竜を飼う老人


 一面純白の光に包まれた約1立方の空間に、ぽつんと小さな丸太小屋が建っている。煙突から細い煙の筋が伸びているが、小ぶりな山なら丸々収まる空間は、この程度の火で換気する必要は無い。


 粗末な丸太小屋の中は、せいぜい8畳程度の部屋がひとつあるだけだ。小さな炉があり、ベッドサイドには薬品棚があって、壁には燕尾服をかけたハンガーが並んでいる。部屋の一番奥には木彫りの女神像があり、そこだけは金銀や宝石で飾られている。


 老執事マガウルは自分のベッドに座り、世界でも類を見ないほど広大な〈常世の倉庫〉でひとり怪我を治療していた。左腕が特に悲惨で、骨折している。


 自作のクソ不味い回復薬を5本も飲み干し、ようやく左腕以外の痛みが和らいだ。レベル35の彼にも崩落は堪えたし、彼に回復系の加護やスキルはない。


(左腕だけは治らぬか。しかし薬はもう飲みたくないのぅ……)


 老人は鍋で炊いたコメを平皿によそい、火頭雉の卵を溶いて、そこにウユギワ村で仕入れた〈叡智直伝〉のショーユを垂らした。


 ドーフーシの主食たる白米にレテアリタのウユギワで発明されたショーユと卵を混ぜて食べるのが今、ツイウス王国のナウでヤングな貴族の間で流行らしい。鑑定持ちに叡智アクシノが語った話によると、謎の王国ジャパンに伝わるTKGという料理だそうだ。


(ふむ……悪くない。やはりアクシノはジビカより格上じゃな)


 ツイウス王国に箸の文化はない。マガウルは折れた左腕をかばいながらTKGをスプーンでかきこんだ。


 妙な食感ではあったがショーユと卵のまろやかさがクセになるし、魔物由来の卵と、この世界由来のコメで作られているのが良い。常世の加護を持つ彼は、ヒトを殺しても魔物を殺しても経験値が得られるし、食えばMPを回復できた。


(……行けるかの? 気に入ってくださると良いが……)


 続いて老人は別の美しい皿にコメをよそい、卵とショーユをかけ、自ら木材を彫って作った不出来な女神像の前に置いた。


 本人曰く「似てない」と評判の女神像に「捧げます」と念じると、皿がどこかに消え、老いた脳内に少女の声がする。



〈うまうま〉



 常世の女神は各惑星の神々が住まう星すべてを包む「居場所の女神」であり、この惑星にも“月”にも与しない、この世界の第三勢力だ。


 たかが惑星レベルの神々を超越した位置にいる〈常世の女神〉は、原則として星々のどちらにも味方もしないし、逆に、なんとなくの気分で両方の手助けをすることもある。


 加勢の基準は「珍しいかどうか」だ。例えば常世は大陸で名を馳せた殺人鬼に強烈な加護をくださっているし、特異な出自を持つお嬢様にも強い関心を寄せている。


 切符もその一例だろう。偽物が多いとされている〈常世の切符〉は、実際はすべて本物だ。常世の女神が持ち主に好奇心を抱いたかで発動が決まるため偽物ばかりと思われているだけだ。


 わけのわからない雑な基準だが、たぶん常世様は超ヒマなんじゃねえかな、というのが老人の予想だ。


〈ん……TKGは珍しかった。ご褒美にマグじいを全快。アクシノにも後でSPをあげよう〉


 少し満足げな女神の声が聞こえた。マガウルにはSPがなにかはわからなかったが、左腕が即座につながり、像の前に空の皿が返却される。


(……ありがとうございます)


 ずっと続いていた激痛が波のように引き、老人は頬を緩めて手彫りの像に頭を下げた。クソ不味い薬を飲む前にこうすれば良かった。


(そういえば、あなたが〈神託〉してくださったカオスシェイドを見ましたよ。あなたが昔、星辰の願いに応じて遠い世界から連れてきた子です)


 マガウルは逸る気持ちを抑え、できるだけ敬意を込めて女神に問いかけた。


(あの少年にフィウ様を預けましたが、お嬢様は無事でしょうか?)

