令嬢とメイド


〈おいカオス。ワタシの推論によると、駄乳がおまえの額に「肉」と書こうとしているが?〉


 その一言でついに目が覚めた。板張りの知らない天井が見えたが、そんなことより眼の前にインクの染みた羽ペンがある。


「な!? やめろッ! テンプレかよ!? 意味わかってやってんのか!?」

『おおうっ!? ついにカオスが目覚めたぞ、フィウッ!』

『ドーフーシのおまじない、効きました! お姉ちゃんすごい!』

『ふはは☆ だろー?』

『てんぷれって言葉だけは聞き取れました。どんな意味ですか?』

『うーん? お姉さんも知らん! 気にするなっ! カオスはいつもなんだ。叡智の影響だろうねぇ……ドーフーシでは、こーゆーのを「耳年増」と呼ぶ。もしくは単に「童貞」かな?』

『なるほど。カオスさんはドーテー』


 看過しがたい荒唐無稽なマジで全然事実に反する名誉毀損にボクは飛び起きた。


「〜〜〜〜ざっけんな!」

『——お姉ちゃん、なんて?』

『ボクハ・チガウヨって嘘をついてるね』

『え、カオスさんは嘘つき……?』

「ううううう、嘘じゃねえしッ!」

『お姉ちゃん、なんて?』

『ボクハ・チガウヨって嘘ついてるね』

『……え、カオスさんはまた嘘つき……?』


 不毛な同語反復を耳にしながら、俺は生まれ持った〈翻訳スキル〉が勝手に言葉を通訳しているのに気づいた。


 叡智の〈翻訳〉は割とチートな常時発動系パッシブ能力スキルで、ノーコストのくせにスキルレベル次第で全世界の言語を翻訳してくれる。


 しかし欠点は存在する。日本語でいう「木漏れ日」のような言語固有の微妙なニュアンスは翻訳にしくじることがあるし、聞くのはまだ良いが、このスキルは俺の言葉を訳してはくれない。スキルに頼っていると聞けはしても喋ることができなくなるため、ゼロ歳からこっち、俺は日常のほとんどの時間でこのスキルをオフにしていた。結果、レテアリタ帝国の言葉についてはネイティブに会話ができるが——。


『とにかく、カオスさんが起きた』


 破れたドレス姿の青い髪の少女がつぶやいた。目で見た少女の口パクと耳が捉えた意味が合っていないので、これは〈翻訳スキル〉が訳してくれた結果だ。


 俺は高級ホテルのような寝室に寝かされていて、柔らかい羽毛布団のベッドには装飾の多い天蓋がついている。ベッドは二台あり、隣のベッドにはメイドと青髪が腰掛けていた。


 ステータス画面で〈翻訳〉をオフにすると、青い髪の少女が俺を気遣うような顔で意味不明な言葉を発した。


「フィライッヴァッ・エムツ・ラウナ・オフ……?」

「エーイスっ、ズォシュダァク・ダッサ・ズゥヒャベッス♪」


 金髪碧眼黒メイドのシュコニが少女になにかを請け負うように答えたが、オフにしたらしたで会話の意味がわからない。


「えっと、お乳さん? ちょっと良いですか」

「むうぅ……キミまで私をその名で呼ぶか? なにかねカオスくん」


 カオスって呼ぶな。


「シュコニは普通にその子と会話してるけど、それスキル?」

「ああ、この子はフィウで、南東にあるツイウス王国の子だぞっ。故郷のドーフーシと近いから私は言葉がわかるけど、カッシェにはイミフかい? ——ヘイ、ディザ・テューピスト・エァ・ビヤ・アンデッシュカァパロス!」

「www」


 青い髪の女の子が馬鹿にしたようにクスクスと笑い、俺はお乳に愚弄されたのだけは理解できた。


「……上等だ。叡智持ちが全員〈翻訳〉スキルを使えるのを知らないみたいだな」

『なに!? まずいぞフィウッ、辛い嘘を強いるが、カッシェをイケメンだと褒め称えろっ!』

『え? ええと……かっ、かっこいぃ……』

「オイ揉むぞメイド」

『うわあー☆ 聞いたかフィウッ、守り続けた私の貞操が〜〜〜〜♪』

『お姉ちゃんにひどいことしないで』


 小娘が無実のボクを睨んで来た。反論したかったが、俺の〈翻訳〉は一方通行のスキルだ。


 仕方ないのでステータスを開き、MPの動きを確認した。変動が無いのでポコニャさんは今、魔法を使っていないと見て良い。


 俺は〈教師〉の対象に青髪の小娘を指定し、フィウと呼ばれている青髪のクソガキはアクシノのアナウンスを聞いて「ほあー!?」っとかなんとか叫んだが、俺の〈教師〉スキル経由で〈翻訳〉を受け入れた。


