ダメ押し

「あそこの、黒髪のほうの女がそうだ」

 恭弥は隣に立つ友人に言った。

 ファミレスの外から店内の様子をうかがっていた。本田奈央は友人とともに、店内の中央付近の席に座っていた。

「あれが、日記に書かれてた女か……。遠目からだと、そんな悪い人には見えないな」

「そうなんだ。あの女は人当たりがいいから、割と周りから好かれるんだろうね。だから雅先輩も、本性を知って相当驚いてたからね」

「人は見かけによらないってほんとだな」

 そう。人は見た目で騙されやすい。一流の詐欺師が人当たりがいいのはそういうことなのだろう。

 恭弥は友人の山内に言った。

「それじゃ、とりあえず先に入ってくれる? ぼくらは、少し時間を空けてから行くからさ」

「了解した」

 山内は店内に入っていった。

 恭弥はマコとともに、ファミレスの外から山内の動向をうかがった。彼は高校時代の同級生で、今は都内の大学に通っている。上京した同級生の中でいちばん仲がよかったことから、恭弥は彼に協力を仰いだのだった。山内は細身で色白のため、霊感が強いという設定にピッタリだと思った。

 ウェイトレスに導かれるままに、山内は窓際のテーブル席に座った。今は受け取ったメニューを見始めている。

 恭弥はマコに言った。

「ぼくらも入ろう。ちょうど、あの女たちの隣のテーブルが空いてる。ぼくらはあそこに座ろう」

「隣に座って大丈夫? 気づかれるんじゃない?」

 マコが不安そうな顔で言ってきた。

「平気だよ。目立つ行動さえしなければ気づかれっこない。人って、びっくりするくらい他人に無関心な生き物なんだからさ。それに、こっちは眼鏡とキャップで人相を隠してる。問題ないよ」

「そうだね。わかった」

 マコは安心したようだった。恭弥は二人して店内に入っていった。

 予定通り、ウェイトレスに言って本田奈央たちがいる席の隣に座らせてもらった。恭弥は本田奈央に背を向けて座る形となった。耳を澄ますと、彼女たちの会話が背中越しにしっかり聞こえてきた。絶好な場所に陣取ることができたようだ。

 客席は三分の二程度埋まっていたが、小さな子どもや老害と呼ばれるような騒がしい老人たちがいないため、店内は割と静かだった。

 恭弥は手元のタブレットでドリンクバーを二人分注文した。

 マコが持ってきてくれたコーラに口をつけながら、恭弥は窓際の席にいる山内に視線を向けた。彼は緊張気味にドリンクを飲んでいた。

「山内のやつ、だいぶ緊張してるな」

 恭弥は小声で言った。

「大丈夫かな?」

「かえって緊張してるくらいがちょうどいいよ。そのほうが緊迫感が出るかもだし」

 本田奈央たちはいまだ食事中で、すぐに席を立つ様子はなかった。そのため、山内が心の準備を整える時間は充分にあった。

 恭弥たちが店に入ってから二十分ほどが過ぎた。そろそろいいだろう。恭弥は山内にLINEを送った。

 山内がスマホを確認したのがわかった。彼はすぐにレシートを持って立ち上がる。恭弥はさりげない感じで友人の動向を追った。充分に心の準備ができていたらしく、山内は迷うことなく恭弥とマコが座る席を通過して、本田奈央たちがいる席の前で立ち止まったのがわかった。

