大剣使いのゴドリー


 ——俺は月の眷属だ……。


 マガウルはゴリが泣くのを無言で見ていた。


「俺は星辰ファレシラ様を裏切った。そこのマガウルさんも——すまねえ、村のみんなに教えるぜ? ——マガウルさんは、俺が“月”だと知ってる!」


 ウユギワ迷宮23層に展開した自分の倉庫の板張りのリビングで、ギルド職員のゴリは口を開いた。マガウルと同様、〈剣閃の風〉の他のメンバーも黙って彼を見つめていた。


 ゴリは黒い両目からぽろぽろと落涙しながらマガウルたちに言った。


「——でもな、誓ってフィウって子は違うぞ。俺はマガウルさんからあの子の事情を聞いてる。ムサは絶対許せないと言うけど、」

「——誓うって、どこの神様にスか?」


 ムサが冷めた目で茶々を入れ、ゴリは苛立ったように声を張った。


「月の叡智、ジビカにだ! ——これで満足か!? とにかくあの青い髪の子は人殺しじゃねえ!」


 それまでずっと口封じを考えていた殺人鬼マガウルは、その一言でゴリの話を聞く気になった。


「あの子は——フィウは、まだモノの道理がわからないうちに無理やり殺しをさせられただけなんだ!」


 ゴリは怒鳴った。


「これは確実に本当だ。俺に加護を与えていた月のクソが〈鑑定〉で言ってやがった。あの子は無理やり人殺しをさせられただけだって!

 ——いいか、月の本当の秘密は“月の眷属”にしかわからない。だからこれは絶対に真実だ。お前らも鑑定持ちのフェネ村長から聞いたことはないか? この星の叡智アクシノ様でも“月”のことはほとんど知らない。月の秘密を知っているのは、月の叡智ジビカだけだ……あんなやつの加護、受けなきゃよかった!」


 マガウルが無言で見つめる前で、ゴリはそう吐き捨てて昔話を始めた。



 ——もう5年も前になる。


 大剣使いの冒険者として村に名を馳せていた男を狂わせたのは、同じく冒険者をしていた息子の死だった。その直後、妻も後を追うように病死し……当時冒険者をしていたゴリは、迷宮をぶらついていたとき、突然〈月の叡智〉から神託を受けた。そんな経験は初めてだったのでとても驚いた。


〈——おい、おい、ゴドリー。もう迷宮で泣くのはよせよ。村じゃ仲間の目が気になるからって、迷宮で泣きに来るのはどうかと思うぞ。きみはそんなに逝ってしまった人たちと会いたいのか……?〉


 叡智ジビカはダンジョンの闇の中で告げた。言葉こそ同情に満ちていたが、淡々とした暗い声だった。


〈ねえゴドリー、邪神ファレシラの子。きみは世界の真実を知っているのか。

 ——教えてやろう。

 お前の世界で死んだ魂は、実は、常世の女神によって〈月〉の土地に移され生まれ変わるのだ。憐れむべき魂を受け取った月のレファラドは、生命の男神の名にかけて死者の魂を月に蘇らせている。

 邪神によって月は空から隠されているが、お前の頭上には天国があって、お前の息子も病死した妻も、そこで幸せに暮らしている。

 嘘だと思うなら古文書を読めば良い。世界の真実はそこに書かれている。

 だから、ゴドリー……お前も天国に行ったらどうだ? あるいは妻や息子の現在について、もっと知りたくないか。2人が月のどこにいて、どう暮らしているか。

 仮にお前が「真実」を望むなら、〈叡智〉の私がその願いを叶えてやろう……!〉


 悪魔のような囁きだった。


 孤独な男は月の叡智の加護を受け入れてしまった。


 ゴリは〈翻訳〉と〈鑑定〉のスキルを獲得し、迷宮に出現するすべての魔物を完璧に鑑定できるようになったが、しかし、それは職業冒険者としての彼の死を意味した。騙されたと知ったときには手遅れだった。


 迷宮でいくら魔物を殺してもレベルが上がらない。月の叡智は〈冒険者を殺せばいい〉とそそのかして来たが、ゴリは頑なに拒否した。迷宮で息子を失った彼に、冒険者殺しなんて。


