で10万通りを超えるが、そのせいで冒険者の大半は潜っても3、4層付近で魔物を狩ることが多く、モンスターは迷宮の外へ出る前に大量の冒険者に囲まれて死ぬことになる。街中へ魔物が飛び出す可能性はほとんどゼロということだ。


 各階層はバラエティに富み、それも下層への攻略を難しくしていた。


 ある階段を抜けた先はアリの巣を思わせる洞窟だったし、別の階段は絶海の孤島に繋がっていることもあった。冒険者らの噂では、その島は〈月〉という別世界の海に浮かんでいるのだという。8層以降は「行き止まりの階」なんてのもあるそうだし、森であったり雪原だったり、毎度行き先のわからない階段を勇敢に進む者たちは「冒険者」と呼ばれ、市民から尊敬されていた。


 幼いころから親父や仲間の冒険譚を聞いて育ったシュコニは当然のように冒険者に憧れ、それを将来の夢と決めた。自分も親父のように仲間たちと探検に臨み、見たことのない世界を楽しみ、お宝を手に入れて豪華な料理を前に酒を酌み交わしたかった。


 その夢が今日、叶う。


 シュコニは笑顔を抑えきれず、幼馴染のお姉ちゃんと一緒に迷宮へ踏み入った。



 第1層は余裕だった。


 ニ百年に渡る攻略の中、誰もが通る第1層は多くの冒険者によって整備されていて、壁は苔むしたレンガで補強され、所々にランプが吊るされている。このランプに油を差して回るクエストは新米冒険者に人気だそうだ。壁には多くの冒険者の落書きが残っていて、「この先、落石の罠あり」などという情報もあれば、ペンキで描かれた無意味で下手くそなイラストもある。


 シュコニたちはとある小部屋でゴブリンと毒蜘蛛の群れに襲われたが、剣士の父は手早くゴブリンを斬り殺し、斥候のルシエラも短刀で蜘蛛の頭を落とした。12歳のシュコニは後衛だった。一応剣を持ってはいるが、当時の彼女には剣術スキルが無かったし、罠感知や地図作成といった冒険術も知らなかった。唯一の能力は彼女に「シュコニ」という通名とおりなを下し、加護を与えた愉快ムリアフバの「回復」だ。


 父が擦り傷を負うとシュコニは飛んで行って「手当て」スキルを発動して回復し、毒を受けた幼馴染のお姉ちゃんに毒消しの魔法を飛ばした。ついでに指輪が与えてくれた微風でゴブリンを転ばせてやったりもし、最後に叡智アクシノの楚々とした声を聞いた。


〈——基礎レベルが10になりました。回復スキルのレベルが2に上がり、使用可能な呪文が増えました。術の詳細は、同系統の魔道士、魔術書、もしくは鑑定によって学ぶことができます〉


「やった、レベル10だっ!」


 シュコニは通知に大喜びし、親父に叫び、母親にも報告した。一般人の壁と言われるレベル10を突破したっ!


「知ってるよ。通知はパーティ全員に聞こえる」


 親父は大はしゃぎする娘に苦笑した。


「それよりシュコニ、通知をよく聞いていたのか? ——もう充分だ。引き返そう。ギルドでレベル2の回復呪文を教わらないと」

「はあ!? 待ってよ親父っ、2層まで見に行く約束だろっ!?」


 シュコニはバケツで水をかけられたような気分になった。もう帰る? この日を13年も待っていたのに?


 シュコニは親父に反論しようとして、お姉ちゃんが味方する声を聞いた。


「そうだよ、おじさん。まだおにぎりも食べてないし……2層をちょっと覗いて、ご飯を食べてから帰ろう」


 幼馴染のルシエラは14歳で、シュコニより1年早く成人し、去年から雷花らいかの斥候として新人訓練を受けている。


 悔しいことにその才能はシュコニより上だ。回復しか取り柄の無い少女と違ってルシエラはナイフや隠密系のスキルに恵まれ、雷花では若手のホープとされているらしい。


 しかしルシエラは不幸な女の子だった。


 ルシエラの両親は港町キラヒノマンサの船乗りで、冒険者が迷宮で得た素材を外国に運ぶ仕事をしていた。結果、家を留守にすることが多く、同じアパートの隣同士だったシュコニの母はルシエラを預かり、シュコニは彼女を「お姉ちゃん」と呼んで懐いていた。


 お互い夢は冒険者で、木刀で毎日戦って毎日負けた。シュコニには剣の才能が無く、お姉ちゃんに勝ったことが無い。毎日負けて泣きわめくシュコニをルシエラは優しく慰めてくれて、2年前、お姉ちゃんの両親の船が沈んだ時は、逆にシュコニが懸命に慰めた。親父はルシエラを雷花の仲間に紹介し、身寄りのないルシエラは新米の斥候として生きていくことになった。


 シュコニはルシエラが賛成するとお姉ちゃんに抱きついて喜び、母はため息をついた。ただの裁縫職人であり、娘が心配で付いてきただけの母は全員の防具に針を刺して補修し、言った。


