心霊現象

「ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない……」

 部屋に、おどろおどろしい声が響き渡る。

 マコがスマホに向かって声を吹き込んでいたのだ。

「いい感じだね」

 恭弥は素直な感想を述べた。

 それから二人して録音した音声を確認する。

「ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない……」

「ええ〜、やだ恥ずかしい! あたし、こんな声してるの〜」

 スマホから自分の声が流れたとたん、マコは顔を押さえて驚きの声を上げた。

 恭弥は笑顔を向けて言った。

「自分の声って、自分じゃわかんないからね。でもマコの声は、お世辞抜きでいい声してるよ」

「ほんと?」

「ああ、ほんとだよ」

 恭弥はもう一度録音した音声を再生させて聴く。

 マコはその間、恥ずかしそうな顔をしていた。

「うん。悪くないね」

「自分の声聴くのは恥ずかしいけど、でも何かこの作業、楽しいかも」

「そう? なら今度は、もっとゆっくりめでお願いできる?」

「おっけい」

 恭弥がマコに見えるように録音の開始ボタンをタップする。

 マコはスマホに向けて再び声を発した。

「ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない……」

 彼女の顔も、声に合わせて怖い顔になっていた。

 その後しばらく録音作業に没頭していたところで、恭弥のスマホが鳴った。

「誰から?」

 マコが聞いてきた。

 スマホのディスプレイには、〝雅先輩〟と表示されていた。

「雅先輩からだ。はい、もしもし——」

 恭弥はしばらく相手の声に耳を傾けた。

 その様子をマコが心配そうに見つめてくる。

「わかりました。連絡ありがとうございます。今日のうちに設置しちゃいます。では」

 恭弥は通話を切った。

 さっそくマコが聞いてくる。

「雅先輩、何て?」

「今日、雅先輩があの女を連れ出してくれることになった。最低でも終電近くまでは引き止めてくれるって。だからその間に、もろもろ設置しちゃおうと思う」

 以前、雅は、本田奈央との関係を断ち切るために、復讐計画から手を引かせてほしいと言ってきた。ところが後日、協力できることがあったら言ってほしいと連絡してきたのだった。彼の正義心が手を引くことを許さなかったのか、もしくは騙された本田奈央への憎しみからか、どちらにせよ、彼の協力はありがたかった。

「今から行くの?」

「いや。せっかく雅先輩が、あの女を夜遅くまで拘束してくれるんだ。だから暗くなってから忍び込もうと思う。そのほうが目立たないしね」

「そうだね。でも、もし、早く帰ってきたりしたら?」

「そんときは、雅先輩が連絡してくれるっしょ」

「まあそうだよね」


 日が完全に落ちてから、恭弥は本田奈央の部屋に忍び込んだ。合鍵がなければこうも簡単にはいかなかったはず。雅の助けが得られて本当によかったと改めて思った。

 照明は点けたくなかったから、暗闇に目が慣れるのを待つ。夜目が効くようになったところで、足音を立てずに部屋の奥へと向かう。間取りは自分の部屋と同じだったから、暗がりでも迷うことなく進んでいけた。

 ベッドと丸い座卓が置かれたリビングに入ると、手にしたリュックの中から設置していくものを取り出して座卓の上に置いていく。

 すべてを出し終えると、並べたものの中から円筒形の卓上スピーカーを持って浴室に向かう。アウトドア用のもので電源コードを必要としなかった。

 浴室に入ると、天井の点検パネルを押し上げて充分な隙間を作り、そこへ卓上スピーカーを滑り込ませた。

 ベッドと座卓のある居住スペースに戻ると、Bluetoothをペアリングさせてあるスマホを操作して、浴室に置いたスピーカーから録音音声を流す。ところが、いくら耳を澄ませても、浴室から音声は聞こえてこなかった。ボリュームを少しずつ上げていくと、ようやくか細く声が聞こえてきた。さらにボリュームを上げていき、言葉が明瞭に聞き分けられるくらいまでにした。

「こんなもんかな」

 きっと寝静まった深夜なら、もっとはっきりと聞こえることだろう。大き過ぎるよりかは、抑え気味の声のほうが、恐怖感は増すだろうと思った。

 次に恭弥は、白い壁に掛かっている壁掛け時計を取り外す。取り外した時計の後ろに、小さな切れ込みの入った小型の黒い機器を両面テープで貼りつける。付け終えると、時計を壁に掛け直した。