 ついでに言えば、ゴブリンやオークの鳴き声を〈翻訳〉できるようになった彼は、もう人型の魔物を殺せなかった。


 倉庫持ちだったゴリは冒険者をやめ、ギルドの職員に転職した。しかし苦難は続く。


 迷宮の外で月の加護を持つことを知られれば〈天罰〉だ。世界から存在を拭い去られた魂はどこにも逝かずにただ消えるだけになる。ゴリは結婚指輪と息子の形見の兜に〈鑑定偽装〉の加工をして懸命に秘密を守った。


 給与の大半は食費で消えた。迷宮由来の食材ではもはやMPを回復できないため、高価なヤギ肉や畑で取れた小麦を食べる必要があった。


 しかもそんな食事を続けていたら、今度は酒場のマキリンに秘密を知られた。酒場でパンやミルクばかり食べていたのが良くなかったのだろう。


 悪魔のような女だった。


 結婚指輪を奪われたうえ、ゴリは彼女のレベリングのため、殺しやすい、弱い冒険者の情報を横流しするよう脅迫された。そんなつもりでギルド職員になったはずじゃなかった。むしろ逆の——弱いルーキーが少しでも死なないようにサポートしたくて……。


 いっそマキリンもろとも正体を暴露して〈天罰〉を受けようかとも思ったが、それはできなかった。ゴリは天国に行きたかった。普通に死んで、〈月〉に生まれ変わりたかった。


 そんな地獄の日々の極めつけが今回の騒動だ。


 もう6日前になる。震災の日の2日前、ギルドにやってきたマガウルとフィウはゴリに秘密を告げ、ゴリは2人のためにウゴールとバウの2人を紹介した。ゴリに密かに加護を与えているジビカの〈鑑定〉によると、フィウには前科に「殺人」があったが、ゴリはあまり気にしなかった。


「ジビカの鑑定結果には、『殺人、ただし強制に』と書かれてたからだ。レベリングだよ。こっちの貴族はみんなやるだろ? 月の連中だって同じだ」


 ゴリは言った。


「あの子は無理やり人殺しをさせられただけなんだ。それに俺の聞いた話じゃ、二人は迷宮最深部のダンジョン・マスターと交渉して月に行きたいだけだって……おまえらには意味不明だろうけど、できるんだよ」


 剣閃の風全員の視線が老人に集まったので、マガウルは軽く首肯しておいた。実際は「交渉」というより賄賂が必須で、金貨や高価なアイテムなどを渡す必要があるが、あえて教えてやる意味は無い。


 ゴリが言った。


「それで俺は、二人が冒険者を殺すつもりで来たわけじゃねえとわかったから、ウゴールとバウを紹介した。狼の兄弟には『よくある貴族のレベリングだ』って嘘をついて、ギルドに出す依頼書にもデタラメな身分を書いて……マガウルさんたちは、本当は迷宮の道案内が欲しかったんだ」

「わしら月にはニケの加護がありませんのでの。わしはともかくお嬢様が道に迷っては困る」


 冒険のニケは、冒険者カードを持つすべての者に僅かながら加護を与えている。本来は罠として作用するはずの小石を無意識に回避できるようになるし、冒険のニケが加護を与えた者が見張っているうちは、〈ダンジョン・マスター〉は迷宮の道を作り変えることができない。


「にゃ? ダンジョン・マスターってなんにゃ。ボスとは違うのか」

「重要なのは、ニケの加護さえあれば迷宮の道は変化しないということじゃ。わしらには最下層まで付き添ってくれる優秀な冒険者が必要だった」

「マガウルさん、あんた、あの日はなにがあったんだ? 剣閃の風に聞いた話じゃ、フィウだけが目の前に現れて、常世の切符が破られたって」


 ゴリに聞かれ、マガウルは仕方なく話した。


 狼二人の道案内で迷宮を歩いていた彼らは突然ゴブリンの群れに襲われ、マガウルは当然戦った。しかし相手の数が多く、ひとりが鎧を大破されて陣形が崩れた。冒険者らは退却を提案し、マグじいさんは渋々と同意し……フィウがどこにもいないことに気づいた。


 マグじいはもちろん、パーティ全員がフィウに「切符」があるのを知っていた。ゴブリンに怯えて切符を破り、迷宮の「入り口」に戻ったのだろう——そう考えて彼らは迷宮を引き返したが、入り口にもギルドにもフィウの姿は無かった。