 恭弥は背中側に意識を集中して様子をうかがった。

「あの——」

 声をかける山内の声が聞こえてきた。

「すみません、少しいいですか」

 声はだいぶ震えていた。かなり緊張しているのがわかった。

 女たちは押し黙っている。

「最近、何かおかしなこと、起こってませんか?」

「え!?」

 本田奈央の、驚いたような声が聞こえてきた。

 恭弥は彼女の驚きように気をよくする。

「起こってるんですね?」

 山内が語気を強めて聞く。本田奈央が驚いたことで自信がついた様子だ。

 ここで本田奈央の友人が割って入ってきた。

「あの、これ、ちょっと何なんです」

 非難の言葉が山内に浴びせられた。

 それに気圧されたのか、彼は自信なさげな声で答えた。

「すみませんでした、いきなり変なこと言ってしまって……。実は、ちょっとぼく、人よりも霊感が強くて……」

 霊感という言葉が威力を発揮したのか、急に背後の空気が緊張した。

 空気の変化に、山内が再び自信を取り戻したようだ。今度は力強い声で彼女らに言った。

「よかったらぼくの話、聞いてもらえませんか」

「あ、はい……、少しなら……」

「え、奈央、話聞くの?」

「うん。ちょっとだけなら」

「でも、知らない人なんでしょ?」

「そうだけど、そんな悪い人でもなさそうだし」

「まあ、確かに、そうだけど……」

 しばらくして、彼女の席に座ることができたらしい山内の声が聞こえてくる。

「あの、怖がらせるつもりはないんですが、落ち着いて聞いてくださいね」

「は、はい……」

「あなたには、命に関わるほどの霊障が見えます」

「レイショウ?」

「霊による障害と書いて霊障です」

「そんな……」

 本田奈央が動揺しているのが、背中越しにも伝わってきた。

「命に関わるって……。奈央、何か思い当たること、あるの?」

 友人の問いかけにも、本田奈央は沈黙していた。

 沈黙を続ける本田奈央に山内が言った。

「近いうちに一度、お祓いとか受けたほうがいいですよ。そのまま放っておくと、取り返しのつかないことになるかもしれない」

 ほとんど台本通りだった。ただ、さすがに初対面の女たちを前にしているためか、声はときどき震えていた。しかし、この役をこなせているだけでも山内は強心臓だと恭弥は思った。

「あの、あなたが直接はらったりとかは、できないんですか?」

 本田奈央の友人が山内に聞く。

 山内は台本通りに答える。

「ほんとに申しわけないんですが、ぼくにそんな力はないんです……。昔から霊感だけは強くて、人には視えないものが視えるんですけど、ただ、祓うといった特別なことはできないんですよ。まあ例えるなら、お化けは見えるけど、退治することはできないって感じですか」

「はあ、そうですか……」

「さっき、この店を出ようとしたときに、こちらの方を見て、ちょっと普通じゃないほどの悪意を感じ取ってしまって……。それで、わかっていて見過ごすのもどうかと思って、声をかけさせてもらったんです」

「そうなんですね……。ちなみになんですけど、誰か知り合いとかで、いないんですか?」

 本田奈央の友人の質問に、山内は少し間を空けてから答えた。

「そうですね……。知り合いに、一人だけいます。その人、職業にしてるわけじゃないんですけど、ぼくと違って、視えるだけでなく、祓うこともできます——。そうだ。連絡先を教えておきますから、必要なら連絡してみてください。彼にはぼくからも、今日のこと伝えておきますから」

 ここで山内は打ち合わせ通りに、佐藤が演じる予定の架空の霊能者、“岩国啓一郎”の連絡先を本田奈央に教えた。すぐに本田奈央が彼に連絡することを願ったが、彼女のマインドまでは操れないので、ここから先は未知数だった。