〈教えない〉


 わかっていたが答えはそっけなかった。神託を通じて聞いた話だと「ニケとはマブダチ」らしい彼女は、むやみに老人を冒険させたがる。


 マガウルは立ち上がって体を確認し、ボロボロになった服を炉に放り、小屋にストックしている新しい燕尾服を着て外に出た。


「——ちっ、回復しやがったか」

「……ほお、わしを見舞いに来てくれたのかね?」

「弔いのつもりで来たのだ」

「月のトカゲは口が減らんな、引き篭もりが。わしと一緒にお外へ出てみるか?」


 小屋の外には全長15メートルはある巨大な黒い竜が待ち構えていたが、執事は無視して自分の倉庫を出た。


 この惑星の神に最も近い生き物がヒトなら、月のそれに最も近いのが竜だ。殺人鬼ではあるが、老人に「悪魔」と議論する趣味は無かった。


 倉庫の出口を抜け出すと、入った時と変わらず、目の前は瓦礫の山だった。岩の間からはゴブリンやホブの手足が飛び出していて、むせ返るような血の臭いがする。老人はフィウの安否が気になったが、


(ふむ。ヒトの死臭はしない気がする……殺人鬼の勘に過ぎんが、ここで人間は誰一人死んでいないだろう)


 ——と、その時、突然脳内に甲高い女の声が響いた。中年の女が少女のふりをしているような声だ。


〈こんにちわ。わたしは恵みの霊樹たる花魄かはく。あなたに加護を与えましょう♪〉


 それは〈月〉の女神からの勧誘だった。マガウルは大きくため息をつき、


(根本に塩を撒かれたいか、雑草)


 嘲笑ってやると小さな舌打ちが聞こえ、花魄とやらは無言になる。


(鞭の女や黒竜と言い、今日はずいぶん愚物に絡まれるのぅ……)


 ダンジョンで神から勧誘を受けることはよくあったが老人はほとんどすべての加護を断っている。彼がこれまで殺害してきた人々の多くは死を前に神々の救いを願ったが、それで連中が助けに現れたのを見たことがないからだ。


 老人は瓦礫だらけの迷宮を見回した。


 大昔、叡智()のジビカが申し出た加護を「半可通」と笑った彼は、おかげで自分が迷宮のどこにいるのかわからないし、フィウ様の様子を知ることもできない。


 マグじいは繋がったばかりの左手を目の前の岩に当てた。軽く拳を握る。


 彼が「加護を受けてやっても良い」と思えた数少ない神のひとりに月の拳神エタラクがいた。この神から加護を受けたのはいつだったか——こぶしの神は老人が月の眷属になることを求めず、「俺はおまえが敵と殴り合うのを見物したいだけだ」と笑い、マガウルはその動機を気に入った。


(……少林拳、寸勁すんけい——)


 岩に触れると瓦礫の山が吹き飛んだ。上に乗った瓦礫が崩落する前に隙間を抜けると目の前は迷宮の通路になっていて、背後で瓦礫が崩落する音を聞きながら老執事は道を進んだ。彼は冒険者ではないため、当然ニケの加護は無い。スキル表示は出ないし、通路の罠には全てハマったが、圧倒的なレベルにモノを言わせて体当たり気味に突破していく。


 曲がりくねった通路の小道を勘で進んだ。途中出くわしたツキヨ蜂には打撃が当たらず苦戦させられたが、運良く石鳥ガーゴイルを見つけて〈常世の魔術〉を使い逃げられた。ここ数年魔術は封印していたのだが、殺せば良いだけの人間と違って魔物の相手は面倒だった。


 そうしてマグじいは12畳程度の小部屋に出た。


「……失礼だが、そこに居るのは冒険者の一行でしょうな?」


 元・殺人鬼の老紳士は、フィウお嬢様に仕えてから覚えた丁寧な言葉を使った。よく観察しなければ気づかないが、その小部屋の壁際には〈常世の倉庫〉の小さな入口が開かれていた。