「ウゴールが正しかったようじゃのぅ。お嬢様は間違いなく『入り口』に帰っていたのだ。切符を使ったという彼の予想は正しかったが、わしが愚かだった。

 迷宮の最下層は月に繋がっている。わしらと違って月で生まれたお嬢様には、最下層こそがこの星への入り口だった——最初から切符を破っていれば、誰に依頼せずとも25層まで行けたのに……」


 マグじいは嫌がる狼二人を怒鳴り散らして迷宮に引き返した。フィウが〈剣閃の風〉の前に現れ、カタコトで「タスケテ」を繰り返していたなんて想像もしていなかった。


 迷宮に引き返したマグじいは二人に浅層の探索を命じて自分は下層を目指し、次に狼と会ったのは18層だった。弟の方が死にかけていて、マグじいを「クソ」と呼んで息絶えた。まあ、依頼主を恨みたくもなるだろう。


 マグじいはそこまで話して口をつぐんだ。彼は犯人がマキリンだということや、兄も殺されているのを知っているが、詳しく話せば〈剣閃〉たちが月側を憎むだけだろう。


 ゴリはしばらく老人の言葉を待っていたが、諦めて自分の口を開いた。


「そうか、バウは死んじまったのか……でも気に病むことはないぜ。あんたのせいじゃねえ。

 俺は地震の日、午後まで受付の仕事だった。あんたと狼だけが帰ってきた時は驚いたし、だから俺は、すぐにどうでも良いものを鑑定してみたんだ。

 そしたらジビカが楽しげな調子で『ペンはペンだろ。くだらないことを聞くな』って。あいつが笑うのを初めて聞いたし、あの時の不気味な嗤い声を聞かせてやりてえよ。

 はぐらかされたけど、あいつは月の叡智だ。剣閃やフィウのことを知っていたんだ。それで成り行きを楽しんでいたんだ……俺はどうしてジビカが嗤うのかわからなくて、とにかく嫌な予感がしてた」


 そこへナサティヤが飛び込んできて、ゴリはいよいよおかしいと感じた。このタイミングでミケが冒険と契約したと聞かされ、ギルドに緊急の依頼が出された。


 月の眷属であることを隠しているゴリにとって鑑定持ちのフェネは脅威だったが、彼は捜索に参加することにした。その時点はまだ剣神カヌストンの加護が有効だったし、フィウの行方が気になっていた。


 依頼にはちゃっかりマキリンが加わっていて、ゴリは吐き気を抑えながら無理に笑い、久々の迷宮に入った。


 夜、生まれて初めての大地震を経験した。


「ナサティヤは偉かったぞ。あんな地震が起きたのに、〈怪盗〉はずっとミケのことを心配していた。自分がついていたのに契約を止められなかったって後悔して……自分の子供じゃねえのにだ。俺はあれを見て自分が恥ずかしくなった」


 そして、ゴリはついに知られてしまった。決して偶然ではなかった。


 オーク2体と出くわしたゴリは鑑定阻害を持つ息子の兜を割られてしまい、オークが「よし、指示通り兜を割った」と笑うのを〈翻訳〉で聞いた。傷を心配したフェネはゴリを鑑定し——彼はその瞬間、この星から得ていたすべての加護を失い、ほとんどやけくそで、ナサティヤが警告した落とし穴にマキリンを突き飛ばしてやった。


「死なばもろともだ、あの売女!」


 ゴリは吐き捨てるように言った。決してムサを見ないようにして叫んだ。


「パーティにマキリンがついてきた理由はわかっていた。あいつはDランクの俺やナサティヤを狙ってたし、殺れそうならCランクの村長を『経験値』にしたかったんだ。俺はどうせ〈天罰〉だから、あいつを巻き込むことにした。

 人生最高の瞬間だったぜ。叡智のクソ野郎は俺が裏切ったら女みたいに悲鳴を上げてさ。ずっと俺に殺しを指示して、嫌がる俺を罵倒したくせに、俺がようやくマキリンを殺してやったら『もう加護は無しだ』だってよ……こっちこそあんな加護は願い下げだ、知ったかぶりの〈馬鹿の神〉が!」


