第2話 人智を超えたものを見てしまったのなら


 それは落ちてきそうなほど大きな満月の夜、とある貴族が開いたパーティー会場の、人気のない庭園での出来事だった。


 私は、朝から機嫌のすぐれないお嬢様の傍にいたくなくて、頼まれた別の仕事を理由にパーティーが始まるぎりぎりまで庭で時間をつぶしていた。


「全く嫌になるなぁ。私をいじめて何が楽しいんだか」


 拾われた教会の借金のカタに貴族に売られ、癇癪持ちの伯爵令嬢のメイドになって早十年。苦節の日々だ。


 今日なんて『目覚めの紅茶がぬるかった』という理由で紅茶を入れなおさせた挙句、注ぎたての熱い紅茶を私に向かってぶっかけてきた。おかげで、顔をかばった腕に大火傷。


「ええと、白いバラが足りないんだったよね」


 服に擦れてひどく痛むそれに意識を向けないようにしながら、私は仕事として頼まれていたパーティーで使う用の花を摘んでいく。出来るだけ時間をかけて。


「ヴぅッ……!」


 ふと。かすかに誰かの唸り声とも呻き声ともつかぬ声が聞こえてきた。


「誰だろう? 今はパーティー準備でここに来る人は居ないはずだけど」


 そう思いつつ、声のする方をに向かってみる。

 花垣の隙間から噴水のへりに覆いかぶさるようにして、うずくまっている男が見えた。


 服装的に使用人ではない。

 旦那様か? ……違う。旦那様はあんなに美しい黒髪ではないし、もっとふくよかな体形だ。


「パーティーに出席される貴族様かな? 馬車酔いでもしてここで休んでいるのかも」


 そう思い、何か必要なものはないかと声をかけるため、その男に近づいてみる。


「ご気分が優れないようでしたら、何かお飲み物でもお持ち……えっ?」


 男は左腕を必死に押さえていた。

 その腕からは血が大量に流れ、皮膚がただれ、肉が露出している。


「……うっ」


 そして私は、信じられないものを目にしてしまう。

 その見えている肉が、抑え込む手から逃れるように骨から外れ、伸びながら腕の外にむかってうごめいているのだ。

 まるで筋肉の中に何か別の、意志ある生命体がいるみたいに。


「……大変失礼いたしました。直ちに医師を呼んでまいります。よかったらこの布を止血に使ってください」


 あまりに人知を超えたもの。


 喉から出てこようとする悲鳴を必死に飲みこんで、私は言葉と持っていた清潔な布を出す。あくまで私はメイド。何が起こってもお貴族様に失礼のないように。

 ここに来た時から繰り返しメイド長に言われ続けた言葉を思い出しながら、男に笑顔を向ける。多少引き攣っているのは許してほしい。


「よば、なくて。はぁ、だいッ、じょーぶ、です」


 男は苦し気に呻きながら答えた。


「僭越ながら申し上げますと、お客様のお怪我は大丈夫ではない部類のやつだと思われます。すぐに治癒魔術師にも連絡を取りますので」

「……っ、ほんとに、呼ばなくて、いいですっ、て」


 なぜ肉が動いているかは知らないが、出血量的に大怪我なのは間違いない。早急に治療しないといけない。

 そう思い、連絡を取るために急いで屋敷内に戻ろうとすると、進行方向とは逆向きに腕を引っ張られた。


「待って!!」


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