 続いて窓際に移動する。カーテンの前でしゃがみ込むと、カーテンの裾の部分をつかみ、カッターナイフを使って、裾の部分の縫い目をカットしていく。四センチほど切り離すと、口の開いた裾の部分へ、厚みが五ミリほどで、四センチ四方の小さな器具を隠し入れる。糸を解いた部分は、それがバレないように両面テープで貼りつけた。この同じ作業を、最初の器具を入れたところから三十センチほど離れた場所で行う。入れ込んだ器具は、信号を送ると磁力が発生して、器具同士が引き寄せ合う仕組みになっている。

 すべての仕掛けを完了し終えると、恭弥はマコに電話した。

「設置完了。まずは時計から動かしてもらえる?」

「了解」

 マコが答えるのとほぼ同時に、壁掛け時計がカタカタと動き出した。隣室からでも充分に操作が可能なことがわかった。

「おっけー。時計は大丈夫そう。次はカーテンのボタン押して」

「らじゃー」

 すぐにカーテンが大きく揺れた。こちらも隣室からの操作でも問題ないことがわかった。

「カーテンも大丈夫そうだ。じゃあ最後に、壁をドンドン叩いてくれる?」

「はーい」

 すぐに隣室から壁が叩かれる音が聞こえてきた。

「おっけい。これも大丈夫そう。それじゃあ、今からそっちに戻るよ」



       *  *  *



 時刻はそろそろ深夜の二時になろうかというところだった。

 恭弥だけでなく、マコもいっしょに起きていた。

 スマホで監視カメラの映像を流して隣室の様子を確認する。本田奈央は就寝中だった。

「よし。二時になった」

 恭弥は非通知設定にしてから、本田奈央のスマホに電話をかけた。

 監視カメラの映像を、恭弥はマコとともに見守った。

 深夜で静まり返っているだけに、隣室の壁からくぐもった着信音が聞こえてきた。

 スマホ画面に映る本田奈央が驚いたように目を覚ます。そしてすぐにスマホに手を伸ばす。彼女が応答すると、恭弥が持つスマホから彼女の声が聞こえてきた。

「もしもし、もしもし……」

 恭弥は応えることなくそのまま放置する。

 監視カメラの映像を見ながら、恭弥は手元の小さなスイッチを押す。監視カメラ越しに、隣室の壁掛け時計が動き出したのがわかる。音は聞こえてこなかったが、カタカタと鳴っている音が聞こえてくるようだった。

 時計の動きに反応して、本田奈央がビクッと反応する。相当驚いている様子だ。続いて別のスイッチを押して、窓際のカーテンを揺らす。本田奈央は、カーテンの揺れに反応してのけぞっていた。

 次に恭弥は、自室の白い壁を隣室に向けてドンドンと叩く。スマホ画面に映る本田奈央は、ベッドから飛び落ちそうになるほど驚いて、音がしたほうの壁を凝視している。あまりの怯えように、恭弥は見ていて愉快な気持ちになった。タネ明かしを知っていればどうってこともないことなのに、知らないというだけで人は簡単に恐怖に陥るのだ。

 そして、最後の仕上げとばかりに、恭弥は手元のスマホを操作して、浴室に設置したスピーカーから録音音声を流す。

 スマホに映る本田奈央が、浴室のほうに顔を向けて固まっていた。表情は見えなかったが、心底怯えている様子がスマホ画面越しにも伝わってきた。

 彼女が耳を塞いで身を丸める。

 録音音声は一分ほどで停止させた。ところが本田奈央は、身を丸めて固まったままだった。

 恭弥はそれを見て、上々の出だしだと感じ取った。隣に座るマコも同意見のようだった。

「成功だね、恭弥君」

「ああ。大成功だ」



       *  *  *



「かしこまりました。ただ今お調べいたしますので、少々お待ちください」

 恭弥は電話を保留にすると、ヘッドセットを外して楽な姿勢をとった。

 フロア内は、同じようにヘッドセットをつけた私服のオペレーターたちであふれていた。

 電話をかけてきた客への答えは、実のところ、保留をして調べるまでもなく回答することができた。しかし恭弥は、保留時間を休憩に当てることにしていたから、簡単な質問でも保留にして客を待たせることにしていた。“顧客ファースト”ではなく、“自分ファースト”を実践していたのだ。

 保留時間はきっちり三分。何も考えずに三分間ぼーっとするだけでも脳内疲労は軽減できた。一日に八時間も拘束されて電話を取り続けるのだから、工夫してサボらなければ身がもたない。それに、人よりも多くの電話を取ろうが取るまいが時給は同じだ。ゆえに、無理して多くの電話を取る必要はなかった。そのため恭弥は、リーダー陣に目をつけられない程度にサボるようにしていた。