 しかしこの星の神々に秘密を知られ、月の神々にも見放された彼を待ち受けていたのは悲惨なステータスだった。


 自慢だった大剣術はもう使えない。月由来の鑑定も、花魄かはくという神からもらった印地や縄術といったスキルも使えなくなった。しかも村長とナサティヤから総攻撃を受けたゴリは必死でオークから逃がれ、自分に唯一残された〈常世の倉庫〉に逃げ込んだ。ゴリは理由を知らなかったが、星々の神に依存しない倉庫のスキルだけは有効なままだった。


 そこからはもう、迷宮を下に進むしかなかった。


 迷宮を出れば〈天罰〉だ。ゴリは魔物に怯えながら階層を下り、少しでも物音がしたら倉庫に逃げ込んだ。


「下だ! 俺はもう、最下層から月に行くしかないんだ!」


 ゴリはそう言ってマガウルに土下座した。連れて行ってくれ! と叫び、そのあと〈剣閃の風〉にも額を床につけて懇願した。


「ミケは最下層に行かなきゃいけないだろ? なにせ契約だ! だから……頼むから、俺を一緒に連れて行ってくれ! 倉庫のモノはどれでも好きに使って良い。スキルは無いが、剣を振るくらいはできる! だから、どうか……月に行ったあいつらに会わせてくれ……」


 最後の言葉はかすれていた。


 マガウルには、彼の「会わせて」が「死なせて」に聞こえた。



  ◇



 ゴリは頭を下げながら静かに涙を垂らし、誰もが沈黙していた。ナンダカとラヴァナ夫妻は同じひとりの親を見る目でゴリを見つめ、若いムサは激怒の表情のまま爆薬の詰まった壺をただ凝視している。


(……さて、お嬢様を探さねばの。泣きわめく中年とか気持ち悪いし、こいつらと組んで探索するのはやめたほうが良さそうじゃ)


 聞くべきことは聞いたと感じ、マグじいは倉庫を出る口実を思案し——しかし、ナンダカが口を開いた直後に自体は急変した。


「なあゴリ、何度も言うけど——」

「——にゃ!? 通知が!」


 まずは黒猫獣人が妙な声を上げ、老人も常世から緊急の〈神託〉を聞いた。


〈——マガウル、珍しいことが起きるよ。わくわく。突破されるのは400年ぶり? 攻撃は禁止。一番イヤだと思う死に方を推理されるから〉

(攻撃……?)


 マガウル老人が今いる場所は、ゴリが開いた〈常世の倉庫〉の中であり、これは世界最強の〈結界〉だと断言できる。


 この惑星を統べる「歌」も、向こうを支配する「生命」であっても、常世が用意した倉庫の中には顕現できないし、中の様子は、神々が加護を与えた眷属の目を通してしか伺い知ることができない。昔「常世」に聞いた話では、怪盗の神ファイエモンは何万回も倉庫への侵入を試みているが、ただの一度も成功していない。


 ——まばゆい光がその場にいる全員の目を覆った。


 常世の倉庫に——完全無欠の絶対防壁の中に、老人がこれまで見たことのない女神が突如として顕現した。


 すべてを見通すような漆黒の瞳と、腰まで伸ばした黒髪が美しい。豊かな曲線を描く白衣の袖口にはこの世界の多種多様な文字が黒い糸で刺繍されていて、女神の手には分厚い羊皮紙の本があった。


 攻撃するなというのはコイツのことか——老人が目を見開いていると、女神は倉庫内すべての者に、耳慣れた声で神託をした。


「ウユギワ村のカオスシェイド()が、〈極大魔法:叡智〉の行使に成功しました。この迷宮の内部に限り、常世の加護を含めたすべての鑑定阻害は一時的に無効化されます」


 その場の誰も返事ができなかった。誰もが声しか知らなかった女神はゴリに目を向けると「ほう!」と笑い、ゴリはそれだけで白目を剥いて気絶した。続いて女神がマグじいを向く。


 ——真冬の雪原に裸で放り出され、さらに氷水を浴びせられたような悪寒がした。老人は圧倒的な〈叡智〉の視線に貫かれた。


「なるほど、——今後はワタシや〈歌〉にも敬意を示すことだね、老人。そう……ゆっくり読書でも楽しむことだ」


 マガウルは燕尾服の袖口になにかされたと感じたが、声は出さなかったし、すぐに見ることもしなかった。


 叡智の女神アクシノは最後にポコニャの耳元でなにかを〈神託〉し、光の泡になって消え去った。


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