 山内はその後彼女らと少し会話をしてから店を出ていった。恭弥たちとは、あとで合流する予定になっていた。

「ねえ、奈央。何かやばいことでも起こってるの?」

 本田奈央の友人が彼女に聞く。

「ううん。やばいってほどでもないんだけど、ただ、ちょっと最近おかしなことがあって」

「おかしなことって」

「うん、実はね——」

 本田奈央は、友人に起こっている現象を説明し始めた。

 説明を聞き終えた本田奈央の友人が高い声を上げた。

「それ、充分やばいじゃん! 奈央、それ一週間ほど続いてるわけだよね?」

「うん」

「だったら、さっきの人が言ってたみたいに、そういう人に相談したほうがいいって」

「そうだよね」

「そうだって。だって、さっきの人も言ってたじゃん。命の危険があるかもって」

「そう言ってたよね」

「何かひとごとだなぁ。もっと真剣に考えたほうがいいよ」

「うん、そうだね」

「もしあれだったら、今から、さっきの人に教えてもらった人に連絡してみない?」

「え、今から?」

「うん。そういうのは、早いほうがいいと思うからさ——。あれ? 気乗りしない感じ?」

「だって、あんな形で声をかけてきた人の言うことを、素直に信じていいのかなって」

「そうだけど……、実際にあなたに起こってることを言い当てたわけだし。それにあの人も親切心で教えてくれたわけじゃない? だったら疑う理由なんてないんじゃないの」

「まあ、そうかもだけど……」

「じゃあさ、こうしない? ネットで探して、別の霊能者に視てもらうの。これならどう?」

「そうだね。まだ時間もあるし、行ってみようか」

 本田奈央が、すぐに佐藤が演じる偽霊能者に連絡を取ることを期待したが、残念ながらそうはいかなかった。

 彼女たちが店を出ると恭弥は言った。

「すぐに佐藤さんに連絡するかと思ったけど、思い通りにはいかないものだね」

「大丈夫かな?」

 マコが心配そうに聞いてきた。

「大丈夫であってほしいけど、とりあえず、しばらくは様子見だね」


 だが次の日、佐藤からうれしい報告が飛び込んできた。本田奈央から会ってほしいと連絡が来たというのだ。

 恭弥は佐藤からの報告に思わずガッツポーズを作った。

「次の日曜日に会う約束をした。お前の読み通りだったな」

「ええ。最初はどうなるかと思いましたけど、とりあえずよかったです」

「おれ、ちょっとドキドキしてきたよ」

「大丈夫ですよ、佐藤さんなら」

「おれ、素人なんだから、あんま期待すんなよ」



       *  *  *



 恭弥はマコとともに、隣室の様子をスマホでうかがっていた。

 霊能者・岩国啓一郎を、佐藤が見事に演じ切っていた。

 佐藤が自身のスマホを通話中にしていてくれたから、映像だけでなく隣室の音声も聞くことができた。

「まず、深夜の二時に電話が鳴る」

「はい」

「次にこの時計が音を立てる」

「はい」

「で、あのカーテンが大きく揺れる」

「はい」

「で、次に、壁がドンドンと叩くように鳴る、と」

「そうなんです。こっち側の壁だけが音を立てるんです」

「なるほど。ラップ音だね。典型的なポルターガイスト現象だ。あと、女の人の声が聞こえるって話だったよね?」

 霊能者を演じる佐藤の演技は自然体そのものだった。予想以上に役に入り込んでいて、恭弥は彼の演技に感心した。

 隣に座るマコが言った。

「佐藤さん、意外と上手じゃん」

「だね」

 しばらくして隣室では、本田奈央が三人分のコーヒーを用意した。

 場が仕切り直されて、本田奈央が先日鑑定を受けた霊能者の言葉を佐藤に語っていく。これは貴重な情報だと思い、恭弥は聞き耳を立てた。

 彼女の説明を聞き終えると、佐藤演じる岩国啓一郎がもっともらしい顔をして語っていく。

「なるほど。だいたいのことはわかったよ……。結論から言うと、おれもその、霊能者と同じ意見だね」

「はあ……」

「まず、この部屋に、霊的なものの存在は感じない」

「じゃ、何で、おかしなことが起こってるんですか」

 本田奈央が語気を強めて聞く。

「それはおれにもわからない。でも、仮説を立てることはできる」

「仮説、ですか?」

「そう。仮説、だね。でも、消去法でいくと、この仮説が真理なんじゃないかって思う」

「説明してもらえますか」

「わかった。まず、奈央さんが鑑定を受けた霊能者が言っていたように、すごく遠くのほうに、奈央さんのことを強く恨んでいる霊が存在することは間違いない。もっと具体的に言うと、相手は奈央さんと同世代の女の子だね」

「すごい……。そんな具体的なことまでわかるなんて」

 本田奈央の友人が佐藤の説明に驚いていた。

 恭弥は隣室で繰り広げられるやり取りを見て愉快な気持ちになった。

「何だよ佐藤さん、アドリブは苦手って言ってたのに」

「あれアドリブなの?」

「そうだよ」

「すごーい、佐藤さん」

 佐藤演じる岩国啓一郎が問う。

「ちなみにだけど、誰か同世代の子から、恨まれるような心当たりってない?」

「いえ……」

 本田奈央の硬い表情をスマホ越しに見て恭弥は言った。

「あの顔見てみろよ。絶対に姉ちゃんのことが頭に浮かんでるって」

「だね」

 しばらくして、台本通り、佐藤が結界を張ることになった。

 佐藤が結界を張るフリをし始めたのを見て、恭弥はマコとともに声を立てずに笑った。

「佐藤さん、面白いね」

「ああ。ちゃんと役に入り込んでるね。あの人に頼んで正解だったよ」

 佐藤が結界を貼り終えると、隣室では彼へのお礼をかねて、本田奈央がピザを注文することになった。

 恭弥は本田奈央らがピザを食べている様子も観察した。これといった有益な情報は得られなかったが、こうやって彼女のプライベートを盗み見ていることに不思議な優越感を覚えた。