「どうする、あなた? 私は少し怖くなってきたんだけど、ほんとに先へ進むの?」


 シュコニは母の反対をかき消すように「行く」と大騒ぎし——その時の自分を、何度恨んだかわからない。


「任せてよ、おばさん。斥候として私が安全な道を探すから」


 ルシエラは母に請け合い、パーティの先陣を切って迷宮の奥へ仲間を案内した。



 ——変だ。



 そう思った時はもう手遅れだった。


 ルシエラは2層への階段を下り、その階段は親父も知っていた。暑くなるぞと警告した親父の言葉通り階段の先は蒸し暑い洞窟で、壁面は赤く光るコケに覆われ、ずっと硫黄の臭いがした。


 お姉ちゃんはさっさと通路を先に進み、敵が一体も出ないまま15分ほど歩いた後だった。


 シュコニたちは5体のゴブリンに出くわした。


 ——なんだ、ゴブリンか。それなら1層で倒したばかりだっ。


 シュコニは油断しきっていて、親父の鋭い言葉に驚いた。


「まずい……メイジ・ゴブリンだ!」


 ゴブリンたちはいずれも手に杖を持っていて、親父の声を覆い隠すように猿のような声でなにかを喚いた。


〈——火炎魔術:癇癪玉——〉


 シュコニの視界の端にスキル表示が浮かび、直後に親父が爆発に襲われ横薙ぎに倒された。残りの4体が追い打ちをかける。


〈——火炎魔術:癇癪玉——〉〈——火炎魔術:癇癪玉——〉

〈——火炎魔術:癇癪玉——〉〈——火炎魔術:癇癪玉——〉


 親父は悲鳴を上げ、その体が炎に包まれた。


「親父……?」


 シュコニは状況に理解が追いつかないまま、必死で回復を詠唱し始めた。舌がもつれる。詠唱は失敗してしまい、明日に成人を控えた12歳の少女は悲鳴を上げて父親に走った。


「親父っ!」


 ゴブリンたちは魔法を連打していて、親父は爆発に煽られて迷宮を転がり周り、全身を炎に包まれていた。シュコニは構わず親父に覆いかぶさり、詠唱の時間を惜しんで「手当て」スキルを発動させた。


 手当ては呪文を詠唱する代わりに決められた動作を行うと発動できる回復スキルで、シュコニは燃える親父の体に自分の両手を当てた。シュコニの体が青白く発光し、確かにスキルは発動した。


「なんで……」


 しかし親父の火傷は治らず、彼はもう——息をしていなかった。


「嫌だよ……どうして!?」


 シュコニはそれでも手当てを連打した。MPが大量に消費され、気が遠くなったが手当てを止めなかった。


 火傷はまったく治らない。回復職の端くれとして、シュコニにはそれがなにを意味するのか知っていた——死者に回復スキルは効かない。


 ゴブリンはもう魔法を唱えていなかった。


「どうしよう……母さん」


 シュコニはそれでも手当てしながら後ろを振り返り、見てしまった。


 ルシエラがスキルを発動し、短刀で母を刺し殺していた。


 意味がわからなかった。しかしシュコニは腰に差した髪切虫かみきりむしを抜き、お姉ちゃんに向かって走り出した。ルシエラは見られていないと思ったのか、シュコニに叫んだ。


「おばさんがゴブリンに刺されたわ、シュコニ! もうダメ、一旦逃げましょう!」


 シュコニは刀を振り抜いた。当時の彼女にスキルは無かったが、それでも刀は女の首に当たり、頸動脈を切り裂いた。


「——シュコニ、なんで……」


 お姉ちゃんは驚いたような声を出したが、言葉に反して顔は憎悪にまみれていた。


「……くそっ、おまえらを殺して〈月〉に行くはずだったのに……!」


 ルシエラは血を吹き出して倒れ、シュコニは女を無視して母親に「手当て」をしたが、こちらの傷ももう塞がらなかった。


「どうして……なんで……」


 12歳のシュコニは泣いた。涙を流しながら無意味な手当てを連打した。


 洞窟に残されたメイジ・ゴブリンたちはシュコニに火炎を連打していた。飛び散った炎が周囲を包む。父親の体が炭に変わっていく。母親の亡骸にも火が灯り、幼馴染のお姉ちゃんも炎に包まれた。


 不思議なことに赤いマントを装備した少女だけが無事だった。シュコニはゴブリンたちにわめきながら親父や母親をかばい、遺体を焼こうとする火を振り払おうとしたが、シュコニのマントは不思議な力で火を弾くだけで、消火することはできなかった。水のスキルが欲しかった。


「——どういう状況だ?」


 そこへひとりの男が飛び込んできた。知っている顔だ。親父が所属するパーティのリーダーだ。


 冒険者にして帝国随一の騎士でもあるイサウ・ユリンカは即座に腰の剣を抜き放ち、ゴブリンたちを肉塊に変えた。


〈——シュコニの基礎レベルが11に上がりました。愉快ムリアフバの激怒により、手当てスキルのレベルが9に修正されました——〉


 叡智の淡々としたアナウンスが聞こえた。



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