「おいナンダカ、声が……」

「にゃ!? 黙れラヴァナ!」


 まだ若い男の声が入り口から聞こえ、若い女の声が聞こえた。待っていると、浅黒い肌の男が入り口から顔だけ出す。


「……誰だ、あんた」


 ナンダカが紳士に誰何した。マグじいはツイウス王国の礼儀作法に則り、恭しく礼をした。


「……青い髪をした令嬢を見かけませんか。ことによると赤や黄に変色していたかもしれません。わたくしはその執事で、御身を案じているだけの下僕やつがれにございます」


 粗野な冒険者はマガウルの礼に面食らった顔をし、「……御身?」と聞き返してきた。無意味な質問だ。


「……ご存知なければ先を急ぎます」

「いや、いや、待ってくれ——つまりアンタは誰かを探してるんだよな? 情報交換しないか。ミケって子猫に心当たりは? 7歳くらいの三毛猫だ」


 マガウルは無言で首をかしげた。その名はウユギワ村の酒場で聞いたことがある。冒険の女神ニケの加護を持ち、異常な攻撃力を持つと噂の……。


「俺たちは、この迷宮を脱出するつもりだった!」


 ナンダカが焦るように叫んだ。


「だけど、できない。ミケが冒険の女神と契約してしまったんだ! 期限まではあと3日しかなくて、たぶん息子の——カオスシェイドは知ってるか? 俺の息子もミケと一緒で……!」


 倉庫の入り口から一瞬だけ黒い猫獣人が顔を出した。猫獣人は体を光らせ、困惑したように「にゃ」と鳴いて首を引っ込めた。


(……鑑定持ちか。の星だし、アクシノの眷属じゃろうの)


 耳を澄ますと、獣人訛りで「鑑定できねー」という声が聞こえてくる。


 常世の女神の眷属たるマガウルに〈鑑定〉は無意味だ。かの女神は倉庫のごとく眷属を包んでいて、棺の中にあらゆる秘密を隠してくださる。


(しかし、ミケというのは——崩落の直前に異常な剣気を感じたが、あれがミケじゃろうの。そして「カオス」はお嬢様を預けた少年のはずだが……向こうの希望は「情報交換」か。なら、まだ、なにも教えるべきではない)


 叡智の加護を持たないマグじいは、それでも自分が知っている様々な事実を突き合わせ、自分の頭で考えた。自分でそれができるからこそ月のジビカは老人に加護を申し出たのだろう。


 老人はとぼけた態度で肩をすくめた。


「ふむ……わしへの鑑定はしくじるでしょうな。下僕やつがれは少々珍しい加護を得ていますから。では、わしは先を……」

「いや、待ってくれ! 覚えてるか? 俺ぁゴリだ——ゴドリーだ!」


 マガウルが小さく礼をして立ち去ろうとすると、倉庫の入り口から黒髪・短髪の暑苦しい男が飛び出してきた。


 マガウルとしては最も会いたくなかった相手だ。奴が倉庫にいると知っていればフィウ様のことを聞いたりしなかったのに。


「マガウルさんだろ、俺がわかるよな? ギルドのカウンターであんたや女の子の依頼を受けた! ……あんた、まだあの子とはぐれたままなのか?」

「……どこかでお嬢様を見かけましたか?」

「いいや、見てねえ——でも探すのを手伝うから!」


 見ていないという言葉に反し、ゴリは叫んだ。言葉とは裏腹な動作を執事は見逃さない。


 老いた殺人鬼は、ゴリが〈月の眷属〉だと知っていた。知った上でウユギワ村のギルドに護衛依頼を出したし、狼の兄弟を雇うため、フィウの身元をレテアリタ王国の小貴族だと偽装してもらっていた。そうしなければあの子に——フィウお嬢様に邪神ファレシラの天罰が下される可能性があったからだ。


 黒髪で短髪の、筋肉質な男は懇願した。


「聞いてくれ、執事さん……ウユギワ村のミケって子が“冒険”と契約しちまった。あんたも『子供』が大事なら意味がわかるだろ? このままだと『あの女の子』は〈天罰〉だ。神々にダメだと、あの子は死んでしまう! お願いだからなにか知ってることがあったら教えてくれ! ……わかるだろ!?」


