イサウの娘
女神ニケが街を創造してからの数時間は壮絶だった。
無人の新市街に駆け込んだ村人たちは〈早いもの勝ち〉という神託の下、どこを自分の住居とするかで争い、ポコニャ区長は自宅の確保をパーティメンバーに任せて紛争の解決に奔走したのだが、一番やっかいだったのは、その仲間たちだった。
怪盗の母は泥棒猫と一緒に街中を走ると海の見える海岸沿いのビルを一棟、丸々〈剣閃〉と命名し、住みたがる冒険者に決闘を挑んだ。
村最強の斥候に勝てる冒険者は少なかったし、そんな怪盗とコンビを組んだ三毛猫に勝てるのはたぶん俺だけだ。
ポコニャ区長は娘が区民を半殺しするのを止めさせ、激しく抗議する怪盗を濁流魔術で押し流すためにMPの大半を浪費した。
「酷いわポコニャ、仲間でしょ!? あんたっ……ギルマスになって変わっちまった……☆」
「ざけんにゃ怪盗! 悲劇のヒロインぶってんじゃねぇー!」
「にゃ。隙あり☆」
「ニャッ!? やめろミケ、おまえはあちしの娘だろ!?」
ようやく騒ぎが収まる頃には夕方になっていて、ギルマスに激しく抵抗した〈剣閃の風〉のメンバーたちは、交渉のすえ、結局海沿いのビルの最上階だけを独占することになった。
俺は最上階の一室から夕日の沈む海を見ていた。遠く水平線にツイウス王国が領土としている火山島が浮かんでいる。
父さんやムサ、ラヴァさんは城壁を出て、周辺の森で内装に使う木材を集めに行っている。母と泥棒猫は別行動で、自宅に置く家具などを見るためラーナボルカ市の商店街に出かけている。
ひとり佇む新居の部屋は、文字通り石造りの部屋というだけで、すべての部屋の入り口にはドアがなかったし、部屋には「窓」が用意されていたが、それは単なる穴でしかなく、鎧戸も窓ガラスも無かった。住居の外側だけは用意したから、細かい内装は自分たちでやれということらしい。
そんな吹きさらしの部屋にあぐらをかき、俺はひとり、ぼんやりと夕日を眺めていた。
やるべき仕事はある。窓が単なる穴でしかない新居を目にした俺は、鍛冶スキルで「窓ガラス」を作れるかもしれないと母に提案し、説明を受けた母は喜んだ。
『へえ、聞いた感じ木戸より何倍も良さそうね……新居にうってつけ☆』
母さんは俺の計画を了承し、すぐに作れと命じ——俺はひとりで部屋に残って、仕事をサボっていた。
別に窓ガラスが要らないわけじゃない。今日からこの部屋に住む以上、窓ガラスは今すぐ欲しかったし、海辺の砂でもかき集めて〈火炎〉で溶かし、制作するつもりでいた。
メールが届いていた。
ホーム画面の手紙アプリに赤いバッジが付いていて、白抜きの「1」が「早く読め」と主張していた。
送り主はひとりに決まっているし、ニケが「神々の御業」として街を作っている最中に、こっそり邪神が送りつけたのだろう。
(嫌だなぁ……開けたくねえ)
沈む夕日を見ながらそんなことを思っていると、脳内に叡智アクシノの声がした。
〈ふむ……おまえの予想通りそれは星辰様からの新しいクエストだが、開封することをオススメするぞ? 賭けても良いが、おまえは内容に奮起するはずだ〉
(……はあ?)