       *  *  *



 佐藤演じる岩国啓一郎が、本田奈央の部屋に架空の結界を張って一週間が過ぎた。

 恭弥は予定通り、心霊現象を再開させることにした。

 まずは非通知でスマホに電話をかける。彼女は電源を切っていなかったようで、呼び出し音が鳴り始めた。

 監視カメラの映像で、彼女が血相を変えてスマホを凝視する姿がわかった。

 本田奈央はスマホを手に取るとスマホの電源を切ったようだ。

 恭弥は監視カメラの映像を見ながら、手元のスイッチを押す。隣室の壁掛け時計が細かく動き出す。本田奈央はビクッとして掛け時計を凝視した。

 次に別のスイッチを押してカーテンを揺らす。本田奈央がカーテンから離れるようにベッドの上で跳ね上がる。

 続いて隣室に向かって、握った拳の腹で壁をドンドンと叩く。彼女は壁から離れるように体をビクッと反応させていた。

 スマホの画面越しに、本田奈央が心底震え上がっている姿が映る。

 最後はダメ押しの録音音声を流す。

 ベッドの上にいる本田奈央が、両手で耳を塞いでうずくまった。

 恭弥は音声を一分ほど流してから止めた。それでもスマホ画面に映る本田奈央は、いまだに耳を塞いだままだった。



       *  *  *



 翌日。佐藤から連絡が入った。

「あの女から連絡が入ったぞ。また結界を張ってくれってさ」

「やはりそうきましたか」

 恭弥は予想通りの展開に気をよくした。

「言われた通りに答えておいたからな」

「ありがとうございます」

 詳しく聞くと、電話があったのは十五分ほど前だったという。まだ佐藤が寝ていたところで本田奈央からの電話で叩き起こされたそうだ。

 予定通り、結界をまた張ってほしいという彼女の要望を、佐藤はやんわり断った。イタチごっこになるだけだからと、心霊現象の原因を見つけ出すことが重要だと説いたのだ。さらに、数か月はもつと思われた結界が、わずか一週間で破られたことで、相手はよほど強大な存在だと印象づけることにも成功したという。彼女の怯える様子が電話越しにも伝わってきたと佐藤は言った。

 原因に心当たりがあるのではと問うと、本田奈央は黙ってしまったらしい。そして最終的に、佐藤に頼ることをあきらめて引き下がったとのことだ。

 恭弥は佐藤の説明に満足した。

「佐藤さん。今までお疲れさまでした。これで佐藤さんの仕事は最後になるかと思います」

「そうか。それはそれで何か寂しいな……」

 佐藤は本当に寂しがっている様子だった。

「何かあったらまた、遠慮なくおれを頼れよ」

「ありがとうございます」

「お前から預かったスマホはどうすればいい?」

「そうですね……。それは折を見て解約します。次会ったときに回収するんで。あと、今度お礼も兼ねて食事にでもいきましょう」

「それは計画が完全に終わってからでいいよ。まだ、終わんないんだろ?」

「ええ。この程度じゃ、姉ちゃんの恨みは晴らせませんから」



       *  *  *



 スマホ画面から流れる監視カメラの映像から、本田奈央が旅行の支度をしているのがわかった。

 彼女の表情から、楽しい旅行というわけではなさそうだ。となれば、実家に帰省する可能性が高い。佐藤演じる岩国啓一郎に諭されたことで、姉の墓に向かうことを決意したのかもしれなかった。

「よし。次の作戦に移るか」

 恭弥は、本田奈央が実家に帰省することを想定して、荷造りをはじめた。

「あたしは、留守番してたほうがいいの?」

 マコが心配そうに聞いてきた。

「そうだね。向こうに行ったら一人のほうが動きやすい」

「わかった。恭弥君、気をつけてね」

「大丈夫だよ。ただあの女の様子を見るだけで、何かするってわけじゃないから」

 支度が整うと、恭弥は机の引き出しの中から複数の大型封筒を取り出した。すでに住所が記載済みだった。

 恭弥は封筒をマコに渡した。

「マコ、これ郵便局に持っていって、速達で送って」

「わかった。でも、あの人が実家に帰らなかったらどうすんの?」

「そんときはしょうがないよ。けど、もし実家に帰るんだったら、今日これを速達で送らないと間に合わない。帰ることに賭けることにする——」



       *  *  *



 本田奈央が姉の墓石の前に立っているのを、恭弥は遠目から盗み見ていた。

 彼女は憔悴した顔で、墓石に向かって何やらぶつぶつとつぶやいている。おそらく、姉への謝罪の言葉を紡いでいるのだろう。だが、そんな軽い謝罪程度で、姉への仕打ちを許すつもりはなかった。

「本田奈央、本当の地獄はこれからだ——」

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