 これで俺が聞く青髪の言葉はレテアリタ語か日本語に翻訳されるし、俺の話す言葉はクソガキに理解できる言葉として聞こえるだろう。メイドのシュコニはどちらも理解できるから無視で良い。


「……カオスさん、わたしの言葉がわかりますか……?」

「カオスって呼ぶな。そっちは?」

「わ、わ……すごい。わかります! これは叡智の女神様のおかげですか? マグじいに聞いていたより、ずっとすごい!」


 すると青髪は言ったのだった。


「月生まれのわたしでは、永久にご加護を得られないのが残念です」


〈——おいカオス、こいつは確実に〈月の眷属〉だが、攻撃するなよ。4日前の朝は判断に迷って警告が遅れたが……とっととワタシにMPを捧げて、この娘を鑑定させろ。そうしてもらわないと神たるワタシにはよく見えないのだ〉


 叡智の女神が俺だけに聞こえる神託をしてきた。



  ◇



「鑑定」

「え?」


 驚く青髪を無視して詠唱し、改めて周りを見回す。


 俺は常世の広い高級な寝室のベッドに寝転がっているが、ここはおそらく倉庫の中だろう。壁には大きなガラス窓とカーテンがあり、外から倉庫の壁が発する白い光が差し込んでいる。持ち主は金持ちで間違い無い。寝室には他に繊細な装飾が施された上品なテーブルと椅子、暖炉があったし、さらに——マジか。アップライト型の白いピアノのようなものまであるぞ?


 ステータス画面を開くとHPは0で、崩落する瓦礫の中で「再起動」してもなお3HPを失ったらしい。取得した覚えのないSPが追加されているし、経験値が増えているのは、ポコニャさんに与えた〈無詠唱〉のせいか?


 MPは残り6千のまま増えはしても減る気配が無かったので、ポコニャさんはどこかで休憩しているのだろう。きっと近くでは父さんも休んでいるはずだ。


 俺は変動しないMPに勇気を貰う一方、はぐれた母さんとミケを気にした。会話のため青髪に〈翻訳〉を与えているが、すぐにでも回復持ちの母かフェネ婆さんあたりを〈無詠唱〉の対象にして調べたい。


 そんなことを考えながら、俺はLv9の鑑定結果をじっと読み下した。



————————


名前:鑑定不能

通称:メアリネ・フィウ・クーンシルッピ

年齢:7

出身:月 ※ツイウス王国メアリネ直轄領メアリネ王宮育ち

両親:鑑定不能

所属:なし


前科:

 殺人1,327回


加護:

 月の眷属(殺人等で経験値を得る)

 月の神Aの加護 ※鑑定失敗

 月の神Bの加護 ※鑑定失敗


称号:

 常世の栞(常世の女神が付与する目印)

 ツイウス王国第四王女


レベル:27

EXP:419/33,521


スキル:

 常世の倉庫Lv17(約289立方メートルを得る)

 ※その他のスキルは鑑定不能


MP ◎:1,749/1,988(2,213△225:常世の倉庫)

腕力 ☆:1,051 ※平常時

知性 △:1,121(677+444:防具1)

防御 ○:1,364(1,327+37:一角獣のドレス)

特防 ○:1,236(1,213+23:一角獣のドレス)

敏捷 ☆:521 ※平常時


防具1:常世の首輪(倉庫の出入り口を2つに増やす)


————————



 スキルやステータスは今、重要じゃない。倉庫のコストが激安なのが目立つ程度だ。


 目の前の少女は「月」出身で、千三百人も殺している……?


「おっとカッシェ、鑑定をしたよね。私、フィウとはさっき会ったばかりなんだけど、どんな感じだい?」


 シュコニが気楽な調子で聞いてきた。


「この子ったらすごいんだぞ? 私、瓦礫に巻き込まれて死んだと思ったんだ。いや、実際死んでたね……ところがフィウが瓦礫を持ち上げて救助してくれて。小さいのにすごい腕力だっ! 私や気絶したキミを抱えながら岩をどかしてくれて、こんなに広い倉庫を開いて、中に匿ってくれたんだ!」

「……そんな、全然、ふつう、です……」


 フィウは嬉しいのか照れくさそうに身をよじり、頬を赤らめた……と同時に、それまで青かった髪が明るい色に変わり、金髪のようになる。


「お? また髪の毛が変わったね。目の色も……岩を持ち上げていたときは真っ赤だった」


 シュコニに指摘されフィウはハッとしたように金色の目をつむった。髪と目が青に戻る。


「……気にしないでください。生まれつき、です……」


 少女は嫌そうな顔で無理に笑みを浮かべ、ボロボロになったドレスのスカートの端をつまんだ。


 再起動込みで「絶対防御ヒットポイント」を使いまくった俺はともかく、シュコニとフィウの服装はひどかった。俺の黒革の上下も崩落でくたびれてはいたが、二人に比べればマシだろう。