賭けるって、女神がヒトを相手になにを賭けるのさ。負けたら全裸を見せてくれるとか? だけど叡智さんの双丘ったら歌の半分も無い残念な体積で……。
〈殺すぞ〉
すみません。
母が確保した俺の家には玄関ドアすら無く、5階の廊下から新米区長の疲れた声が聞こえた。
「——おいカッシェ、どこにゃ。どの部屋にゃ? 『窓ガラス』ってのは後にして、中央広場を手伝ってくれにゃいか? 生産職どもが広場で血みどろにゃ。あいつら冒険者でもねえくせに、みんにゃ自分の店はココに開くってうるせえ。元々この街にいたラーナボルカの商人どもまで新しい土地を確保しに来てやがる……」
俺は覚悟してメールを開いた。瞬間、世界はぴたりと停止し、邪神からのうっぜえ手紙が目に入る。
〈よくやったぞ☆ 勇者・カオスシェイド()よッ! おまえの活躍により、憎きウユギワ・ダンジョンがわたしの星から消えたッ!〉
手紙はお褒めの言葉から始まっていたが、死者の数を思うと嬉しくもなんともなかった。
〈しかし勇者の冒険は、まだまだ始まったばかりなのです☆〉
——ほほう、最終回っぽいアオリですな。そうしてくれて良いのだぜ?
しかしまあ、ラーナボルカ市の「フェネ地区」は、ラーナボルカ市にある迷宮のすぐ近くだと聞いている。
邪神はどうせ俺の家族を人質に「魔物Xを倒せ」だの「迷宮を撃破しろ」だのと命令するんだろうけどさ。
〈 ——14歳までに、英雄の娘を助け出せッ! 〉
しかし邪神の新たなクエストは、これまでのものと毛色が違った。
〈——つい先日のことです。ドーフーシ帝国の英雄にしてSランク冒険者のイサウ・ユリンカは、邪帝アニザラに立ち向かい、大軍を撃破して「竜」すらも斬り倒し、レテアリタ皇帝を亡き者としました。
しかし英雄はそこまででした。夥しい傷と竜の毒により、我ら神々が見守る前でイサウは地に伏せ、倒れてしまいます。
死を目前にした英雄は、彼を最も愛していた剣神カヌストンに娘の救出を願いました〉
文面には☆も♪も無く、ファレシラは真面目な調子で書いていて、
〈約6年前、イサウの娘は大陸でも名の知られた暗殺者マガウルに誘拐されていたのです〉
突然出てきた「マグじい」に俺は面食らった。
〈ツイウス王国に雇われた暗殺者マガウルの使命は、こちらの世界で名の知られた人物の子を引き換えに、あちらの世界の「貴族」を手に入れることでした。要はこの星と「月」との人質の交換です。
月の
鬼族というのが誰のことを言っているのかは明らかだ。
〈そしてそれは、イサウの娘にしても同様です。あの子は月の奴隷を殺すだけでレベルが上がりますから、幼い頃から
そして殺人鬼マガウルは優秀でした。彼はイサウの娘と〈月〉の
彼は娘の奪還と復習に燃えて戦いましたが、しかし、先述の通り月の眷属を前に倒れました。英雄は神々に娘の救助を頼んで亡くなり、我らは勇者の偉業を讃え、その願いを聞き入れたのです〉
メール画面はそこで一旦切れていて、俺は〈NEXT〉ボタンを押した。
〈さて、ここであなたもよく知る「シュコニ」が登場します〉
急に出てきた「シュコニ」の名前に俺は目を見開いた。
〈実はシュコニは、フィウのメイドとして働いていました。極大魔法の〈鑑定〉によりアクシノがすべてを見抜いていますから、メイドのお姉さんの詳しい人生については叡智に聞くと良いでしょう。
彼女はとある理由から「迷宮殺し」を夢に見ていて、同時に、フィウを月まで送り返してあげたいと強く願っていました。
冒険の女神ニケはシュコニの命と引き換えに〈大冒険〉を発動し、迷宮殺しを叶えてあげましたが、しかし、お姉さんに加護を与えていたニケも
その理由は、フィウを月まで送る対価に「イサウの娘」が必要だからです。
神たる「首吊りの木」がフィウの輸送を拒否したのを覚えているでしょう?