 恭弥は視線の先にいる、仲のいい先輩の姿を確認した。今日は仕事終わりに、彼に声をかけるつもりでいた。

 パソコン上の、「保留」ボタン横の時間表示が、もうすぐ三分になろうとしていた。

「休憩終わりっと」

 恭弥はヘッドセットを付け直すと、「保留」ボタンを解除して客との対話に戻っていった。


「佐藤さん、今から軽く飲み行きませんか」

 恭弥は更衣室の個人ロッカーから荷物を取り出すと、窓際でスマホを見ていた佐藤に声をかけた。

 佐藤は満面の笑みを浮かべて答えた。

「お、珍しいじゃん。お前から誘ってくるなんて」

「行けます?」

「当たり前じゃん」

 佐藤は恭弥よりも十歳年上で、後輩たちへの面倒見がよかった。恭弥も入社当初からよくしてもらっていて、社内ではいちばん仲がよかった。細身で顔も割と整っていて、黒い服を好んで着ていることからバンドマンっぽく見えたが、本人は音楽活動の類はいっさいしていなかった。

「今日はぼくがご馳走しますよ」

「いいの? なら甘えちゃうぞ」


 恭弥は佐藤を誘って、職場近くの居酒屋に足を向けた。

 入った店はこじんまりとしていて、数席しかないテーブル席に二人して陣取った。平日ということもあってか、店内に客は少なかった。

 ビールで乾杯してから、最近の近況を語り合った。年は離れていたが、佐藤とは気を使わずにいつも楽しく話すことができた。

 二杯目のビールがテーブルに置かれたところで恭弥は切り出した。

「佐藤さん、実は見てもらいたいものがあって」

「ん?」

 佐藤が不思議そうな顔をして反応した。

 恭弥は姉の日記を差し出した。

「何だよ、これ」

「ある人の日記です」

 日記を手に取った佐藤は、何気ない感じでページをパラパラとめくっていく。彼の表情がすぐに険しくなった。

「これ、女の子の字だな。それにしても、すっげえ字が荒れてるな。何か、精神的に病んでるって感じだな……」

 佐藤の発言に胸が痛む。筆跡からでも、姉の苦悩は容易に伝わるのだ。

 恭弥は胸の痛みを抑え込んで言った。

「あの、ちょっと面倒なんですが、その付箋が貼ってるページの、マーカーが引いてあるとこだけでいいんで、読んでもらえないですか」

「おう。ちょっと待ってろよ」

 佐藤は何も聞かずに読み始めてくれた。彼が日記に目を通す様子を、恭弥は静かに見守った。

 日記を読む佐藤の表情が、すぐに険しくなっていくのがわかった。ときおり彼の口から、「こりゃ、ひでえな……」とか、「マジかよ……」といった言葉が小さく漏れ出ていた。

 しばらくして、指定した場所を一通り読み終えたらしい佐藤が顔を上げて言った。

「これ、誰の日記なんだ?」

「ぼくの、姉ちゃんのなんです」

「マジか……」

 佐藤はかなり驚いた様子だ。完全に言葉を失っている。

 恭弥はビールを一口飲むと重く口を開いた。

「あと、その日記には書かれてないんですけど、姉ちゃん、風俗で働いてること、学校にバレちゃって、それで……」

「それで?」

 佐藤が緊張気味に促してくる。

「学校の屋上から……」

「マジかよ……」

 佐藤はかなりショックを受けたようだった。険しい顔をして唇をかんでいる。

 恭弥も改めて姉の死を思い起こして胸が苦しくなり、何も言えなくなってしまった。

 しばらく無言の間が続いた。恭弥が黙っていると、佐藤がもう一度日記を手に取って、ページをめくり始めた。

 日記をめくる佐藤に恭弥は言った。

「その日記は、姉ちゃんが死んで一年後くらいに見つけたんです。風俗で働いてたって話はぼくも知ってたんですけど、まさかそんな理由だとは……」

「そうだよな。普通、若くして風俗で働くっていったら、ブランド品が欲しいだとか、ホストに貢ぎたいとか、そんな理由だもんな……」

「ええ……」

 佐藤がビールをぐいっと飲み干すと、日記を掲げながら聞いてきた。

「でさぁ、何でおれにこれを?」

 恭弥は真剣な表情で答えた。

「実は佐藤さんに、頼みたいことがあって」

「頼み?」

「ええ。佐藤さん、姉ちゃんの復讐に手を貸してもらえませんか?」

「復讐? お前、復讐するつもりなのか?」

「ええ。そのつもりです」

「そうか……」

 佐藤は神妙な顔をして黙ってしまった。