 シュコニの黒いメイド服はところどころ穴だらけだったし、下に着ている水着のような革鎧も割れていた。守りを失った胸元にたわわが輝いている。フィウの青いドレスもそれは同様で、崩落前はロングだった青いスカートがミニスカートに見えるほど破れていた。無事なのは「常世の首輪」くらいで、黒い鎖にルビーを嵌め込んだ首輪だけが新品のように無傷だ。


「それでカッシェ、フィウはどんな感じ?」


 シュコニが話題を戻したので、俺は曖昧に笑った。〈鑑定しろ〉と指示したくせに叡智は無言で、なんの助言もくれない。


 青髪のフィウは俺に自分の「前科」を知られたと理解したらしい。再び髪と目を黄色くさせて、しかし俺を口止めしようとする素振りは見せなかった。


 ……どうしたものかな。


 鑑定結果をシュコニに暴露するのは簡単だ。しかしこの子はまだ7歳だと鑑定結果に書いてある。たった7歳で、千人以上の人間を殺しているような子が存在するのか……?


「……メアリネ・フィウ・クーンシルッピは、常世の倉庫がレベル17だって」

「おおー☆ すっごい広いもんね、ここ! それにメアリネってのはツイウス王国の王家と同じだけど……フィウ様ってまさか、王国のお嬢様!?」

「えっと、べつに、あの……わたしのことはフィウと。呼び捨ててください。それが一番気に入っている名前なので」

「よくわかんないけど、わかったよっ!」


 シュコニはたわわをプルプルさせながら貴族の令嬢に抱きつき、貴族の小娘はともかく、百合百合しい光景はボクの目の毒だった。


「……俺、どれくらい寝てた? それに、ここの外はどうなってる?」


 青髪の人殺しは後回しにするとして、俺はメイドさんに聞いた。


「外は四方八方、瓦礫だらけだ。身動き取れない感じだね。時間経過は——私が助けてもらったのが1時間前かな? 話を聞いた感じだと、フィウはもっと前から起きてたみたいだけど。ね?」


 人殺しはウンウン頷いた。


「……マグじいが居ません。探して、ほしいです。わたしはこうして無事でした。マガウルが死ぬ……死ぬわけない……ので……」

「焦っても仕方ないよ、フィウ。まずは瓦礫をどかさないと」


 青い髪の少女は髪の毛をまた黄色に変え、俺は黒髪をかきむしった。


 最低でも1時間は寝ていた? それに、外は瓦礫の山……?


「フィウ、もう〈翻訳〉は切らせてもらう。俺に用がある時はシュコニに通訳を頼んでくれ」

「え? でもさカッシェ、」

「切るよ」


 俺はステータスの〈教師〉の先をフェネ婆さんに変更し——直後にMPが減った。村長は俺のMPを必要としていたらしい。


「——母さんたちが戦闘中だ!」


 俺はシュコニに怒鳴り、『——なんて?』と尋ねるフィウを無視した。枕元には銀色の刃物が置かれていて、焦りながら〈シルフの懐刀〉を拾い上げる。


 ひのきのぼうはミケに渡したままで、頼れる武器はこれだけだ。フェネ婆さんと合流したあと〈倉庫〉を解除してしまったのが悔やまれる。


 俺の荷物はほとんど婆さんの倉庫に預けてしまった。維持していれば俺は紙を取り出してシュコニにマッピングしてもらえただろうし、窯と金槌や縫い針があれば装備の補修をすることもできたが、残っているのはこのナイフと、ジャケットのポケットに折り畳んで入れていた〈常世の切符〉だけだ。


 ——いや、もうひとつあったか。


「落ち着けよ少年! ナサティヤ先輩は無事さ。ミケもいるし、ギルマスもついてる!」


 シュコニがなにか言っていたが、俺は目の間に開いたステータス画面の〈修行〉アプリを凝視していた。



〈極大魔法:歌 の修行にようこそ♪


 このスキルはすごいですぞ? 神々の長たるわたしのスーパー超すごい加護により、ななな、なんと……☆ 普通はひとりにひとつの属性が限度の〈極大魔法〉が、どれであっても可能になるのです♪


 この惑星でのさらなる自由のために、1SPが必要です☆〉



 久々に見た邪神のうっぜえメッセージに「YES」を返す。魅力的なスキルは他にもあるが、修行に必要な時間を考えると今はこれしかないと思った。



〈ふはは☆覚悟はいいです? カオスシェイドめ♪ 今回は〈調速〉の時みたいなヌルゲーじゃありません! 地球のゲーセンとやらを参考にした、たいこゲーム☆超絶鬼難易度のスタートです♪〉



 俺は案の定、極大魔法の音ゲーを一発でクリアした。


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