4話
永久に続く砲撃は当然ながら今も続いている。しかし、幸運にも私は健在であり、祖国に貢献する事が出来た。
目覚めた時から夜まで鳴り響く銃に大砲に砲弾の射撃音炸裂音を、もはや当然の現象として受け入れつつある自分の適応能力という物に驚きつつあるくらいだ。
爆発音、銃弾が地面に刺さるくぐもった音。すでに聞き馴染んだ音を私の耳は勝手に素通りさせていた。
突如、叫び声が聞こえた。誰かが負傷したのかと思ってたが、激しく何かが叩きつけられる音が繰り返す。一定のリズムで、そこで私は何かがおかしいと気付いた。
途端、背中に冷たいものが走って、その野性的本能を理性が解読せしめる。恐ろしいモノがいるという直感を。
直ちに私は銃剣を腰から引き抜き、銃に取り付け構えた。叫ぶ声に怒号も交じる。
異変に気付いた他の者達が暗い塹壕の中で蠢いているのが見える。
「アルベルト、わかるか?」
肩に手を置かれた感触に一瞬だけ過敏に反応してしまうが、すぐに冷静さを取り戻した。
「わからない。何かが、いる気がする」
「俺もだ。どうする?」
自分と同じ連隊で同期である男の声が僅かに震えていた。何かは、自分も含めて幾千もの砲弾にも怯まぬ古兵の喉を震わせていた。
「敵が潜入しているかもしれない。行こう」
もちろん、その様な事はありえないとわかっていたが、自分を無意識に騙そうとしたのかそう口走った。
「ああ」
死線をくぐり抜けてきた戦友と共に重機関銃陣地を越えて混乱の渦中へと足を踏み入れた。
「何かがいた! 見えた!」
錯乱した兵士が塹壕の隅で銃を抱えて叫んでいた。
「何がいた」
その兵士に問うが、
「知らない、何かだ」
ただそう答えられた。
先に進むと銃を斜め上に、塹壕の縁の辺りに構えた兵士達が固まって身を護っていた。
「誰かランプを取ってこい」
「お前が行け」
「嫌だ!」
近づくと一斉に殺気立った銃を向けられる。
「人間か?」
「味方だ、人だ、銃を向けるな!」
友軍にこれ程に殺気立った銃口を向けられたのは初めてであり、ここの異常な雰囲気を十二分に理解してしまう。
「一体、何が起きた?」
自分の背中を守っている男が兵士達に訊ねる。
「何かが殺したんだ」
「味方をか?」
「そうだ、おぞましい死に方で、顔が」
話している途中から歯をガチガチを言わせ始め、遂には歯のなる音だけが口から響くようになってしまった。他に者もその光景を思い出したのか顔が青ざめ、闇の中で青白く顔を浮かび上がらせていた。
昨日まで普通だったはずの者達がこうなってしまう。いや、させたのだ、何かが。じわじわと足元から恐怖が私を蝕んでいく。首元まで来たところで、塹壕の壁際にいた者が外へと引きずり出された。
「いたぞぉ!」
理性など存在する余地はなかった。ただ何かの、兵士一人を連れ去った黒い腕の見えた場所に向って発砲していた。
悲鳴が大気を裂いて。苦痛に悶える叫びが響き渡る。銃声が乾いた音を立てる。
全ての音が去ったとき、理性は私の元に帰ってきた。そして、銃に弾が入っていないのを気づかせた。
慌てて銃弾を入れて構えた。
「壁から離れろ、連れて行かれる」
できるだけ何かに聞こえないように周りに伝える。頷いた皆が壁から離れ、銃を構えた。
どれほど経ったかはわからないが、徐々に冷静さを取り戻した私は呼吸を落ち着けて口を開いた。
「去ったと思うか?」
「わからない、油断させて襲う気かもしれない」
兵士の顔が強ばる。
「なら、どこか安全な場所に向って移動しよう」
「近くに倉庫がある、そこなら」
互いに顔を見合わせて賛同し合うとなるべく音を立てないように倉庫へと移動した。到着するとそこにはすでに、何名もの兵士達がいて入り口に銃を向けていた。
「何かじゃない」
誰かがそう言って銃口が下ろされた。
「早く入れ、やられっちまう」
頭を下げて塹壕側面に掘られた倉庫へ退避を完了させ、ようやく私達は多少の安堵を得たのだ。
「生きてたのか、良かった」
「お前こそ」
仲間同士で無事を確かあっている中、私はあることに、今更ながらの疑問に気付いた。ここにルッツはいるのかと。
「なあ、ここにルッツはいるか?」
「ルッツ?」
訊ねられた兵士は眉を顰めて彼の名前を呼び、誰か知らないかと問いかけた。
「彼なら、重機関銃陣地の方にいるのを見たが、それだけだ」
重機関銃陣地、つまり先程まで自分達のいた付近。
私は弾かれた様に外へと飛び出して走った。
「ルッツ! ルッツ! どこだ!」
彼は死なせてはならない、何かの魔の手から彼を守らねばならない。
塹壕の外から不気味な雄叫びが聞こえてくる。嫌な予感が脳を血液を全身を駆け巡る。
恐怖は無かった。ただルッツ、素晴らしい芸術家の命が何よりも心配で生きた心地がしなかった。
もしかしたら、初めに聞いた一定のリズムで刻まれたあの音は、ルッツに振り下ろされる何かの拳だったのかもしれない。最悪の、絶対的な不可逆的死が済んでいるかもしれないと戦慄しかけた時、私の耳は聞き逃さなかった。
「誰か、助けて」
ルッツの悲痛な叫び。
「ルッツ! どこだ!」
「アルベルトさん、ここです。鉄条網に」
今までにない冴え渡った聴覚はルッツがどこにいるかを割り出し、塹壕の壁を登って地面に刻まれた長大な溝から地上へと私は這い出した。
雨と砲撃でめちゃくちゃにぬかるんだ地上を進み、鉄条網に絡まって倒れているルッツを見つけ出した。
「ルッツ、今助ける」
「アルベルトさん」
引っかかった鉄条網を外して何とかルッツを引きずり出すが、甲高い音と共に鉄条網が細かく振動する。敵弾だ。
そう判断してから早かった。ルッツの背中を押して塹壕の方へと匍匐して二人で深い穴へと滑り落ちた。
「ルッツ! まだだ、こっちだ」
壁際にいると何かに襲われる、ルッツを半ば抱えながらまた倉庫へと走り、中へと転がり込んだ。
「ルッツだ。アルベルトもいる」
「入り口にいるな! こっちへ」
仲間に抱えられて倉庫の奥へと運ばれる。
「ルッツは?」
「ここだ」
ルッツに肩を貸していた兵士が隣に彼を座らせた。だが、彼はすぐに横になってうずくまってしまう。
「どうしたんだ? どこか痛むのか、早く傷を見せるんだ」
「違います。怖いんです」
全身を震わせながらルッツが答える。
何かはこの若い芸術家に恐怖を植え付けた。何という事だろう、人一倍感性の豊かな彼ならば、その恐怖も人一倍だろう。
「大丈夫だ。私がいる。あの様な存在、私は恐れはしない。私が君を守ろう、大丈夫だ」
鉄条網に引っかかって脱がせたコートの代わりに自分のコートをルッツにかけ、背中を擦ってやる。空いた手には銃を持ったままで、堅牢な城にそびえる見張り塔の如く警戒を解くことは無かった。
暫くすると彼の震えは収まり、眠りに落ちた。
その時になって私は自身の手が鉄条網で血だらけになっているのに気付いた。
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