 ゴリの言っている意味はよくわかった。月の眷属たる女の子——フィウのことをバラされたくなきゃ、テメーの知っていることをすべて教えろ、だ。


「ふむ……わたくしはミケという少女を見たし、ついでに言えばカオスシェイドも見かけましたな。しかし情報と引き換えに、わたくしのお嬢様の捜索を手伝ってくださいませんか?」

「「「 ほんとか!? 」」」


 殺人鬼はゴリに一矢報いつつ答え、浅黒い小男と黒猫、それに暑苦しいヒゲの男が倉庫から飛び出してきた。



  ◇



 ウユギワ村の冒険者ギルドに務める職員は、村長の方針で全員が倉庫を持つそうだ。


 マガウルはゴリが用意した〈常世の倉庫〉に入った。入り口を抜けるとそこは板張りのリビングで、2本のろうそくが薄暗く部屋を照らす中、5人もの男女が木製のテーブルを囲んでいた。


 リビングの隅では珍しい緑髪の青年が黒猫獣人と大量の豆の入った壺を囲んでいて、豆はどれも黒く変色している。


 燃素を染み込ませた〈癇癪玉〉だろう。マグ老人も昔は爆殺のために愛用していたが、壺の中身がすべてそれだとすると凄まじい量だ。あれだけの爆薬を作るには数千MPが必要になる。


 ——この後わしがどんな会話をしても、あの壺をチョイとつついてやれば簡単に全員の口封じが可能じゃの。


 殺人鬼がそんなことを考えた瞬間、極めて珍しいことが起きた。


〈……だめだよマグ。ゴリはともかく他はダメ。さすがに〈歌〉が許さないし、八つ当たりでおまえかフィウが殺される〉


 普段はこちらから祈らなければ〈神託〉を与えない常世から警告が入った。あの女神は冗談のためにこんな面倒なことはしない。


(……心得ました。ゴリ以外は殺してはいけないので?)

〈そ〉


 わけがわからなかったが、心の中で同意すると浅黒い肌の小男が老執事に言った。


「マガウルと言ったか? 座ってくれ。俺はナンダカ。〈剣千の風〉というパーティを指揮してる。こっちがラヴァナ夫妻で、そこの盾職タンクはムサと呼ばれてる」


 ナンダカが手早く名乗って椅子を勧めたが、マガウルは首を振った。椅子は嫌いだった。座っているより立っていたほうが咄嗟のときに殺しやすい。


「椅子は結構です。執事というのは立っているものですから——皆様は、先程の崩落の音をお聞きになりましたか? あなたのご子息のカオスシェイドですが、実はわたくしのお嬢様と一緒に崩落に巻き込まれました。伝説に聞く『絶対防御ヒットポイント』がご子息はもちろんわたくしのお嬢様の身を守るのを一瞬だけ目にしましたが、下僕やつがれにはどうすることもできず……」

「あんた、俺の息子と会ったのか……!?」


 マガウルは手早く本題に入り、ナンダカという浅黒い小男と15分ほど情報交換をした。ナンダカが提案した「情報交換」に嘘はなく、殺人鬼がカオスやミケについて知っていることを話すと剣閃の風の面々は口々にお嬢様の目撃談を話してくれたが——マガウルは、ゴリに騙されたと悟った。ゴリを含め連中が知っていたのは4日前にはぐれたフィウお嬢様の様子で、現在の老人にはほとんどどうでもよい情報ばかりだった。


 しかも、フィウお嬢様は連中に恨まれていて、〈剣閃の風〉は、その執事たるマガウルにまで敵意を込めた視線を送った。


 特にムサという青年の目は昏く、今にもマガウルにスキルを使いそうだったが、


「……なるほどね。これで裏が取れたなゴドリー」


 ナンダカが冷たい声で言い、そっとムサを止めた。ゴリはリビングの隅で床に座っていて、無精髭が目立つ暑苦しい顔に涙を浮かべていた。


「何度も言っただろ? ……そうだよ、俺は〈月の眷属〉だ」


 黒髪・短髪・筋肉質のゴリは、つぶやくように自白した。



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