フィウは生きてる兵器ですから、あの子鬼はわたしの星の脅威になり得ます。フィウはわたしの星にいるほうが〈月〉にとっては有利になるのです。
だからあの草はマガウルの願いを断りました。この星の脅威たるフィウを〈月〉に返すには、月にとって同じくらい脅威になる人材と交換じゃなきゃダメ——つまり、イサウの娘です。
面倒ですが、それが我ら神々のルールであり、この世界はそうやって均衡を保っているのです〉
続いて「クエスト受託」のボタンがあった。例によって俺に拒否権は無いようだが……。
〈てことで、クエストです☆ シュコニの果たせなかった夢を叶えてあげるため、まずは英雄イサウの娘を発見してください。
この7年でわたしもカオス()さんがどんな人間かわかってきたつもりです。
あなたは、恩を仇で返せる人じゃない。
常に安全マージンを取り、幼いあなたと三毛猫を最下層まで導いてくれた先輩冒険者に恩返しするチャンスです☆ それともシュコニなんざ忘れて、のんびり窓ガラスを作ります?
……クエスト拒否のボタンは必要ですか?〉
見透かしたような文面に腹が立ったが、手紙にも書いてあるように、アクシノは極大魔法の鑑定でシュコニの人生をすべて知っていて……眷属の俺は、よせば良いのに色々なことを知ってしまっていた。
邪神からの手紙は、完全に俺が引き受ける前提でもうしばらく続いていた。
〈クエスト攻略のためのヒントを与えておきましょう。叡智アクシノが集めた情報によると、イサウの娘「ニョキシー」は母親と同じ狼系の
冗談みたいな名前を持つ女騎士ニョキシーは月の貴族たちから着実に
ですから、あなたもノモヒノジアを攻略してください。ちなみにボスやマスターは無視で良いです。混沌の影()の実力じゃまだ勝てませんし、わたしも来年からしばらくは休暇の予定ですから、わが眷属にばかり
そして、そうしてカオスさんも迷宮を攻略していれば、ワンチャン☆ニョキシーに出会えることがあるかもしれません。あるいはぶっちゃけ、会えないかもしれません♪
曖昧ですが、イサウの娘について我々が知っていることは、実は現時点ではこの程度だけなのなのです。スパイの数はごく僅かですし、どうやら子犬には生まれつき鑑定を跳ね返すスキルがあるようで、我々は、英雄の娘ニョキシーについてほとんどなにも知りません。
どうします?
先輩冒険者の遺志を継ぎ、月に囚われた英雄の娘を助け出し、誘拐されてる月のお姫様を家に返してあげる……☆
囚われの姫の救出です! まさに勇者の振る舞いです☆ お望み通りの“
引き受けますよね。そもそもあなたに拒否権を与えるつもりはありませんから、14歳までに英雄の娘を月から助けなさい。
——ああそうだ、報酬が欲しいです? しくじったらカオス()さんは天罰でぬっ殺されますが、その代わり、今引き受けるなら2点ものSPをあげちゃいますぞ♪〉
◇
時間の流れが元に戻ると廊下の向こうからポコニャ区長の声が聞こえた。
「おいカッシェ、お小遣いあげるぞ? さっき伯爵に聞いたのだが、ギルマスと区長を兼務するあちしの給料は莫大にゃ☆ 得意にしてる癇癪玉で商人どもを軽く炙ってくれるだけで良いのだが……どの部屋にゃ? この街は広すぎる……」
夕日が差し込む窓ガラスの無い窓から海風が部屋に吹き込んだ。
——まあ、焦っても仕方ねえよな。まずは住む場所を整備しなくちゃ。
〈レテアリタ帝国ラーナボルカ市フェトチネ地区のカオスシェイド()は、新たなクエストを了承しました——〉
叡智アクシノの怜悧な声が脳内に響いた。
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