 恭弥は黙って相手の反応を待った。雅とは異なり、佐藤に無理強いするわけにはいかなかった。彼はまったくの部外者で、こちらに協力する義理はなかったからだ。

 しばらくして佐藤が言った。

「わかった。協力するよ。そんな日記見せられちゃ、断れないからな」

「佐藤さん、ありがとうございます」

 正義感の強い佐藤のことだから協力してくれると思っていたが、いざ協力を申し出てみると、いかに自分が非常識な頼みごとをしているかがわかり、それに応えてくれた佐藤に感謝の気持ちが湧き上がった。雅が計画に協力するのは姉への義理があるからわかるが、佐藤の協力は完全なる善意からなのだ。もし佐藤が今後窮地に陥るようなことがあったら、全力で助けようと恭弥はここに誓った。

「で、おれは、何をすればいいの?」

 恭弥は計画のシナリオを佐藤に話しはじめた。


「なるほど。面白いアイデアだな」

 佐藤は感心したように言った。

 計画の全体像は十五分ほどで伝えることができた。

「佐藤さんって、昔バーで働いてたって言ってましたよね? なので佐藤さんは、岩国啓一郎って名の、霊感のあるバーテンダーっていう設定でお願いしたいなと」

「わかった」

「専用のスマホもあとで用意します」

「わかった。ちなみに、何で岩国なの?」

「何か霊感がありそうな感じしません?」

「確かに、佐藤よりはありそうだよな」

「でしょ?」

 後日再度打ち合わせをするつもりでいたが、佐藤も少し乗り気になっていたようなので、計画の話をさらに進めた。

「それで、佐藤さんには、あの女を怖がらせるような霊視をしてもらいます」

「何て言えばいいんだ?」

「まあ、アドリブでいいんですけど、不安なら簡単な台本も用意しますよ」

「頼むよ。アドリブは苦手なんだ」

「わかりました」

 恭弥はスマホのメモアプリを立ち上げると、台本を用意する旨を手早く打ち込んだ。

 ここで佐藤が不安そうな声で言ってきた。

「でもおれで、大丈夫かな?」

「大丈夫ですよ。佐藤さん、細いし、何か霊感ありそうに見えますもん」

「細いと霊感が強いのか?」

「わかんないですけど、太ってる人よりかはありそじゃないですか? 何となく」

「そっかなぁ」

「ちなみに、最初に声をかける役は、高校のときの同級生がやってくれるんで」

「その同級生も、こっちに来てるわけ?」

「ええ。こっちの大学に通ってます」

「あのさ、恭弥。おれ思ったんだけど、いきなりおれがその女に声掛けちゃダメなの?」

 佐藤が当然の疑問を口にした。

 恭弥はすでに出ていた回答を相手に伝えた。

「それも考えたんですけど、向こうが胡散くさく感じて断られちゃったら、もう佐藤さんにこの役、頼めなくなっちゃうんで」

「そっか……」

「これのポイントは、佐藤さんの連絡先だけ教えておいて、向こうから連絡してこさせることなんです。要は、壺をこちらから売りつけるんじゃなくて、向こうから買いたいと思わせるんですよ」

「ああ。なるほどな」

 佐藤は納得したように深くうなずいた。

 しかし彼はまた、不安そうな顔で聞いてきた。

「あのさ、その恭弥の同級生が、岩国役じゃダメなの? おれじゃその役は、荷が重いような気がしてきてさ……」

「大丈夫ですよ。佐藤さんって、雰囲気あるから。それにあまり若いと、信ぴょう性に欠けますから」

「だから、おれみたいな、おじさんがいいってわけか」

 佐藤が少し自嘲気味に答える。

「そんなことないですよ。佐藤さんは、おじさんじゃないです。大人の男って感じですよ」

「おじさんでいいよ。もうすぐ三十なんだし、充分おじさんさ」

 恭弥はこの辺りで話を打ち切ることにした。これ以上話し続けて、佐藤がさらに不安になってしまうと困ると思ったからだ。

「今の話なんですけど、後日また相談させてもらってもいいですか?」

「うん。いいよ」

「ありがとうございます」

 恭弥は店員に、ビールのおかわりを注文した。

 頼んだビールはすぐにやってきて、空いたジョッキと引き換えに置かれていった。

 佐藤がビールの泡を口につけたまま聞いてきた。

「その女、連絡してくるかな?」

「どうでしょうね……。ただ、ぼくが同じ状況だったら、藁にもすがる思いで電話すると思いますよ」

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